攻防
1-11
やがて、おそるおそる目を開けた飛鳥川琉奈の目の前に広がるのは、先ほどまで見ていた視界いっぱいの夕暮れではなかった。
一面の、漆黒の闇。
他には何もない。
「飛鳥川さん、大丈夫?」
先ほどまで一緒にいた久留井祥吾の声が琉奈の鼓膜を叩く。
「久留井くん……? 近くにいるの?」
「いるよ。彰も兄貴もみんな。そのうち目が慣れてくるから」
祥吾の言うとおり、目が暗闇に慣れてくるにつれて、うっすらと周囲にある物体の輪郭が見えてきた。
観覧車。
ジェットコースター。
お化け屋敷。
メリーゴーランド。
その他、様々なアトラクション。
「……遊園地? なんで?」
広大な空間のあちこちに置かれている無数のアトラクションを見て、琉奈は思わず呟いた。
「いや、ここはトコヨノ国だよ」
茫然としている琉奈に、ようやく彼女の目に映るようになった祥吾が告げる。
「トコヨノ、国……ここが……」
「俺たちを引きずり込んだ魂の影響を受けて遊園地になってるけどね。生前に遊園地で働いてたのか、それとも遊園地で素敵なデートをしたことがあるのかな」
「なぁんで屋上に来た瞬間にトコヨノ国!? どーなってんの、祥ちゃん!」
「詳しいことは彰に訊いた方が早いと思うよ、兄貴。どうやらお知り合いみたいだから」
頭を抱えて喚く兄・誠一に祥吾がアドバイスする。
「……いや、僕はちゃんと散らしたんですよ、昨日。なのになんでこうなりますかね?」
「完全に散るの、見届けたか? しっかりはっきりきっちり見たか?」
誠一の指摘に、弟の彰はしばらく視線を虚空に泳がせた後、えへへ、と笑う。
「おまえー! ちゃんと最後まで確認しろっていっつも言ってんだろぉ!? アレ、ぜってぇ彰が昨日散らした後に再結合した魂だかんな!?」
誠一が叫びながら指差した先に現れたのは、皓々と輝く、拳ほどの大きさの光の塊だ。
ゆらゆらと宙に浮いているそれを、琉奈はぽかんと口を開けたまま見つめる。
「あれが……魂?」
「そう。俺と彰が屋上で見てたのがあれ。今は飛鳥川さんにも見える?」
「うん……」
「俺たちをここに連れてきたにがあれね。だから、俺たちはあれをどうにかしないと……――!?」
突然、白く輝く魂の輪郭が波打ったかと思うと、それはあっという間に若い女性の姿に変化した。
白いワンピースをまとった、黒のロングヘアの女性は琉奈たちに目を遣り、鬼神の如き形相で睨みつけてくる。
その迫力に脚が竦み、ふらつく琉奈の体を誠一が支える。
「大丈夫だよ、琉奈ちゃん。俺たちが守るから」
白いワンピースの女性を毅然と見つめたまま、誠一が言い放つ。
琉奈は無言で頷く。
《許さない!!》
ワンピースの女性が咆哮をあげる。
刹那、周囲に置かれたアトラクションの電飾が点り、辺りが急に明るくなる。
ジェットコースターやメリーゴーランドなどが動き出し、不気味な雰囲気に不釣合いな明るい音楽がどこからともなく響いてくる。
「な、何……?」
戸惑う琉奈を背中に隠し、祥吾が周囲を警戒する。その時。
「!!」
猛烈なスピードで下り坂を滑り降りていた無人のコースターがレールから外れ、琉奈たちの方へ突進してきた。
とてもではないが避け切れる速さではない。
圧倒的な絶望が琉奈の体に絡みつき、身動きを封じる。
琉奈は瞬時に死を覚悟した。
だが。
「彰!」
誠一に鋭く名前を呼ばれた彰は他の三人を背にしてコースターの前に立ちはだかり、両手の平をコースターに向けて翳す。
「何を――!?」
琉奈は我が目を疑った。
彰が翳した掌の向こうに、金色に輝く大きな光の壁が現れ、必殺の勢いで突進してきたコースターを防いだのだ。
光の壁によって進路を阻まれたコースターはプレスされたように拉げ、やがて地面に崩れ落ちた。
《な……!?》
驚愕するワンピース女を、溜息混じりに光の壁を消した彰の視線が真っ直ぐに射抜く。
ワンピースは視線を観覧車へ向ける。
すると、観覧車のゴンドラが外れ、二十個はあるだろう鉄の塊が一斉に四人に向かってくる。
