慕不報
2-19
吐き出された溜息が、突き抜けるほどに真っ青な蒼穹に溶け、消えていく。
目に見えぬはずのそれに視線を向けたまま、松下綾はもう一度、深い溜息をついた。
今日は月曜日。時間は午前八時三十分。もうじきホームルームが始まる。
しかし彼女は今、2年A組の教室で自分の席に着いておらず、屋上で仰向けに寝そべっていた。
風に吹かれるまま、広大な青空を綿菓子のような雲が漂い、綾の視界を次々に横切っていく。
早く教室に行かなければ。
そう思ってはいる。
親友である飛鳥川琉奈から、現在の所在を尋ねるメールが何度も送られてきている。
けれど、実際に綾がその場から立ち上がる気配はない。
行かなければならないけれど、行きたくなかった。
教室に行けば、クラスメイトがいる。その中には、もちろん久留井祥吾も。
彼の姿を見てしまえば、自然と彼の兄である誠一のことも思い出されてしまう。
祥吾と誠一は兄弟ではあるが、外見はあまり似ていない。
以前、彼ら兄弟は全員母親が違う、と誠一が言っていた。きっとそのせいだろう。
しかし、それでもきっと、祥吾を見る度に、その向こうに誠一の姿を見てしまう。
自分を見てくれない誠一の姿を。
そう。昨日の誠一は、自分のことなどほとんど見ていなかった。
視線は自分の方を向いていたけれど、彼の目が見ていたのは、己の力不足で命を失うことになった彼女の姿だけだった。
そして、きっと彼は今会っても自分を見てくれないだろう。
それほどに、誠一は葵のことを想っている。彼女がこの世からいなくなった今も。
「あら? あなたは確か、祥吾の知り合いの平民よね?」
青と白しかなかった綾の視界に突如、少女の顔が割り込んできた。
「佐虎野乃……さん?」
綾は記憶の海から少女の名前を手繰り寄せ、口にする。
「そうよ。でもごめんなさい、野乃はあなたの名前覚えてなくて……どなただったかしら?」
「あたしは松下綾よ。久留井祥吾君の同級生の」
「ああ、そうだったわね。ホントにずるいわよね、あなたが祥吾と同級生で、野乃は学年すらも違うなんて!」
「それは仕方ないんじゃ……。それより、なんでこんなところにいるの? もうすぐホームルーム始まるよ?」
「あなたこそ、なんでここにいるの?」
質問を質問で返された綾は答えに詰まった。
自分より年下の少女に恋愛の悩みを打ち明ける気になどならなかったし、何より、眼前の少女は確か、誠一のことを良く思ってはいなかったはずだ。
「ねぇねぇ、なんでなの?」
「まぁ……この年になると色々あるの。野乃ちゃんは? また久留井くんにフラれちゃったとか?」
しつこく問いかけられた仕返しに、綾は少々意地の悪い、大人気ない言葉を返した。
綾は野乃が怒り出し、この場から去っていくことを想像したが、野乃は頬を膨らませ、「そんなんじゃないわよ……」と呟いたきり、俯いてしまった。どうやらボールを狙ったはずが、うっかりストライクに入ってしまったらしい。
「なんで祥吾は野乃と付き合ってくれないんだろ……。ねぇ、野乃ってそんなに魅力ないかな?」
野乃に問いかけられ、綾は改めて野乃の姿を見つめる。
華奢な体。白く長い脚。大きすぎず、けれど小さすぎず、きちんと女性らしさを感じさせるほどには膨らんでいる胸。ぱっちりとした二重が印象的な、爛々とした瞳。
「私が男だったら、野乃ちゃんに告られたら確実に付き合っちゃうと思うけど」
「……でも祥吾は違うの。好きだって言っても、「ありがとう」って、頭を撫でられておしまいなの。一度だって野乃を女として見てくれない……。なんでなの?」
「なんでかねぇ……。恋愛って、上手く行かないっていう法則でもあるのかな?」
「……あなたも恋愛で悩んでるの? 野乃が相談に乗ってあげるわよ?」
「え!? あ……あの、ね……――」