第21話:1章完結【正体発覚】お姉ちゃんだから分かるよ――そして姉がプリンセスになった
※リメイク版として第1話から投稿中です。
第一章ラストとなります。
キリの良いところまで描き切るため、今回はボリュームのある長めの構成といたしました。
読み応えのある展開となっておりますので、ぜひお時間がある際にじっくりとお楽しみください。
自宅へ着くまで、姉貴は一度も話の続きを口にしなかった。俺が何を聞いても、
「家に着いてから」
の一点張り。
そして玄関の扉が閉まった瞬間。
「玲司。着替える前に、リビング。お姉ちゃん面談を始めます」
「明日では駄目か」
「駄目です」
「今日は疲れた」
「私も疲れました」
「話し合いは、互いの体調が万全な時に行うべきだ」
「窓から逃げる体力は残ってるよね?」
「人の逃走経路を先回りするな」
逃げるつもりはない。俺は姉貴に連行され、リビングの椅子へ座らされた。
テーブルを挟んだ向かい側へ、姉貴も座る。そのまま自分のバッグを開けると、中から一枚の黒いカードを取り出した。
俺の探索者ライセンスだった。
終わった。俺の探索者人生でも、ここまで完璧に退路を断たれたことはない。
前方には姉貴。テーブルの上には、俺の探索者ライセンス。後方にはリビングの壁。右手側の窓までは、およそ四メートル。
身体強化を使えば、一秒もかからず脱出できる。だが、実家の窓を突き破って姉から逃走するAランク探索者は、社会的には赤城レオンより下である。
逃げられない。いや、逃げてはいけない。ここで逃げたら、一生言われる。
「どうしたの?」
姉貴が首を傾げた。
「窓までの距離を測ってる顔してるけど」
「姉貴」
「なに?」
「人の思考を読むな」
「お姉ちゃんだから分かるよ」
「その万能理論を禁止しろ」
姉貴は笑わなかった。テーブルの上に置かれた探索者ライセンスへ、視線を落とす。
「これ、昨日の夜に見つけたの」
「昨日?」
「玲司が資料作りか何かで、家を出たあと。スマホの充電器を借りようと思って、部屋に入ったら落ちてた」
俺は昨晩の行動を思い返した。
会見用の資料。ノートパソコン。探索者協会から取り寄せた公式ログ。それらを鞄へ詰め込んだ時、ポケットから滑り落ちたらしい。
完璧な証拠隠滅を七年間続けてきた男が、最後の最後で、物理的に証拠を落とした。
赤城レオンを笑えない。
いや、あいつと一緒にするのはやめよう。俺はうっかり落としただけだ。あいつは姉貴を置いて逃げた。罪の重さが違う。
たぶん。
「どうして、昨日のうちに言わなかった」
「今日は大事な会見があったから」
姉貴はライセンスから目を離さないまま答えた。
「会見が終わるまでは、余計なことを言わない方がいいと思ったの。玲司、ずっと準備してたでしょ?」
「それで、事務所では『帰ったら言う』と」
「うん」
最初から。姉貴は、このカードを持って俺を待ち構えていたらしい。
ライジング・プロモーションの記者会見より嫌な予感がした理由が、ようやく分かった。
カードの表面には、俺が家族へ隠してきた事実が、簡潔かつ容赦なく記載されている。
氏名、黒瀬玲司。探索者登録名、黒瀬レイ。探索者ランク、A。
七年間守り続けた秘密が、黒いカード一枚に全部詰まっていた。
「黒瀬レイ。Aランク探索者」
姉貴が、記載された文字を一つずつ読み上げる。
「これ、玲司のことだよね?」
「カードにそう書いてある」
「ちゃんと話して」
声は静かだった。怒鳴られるより怖い。泣かれるより困る。
「まず、どこから?」
「浅いところから」
「浅いところ?」
「無職じゃなかった件」
「そこからですか」
「そこからです」
敬語になった。二十三歳の現役Aランク探索者が、姉の前で敬語になった。
魔獣相手なら、まだ戦える。姉相手では、社会性が先に死ぬ。
俺は観念して、椅子の背もたれに身体を預けた。
「高校に入ってすぐ、探索者適性が発現した」
「高校生の時?」
