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その1:犬になった商人

拙作『魔獣になった娘』のスピンオフになります。未読の方は、そちらを先にご覧ください。

胸糞注意報、発令中です。

 嘘だ、嘘だ、嘘だ。

 どうしてこんなことに。

 僕のせいか? ――違う。僕のせいじゃない。


 エドワード・トンプソンは心の中で何度も唱えた。


 遠くから悲鳴が響く。

 長く魔獣に襲われることのなかった村の防御は、紙のように薄かった。

 商会で雇っている護衛たちは、貴族が泊まっている宿を守ることに回している。とてもではないが、村全体を守る余裕などなかった。

 宿の守りを固めて、一晩。

 夜が明けて静寂が戻った村は、赤く染まっていた。

 通りに転がるいくつもの原型をとどめない骸に、吐き気がこみあげる。我慢できずに、道端に膝をついて吐いた。


 なにもかも、あの女のせいだ。

 マリー・ワーズ。この村の薬師であった娘。

 彼女がこの村を捨てて逃げたから、村がこんなことになった。

 ――僕のせいじゃない。


 何度も繰り返す言葉に、心が悲鳴をあげる。


 ――僕はただ。


 心の中でさえ、その続きを言葉にすることはできなかった。

 とにかく今は貴族たちを、安全に逃すことに集中する。

 護衛たちに指示するため、ぐいっと口元をぬぐうと、エドワードは宿へと踵を返した。



 ◇◇◇



「エドワード、おまえは言われたことだけやっていればいいんだ」


 父の言葉に、きしりと心のどこかが音を立てた。


 トンプソン商会の三男坊。それがエドワードの肩書きだった。

 父は行商人だった祖父から受け継いだ商会を、貴族と取引するまでに一代で大きくした商才あふれる人だった。

 その貴族とのつながりを作る上で、きっかけになったのは、湯治場として有名だったある村だった。そこに貴族用の宿を建て、そこでのおもてなしを充実させることで、いろいろな貴族と渡りをつけることができたと聞いた。


 有名なのは、湯の効果だけではなく、そこに暮らす薬師の腕もだった。

 父と薬の取引をずっとしてきた薬師だったが、高齢であったその薬師は先年亡くなり、孫娘がその跡を継いでいた。

 まだ若いながら、薬師としての腕は確かで、宿に泊まる貴族からも重宝されていた。娘は断っていたが、貴族からもこっそり引き抜きの声がかかっていたことも、耳に入っていた。


 父からその娘が契約で縛られ、その村を出ていくことができないことは聞いていた。

 それでも、一人だけに頼る仕組みは脆弱だ。娘が死ねば終わりでは、商売は回らない。

 だから、後継者を作っておくことにしたのだ。


 最初はまっとうに弟子を斡旋した。

 何度も首を横に振られ、ようやく受け入れられた者も「役に立たない」と帰される。


「なぜだ? たかだか薬の作り方を教えるだけだろう!?」と怒鳴ったエドワードに、あの娘は冷たい目を向けた。


()を作るのに特別な目と鼻が必要なんです。なぜ、あなたが知らないんですか?」

「どういう意味だ?」

「……口に出すことは許されていません。それも契約のうちですから。知りたければ、あなたのお父様にたずねてください」


 娘の言葉に、ひゅっと喉から小さく息がもれた。エドワードは何も聞かされていない。

 父から言われたのは、貴族向けの宿の経営と、この娘から薬を買い付けることだけ。

 あわてて父のところに尋ねていけば、言われたのは冒頭の言葉で。

 なにも期待されていない自分が悔しく、エドワードはぎゅっと拳を握り締めた。


 それからも、あの手この手を試してみたが、娘は頑なだった。宿の若い従業員を紹介したときには「興味ありません。契約外のことをしないでもらえますか」と、取りつく島もなかった。


 あの男が、娘の家に住み着いたのに気づいたのは、いつだっただろう。

 エドワードはいつもこの村にいるわけではないから、たぶんそれなりに時間が経っていたはずだ。

 娘の凍りついたような表情が緩み、若い女性らしく頬を染める様子に、とてつもない衝撃を受けた。別の人間が、娘の皮をかぶっているのかと疑ったほどだ。男以外には淡々と変わらない態度だったので、すぐにそれは間違いだと気づいたが。


 それは天啓のようにやってきた。

 娘は男に興味がない。それなら、初めから興味のある男に言い寄られたら?

