第5話:【職業・筋肉】姉に無職扱いされるAランク探索者と、VTuber事務所への強制連行
※リメイク版として第1話から投稿中です。
「玲司」
「……何だ」
「うちの事務所で、短期スタッフやって」
「断る」
俺は即答した。即答というより、反射だった。条件反射。熱い鍋に触れたら手を引っ込める。それと同じだ。
姉貴の所属するVTuber事務所で、短期スタッフ。
危険。あまりにも危険。
姉貴の近くにいるという意味でも危険。事務所の人間に顔を覚えられるという意味でも危険。そして何より、謎ヒーロー捜索の中心へ自分から飛び込む可能性が高すぎる。
考えてみてほしい。昨日の現場には、ステラライブのスタッフがいた。彼らは黒銀ヒーローの背丈を見ている。肩幅を見ている。声を聞いている。
その全部を持った男が、翌日に事務所へ現れる。
犯人が捜査本部に配属されるようなものだ。
いや、俺は犯人ではない。救助者だ。だが、それを証明するためには全部バレる。つまり言えない。つまり、扱いとしては犯人とほぼ同じである。
「断る」
「二回言わない」
「絶対に嫌だ」
「三回目は感情がこもってる」
当たり前だ。
昨日、俺は姉貴を助けた。それ自体に後悔はない。だが、黒銀ヒーローとしてバズった翌日に姉貴の事務所へ行くのは話が違う。あまりにも自殺行為だ。身バレ的な意味で。
「俺は個人事業主だ。組織に縛られたくない」
「かっこよく言ってるけど、職場言えないだけでしょ」
「守秘義務」
「はいはい、秘密結社」
「違う」
「じゃあ、せめて安全確認だけでも手伝って。あんた、妙にダンジョンに詳しいでしょ」
「ネットで見た」
「昨日、旧通路が危ないって言ってたよね」
「ネットで見た」
「魔力濃度が不安定だとも言ってた」
「ネットで見た」
「ネットで見ただけの人が、赤城レオンの危険性をあんなに具体的に語れる?」
「ネットは広い」
「便利だね、ネット」
「便利だ」
姉貴が俺のパーカーのフードをつかんだ。嫌な予感がした。というか、嫌な予感しかしなかった。
「というわけで」
「待て」
「黒瀬玲司、二十三歳」
「待て」
「星宮ハルカ専属、短期裏方スタッフとして採用しまーす」
「採用するな! 俺の同意はどこにある!」
「お姉ちゃんの心の中」
「俺の心を優先しろ!」
「大丈夫。最初は事務所見学だけだから」
「最初はって言ったな。今、最初はって言ったな」
「言ってない」
「言った。俺は聞き逃さない」
「そこの聴力だけ探索者みたいだね」
「一般論だ」
「細かい男はモテないよ」
「モテたい相手はいない」
「じゃあ問題なし」
「問題しかない!」
姉貴はフードをつかんだまま、俺を玄関方向へ引っ張り始めた。
力は強くない。低層のグロウラットの方がまだ抵抗がある。指一本で外せるし、外したところで姉貴は転びもしない。
だが、外せない。
姉としての圧が強い、というのもある。それ以上に、俺は姉貴相手だと本気で力を出せない。出したら、それはもう七年隠してきたものを見せるのと同じだからだ。
無自覚シスコンではない。違う。これは家族への配慮と、危機管理だ。
たぶん。
「やめろ、姉貴! 俺は行かない!」
「行くの!」
「俺には予定がある!」
「何の予定?」
「えーと……確定申告の準備」
「今、何月だと思ってるの?」
「未来志向だ」
「じゃあ未来のために職場見学しようね」
「嫌だ! 俺は組織に入った瞬間、社会性が死ぬ!」
「もともと虫の息よ!」
姉貴は容赦がなかった。俺は玄関まで引きずられながら、必死に抵抗する。抵抗といっても、廊下の壁へ手をつく程度だ。本気で踏ん張れば壁が抜ける。
結果、俺は非常に情けない速度で移動していた。
「だいたい、専属スタッフって何をするんだよ!」
「まずは安全確認と、配信中のコメント監視と、機材チェックと、ダンジョン企画のリスク管理」
全部、昨日の夜に俺が一人でやっていたことだった。
「俺に向いてるな……じゃなくて、向いてない!」
「今、向いてるって言いかけた」
「言ってない」
「玲司、コメント監視得意でしょ?」
「得意じゃない」
「私のアンチコメント、いつも投稿から数秒で消えてるんだけど」
「優秀なモデレーターがいるんだろ」
「あんたでしょ」
「違う」
違わない。
姉貴の配信中、俺の右のモニターでは自作の支援ツールが常時動いている。誹謗中傷らしき文字列を検出して、通報ボタンまでの手数を三つから一つへ削るだけの、それだけのプログラムだ。
三年前、姉貴が炎上した夜に作った。あの時は間に合わなかった。だから作った。
もちろん、言わない。
「じゃあ何で目をそらすの」
「目の運動だ」
「苦しい」
苦しい。本当に苦しい。逃げ場がない。
昨日は大型魔獣から姉貴を救った。今日は姉貴から自分を救えない。探索者としての実力とは何なのか。
玄関で靴を履かされそうになったその時、俺のスマホが震えた。
救いか。救いなのか。
俺は素早く画面を見る。数少ない探索者仲間、木村颯太からだった。年上のSランク探索者で、俺の能力が今の形へ変わってから、何かと面倒を見てもらっている。
つまり、俺が黒銀ヒーローであることを知りうる、数少ない人間の一人でもある。
『お前、バズってんな! 俺の配信にも出てくれよ』
俺はスマホを伏せた。