「入学した年の春だ。協会の検査を受けて、そのまま訓練校にも通った」
「そんなに前から……」
「最初は低ランクの採取依頼と、低層の魔獣駆除だけだった」
「それで、黒瀬レイ?」
「ああ」
「レイって、玲司の玲?」
「安直で悪かったな」
「悪いとは言ってないよ。ちょっと格好つけたんだなって」
「話を打ち切るぞ」
「ごめんなさい。続けてください、黒瀬レイさん」
「その呼び方を今すぐやめろ」
姉貴の口元が、少しだけ緩んだ。さっきよりは、いつもの顔に近い。俺もわずかに息を吐く。
「大学へ行っていた間も、探索者の仕事は続けていた。卒業後は一般企業に就職せず、今も探索者一本でやってる」
「今も?」
「ああ。引退してない」
「じゃあ、あんたが深夜に出かけてたのも」
「緊急依頼」
「三日間帰ってこなかったのも」
「地方ダンジョンの攻略支援」
「全身泥だらけで帰ってきたのも」
「地底湖で大型種に投げ飛ばされた」
「筋トレで転んだって言ったよね?」
「筋トレ中に大型種へ投げ飛ばされた」
「大型種と一緒に筋トレしてたの?」
「当時の俺は、説明能力が未熟だった」
「今もだよ」
否定できない。
姉貴はライセンスを手に取った。表面を見て、裏面を見て、また表面を見る。
「Aランクって、かなり上なんだよね?」
「上ではある」
「どのくらい?」
「……日本全体でも、多くはない」
「すごいじゃん」
「そうでもない」
「玲司」
「なんだ」
「そういうところ、変わってないね」
「どういうところだ」
「褒められると、すぐ逃げるところ」
俺は視線をそらした。逃げてはいない。戦術的位置変更である。赤城レオンとは違う。
姉貴はしばらくカードを眺めたあと、静かに尋ねた。
「どうして、ずっと隠してたの?」
来た。一番答えにくい質問だ。
危険な仕事だから。心配させたくなかったから。姉貴が自分の夢へ集中できるように。理由はいくつもある。
だが、どれも口にすると、言い訳のように聞こえる。
「最初は、すぐ辞めるつもりだった」
「そうなの?」
「適性があったから試しただけだ。少し稼いで、普通に大学へ行って、普通に就職するつもりだった」
「普通に就職しなかったね」
「ダンジョンの方が向いていた」
「会社は向いてなかったんだ」
「まだ入ってすらいない」
「でも向いてなさそう」
「それは否定しない」
組織に所属すると、社会性が死ぬ。短期スタッフになった今、予想ではなく確信へ変わっている。
「それに、ランクが上がるほど危険な依頼も増えた。言ったら、心配するだろ」
「するよ」
「だから言わなかった」
「言わなくても心配するんだよ」
姉貴の声が、少しだけ震えた。俺は顔を上げる。
「何の仕事をしているのか分からない。夜中に出かける。何日も帰ってこない。怪我をしても理由を言わない」
「……」
「それなのに、働いてるって言い張る」
「実際、働いてた」
「職場を言わない」
「ダンジョンは毎回違う」
「仕事内容も言わない」
「機密が多い」
「給料明細も見せない」
「個人事業主だ」
「全部、本当だったのが一番腹立つ!」
姉貴がテーブルを叩いた。俺は肩を揺らした。
「嘘をついてたわけじゃない」
「本当のことを一割だけ言うのも、ほとんど嘘なの!」
「正論で殴るな」
「資料で人を殴った弟に言われたくない!」
「俺は殴ってない。安全に逃げ道を塞いだだけだ」
「同じでしょ!」
良かった。怒鳴っている。いつもの姉貴だ。静かにされるより、こっちの方がまだいい。
姉貴は肩で息をしながら、俺を睨んだ。
「私が心配するのが嫌だった?」
「嫌というか」
「心配されたくなかった?」
「……それもある」
「どうして?」
俺は答えに詰まった。
心配されるのが苦手だ。自分のせいで誰かが不安になるのも嫌いだ。だが、それだけではない。
「知られたら、普通にしていられなくなると思った」
「普通?」
「家に帰った時くらい、Aランク探索者じゃなくていたかった」
姉貴が黙る。