 悪くない考えに思えた。

 娘が山に薬草を取りにいっているときを見計らって、娘の家を訪ねた。


「マリーなら出かけてるけど?」


 気怠そうに扉枠にもたれて言った男に、話をもちかける。しばらく腕を組んで考えていた男は、冷たい笑みを浮かべた。


「へえ、マリーを落として、子どもを作ったら金をくれるだって? どれくらい?」


 提示した金額に男は口笛を鳴らす。


「子どもができなかったら?」


 男の問いに、子どもができなくても娘のそばにいる間はいくらか手当を出すと告げた。期限は三年。


「ずいぶん気前がいいんだな」


 それだけ困っているということだと答えるエドワードを男はじっと見て、左の口角を引き上げた。了承した男と、神殿に赴き契約書を作る日を打ち合わせた。


 それから日が経ち、エドワードの思惑どおり二人の間には子どもが産まれた。

 今は幼い娘の世話で手一杯だろうが、そのうち、産まれた子どもに薬の作り方を教えるだろう。娘の将来がかかっているのだから、目が鼻がとは言うまい。

 これで、すべてうまくいくと思っていたのに。


 男が辺境で魔獣に殺されたという情報が入った。魔獣に執拗に追いかけられ、遺体も残らないような有様だったらしい。


 ――魔獣。

 この村に魔獣が少ないことは気づいていた。それが娘の契約に関わるらしいことも。

 だから、それを聞いてすぐに、娘の家まで走ったのだ。


「おまえが殺したのか?」と聞いたときの、娘の目がとつもなく怖かった。「魔獣に殺されたのでは?」と言い返したときの、その深淵のような(くら)さが。どうやったのかはわからなくても、娘が殺したのだと確信できた。できてしまった。

 エドワードは、あわてて宿まで逃げ帰った。



 ◇◇◇



 魔獣に襲われた村から貴族たちを逃し、後始末を終えて、疲労困憊で実家に戻ったエドワードを待っていたのは、父の怒りだった。


「なぜあの娘を逃がした? 馬鹿者が! おまえは何をしていたんだ!?」


 父の怒鳴り声に、エドワードはうなだれた。どうしてこうなったのか、エドワードにもわからない。

 

