第十六話 「つよがり」
何を考えて死んだのだろうか。
何があって、何を知り、どう満足したのか。
アキレウスはどんな真実を理解して死んだのだろうかと、考えてしまう。
ベッドに腰をかけ、背を丸めながらに考えた。
「どうにもわからん」
わからない。
それだけが結論だ。
真実を知る機会は、アキレウスの死とともに永遠に失われた。
まあ、素直に喜べばいいのだが。
アキレウスは全ての真実を手にしてあの世に逝ったのだと。
今頃は愛する妻と、墓の中で仲良くしていようぞと。
それだけで良い。
少なくともランタンへの慰めにはなった。
アキレウスを騙しきれなかったのは種族的な恥であると、ランタンなどは苦悩していたようだが。
アキレウスは満足とともに逝ったと何度話しても納得しないので、申し訳ないが火葬の前に奴の棺を再度開け、ランタンにも見てもらった。
「ああ――この人は満足して死んだんだね」
ランタンは、一目見ただけで全ての事態を理解した。
その言葉通りだ。
アキレウスが全ての満足を得たのは喜ぶべきであるが。
「はて、誰がどうしたのか?」
いや――。
このグランも知恵の働かぬ間抜けというわけではない。
大体の状況は掴んでいる。
我が妻、トーリ。
彼女しかいなかった。
如何にかできるとするならば、彼女以外に誰がいようか。
あの怠惰の姫君は、いざという時だけは素晴らしい働きを見せるのだ。
魔王戦争時代も。
私が彼女と結婚し、王妃となってからも。
常に、誰もがどうしようもないと困ったときだけは動いてくれるのだ。
今回も、彼女が全てなんとかしたのだろう。
だがさて、どうやった?
そもそも何故状況を知っていた?
こっそりと聞いていた、それは可能だろう。
トーリの魔法を用いれば容易であった。
きっと、花を活ける際に諜報をする魔法でもかけたのだろう。
しかし、如何にして真実を突き止めた?
これについてはさっぱりわからぬ。
死者と会話できるわけでもあるまいし。
「――」
私は懊悩する。
人はこういうだろう。
何も知らぬ他人ならばこういうだろう。
『わからぬならば聞けば良い』と、まさに他人事のように。
それが出来ぬから悩んでおるということを理解せんのだ。
私はトーリの夫である。
トーリは私の妻である。
夫婦関係である。
だから聞けばよい?
そんな単純な関係ではないのだ、私たち夫婦は。
天と地との狭間には、我々の想像もつかぬものがあるとして。
この大気の中に、そこを支配しつつ漂っている霊どもがいるとして。
彼女がその霊に語り掛け、真実を知ることができる。
死者と会話することができる。
もしそのような魔法があるならば、きっとトーリは隠すだろう。
そして、その秘密を夫が暴こうとするだと?
