決着
1-24
琉奈、綾、浩太、祥吾、彰の五人が戻ってきたリビングは、先ほどまでと風景が一変していた。
テーブルなどの家具は奥へと追いやられ、大きく開いたスペースには、漫画などで出てくる魔方陣のような、記号らしきものが細かく描き込まれた円陣の描かれた布が敷かれている。
布から少し離れたリビングの隅には、肩で息をしている誠一が座り込んでいる。
彼の疲れ具合からして、家具の移動は全て誠一がやらされたらしい。
「誠一先輩、大丈夫ですか?」
「大丈夫よ、綾ちゃん……。これくらいじゃへこたれないよ、男の子だモン☆」
誠一は天に拳を突き上げるが、その腕は伸びきっておらず、空元気を出していることが丸分かりだ。
「じゃ、始めるから、あなたは陣の中心に立って」
由香理は琉奈を指差し、相変わらず高圧的な口吻で指図する。
他人を見下すような由香理の態度に、琉奈は内心苛立ちつつ、言われるまま円陣の中心に立つ。
「祥吾と彰と……誠一は、陣の外に描いてある星に似た記号の上に立って」
三兄弟たちもまた、由香理に指示された通りの場所に立つ。
「トコヨノ国に行かない人は絶対に布に触らないで。それじゃ、始めるわよ」
由香理は持参した鞄の中からやたらと長い数珠を取り出すと、それを自分の首や手に絡める。
布のうち、何も描かれていない部分に正座し、目を閉じ、両手を合わせ、精神を統一する由香理。
やがて、由香理の額にうっすらと汗が浮かび出し、眉間に深い皺が刻まれる。
トコヨノ国へ向かう琉奈たち四人は初め、正面に座る由香理を見つめていたが、いつの間にか眠るように目を閉じている。
「! 早いわね……。来るわよ!」
不意に由香理が叫ぶ。
その鋭い声を知覚した瞬間、沼の中に引き込まれるような浮遊感が琉奈の全身を覆い――。
蝉の鳴き声。
指先さえも汗ばむほどの蒸し暑さ。
狭いアパートの一室。
ここはトコヨノ国だ。
琉奈は辺りを見回す。周囲に人影はない。
「……あたしだけ来ちゃった、とか?」
計画では祥吾たち三兄弟も同行するはずなのに。
――まさか、失敗?
嫌な予感が琉奈の胸中を過ぎった時。
「琉奈」
名前を呼ばれた。
聞き覚えのない声のはずなのに、どこか懐かしい声。
声の主は琉奈の背後に立っていた。
振り返った琉奈に微笑みかける、一人の青年。
琉奈は反射的に口走った。
「お父さん」
「俺のこと、覚えていてくれたのか、琉奈」
柔和な笑みを浮かべる男性を、琉奈は無言で見つめる。
何か言いたいのに、それを言葉に変換することができず、唇を振るわせることしかできない。
「何度も何度もこっちに呼んじゃって悪かったな」
男性はより一層深い笑みをその顔に刻む。
曲線を描く唇はチェシャ猫のそれのように大きく、不気味に映る。
「だって、お前がなかなか殺されてくれないからさぁ!」
一切の躊躇いなく、包丁が琉奈の脳天めがけて振り下ろされる。
目に痛いほどに輝く刃が描く軌跡を見つめるしかない琉奈の頭に包丁が食い込む――
「ギリセーフ!」
のを受け止めたのは、誠一の光の剣。
刹那、光り輝く矢が男性に向かって飛んでくる。
男性は後ろに跳躍し、回避する。
「飛鳥川さん、大丈夫?」
駆け寄ってきたのは祥吾だ。
「邪魔すんな!」
床に転がっていた空き瓶が男性の絶叫と共に浮き上がり、四方から琉奈たちに襲い掛かる。
が、その全てが琉奈たちを覆うように形成されたドーム型の光りの壁に阻まれ、力なく落下する。
「遅くなってすみませんでした、飛鳥川先輩」
歩み寄ってきた彰が言う。
「ガキが、邪魔しやがって」
「あんたが穂積悟だな。今日限りで散ってもらうぜ」
誠一は不敵な笑みを浮かべ、剣を構える。
「ちっ、久留井の人間か」
「!? なんで俺たちのことを――」
「死ね! クソガキ!!」
