思惑
1-21
「恭子さん」
琉奈の寝具一式の準備を終え、客間を後にしようとした恭子を呼び止める声がした。
声の主は、彼女の正面に立っている誠一だ。
「どうしたの、誠一?」
「琉奈ちゃんの父親の魂を散らす話だけど、由香理さんに来てもらったらどうかな?」
誠一の言葉に恭子は表情を曇らせた。
「一族の中でもどちらかといえば力はある方だし、あの人なら年の功でうまくやってくれそうじゃん」
「それはそうかもしれないけど……大丈夫なの?」
誠一の側に歩み寄り、恭子は彼の頬に触れる。誠一は心配しないで、とでも言うように微笑む。
「琴子さんでもできるんだろうけど、その場合、祥ちゃんのメンタルが心配だし。由香理さんなら祥ちゃんと彰は好かれてるしさ。……俺なら大丈夫だよ」
「……ごめんね。私に力が残ってれば、あなたに辛い思いさせないで済んだのに」
「ないものねだりしても仕方ないじゃん、恭子さん。これくらいは耐えないと。俺は兄貴なんだから」
「ごめんね、誠一」
再度謝った恭子が誠一を抱きしめる。
誠一は何も言わず、恭子の腕の中で深く、ゆっくり息を吸った。
「シャワーありがとうございました。パジャマまで用意してもらっちゃって……」
入浴を終え、リビングへ戻ってきた琉奈がキッチンにいる恭子に声を掛ける。
「いいのよ。あ、さっきご両親に連絡しておいたから」
「ありがとうございます、何から何まで……」
「すごく心配なさってたから、なるべく早めに帰ってあげてね」
「……はい」
まだどんな顔で両親と会えばいいのか分からない。
けれど、きちんと向かい合って話す必要があるだろう。
「ねぇ、学校でのあの三人ってどんな感じなの?」
「学校で、ですか? ここにいる時と変わらないですよ。いつも仲が良くて、楽しそうで……」
――あの兄弟、何か変だよ。
いつだったかに浩太が言った台詞が、不意に琉奈の脳裏に蘇る。
仲が良すぎだ、と。べったりしすぎだ、と。依存しているようだ、と。
あの時、浩太と綾はそう話していた。
琉奈自身は兄妹の関係が希薄なのでよくは分からないが、二人の話を聞く限り、彼らの関係の強さは普通ではないらしい。
「仲が良すぎるのも考えものだけどね」
口ごもった琉奈が言おうかどうか迷っている事柄を察したのか、恭子が苦笑しながら切り出した。
「親である私が言うのもあれなんだけど……あの三人は自分たちの生まれた環境や能力のせいで、普通と違う育てられ方をしてきたの。多分、一般の人より過酷な、ね。そんな中で三人は互いに支えあって生きてきたの。きっとその癖が今も抜けないのよね。誰か一人が倒れそうになったら、残った二人が全力で支える……他人を頼らずに。そういう生き方しか知らないのよ」
琉奈は話を聞き、過去のある光景を想起した。
二年A組の教室に乗り込み、江田留菜に詰問した誠一と、わざわざ中等部から駆けつけた彰の姿。
あれはきっとピンチ――本人はそう感じていなかったが――に陥った祥吾を助けようと、反射的に起こした行動だったんだろう。
「何かと手が掛かるけど、みんな根はいい子たちなの。これからも仲良くしてやってね」
そう琉奈に頼んだ恭子の笑みはどこか切なげだった。
翌朝。
久留井祥吾が起床し、リビングへやってくると、そこにあったのは朝食の準備をする恭子の姿のみで、客人である飛鳥川琉奈の姿はなかった。
「おはよ、恭子さん。飛鳥川さんはまだ寝てるの?」
「もう帰ったわよ」
「そうなの? 朝食食べていけば良かったのに」
「学校行くって言うから。私服で行くわけには行かないでしょ」
「あ、そっか」
恭子の指摘に祥吾はポン、と手を打つ。
「おはようございます……」
祥吾の背後から、呪いをかける呪文でも唱えるような口調で挨拶してくる声がした。
振り返った祥吾の前にいるのは、超ローテンションの末っ子・彰だ。
「おはよ、彰。相変わらずの低血圧っぷりだね」
半ば呆れている祥吾に、彰は「んむー」と意味不明な返事をする。
「誠一はまだ起きてないの?」
「兄貴はいつも通りまだ熟睡中。美女の夢でも見てんのか、めっちゃにやけてたよ」
「私の話が終わったら、即行で現実に引き戻してやりなさい。……今度の日曜日、由香理さんが来ることになったから」
由香理、という名前を聞いた瞬間、祥吾は「え?」と小さく声をあげ、彰はそれまで眠気のあまり半開きだった瞼を限界まで開く。
「飛鳥川さんにも日曜日開けておいてもらうように言ってあるから。彼女の件、日曜にかたをつけなさい」
「ちょっと待って、恭子さん! それ、兄貴は――」
「知ってるわよ。ていうか、由香理さんを呼ぶように進言したのが誠一なの」
「でも、由香理さんって誠一兄さんのことを毛嫌いしてますよね。誠一兄さんもそのことを分かってるはずなのに、何故由香理さんを? 同じような力を使える人なら琴子さ――」
彰は全てを言い終える前に慌てて口を閉じる。が、既にNGワードを口走ってしまった後だった。
「……兄貴が由香理さんでって言ったんだ?」
「そうよ。琴子さんじゃなく、由香理さんでって」
「そっか。……俺、兄貴起こしてくる」
回れ右をした祥吾は足早にリビングを後にし、自分たちの部屋がある二階へ駆け上がる。
祥吾の姿が見えなくなったのを確認した恭子は、引き出しの中からおたまを取り出し、
「――いたっ!」
彰の頭を叩いた。
「馬鹿息子」
「すみません……」
祥吾は誠一の部屋のドアを勢いよく開くなり、
「兄貴!! 朝だよ、起きろ!!」
と声を張り上げた。
ベッドの上で惰眠を貪っていた誠一は頭から被っている布団の隙間から、自分を夢の国から現実へ強制送還した弟を恨めしげに睨む。
「早く起きないと遅刻するよ?」
「いーんだよ、ヒーローってのは遅れて登場するもんなんだから」
「訳の分かんないことを」
溜息をつき、祥吾は誠一が寝ているベッドの腰を下ろした。
「兄貴が由香理さん呼ぼうって言ったんだって?」
「……そーだけど」
「なんであの人なの?」
「別に。ただ、あの人独身だし、あのでかい屋敷で暇してんだろうなって思ったから」
「またそんな毒吐いて」
「いーの。どうせ俺はこれ以上嫌われようがないってくらい嫌われてんだから」
鼻で笑う誠一の体を横切るように、祥吾は仰向けに倒れこむ。
「ちょっと祥ちゃん、重いっス!」
「ごめん」
「なんで祥ちゃんが謝るの?」
「兄貴にとっては母さんを呼ぶ方が気が楽だったのに。気を遣ってくれたんでしょ?」
「……俺は祥ちゃんの兄貴だもん。俺の我慢でどうにかなるくらいなら、いくらでも我慢するよ。それに、男の泣き顔なんて可愛くないし」
「泣かないよ! ……ありがと、誠一兄さん」
誠一は上体を起こし、目元に手の甲を押し当てている祥吾の頭を乱暴に撫でた。
番外編的短編小説を書いてみました。
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