「あの村はもうだめですね。貴族とつながりを持つにはよい場所だったんですが」


 長兄がエドワードには目も向けずに、冷静に告げる。


「どうして。どうしてあの娘がいなくなっただけで、こんなことになるんです」


 絞り出した声に、次兄が応えた。


「それがわからないから、おまえは駄目なんだ」


 どうして。

 僕が何をしたと言うんだ。

 薬の安定供給を図ろうとしただけ。誰か一人に頼っていては、いつか破綻する。

 そのために、あの娘の恋を少し後押ししてやっただけだ。ちゃんと子どもだって産まれた。

 それなのに、どうしてこんなことに、なるんだ。

 僕は。

 僕は、ただ。


 父に。兄に。

 ちゃんと役に立つのだと認めて欲しかった。――「よくやった」と、褒めてほしかっただけなのに。


 噛み締めた唇に血の味がした。

 父がため息をつく。


「おまえは婿に出す。ちょうど夫を亡くしたばかりで、次の夫を探している夫人がいる」


 告げられた名前に、ぞっと背筋が冷えた。

 この国を代表する商家の庶子で、何人もの男を奴隷のように使い潰しては、捨てていると有名な女だ。


「い、いやだ」

「向こうとの話はもうついている。出発は明日だ」


 子どものわがままをいなすように、長兄が淡々と告げた。


「いやだ、いやだ! やめてくれ! 父さん!?」

「損失は自分の身で賄え。――誰か、こいつを部屋に」


 叫ぶエドワードは、家付きの護衛たちに取り押さえられる。

 一晩部屋に閉じ込められた次の朝、エドワードは婚姻先に向かう馬車に乗せられた。



 ◇◇◇



 近くの床でぴしりと鞭の音が鳴る。エドワードはびくりと身をすくませた。


「あら? ようやく躾ができてきたかしら? わたしの駄犬は」


 さんざん鞭で打たれ、あちこちに血が滲んでいる。

 おびえるエドワードに、女は鞭を持ったまま、赤い唇で笑った。


「素直に言うことを聞くなら、ちゃんと飼ってあげるわ。名前、書けるわね?」


 示された婚姻届に、エドワードは震える手で自分の名前を書いた。ぽとりと腕から落ちた血が広がる。


「よくできました。誰かこれを神殿に持っていって」


 女の言葉にさっと進み出た侍従がうやうやしく受け取ると、すぐに部屋から消えた。

 それをつまらなそうに見送って、女はソファに腰かけた。すっと出された茶器を受けとる。口をつけると、その形のよい眉がくっと寄せられた。

 指で茶をいれた侍女を呼ぶと、近くに座らせた。茶器を傾けて、彼女の頭へと茶を流す。


「ぬるいわ。淹れなおして」


 じっと動かず耐えていた侍女は、すっと立ち上がると一礼してなにも言わずに部屋を出ていった。

 噂以上に、人遣いが荒いらしい。

 エドワードはここに着くなり、女の前に引き出され、婚姻届に名を書くよう言われた。それを拒否すると、女は鞭をふるってきた。

 人間にではなく、新しく飼われた動物にするようなふるまい。

 どうやら、それはエドワードに対してだけではなく、周囲の雇人すべてに、そうふるまっているようだ。その事実にエドワードの胃の腑が縮みあがる。鞭で打たれた背中が痛かった。


「……どうして僕を夫に」

「父がうるさくてね。ちょっと使用人を壊しすぎちゃって。新しい(おもちゃ)を与えるから、少しおとなしくしていろと言われたの」


 女は手入れの行き届いた長い髪をかきあげて、「面倒だわ」と呟いた。

 エドワードは、ぞっとした。


「新しい、夫?」

「あら、前の夫が気になる?」


 女は赤い唇で笑った。


「使い物にならなくて捨てたんだけど、あちらから離婚しようなんて生意気なことをするから、了承してやらなかったの。大事に育ててやったのに。飼い犬に手をかまれるって、このことね。ついこの間、魔獣に食い殺されたって、いい気味。それで夫の地位が空いたのよ」


 ひゅっとエドワードの喉が鳴った。


「その、夫の、名前は」

「さあ? 忘れたわ。死んだ男の名前なんて」


 女はソファから立ちあがると、エドワードのそばにしゃがんだ。細い指でエドワードの頬をなぞる。


「あなたも、顔はいいものね。安心して? 大事に大事に飼ってあげる。そう、かわいい犬のように、ね」


 にいと笑った女の姿に、なぜかあの薬師の娘を思い出した。

 金を積み、恋人に子どもを産ませる契約をさせたエドワードを見つめた、あの昏い瞳を。


 エドワードは金のために、娘の恋人であった男に依頼した。

 男は金で娘の人生を売った。

 だから、薬師の娘は、男を殺した。そして、契約を投げ捨て、村を去った。

 村は魔獣に襲われた。

 その果てに、エドワードは金で女に売られた。


 金、金、金。

 ああ、どうしてこんなことに。

 その答えが、これだ。


 ――ああ、そうか、僕の、せいか……。

 

 エドワードは視線を床に落とす。だらんと垂れた腕に流れる赤色が目に入る。

 それはあの村で流れた赤いものを思い起こさせた。

 女が唇を合わせてくる。その唇は冷たく、血の味がした。


突貫工事クオリティ。初めから謝罪しておきます。

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― 新着の感想 ―
親父らもたいがいだとは思うけどな。 エドワードがなにをしてるかも把握してないし、言う通りやればいいといいながら丸投げ。 実際、アホほど人でなしな手段を取ったのは愚かとはいえ、次世代が必要ではないかとい…
え、前の夫って、そして女王様と離婚しようとしてたのって、もしかして? だとしたら、うわあ。 後味悪くて最高でした。
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