「外では、判断を間違えれば誰かが死ぬ。救助依頼なら、間に合わなければ終わりだ。黒瀬レイとして見られてる間は、何をしても結果がついてくる」
失敗すれば、人が傷つく。迷えば、救えない。強くなればなるほど、任されるものが重くなる。
「でも家では、プロテイン飲んでる無職でいられた」
「無職ではないよ」
「姉貴がそう呼んでただろ」
「ごめん」
「今謝るのか」
「だって、本当に働いてたし」
「そこだけ素直に謝られると傷つく」
姉貴が少しだけ笑った。俺も、わずかに肩の力を抜いた。
「それと」
「まだあるの?」
「もう一つ、隠していた理由がある」
言いたくない。だが、ここまで話して避けるのも不自然だ。
「固有能力だ」
「ヒーロー見参?」
「名前を軽々しく口にするな」
「能力名でしょ?」
「俺にとっては、精神を殺す呪文だ」
姉貴が目を瞬かせる。
「詳しく教えて」
「嫌だ」
「話して」
「これ以上は人権に関わる」
「もう二回見てるよ」
「外から見るのと、本人が仕様を説明するのは別の苦痛だ」
「家族会議です」
「家族にも守秘義務はある」
「ありません」
「作れ」
姉貴は無言で俺を見た。
逃げられない。俺は深く息を吸った。
「固有能力《ヒーロー見参》は、救助を求める声と、一定以上の危機を感知すると発動する」
「うん」
「発動すると、身体能力、耐久力、瞬発力、救助対象の保護能力が大幅に上がる」
「すごく良い能力じゃない」
「効果だけならな」
「効果だけ?」
「発動と同時に、黒銀のスーツが生成される」
「生成?」
「あれは実物の服じゃない。能力が発動している間だけ出てくる。解除されれば消える」
「じゃあ、その前に着てた服は?」
「下に着ていたシャツやズボンは戻る。ただし、上着や帽子、マスク、手袋は、変身に巻き込まれて消える。解除されても戻らない」
「消えちゃうの?」
「ああ。だから、変身する可能性がある時は予備を用意している」
「じゃあ、クローゼットに入ってるわけじゃないんだ」
「入っているわけがない。あんなものを自分で買って保管していたら、俺は俺を許せない」
「結構格好いいと思うけど」
「着る側の気持ちを考えろ」
「身体の線が綺麗に出てたよ」
「そこを評価するな」
姉貴の視線が、俺の胸元へ落ちた。俺は反射的にパーカーのジッパーを顎まで引き上げる。
「今は普通の服だよ?」
「視線が危険だった」
「実の姉に言う台詞じゃないよ」
「実の弟の胸筋を観察するな」
「観察はしてないよ。確認しただけ」
「何をだ」
「ヒーローさんと同じくらい厚いなって」
「姉貴」
「はい」
「その話題を続けるなら、俺は窓から出る」
「法治国家でいて」
さっき俺が言った台詞を返された。俺は額を押さえた。
「それだけじゃない。変身時には、ポーズと名乗りが強制される」
「やっぱり強制だったんだ」
「やっぱり?」
「だって、玲司が自分からあんなことするわけないし」
「あんなことと言うな。俺が一番分かっている」
「最初の『ヒーロー見参ッ!』も?」
「強制だ」
「手を胸の前に出してたのも?」
「強制だ」
「声が急に良くなるのも?」
「能力による音声補正だ」
「『助けを呼ぶ声があるなら』は?」
「強制台詞だ」
「お姫様抱っこは?」
「救助対象を最も安全に保持する動作が自動選択される」
「『達者でな、レディ』は?」
「半分だけ能力に負けた」
「半分?」
「最後までキャンセルしようとした。だが、『レディ』だけ出た」
姉貴は口元を押さえた。肩が揺れている。
「笑うな」
「笑ってない」
「目が笑ってる」
「ごめん。だって、玲司が必死に抵抗した結果、レディだけ残ったんだと思ったら」
「思い出すな」
「喉を押さえてたのも?」
「強制名乗りを物理的に止めようとした」
「喉仏ミュート」
「その呼び方を家に持ち込むな!」
姉貴はとうとう吹き出した。俺の七年間の苦悩が、実の姉の笑い声へ変換されている。
最悪だった。しかし、不思議と嫌ではなかった。