だが、ゴンドラは琉奈たちの元へ辿り着く前にどこからか飛来した金色の矢によって次々と迎撃されていく。
《!?》
「おしまい♪」
最後のゴンドラが地面に叩きつけられるのを見届けた祥吾が琉奈に微笑みかける。その右手には、先ほどの彰の光の壁と同じ色で光り輝く大きな弓が握られている。
《な……なんなんだ、お前たち……》
うろたえるワンピース。
次はどのアトラクションで攻撃しようか迷っているらしい彼女の側に、一人の男が音もなく忍び寄る。
その影にワンピースが気付いた時には手遅れだった。
「ダメダメ、余所見してちゃ」
《!!》
ワンピースの腹を横一文字の光の筋が走る。
次の瞬間、ワンピースの体が一閃し、弾け飛ぶ。
「……もう再結合はなさそうだね。帰ろ、みんな」
金色に輝く剣を手にしている誠一が、琉奈たち三人に告げる。
刹那、周囲のアトラクションが次々と崩壊していく。次第に霞んでいく風景。
そして、次に瞬きをした時、四人の姿は学校の屋上にあった。
家路を急ぐ鳥たちが行き交う夕暮れの空。校庭から響いてくるサッカー部員の掛け声。下校する生徒の笑い声。
いつもと変わらない風景がそこにあった。
「飛鳥川さん、大丈夫? 怪我はない?」
茫然自失状態で立ち尽くしている琉奈に、祥吾が心配そうに声をかける。その手に光る弓はない。
「……今の……」
「トコヨノ国で人間に悪さをする魂だよ」
同じく光の剣を手放している誠一が答える。
「あの魂は昨日、僕が現世で遭遇した魂です。他の人間に危害を加えようとしていたので散らしたはずだったんですが、想像以上にしぶとい魂だったようで再結合してしまって。僕の失態に兄さんたちや飛鳥川先輩まで巻き込んでしまい、すみませんでした」
ぺこりと頭を下げる彰。反省しきりの彼に、気にするなよなどと声をかけ、慰める誠一と祥吾。
一方、トコヨノ国で襲われた時に感じた死の恐怖が未だに心にこびり付いたままの琉奈は、両腕で己の体を抱きしめ、ガタガタと震えていた。
「琉奈ちゃん、大丈夫……じゃないね。今日はもう帰ろっか。送るよ」
「いえ……もうすぐ浩太が……部活、終わるから。江田に見られたらヤバいし……」
「……そっか。ごめんね、怖い思いさせて」
「あの……あたし、このままだといつかまた、あんな目に遭うかもしれないんですか?」
もし、いつものようにトコヨノ国から自然に現世に戻れなかったら、あのアパートの中で誰かの魂に襲われるのか。
それは嫌だった。
もうあんな恐怖を味わいたくはなかった。
だが、告げられた事実は的確かつ残酷で。
「残念ながら、その可能性が高いね」
「でも、その時のために俺たちがいるから」
誠一の言葉を聞いて絶句する琉奈に祥吾が言う。心に刻み付けるように力強い口調で付け加える。
「俺たちの力はそのためにあるんだから」
「琉奈、どうしたの?」
母親に呼び止められ、琉奈は振り返る。
「……何が?」
「なんだか顔色悪いわよ」
「大丈夫、ちょっと疲れただけだから」
力なくそう答え、琉奈は再び二階にある自室へと歩き出す。
疲れたのは事実だ。肉体的にも、精神的にも。
今までに体験したことのない、衝撃的な戦闘と死の恐怖。
ずっとその傍らにいたのだ。
「!」
琉奈の部屋の隣のドアから兄が出てきた。
普段着ではない。どこかへ出かけるようだ。
兄は顔面蒼白の妹に目もくれず、まるで琉奈が存在していないかのような素振りですれ違い、去っていく。
……兄なんだろうか。
琉奈は内心自問する。
自分が死ぬことを願い、祈り続けている兄。
彼が自分をトコヨノ国へ引き込んでいるのだろうか。
ならば、あのアパートは一体何なのだろうか?
それに、なぜ自分は現世に戻ってこれているのだろうか?
琉奈は様々な疑問が渦巻く頭を抱え、その場に座り込んだ。
番外編的短編小説を書いてみました。
転校初日の久留井三兄弟 http://ncode.syosetu.com/n1198u/
久留井三兄弟のお引越し http://ncode.syosetu.com/n1078u/