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転校生

1-1


 あっと思った時にはもう遅い。

 全身を襲う、沼の中へと沈んでいくような感覚。そして、眼前に現れる古びたアパートの一室。

 脚をガムテープで補強したちゃぶ台。

 皺だらけの敷布団。

 ひび割れた羽で風を送り出す扇風機。

 そこら中に散乱しているビール瓶。

 喧しく鳴き続ける蝉。

 そこまで知覚したところで突然、今度は海底から急浮上するような感覚がやってくる。すると、周囲の風景は元に戻る。




「アスカ!」

 そう呼ばれ、飛鳥川琉奈(あすかがわるな)は我に返る。

 アスカ、とあだ名で琉奈を呼んだのは、隣に立っている友人の松下綾(まつしたあや)だ。

「またいつもの?」

「うん。でももう大丈夫」

 綾に声を掛けられたのをきっかけに、次第に周囲の雑音も琉奈の耳に入ってくる。

 廊下を行き交う、同じ制服を着た多くの男女がおはよう、と挨拶を交わす声。

 数人の女子グループが次の定期試験の範囲の広さを嘆く声。

 すれ違った女子生徒を見た男子生徒たちが何やら小声で話し合う声。

 普段と変わらない日常。現実に戻ったことを実感する。

「やっぱり。急に立ち止まってぼんやりし始めたから、またかなって」

「そっか……。ごめんね」

 琉奈が手を合わせて謝ると、綾は心配そうに琉奈を見つめた。


 飛鳥川琉奈は幼少の頃から、先程のような不思議な現象に繰り返し遭遇している。

 その現象に襲われている最中、琉奈は綾曰く、「魂が抜けたようにぼんやりしちゃう」のだが、現象は時間も場所も構わず、いつも突然やってくる。

 今まではそれが原因で怪我をした、ということは幸いにもなかったが、今後この現象が原因で大きな怪我をしたり、事故に遭う可能性もなくはない。

 過去に様々な病院を訪ね、この現象の原因は何か、遭わないためにはどうすればいいのか医師に相談してきた。

 しかし、どの医師もこの現象の原因も、治療方法も分からなかった。

 挙句の果てに、霊能者に悪霊が憑いてると言われ、お払いまで受けたが全く効果はなく、相変わらず不思議な現象に悩まされる日々を送っている。


「あっ、もうこんな時間! 早く教室に行かないとホームルーム始まっちゃうよ、綾!」

「ホントだ! 急ご!」

 琉奈は綾を急かし、足早に自分たちの教室へ向かう。

「そういえばさ、知ってる?」

「何が?」

「今日うちのクラスに転校生が来るらしいよ。しかも男子!」

「へぇ~。さすが新聞部員、情報が早いね」

「しかも、それだけじゃないんだよね……」

「? どういうこと?」

 琉奈がそう尋ねると、綾はにやりと不敵な笑みを浮かべる。

「その転校生には三年の兄と中三の弟がいて、その二人もうちの学校に転校してくるんだけど……三人とも超絶イケメンらしいよ!」

「超絶イケメンねぇ……」

 目を爛々と輝かせながら、宝物の隠し場所でも告げるような口吻で話す綾。

 対して琉奈は興味なさ気に綾の言葉を反芻する。

「あ、琉奈には秋川がいるから興味ないか」

「だからあいつはただの幼馴染だってば。ていうか、綾こそ桜井先輩がいるじゃん」

「彼氏がいても、イケメンにはときめいちゃうものなの」

 遠くを見つめながら、うっとりとした様子で語る綾。

 琉奈は「そんなもんかなぁ」と腑に落ちない様子で首を傾げた。




 ホームルームの開始を告げるチャイムが鳴るのと同時に二年A組の教室に飛び込んだ飛鳥川琉奈と松下綾の二人だったが、担任教師の姿はまだなく、クラスメイトの大半が自分の席から離れ、友人との雑談を続けていた。