ネットで知らない人間に笑われるのとは違う。姉貴は俺の能力を気味悪がっていない。黒銀のスーツを見て、引いてもいない。強制名乗りを知っても、軽蔑していない。
ただ、弟の黒歴史が増えたことを面白がっている。それはそれで腹が立つが。
少しだけ、安心した。
「でも」
姉貴が笑いを収めた。
「そんなに恥ずかしかったなら、探索者を辞めようとは思わなかったの?」
「何度も思った」
「辞めなかったんだ」
「ああ」
「どうして?」
簡単な答えだった。
「助けられるからだ」
姉貴の表情が止まる。
「能力は最悪だ。衣装も最悪。演出も最悪。俺の意思も尊厳も無視する」
「そこまで?」
「毎回、社会的な死を覚悟している」
「そこまでなんだ……」
「だが、救助能力だけは本物だ」
救助対象を守る。崩落からかばう。怪我を抑える。声が届いた場所へ、最短で駆けつける。
「俺一人では間に合わない場所でも、あの能力なら間に合う」
助けを求める声があるなら。そこへ行ける。
「だから、辞められなかった」
姉貴は何も言わなかった。テーブルの上にあるライセンスを見つめている。
「それに」
俺は続けた。
「本当は、探索者として表に出るのが嫌いなわけじゃない」
「え?」
「……今のは忘れろ」
「忘れないよ。玲司、配信に出たかったの?」
「過去形にするな」
「今も出たいんだ」
「少しだけだ」
失敗した。完全に失敗した。
姉貴の目が輝いている。配信者が企画の種を見つけた時の目だ。
「どれくらい?」
「少しだと言った」
「戦ってるところを見せたい?」
「場合によっては」
「褒められたい?」
「人間なら評価されたい気持ちくらいある」
「人気者になりたい?」
「そこまでは言ってない」
「格好いいって言われたい?」
「取り調べをやめろ」
姉貴が身を乗り出してくる。俺はその分だけ椅子を引いた。
「もし固有能力が、もっと普通のものだったら」
俺は仕方なく続けた。
「身体強化とか、剣術補正とか。勝手にポーズを取らされず、強制的に名乗らされず、身体のラインを一切隠す気のないスーツも出てこなかったなら」
「うん」
「探索者として配信に出ていたかもしれない」
「やっぱり出たかったんじゃん」
「かもしれないと言った」
「自分の戦いを見てもらいたかった?」
「……俺がどう戦って、どう救助しているのか。普通に見てもらえるなら、悪くないと思っていた」
自分の実力を知ってほしい。助けた相手から、正面から礼を言われたい。黒瀬レイという探索者がいると知ってほしい。
そんな気持ちは、昔から少しくらいあった。
「ただ、そのために支払う代償が《ヒーロー見参》なのが致命的なだけだ」
「ああ……」
「今、納得した顔をしたな」
「うん」
「迷わず否定しろ」
「ごめん。でも、玲司には大問題だよね」
「人類全体の問題だ」
「そこまではいかない」
「俺の中では人類が終わる」
姉貴は小さく笑った。からかう笑いではなかった。
「そっか」
「なんだ」
「玲司も、本当は誰かに見てほしかったんだね」
「……少しだけだ」
「じゃあ、私と似てる」
「姉貴と?」
「私も最初は、誰かに見つけてほしくて配信を始めたから」
星宮ハルカ。今では多くの視聴者を抱える企業VTuber。
だが、最初から人気者だったわけではない。見ている人間が一桁の日もあった。コメントが一つもない配信もあった。それでも姉貴は、画面の向こうへ話しかけ続けた。
「玲司は、普通の能力だったら配信に出たかった」
「断定するな」
「私は、普通の自分のままじゃ誰にも見つけてもらえない気がして、星宮ハルカになった」
「……」
「反対みたいだけど、ちょっと似てるね」
言われてみれば、そうなのかもしれない。
姉貴は星宮ハルカという姿を得たことで、表へ出られた。俺は黒銀ヒーローという姿を得たせいで、表へ出られなくなった。
同じ変身でも、結果が正反対すぎる。
「姉貴は衣装に恵まれたな」
「玲司の衣装も人気だよ?」
