騒乱
2-11
祥吾の嫌な予感は早々に的中することになった。
帰りのホームルームが終わるなり、祥吾は鞄を抱えて駆け出した。
もちろん、再び祥吾を訪ねてくるだろう野乃から逃れるために。
しかし、その努力も空しく、あと一歩で教室から脱出できる、というところで恐れていた事態に陥ってしまった。
「祥吾! そんなに慌ててどこへ行くの?」
満面の笑みで二年A組にやってきた佐虎野乃に、祥吾は大きく肩を落とした。
その後姿を琉奈と綾が憐憫の情溢れる瞳で見守る。
「来るの早いね、野乃……」
「でしょ? ホームルーム抜け出して、こっちのが終わるまで待ってたの」
「抜け出してって……ダメだろ、そんなことしちゃ」
「だって野乃、早く祥吾に会いたかったんだもの。授業の合間の休み時間は短いから会いに来れないし。やっぱり、無理にでもこのクラスにしてもらえば良かった」
「それはどうしたって無理でしょ……」
溜息を漏らす祥吾。野乃はそんな彼を見てもなお、嬉しそうに微笑んでいる。
「何、その子ってもしかして久留井の彼女?」
側にある席に座っていた浩太が野乃を指差しつつ、祥吾に話しかける。
祥吾と野乃に興味を持っていたらしい他の男子二人も続いて、「すげぇ可愛いじゃん」「何年生?」「どこで知り合ったんだよ?」などと問いかける。
無遠慮に話しかけてくる彼らの姿に、野乃の顔から笑顔が消え失せ、代わりに憤怒が現れる。
「祥吾や野乃にそんな口の利き方……無礼者ね」
「! 野乃!!」
祥吾が鋭い叫び声をあげる中、野乃は自分と祥吾を取り囲んでいる男子たちに向けて、野球のバットを振るように大きく腕を振るった。
一瞬の間の後。
男子たちは突然、床に膝をついた。その呼吸は何百メートルも全力疾走した後のように荒く、大量の汗をかいている。
「こんのバカ……!」
男子たちの異変を目撃したクラスメイトたちが茫然とする中、祥吾は野乃の腕を掴み、共に教室から出て行く。
「浩太! 大丈夫!?」
我に返った琉奈が浩太に駆け寄る。
浩太は突如わが身に起こったことに思考を停止させつつも、「ああ……」と答える。
「なんか、急に体が……立ってらんないくらい、力、入らなくなって……。あの女、一体俺らに何したんだ?」
「祥吾くんなら何か知ってるかも。行こ、綾」
琉奈が後ろについてきていた綾に声をかけ、彼女も頷く。
二人は急いで祥吾と野乃の後を追った。
「何てことすんの!?」
祥吾の怒号が駆け込んだ進路指導室に響き渡った。
野乃は両耳を人差し指で塞ぎつつ、「そんなに怒らないでよ」と祥吾を宥めるが、眼前の男の怒りが収まる気配はない。
「俺たちみたいな力を持たない人にあんなこと……有り得ないよ!」
「だって、あの人たちしつこかったし。だいたい、力がないのが悪いのよ。力があればあんなの簡単に防げるもの」
「言ってることがめちゃくちゃ過ぎる……」
祥吾は疲れた顔で頭を抱える。
「祥吾くん、いる?……あ、いたいた」
不意に指導室と廊下を隔てるドアが開かれ、琉奈と綾がやってくる。
「アスカさん。松下さん」
「……あなたたちはお昼に会った人たちね」
野乃が琉奈たちに警戒の眼を向ける。
「祥吾くん、浩太たちは一体どうなっちゃったの? この子は浩太に何を……?」
「野乃は秋川くんたちの魂の力を切り取ったんだ」
「魂の力を、切り取る……?」
「それってマズイんじゃないの? 秋川たちはどうなっちゃうわけ?」
青ざめる琉奈と綾を、「大したことないわ」と野乃が鼻で笑う。
「魂の力なんてそのうち回復するわ。そもそも、私たちのように魂の力を利用する術を知らない一般人は必要以上に溜まった魂の力を日常的に、無意識に放出してるし。私はそれを少し早めたようなものよ」
全く悪びれることなく、歌うようにスラスラと説明する野乃に、琉奈も綾も開いた口が塞がらない。
彼女は自分のせいで、例え短い間でも苦しむ羽目になった人間を見ても、何とも思わないのだ。
「野乃。秋川くんたちに謝りなさい」
「ええ!? 嫌よ、悪いのはあっちじゃない」
「なんでそうなるかな……。能力使えない人に対して使うなって言われてないの?」