「焦って損したね、綾」

「ホント……。軽く汗までかいたのに」

 やや疲れた表情で言い交わす琉奈と綾の元に、一人の男子生徒が駆け寄ってくる。

「おはよ、アスカ、綾。二人とも遅刻かと思ったよ」

「おはよ、秋川。先生まだ来てないんだ?」

 綾からの問いかけに「ああ、まだだよ」と答えたのは、二人のクラスメイトであり、琉奈の幼馴染でもある秋川浩太(あきかわこうた)だ。

「珍しいよな、沢木がホームルームに遅れてくるなんてさ。何かあったのかな?」

「きっと転校生を連れてくるからだね」

 顎に手を当て、綾が探偵ぶった口調で言う。

「転校生?」

「あ、浩太も知らなかったんだ。今日、うちのクラスに転校生が来るんだって」

「マジで? 男? 女?」

「男! しかもイケメン!」

 声のトーンとテンションを上げ、答える綾。

「イケメン……!? アスカも気になってたり……?」

「あたしは別に。どんな人がクラスメイトに加わるかって意味では気になるけど、イケメン云々は特に。それがどうかした?」

「う、ううん、別に……」

 琉奈の答えに浩太はあからさまにホッとした表情を浮かべる。

 そんな二人の様子を見ていた綾は小さなため息をつき、相変わらず報われないなぁ、と独りごちた。


「はぁーい、全員席ついて!」

 二年A組の女性教師がウェーブのかかったロングヘアを靡かせながら入ってくるなり、クラス中に響き渡る大声でそう言った。

 琉奈たちを含め、生徒たちは慌てて自分の席へと走る。

「あれ?」

 琉奈は自分の席――窓から二列目の一番後ろの席に到着したところで、窓際の列の一番後ろに、つまりは自分の隣に新しい机と椅子が用意されてることに気づいた。

「転校生、琉奈の隣に来るんじゃない?」

 琉奈の前の席に座った綾が嬉しそうに言う。

 一方、琉奈は「かもね」と適当に流しつつ、席が増えたせいで隣の列は狭そうだな、などと全く関係のないことを内心呟いた。

「にしてもさ、沢木ってやっぱり教師のビジュアルじゃないよね」

「だね。キャバクラの方がしっくりきそうだよね」

 生徒全員が着席するのを教壇で待っている担任教師を見ながら呟いた琉奈の言葉に綾が同意する。

 二人の担任教師の沢木はふくよかな胸を持つ艶っぽい女性である。その容姿と、英語を教えていることから、彼女は陰で生徒たちからグラマーとあだ名されている。

「静かに! 知ってる人もいるかもしれないけど、今日からクラスメイトが一人増えます」

 沢木の言葉に教室中が沸き立つ。「だから静かに!」と手を叩きながら沢木が呼びかける。

「今からみんなに紹介するから。……女子は心しときなさい」

 沢木の一言で興奮した女子の歓声と男子生徒の落胆の声が入り混じる中、沢木が「入って!」とドアに向かって呼びかける。

 やがてドアが開き、その向こうから一人の男子生徒が教室に足を踏み入れる。

「!!?」

 鼻筋の通った端整な顔立ちの美少年の姿に、一瞬の間の後、教室中から黄色い声が一気にあがる。転校生はその光景に目を丸くしつつ、沢木の隣に立った。

「ちょっと、めっちゃカッコよくない!? アイドルか何かかな!?」

 綾が興奮気味に言う。琉奈も茫然と転校生を見つめながら、「おっきい目……吸い込まれそうだね」と答える。

 クラス中の視線を独占している転校生は、沢木から白のチョークを受け取り、黒板に字を綴っていく。

 彼の手からチョークが離れた時、黒板にはバランスのいい字で「久留井 祥吾」と書かれていた。

「初めまして、久留井祥吾(くるいしょうご)です。よろしくお願いします」

 正面に向き直り、転校生――久留井祥吾がハスキーな声でそう自己紹介した後、ぺこりとお辞儀をする。

 女子生徒からは熱烈な、男子生徒からは簡単な拍手が送られる。

「みんな仲良くしてあげてね。じゃあ、久留井くんはあの一番後ろの席に座って」

 そう言って沢木が指示した席は綾の予想通り、琉奈の隣の席だった。

 クラスの女子の大半が目の中にハートマークを浮かべて見つめる中、祥吾は指定された席につく。

 彼は隣に座る琉奈に目を向け、

「よろしくね」

 と声をかけた。

「こっちこそ。何か分からないことあったら何でも訊いてね」

「ありがと、助かるよ」

 柔和な笑顔でそう答えた祥吾は黒板の方へ視線を戻し、鞄の中身を机の中に詰めていく。

 その様子さえ爽やかに見えた琉奈は、オートでキラキラする人っているんだなぁと内心独りごちた。




 授業の合間の休み時間。

 琉奈は毎回自分の席から退避し、廊下側の列にある秋川浩太の席で彼と共に過ごすはめになっていた。

 普段は琉奈の席に綾と浩太が集まり、三人で談笑して過ごしているのだが、今日は休み時間の度にクラスの女子たちが久留井祥吾のところへ、砂糖へ群がる蟻のごとく押し寄せるので、彼の周りに黒山の人だかりができ、隣に位置する琉奈の席は休み時間の度に山に埋もれてしまう。

 そのため、琉奈は自分の席で平穏な休み時間が過ごせない状態が続いている。

「とてもじゃないけど休めないよ、あんな中じゃ……」

 琉奈がため息混じりにそう零す。

「アスカは気にならないの、転校生のこと? 松下だってあいつのところにいるのに」

 そう言って浩太が指差す先にいるのは、他の女子たちと共に祥吾に話しかけている綾の姿だ。

「綾は面食いだもん。それに、あたし以外にも久留井くんのところに行ってない女子いるじゃん」

 言いながら琉奈が教室中に視線を巡らせる。

 確かに休み時間中の教室には、自分の席で次の授業の予習をしていたり、読書をしていたり、机に突っ伏して寝ている女子もいる。

 が、それはあくまでも数人で、女子の大半は久留井祥吾の席に押しかけている。中には何人か琉奈が見たことない顔もある。他のクラスから来ている女子もいるようだ。

「アスカはあいつと何か話したりした?」

「そんなには。教科書のページ数教えたりする程度だよ。休み時間になった途端にみんな寄ってくるし」

「そっか……。アスカは他の女子と違うんだな!」

「違うのかな? でも、カッコイイとは思うよ、もちろん」

「え!?」

 驚愕する浩太を見て、琉奈は「そんなに驚かなくても」と苦笑する。

「ていうか、誰が見てもカッコイイって思うんじゃない? 浩太もカッコイイって思うでしょ?」

「うん。……っ! ううん、別に思わないし!」

 一旦は琉奈の意見に同意したものの、すぐに大げさに手と首を振って否定する浩太。

 と、次の授業の開始を知らせるチャイムがスピーカーを通じて教室に響き渡る。

 琉奈は浩太に向かって小さく手を振り、彼の元を後にした。


「ごめんね」

 自分の席に戻った琉奈に、久留井祥吾がそう声をかける。

「え? 何が?」

「休み時間の時、人が集まってきちゃって……」

「ううん、気にしないで。大変だね、モテちゃうと」

「もて……。今だけだよ。転校生だから興味があるってだけで」

「そうかなぁ?」

 そんなことないと思うけど、と琉奈が胸中で呟いたところで生物担当の老教師が入ってきたので、二人の会話はそこで途切れた。

初投稿です。よろしくお願いいたします。

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