「その話をするな」
「身体のラインが」
「するなと言っただろ!」
感動的な空気が三秒で死んだ。この姉に情緒を期待した俺が間違っていた。
姉貴は少し笑ったあと、再び真面目な顔になる。
「じゃあ、黒銀のヒーローさんも玲司なんだね」
「……もう分かっているだろ」
「でも、ちゃんと玲司の口から聞いてない」
「その前に、一つ聞かせろ」
「なに?」
「いつから気づいていた」
姉貴はすぐには答えなかった。テーブルの上のライセンスへ視線を落とし、それから、ゆっくりと俺を見る。
「最初に助けてもらった時から、玲司じゃないかとは思ってた」
「なぜだ」
「あの時は、本当に怖かった」
声が柔らかくなる。
崩落。瓦礫。逃げた赤城レオン。姉貴の小さな救助要請。俺の能力が発動した瞬間を思い出す。
「何が起きてるか分からなくて、もうダメかもしれないって思った」
「……」
「でも、抱き上げられた時、玲司だって思った」
「抱え方で人間は判別できない」
「できるよ」
「できない」
「できるの」
姉貴が強い。
「子どもの頃、私が怪我をした時も、玲司は同じ抱え方をしてくれた」
「覚えてない」
「夏祭りで足をくじいた時」
「……」
「最初は背負ってくれたけど、途中で私が寝たから、最後は抱えて帰ってくれたでしょ」
記憶の奥に、少しだけ残っている。
夏祭り。姉貴が足をくじいた。意地を張って歩こうとして、余計に痛めた。仕方なく背負った。
途中から静かになったので確認すると、寝ていた。腹が立ったので置いて帰ろうかと思った。
置かなかった。
「玲司は、人を抱える時、最初に一回だけ顔を見るの」
「状態確認だ」
「それから、頭が揺れないように右腕で支える」
「救助の基本だ」
「一般論は禁止」
武器を封じられた。
「それでも、最初は信じ切れなかった」
姉貴は続ける。
「玲司は無職だと思ってたし」
「まだ言うのか」
「家でプロテインを飲んでる弟が、急に光りながら現れるとは思わないよ」
「俺だって、光りながら現れたくはない」
「二回目も、最初は違うと思おうとした」
「なら違う」
「でも、名乗りを止めようとして喉を押さえた」
「世の中には喉を守る人間がいる」
「私が『玲司?』って呼んだら逃げた」
「人違いなら逃げる」
「ダイヤモンド・ゴーレムを殴り倒した人が?」
「繊細なんだろ」
「『達者でな、レディ』って言った」
「変な男だな」
「玲司が昔、真似してたゲームのキャラクターと同じ言い方だった」
「その黒歴史をこれ以上掘るな」
「ほら」
「何がだ」
「玲司しか知らない黒歴史で反応した」
「姉貴」
「はい」
「姉弟であっても、踏み込んではいけない領域がある」
「でも、玲司でしょ?」
逃げ道が消えていく。一つずつ。
理屈ではない。証拠でもない。ただ、姉貴が俺を見ている。
姉貴は探索者ライセンスへ指を置いた。
「でも、信じ切るのが怖かった。玲司がそんな危ない仕事をしてるなんて、認めたくなかったのかもしれない」
「……」
「確信したのは、これを見つけてから」
黒瀬レイ。Aランク探索者。黒銀ヒーローと同等の戦闘力を持ち、星宮ハルカのすぐ近くにいて、事故のたびに行方が分からなくなり、帰宅時には怪我をしている男。
「ライセンスを見たら、全部つながった」
「状況証拠だ」
「そうだね」
「確定ではない」
「うん」
「なら――」
「でも、最後は証拠なんて関係ないよ」
姉貴は俺の目をまっすぐ見た。
「お姉ちゃんなんだから」
その言葉に、俺は何も返せなかった。
理屈ではない。探索者としての分析でもない。ただ、俺の姉だから分かった。
俺が隠してきた七年間を。二度、自分を助けた人間を。俺がどんな顔で嘘をつくのかを。
全部。
「……ああ」
気づけば、声が出ていた。姉貴の目がわずかに見開かれる。
「俺だ」
言ってしまった。一度口にすれば、もう戻せない。
「黒瀬レイも、あの黒銀ヒーローも、俺だ」
姉貴は黙っている。