男性――穂積悟が手にしてた包丁を、僅かに隙を見せた誠一に投げつける。
誠一はそれを剣で叩き落すが、その間に悟は誠一の懐まで接近し、喉元を切り裂こうと手にした包丁を振り上げる。
体を晒して攻撃を回避した誠一はそのままバク転し、悟と距離をとる。
悟は更に誠一に攻撃を仕掛けるが、彰が光の壁を出現させて阻む。
舌打ちする悟に、祥吾の放った矢が幾本も襲い掛かる。
素早く移動して避けようとした悟だったが、一本の矢がその左肩に命中した。
矢を引き抜く悟。その肩は輪郭を失い、消えかかっている。
「……なめるなよ、ガキ共が」
低く呟いた悟の姿が突然、霧が晴れるように消失する。
「お……終わった、の?」
「いや、あれくらいで終わったりはしないよ。気をつけて、飛鳥川さん」
誠一、祥吾、彰は琉奈を背で守りつつ、一箇所に固まる。
緊張の糸が四人の体に絡みつく。
「!?」
不意に、部屋に散乱していた新聞が彰の顔や腕にまとわりついてくる。
引き剥がそうともがき、他の三人からやや離れた彰を誠一が追いかけようとした時。
「危ない!!」
「!」
彰の背後に悟が現れ、彼の背中に包丁を振り下ろした。
崩れ落ちる彰の体。
返り血を浴びた悟は唇を三日月形に歪めて微笑み、琉奈たちを見遣る。
「うああああああ!!」
鼓膜が痺れんばかりの絶叫をあげ、誠一は剣を手に悟に突進する。
しかし、何の捻りもない、あまりに直情的な攻撃はあっさりとかわされ、
「兄貴!」
バランスを失った体を強く蹴られ、誠一は床に倒れこんだ。
悟は更に、誠一の胸に包丁を突き立てようと腕を振り下ろすが、祥吾が咄嗟に放った矢が迫っていることを途中で察知し、その場から飛び退く。
「く、久留井くん……」
「大丈夫。彰は能力を発動させて極力ダメージを少なくしたし、兄貴も気絶してるだけだから」
祥吾は冷静に説明するが、その額には冷や汗が伝っている。
琉奈と祥吾の正面に立つ悟は、両手に包丁を携え、攻撃を仕掛けるタイミングを計っている。
互いに視線をぶつけ合う祥吾と悟。
と、僅かに悟がその目を祥吾から逸らした。
祥吾はそれを見逃さず、同時に悔やんだ。
次の瞬間、いつの間にか琉奈たちの背後に浮いていた空き瓶が、祥吾の後頭部を殴りつけた。
「久留井くん!! しっかりして!!」
成すすべなく倒れた祥吾の背を、琉奈は懸命に揺さぶる。
「やっと二人きりになれたなぁ、琉奈」
歩み寄り、琉奈を見下ろす悟が優しく語りかける。
悟を見つめる琉奈。
眼前の穏やかな笑み。
言いようのない恐怖を覚える。
直感する。
逃れられない運命を。
己の死を。
リセットのない終わりを。
「そんなことさせない!!」
「――え?」
我に返った琉奈の目に映ったのは、予想外の光景だった。
見知らぬ若い女性が突然現れ、悟を羽交い絞めにしたのだ。
「明美!! てめぇ!!」
明美と――琉奈の母親の本当の名を悟が喚く。
「お母、さん……なの?」
「あなたはまだ死んじゃいけないの、琉奈!」
「お母さん!!」
「そこの君、早く! あたしごと散らしなさい!!」
明美の絶叫の呼応するように、一閃が琉奈の視界に飛び込んでくる。
思わずきつく目を閉じた琉奈が次に見たのは、明美を背中から、彼女と悟の胸を貫く光の剣。
二人の背後には、意識を取り戻した誠一の姿。
「ちくしょう……ちくしょおおおお!!」
「琉奈……あたしたちの分までしっかり生きるのよ」
痛恨の咆哮と慈愛に満ちた言葉がアパート中にこだまする。
やがて二人の体は霧散し、琉奈に降り注いだ。
番外編的短編小説を書いてみました。
浴衣と神輿と寂しい笑顔 http://ncode.syosetu.com/n8885v/
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