救いではなかった。追撃だった。
しかも一番まずい種類の追撃だ。木村は昨日の映像を見ている。あの立ち回りを見て、誰の動きか分からないほど鈍い男ではない。
あの文面には、たぶん半分くらい確信がこもっている。
姉貴が首を傾げる。
「誰から?」
「迷惑メール」
「今、顔色が大型魔獣と戦ってる時くらい悪いよ」
「例えが新鮮だな」
「ねえ玲司」
「何だ」
「本当に、昨日のヒーローさんじゃないんだよね?」
俺はフードをつかまれたまま笑った。乾いた笑いだった。
「違う」
「そっか」
姉貴はにっこり笑った。
「じゃあ安心して事務所に来られるね」
「どういう理屈だ!」
「ヒーローさんじゃないなら、身バレの心配もないでしょ?」
詰んだ。
論理の形をした暴力だった。反論しようとすれば、俺がヒーローだと認めることになる。認めなければ、事務所へ行くことになる。
どちらの扉を開けても、その先に地獄が置いてある。
こういう時、ダンジョンなら話は簡単だ。退路を確認して、危険度を測って、割に合わなければ引く。七年やってきた判断だ。
なのに、この家の玄関からは撤退できない。
俺は引きずられながら、心の中で叫んだ。
赤城レオン。お前のせいだ。俺の平穏な無職仮ライフが終わった。
ヒーロー見参ニキとしてバズり。姉貴に疑われ。探索者仲間にバレかけ。そして今、VTuber事務所の短期スタッフとして連行されようとしている。
どうしてこうなった。
いや、理由はわかっている。俺が姉貴を助けたからだ。それ自体に後悔はない。
後悔があるとすれば。
やっぱり、あの時の台詞だ。
レディ。
なぜ言った、俺。
いや、言ったのは能力だ。俺の口は借りられただけだ。だが世間から見れば、あれを言ったのは黒銀ヒーローで、黒銀ヒーローの中身は俺である。
責任の所在だけが、綺麗に俺へ着地している。
「行くよ、玲司!」
「行かない!」
「お姉ちゃんの命令!」
「二十三歳の弟に効くと思うな!」
「効いてるじゃない」
「効いてない!」
「じゃあ何で靴履いてるの」
「……足の運動だ」
「今日、運動しすぎでしょ」
俺は全力で抵抗している。はずだった。
だが、なぜか玄関のドアは開いていた。なぜか靴も履いていた。なぜか姉貴の手には、事務所行きのタクシーアプリが起動していた。
そして俺は、なぜか外に出ていた。
おかしい。Aランク探索者なのに。落ちてくる岩盤を殴って砕けるのに。
姉には勝てない。
魔獣は殴れば止まる。姉貴は殴れない。そこが決定的な差だ。どうやら姉というのは、どんな魔獣より格上の存在らしい。
姉貴は満足げに笑いながら言った。
「大丈夫。ちゃんと紹介してあげるから。星宮ハルカの、頼れる弟くんって」
「その紹介が一番危ないんだよ! 頼れる要素を一切出すな!」
考えてみてほしい。昨日、謎の黒銀ヒーローに救出された配信者が、翌日、身内の男を連れて事務所へ現れる。しかもその男は、身長も肩幅もだいたい合っている。
紹介された瞬間、全員の頭に同じ形の疑問符が浮かぶ。
「頼れるは余計だ。せめて、その辺にいる弟にしろ」
「地味すぎない?」
「地味でいい。俺の理想は背景だ」
「背景は就職先じゃないよ」
俺の叫びは、朝の住宅街にむなしく響いた。
*
タクシーの後部座席で、俺はスマホを開いた。
現実逃避である。断じて、掲示板の様子が気になったわけではない。
だが、新しいレスはしっかり伸びていた。隣で姉貴が窓の外を見ているのを確認してから、画面を傾ける。
121:名無しの星の子
ヒーロー見参ニキ、ハルカちゃんの関係者説あるな。
122:名無しの星の子
弟説、まだ消えてない。
123:名無しの星の子
でも弟って無職なんだろ?
124:名無しの星の子
無職があの身体してたら、それはもう職業・筋肉だろ。
125:名無しの星の子
職業・筋肉は草。
やめろ。職業欄に筋肉と書ける人間がいてたまるか。
俺の職業は筋肉ではない。Aランク探索者だ。
言えないけど。
しかも厄介なことに、こいつらの推測は方向として正しい。無職の弟。筋肉質。関係者。一つずつは外れているのに、束ねると輪郭が俺になる。
ネットの怖さは、推理の精度ではない。人数だ。
こうして俺、黒瀬玲司。姉に無職だと思われているAランク探索者は、正体不明の黒銀ヒーローとしてバズった翌日、よりにもよって姉の所属するVTuber事務所『ステラライブ』へ、短期裏方スタッフとして連行されることになった。
なお、この時の俺はまだ知らない。
ステラライブの会議室で、謎ヒーロー捜索プロジェクトがすでに立ち上がっていることを。そしてその担当スタッフ候補として、姉貴が俺の名前を提出していたことを。
つまり俺は今、自分を探すための会議へ、自分の足で向かっている。
知らない方が幸せなことは、この世にたくさんある。俺は今日、それをまた一つ学ぶことになる。
しかも最悪なことに、その会議室の資料には――昨日、姉貴を置いて逃げた男、赤城レオンの名前まで載っていた。
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次回は明日7:10更新予定です。
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