「最初の配信も、再検証配信も。姉貴が危険になったから、能力が発動した」
「……うん」
「隠すつもりだった」
「うん」
「一生、言うつもりはなかった」
「それは怒るよ」
「だろうな」
「すごく怒ってる」
「顔が少し笑ってるぞ」
「怒ってるけど」
姉貴の目に、薄く涙が浮かんでいた。
「生きててよかった」
その一言に、今度は俺の方が動けなくなった。
「七年間、そんな危ないことをしてたんでしょ?」
「毎回危険だったわけじゃない」
「大型種に投げ飛ばされたんでしょ?」
「地底湖に落ちただけだ」
「三日帰ってこなかったこともあった」
「地方だったからだ」
「全身怪我してた日もあった」
「軽傷だ」
「玲司の軽傷は信用できない」
正論だった。姉貴は顔を伏せる。
「知らないうちに、玲司が帰ってこなくなることもあったんだよね」
「……」
「何も知らないまま」
俺は答えられなかった。
心配させないために隠した。だが、それは俺が勝手に決めたことだ。心配する権利ごと、姉貴から奪っていた。
「悪かった」
口から出た。
「本当に、悪かった」
姉貴はしばらく黙っていた。やがて立ち上がる。俺の横まで歩いてくる。
殴られるかもしれない。覚悟した。
大型種の一撃よりは軽い。姉の一撃の方が、精神には重い。
だが、姉貴は俺を殴らなかった。
後ろから、俺の頭を抱え込んだ。
「……おい」
「何?」
「離れろ」
「嫌」
「二十三歳の弟にすることじゃない」
「二十三歳になるまで黙ってた弟が悪い」
姉貴の腕が、俺の首に回っている。少し苦しい。だが、振りほどけなかった。
「二回も助けてくれて、ありがとう」
「……仕事だ」
「最初の時は、スタッフじゃなかったでしょ」
「探索者としての仕事だ」
「依頼されてないよね?」
「緊急救助は探索者の義務だ」
「弟として?」
「違う」
「お姉ちゃんが心配だったから?」
「違う」
「シスコン?」
「違う!」
姉貴が笑った。耳元で笑うな。声が近い。
「じゃあ、どうしてあんなに怒ってたの?」
「誰でも怒る」
「赤城レオンさんが私を置いて逃げた時」
「探索者として当然だ」
「再検証配信で、私をかばった時」
「安全補助スタッフとして当然だ」
「私が怪我してないか、何度も確認してた時」
「一般的な――」
「一般論は禁止」
「……危機管理だ」
「シスコンの?」
「ただの危機管理だ」
「はいはい」
絶対に信じていない。
姉貴はようやく腕を離した。俺はパーカーの襟元を直す。別に動揺していない。少し首が苦しかっただけだ。
「でも、玲司」
「なんだ」
「助けに来てくれたのが玲司で、よかった」
姉貴は、少し照れたように笑った。
「世界で一番、安心できる人だったから」
「……そうか」
反応に困る。責められる方が簡単だった。褒められるのも苦手だ。姉貴から素直に感謝されるのは、もっと苦手だった。
胸の奥が落ち着かない。
「それに、玲司がAランク探索者だったことも、すごいと思う」
「大したことじゃない」
「大したことだよ」
「上には上がいる」
「また逃げてる」
「逃げてない」
「戦術的位置変更?」
「そうだ」
「レオンさんと同じこと言ってるよ」
「撤回する」
即座に撤回した。あいつと同じなのは絶対に嫌だ。
姉貴は少しだけ笑い、それから、まっすぐ俺を見る。
「お姉ちゃん、玲司のこと誇りに思うよ」
不意打ちだった。俺は完全に黙った。
やめろ。その顔をするな。俺はこういう時、どういう顔をすればいいか分からない。
「……おう」
結局、それしか言えなかった。姉貴は満足したように頷く。
「じゃあ、家族会議の次の議題です」
「待て」
「なに?」
「今、綺麗に終われただろ」
「まだ終わってないよ」
「終われ」
「秘密の扱いについて」
それは重要だった。俺は背筋を伸ばす。
「世間には絶対に言うな」
「うん」
「配信でも言うな」
「うん」
「事務所にも、勝手に言うな」
「分かった」
「必要になったら、必ず俺と相談しろ」
「うん」