有り得ぬ。
私はそのようなことをせぬ。
トーリとて、理由があって私に隠そうとしているのだろう。
それを無理に暴こうとするなど、彼女を信頼していないという意思表明と一緒ではないか。
彼女が我が子を孕んだ時に。
本当に自分の子なのか、それを疑って口にするようなものだ。
絶対にやってはならぬ。
梃子や螺子を用いて開けてみることはできぬ真実だ。
だから、今回の真実について、私とランタンは永遠に知ることが出来ぬだろう。
「……」
泣き言を口にすると。
知りたくて、尋ねたくてたまらない。
今回の真実は如何なる内容であったのか。
トーリに尋ねたくてたまらぬ。
だが、それをすればトーリは確実に私を嫌うであろう。
それはこの世の何よりも怖ろしいことであった。
惚れた女に嫌われることは死ぬよりも嫌なのだ。
それが男というものだ。
だから――
「忘れよう」
黙っていることにした。
沈黙が金、雄弁は銀どころか鉛にすら値せぬ。
私は黙って、ただベッドに寝転がる。
その時――ノックの音が。
「ランタンか?」
「トーリだよ。入ってもいい」
「どうぞ。鍵はかけていない」
許可を得て、トーリが我が部屋に入ってきた。
一応、ランタンの手前の取り繕いで、私たちは夫婦ではないためにそれぞれ個室としている。
まあ、あのランタンも、我々の事を恋仲ぐらいには見抜いているだろうが。
「隣に座ってもいい?」
トーリが尋ねる。
私は座っていたベッドを少し横にどき、小さなトーリが座る面積を空けた。
「いやあ、今回は良かったねえ。アキレウスは、我が懐かしき朋輩は満足とともに逝った。三十年前の魔王戦争時代には考えられないことだった」
「そうだな」
ぽすん、と軽い体重のトーリがベッドに腰掛ける。
そして、良かった良かったと。
そう口にして、私の顔を覗き見た。
「ねえ、グラン。私に何か聞きたいことはある?」
トーリが尋ねた。
本当は聞きたいことなど沢山ある。
今回の件だけではない。
君について、知りたいことは山ほどあるが。
「いや、何もない」
つよがりだ。
私はつよがりを口にする。
そして、このつよがりはトーリにはめっきり見抜かれているだろう。
それは承知している。
でも、こう口にするのだ。
「私が君の秘密を、君の許可なしに調べることなどありえない」
誓ったからだ。
結婚を望んだ告白の時に誓ったからだ。
命ある限り真心を尽くすことを誓います、と。
彼女を問い詰めて、秘密を暴くことは、明確にその誓いに反するのだ。
だから、絶対にそれだけはしないと、むしろ更なる約束を試みた。
「信じてくれるか、トーリ」
「……」
トーリと視線が重なる。
彼女の瞳は水色の、とても美しく。
見つめ合うたびに、この三十年を経た夫でさえ息が詰まるほどのものである。
それを見ながらに、もう二・三言。
なにか、つよがりを口にしようとして。
「えい」
横にあった毛布を、頭にかぶされた。
トーリは私に毛布を被せ、その視界を奪った後に、しがみついてくる。
「何をする、トーリ!」
私は驚いて、悲鳴を上げるが。
かといって、しがみついてくる彼女を跳ね飛ばす事も出来ぬ。
「君は本当につよがりだね。真っすぐに尋ねたら、何もかも答えたかもしれないのに」
ただただ、毛布を被せられ。
トーリに抱きしめられたまま、私は何か言葉を口にしようとして。
「……」
やはり、何も言えないのだ。
私は臆病だった。
トーリに嫌われることは、何ひとつできないのである。
「ねえ、グラン」
毛布越しに、耳元で囁かれる。
吐息は感じず、言葉だけが貫通した。
「何かね、我が愛しき怠惰の姫君」
私は優れた体幹で彼女の全身全霊と思われるハグを受け止めて、尋ね返す。
彼女はこう口にした。
「たまには、一緒に寝ようか」
私は驚いて、びん、と身体が硬直するが。
毛布に包まれたまま、ベッドに押し倒される。
私は彼女の非力に抵抗せず、そのまま倒れた。
「何もせずに?」
私はそれが性的な行為を意味するのではなく。
おそらくは。
「何もせずに、ただ寝るだけさ」
真実を口にせぬ代わりに、彼女が示す愛情。
それを意図するのであろうと理解して。
大人しく、身を委ねた。
ただ眠ろう。
アキレウスの永遠の眠りが。
その眠りが同じ墓に眠る愛妻との、健やかなることを祈って。
私にもいずれ訪れる死という現実を以ってなお、永遠に惚れているであろうトーリという女性と共に。
今日はベッドでただ眠るのだ。
それは、どのような祈りもよりも崇敬に溢れた行為であると思えた。
「そうしよう。ただ眠ろう」
私は目を閉じ、毛布に入り込んできたトーリを抱きしめて。
静かな眠りについた。