「別に。みんなに話しても、きっと力が使えない方が悪いって言うわ」
野乃の主張に、祥吾は「確かに本家の奴らはほとんどがそう言いそうだけど」と額を押さえる。
「あの、あたし、浩太の様子を見に戻るね」
祥吾と野乃の話が平行線で終わりそうな気配を察した琉奈が告げる。
綾も「あたしも!」と便乗し、二人が進路指導室を出ようとした刹那。
祥吾、野乃、そして琉奈の三人は悪寒がした。
微動だにすることすら躊躇われるほどの重圧にも同時に襲われ、三人は身動きが取れなくなる。
「? どうしたの、琉奈?」
唯一人何も感じず、平然としている綾が琉奈の肩に手を置いた瞬間、進路指導室にいた四人の意識は別次元に飛ばされてしまった。
「アスカさん! 松下さん!」
祥吾に名前を呼ばれ、琉奈と綾は目を覚ました。
二人は辺りを見回し、すぐに再びトコヨノ国に来てしまったことを実感した。
周囲の風景は先ほどまでいたはずの進路指導室ではなく、時代劇のセットのような江戸時代風の街並みに変化していたのだ。
「暴●ん坊将軍がいそうな世界ね」
「そう? あたしは鬼●が浮かんだ」
「アスカ、池波●太郎好きなんだ? 知らなかった」
「あの……渋い話してるとこ悪いけど、いい?」
江戸時代を舞台にした作品トークをしている琉奈と綾の間に、祥吾が呆れ顔で割って入る。
無言で前を指差す祥吾。つられてその先へと視線を向ける琉奈と綾。
そこには光の塊が三つ浮いている。
宙に浮く三つの光――魂たちは次第に形を変え、やがて侍、日本軍兵士、着物の女性の形をそれぞれ取った。どうやら周囲の景色は侍の魂が影響しているらしい。
「この戯け者共め」
侍が差している刀の柄を握る。
「われらが守護せし子孫に何たる仕打ち!」
「此度の狼藉、許しませぬ!」
兵士がサーベルを抜き、着物の女性は袷から短刀を抜き出す。
「守護せしって……そっか、この人たちは秋川くんたちの守護霊か」
「あ、守護霊ってやっぱいるんだ」
綾の呟きに祥吾が頷く。
「トコヨノ国に渡った先祖の魂のうち一つが子孫を守るために現世に戻って、守護霊としての役割を果たすことになるんだ。そして、力を使い果たして守護する力がなくなったら別の霊と交代する。彼らは今、秋川くんたちを守っている魂だよ」
琉奈と綾は改めて三つの魂――秋川浩太らの守護霊と対峙する。
彼らは誰もが怒りに満ちており、今にも琉奈たちを取って喰わんとせんばかりの殺気を放っている。
「参ったなぁ……」
祥吾がぽつりと漏らす。
「や、やばいの?」
「戦えなくはないけど、良くて相討ちだね。守護霊ってのはそういう役割を任されるだけあって、力が強い霊が多いんだよ。まして相手は三人だし。説得できればいいんだけど……」
琉奈の問いに答える祥吾のこめかみから流れ落ちた冷や汗が頬を滑り、顎へと伝い落ちる。
いかに自分たちが苦境に立たされているか実感した琉奈と綾は返す言葉を失う。
「説得なんて、面倒なだけよ」
野乃が――この事態を引き起こした張本人が、結った髪の今朝気を指で弄りながら言い捨てる。
その一言に琉奈たちは絶句し、守護霊たちは怒りを倍加させる。
「野乃、お前今の状況が分かって――」
「やっつけちゃえばいいだけの話でしょ」
現状を悪化させた野乃を叱責する祥吾の言葉を遮り、傲慢な口調で野乃が言い放つ。
刹那、野乃の右手が強い光に包まれたかと思うと、次の瞬間、彼女の背丈よりも大きな光の鎌が、その小さな手に握られていた。
「大丈夫よ」
鎌の出現に茫然としている守護霊たちに、野乃が砂糖菓子よりも甘い微笑を向ける。そして、地面を強く踏みしめ、
「あんたたちの代わりなんていくらでもいるか、らああぁぁッ!!」
力一杯鎌を振るう。
突然の攻撃に対処できなかった守護霊たちは、三人いっぺんに大鎌に薙ぎ払われてしまった。
彼らはすぐさま立ち上がろうとするが、耐え切れず地面に崩れ落ち、やがて次々に霧散していった。
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