「黒銀ヒーローとの関係を聞かれても、正体は知らないで通せ」
「でも、今は知ってるよ?」
「記憶を封印しろ」
「無茶言わないで」
姉貴は笑いながらも、最後にはしっかり頷いた。
「分かった。玲司がいいって言うまで、誰にも言わない」
「絶対だぞ」
「お姉ちゃんを信用してよ」
「俺の部屋に無断で入った人間を?」
「充電器を借りようとしただけだよ」
「結果として、国家資格級の秘密を発見してる」
「机の横に落としてた玲司が悪い」
「それはそうだが」
反論できない。自分で落とした。完全な自爆である。
「ただし」
姉貴が人差し指を立てた。
「私からも条件があります」
「嫌な予感しかしない」
「怪我をしたら、ちゃんと言うこと」
「程度による」
「言うこと」
「軽傷なら」
「言うこと」
「かすり傷まで報告していたら――」
「言うこと」
強い。圧が強い。
「分かった」
「危険な依頼へ行く時も連絡すること」
「機密がある」
「詳しい場所までは聞かない。でも、何日くらい帰らないかは言って」
「……分かった」
「帰ってきたら、帰ったって連絡すること」
「同居してるだろ」
「私が仕事で家にいない時もあるから」
「分かった」
「無茶しないこと」
「それは約束できない」
「どうして?」
「無茶をしなければ、助けられない時もある」
姉貴の顔が曇る。そこだけは、嘘をつけない。
「だが、死ぬつもりはない」
「本当に?」
「ああ」
「絶対?」
「できる限りだ」
「絶対って言って」
「探索者が絶対を口にすると死亡フラグになる」
「変なところだけ慎重」
「危機管理だ」
姉貴は納得していない顔だった。だが、それ以上は言わなかった。
俺も約束できる範囲では、守るつもりだ。これまでよりは。
たぶん。
家族会議が、ようやく終わりに近づいていた。
俺の正体はバレた。七年間の秘密も怒られた。能力の恥ずかしい仕様も説明した。本当は普通の能力なら配信に出てみたかったという、墓まで持っていく予定だった本音まで吐かされた。
失ったものは多い。主に尊厳。
だが、不思議と肩は軽かった。ずっと隠していたものを、ようやく一つ下ろせたからかもしれない。
「じゃあ、今日はもう寝るか」
俺は椅子から立ち上がった。
「待って」
「まだあるのか」
「今、変な通知が来た」
「誰からだ」
「探索者協会の公式アプリ」
「姉貴は探索者じゃないだろ」
「ダンジョン配信の許可を取った時に、一般活動者登録したの」
姉貴はスマホの画面を確認した。
次の瞬間、目を丸くする。
「玲司」
「なんだ」
「私、転職したみたい」
「は?」
「特殊職業が追加されました、だって」
猛烈に嫌な予感がした。
探索者システムは、時々とんでもなく余計なことをする。俺の固有能力が、その代表例だ。
「見せろ」
俺は姉貴からスマホを受け取った。画面には、星宮ハルカの簡易ステータスが表示されている。
【登録名:星宮ハルカ】
【主職業:企業VTuber】
【サブ職業:配信者】
【特殊職業:捕らわれのプリンセス(ヒーロー見ぃつけた♡)】
俺はスマホを伏せた。姉貴のスマホなのに伏せた。
「何するの」
「見なかったことにした」
「現実逃避しないで」
「現実の方が逃げろ」
もう一度画面を見る。変わっていない。後ろのハートマークまで、元気に輝いている。
「なんだ、この職業は」
「プリンセスだって」
「そこではない」
「捕らわれの?」
「もっと後ろだ!」
「ヒーロー見ぃつけた♡?」
「読むなァァァァァァァァ!」
実家のリビングに、俺の絶叫が響き渡った。
事件は終わった。赤城レオンは活動休止。ライジング・プロモーションは調査対象。ステラライブの名誉も回復した。姉貴は無事。俺の正体も、世間にはまだ隠せている。
ただし。
一波乱が終わった、その瞬間。
姉貴と俺を巻き込む、新たな地獄が始まったらしい。
お読みいただきありがとうございます!
毎日7:10と19:40の2話更新です。
続きもお楽しみに!




