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悠久の魔女と老英雄  作者: 道造


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第十五話 「アキレウスという男の死」


「馬鹿な女だ」


 アキレウスはそう口にした。

 トーリは何も言わない。

 全て語り終えたからだ。

 また、アキレウスも別にトーリに話しかけたわけではない。

 独り言のようなものだった。


「本当に馬鹿な女だ」


 また繰り返す。

 トーリに言われた内容を咀嚼するように、同じ言葉を口にした。


「俺がそんなことを気にすると思っていたのか? なるほど、惚れた女の本性を見抜けなかったのは俺の間抜けよ。だが、だがな」


 そして涙を一滴溢した。


「人とは所詮、そのようなものよ。完全に意思疎通を伝え合うことなど叶わぬ。だから男は惚れた女に対しては幻想を抱いて生きているのだよ。だがな、その幻想が壊れたところで――」


 内心を吐露する。

 女に惚れた男がどういう生き物なのかを説明して。


「惚れた女を嫌いになれる男も、またおらぬのだ」


 アキレウスは全てを受け入れた。

 構わぬ。

 卑怯卑劣でもかまわぬ。

 俺の事を本当に愛してくれたのならば、それで構わぬ。

 

「もっと早くに踏み込んでやればよかった。勝手な幻想を捨て去り、お前を骨の髄まで愛しているのだと告げてやればよかった。そのような後ろめたい思いを俺はさせたくなかったよ」


 ぼたりぼたりと、涙の粒がアキレウスの目から零れ落ちる。

 それは全ての納得だった。

 自分の惚れた女は確かに卑劣な事をしたが。

 そこまで後ろめたいことでもないだろう。

 アキレウスは笑っていた。


「そう彼女に伝えておく?」


 トーリはここで、再度、死者と語り掛ける魔法を使うか尋ねたが。


「いや――どうかな。必要ないかもしれないな。一つ教えて欲しいが、トーリよ」

「何?」

「私が同じ墓に眠れば、彼女とまた語り合うことはできるだろうか?」


 さあ、どうだろう。

 トーリは悩んだ。

 さすがに死後の世界まではわからぬ。


「知らないね。死後の世界は確かにあるけれど、この長命種の私とて死んだことだけはないからね」

「それもそうか」


 呵々とばかりに笑う。

 夜半の静かな声の笑いだった。

 そうして――アキレウスは伝える。


「ならば、死後の世界で彼女に会いに行くとしよう。なあに、彼女は自分が卑怯だと思ってしまう。そのような『恥ずかしがりや』だから、再度見つけるには少しばかりの苦労が必要かもしれぬが――」


 アキレウスは決意した。


「自ら探そう。彼女にもう一度会いに行こう。そしてもう一度告白することにするよ。そして二度と離さないぞ」

「それがいいね」


 トーリは素直に頷いた。

 別に、もう一度アキレウスの妻に話しかけることなど造作もなかったが。

 アキレウスがそうすると言っているのだ。

 これ以上は野暮であった。


「トーリ。礼を言わせて頂く。これでやっと死ねそうだ」

「死ぬの?」

「ああ、死ぬね。自分が一番良く判っている。戦士アキレウスはここまでよ」


 細い、しわがれた腕。

 その手を天井に伸ばしながら、寝そべったままでアキレウスは口にする。


「さて、トーリよ。死に際の私に一つ聞かせておくれ。君は本当にグランのことを愛しているのか?」

「どういう意味?」


 アキレウスは尋ね、トーリは疑問を返した。

 やや不快そうに眉を顰めて。


「きっとグランは君の愛を疑っているよ。私のように。本当に私の事を愛してくれているのかだなんて。長命種の戯れで三十年もの間、付き合ってくれただけじゃあないのかと、ずっと疑っている。その真相が知りたいね」

「アキレウスはワガママだね」


 呆れたようにトーリは答えた。

 そして――どうせ死ぬ人間にはいいかとばかりに。

 こう答えた。


「隠しているその内の一つを今から話すよ。墓まで持って行って、死んでも黙っていてね。それこそグランにだけは絶対に黙っていて」

「ふふ、やはり死んでも黙っていてか。やろうとすれば墓を暴くこともできるのだからな、本気で口にしているのだろうな」


 その墓暴きが出来る存在など、トーリ以外におらぬだろうに。

 そうは思いながらも、アキレウスは約束した。


「よかろう。死んでも黙っているさ。では、お聞かせ願えるか?」

「いいよ。ちゃんと約束してね。私は――」


 トーリは自分の想いを打ち明けて。

 それをアキレウスは全て聞き受けた後。

 うん、と満足そうに微笑んだ。


「もういい?」

「もういいさ。有難う。これでおさらばよ、トーリ。優しいエルフの魔法使い」

「さよなら、アキレウス。貴方は私の夫の親友だった」


 窓を開けて。

 トーリは宙に浮き、そこから飛び去る。

 アキレウスは、本当に満足げに微笑んだ後。

 そうして死んだ。




 ******




「ランタンよ、泣くな」


 背中をさすっている。

 グランはやはり名を隠し、アキレウスの古き友人ゲシュペンストとして。

 アキレウスの葬式に参列していた。

 

「だって、だって。何もしてやれなかった」


 ランタンは泣いている。

 人を笑顔にすることを信条とする彼にとって、アキレウスを失意のままに死なせたことは種族的屈辱だった。

 そして、それ以上にランタンという男そのものが優しかった。


「……」


 グランは、溜め息を吐いた。

 まあ、葬式だ。

 アキレウスの奴めの死を心の底から嘆いてやれる者が参列していることに、ご遺族も不快にならぬだろう。


「ゲシュペンストさん」


 ふと、声がした。

 アキレウスの息子からであった。


「私の父の顔を最後に拝んでやってくれませんか?」

「いや、私は――」


 悲痛に歪んだ奴の死に顔など見たくもない。

 何もしてやれなかった。

 そんな私が奴の顔を拝む資格はない。

 そう考えるが。


「良い笑顔なんですよ」


 アキレウスの息子は、不可思議な事を言った。


「何?」

「その、何といいますか、光に包まれて死んだというか。これは何なんでしょうね」


 彼自身も不思議そうに。

 首を傾げて、こう口にする。


「父が生前、色々と悩んでいることは私も気づいておりました。それが何なのかは私でさえわかりませんでしたが。でも、本当にいい笑顔なんですよ。まるで、貴方達の来訪が父に救いを与えてくれたような――」


 私はアキレウスの息子に誘われて、奴の棺に近づく。

 近づいて、開いた棺の中に眠る、奴の顔を拝んだ。


「――」


 笑っていた。

 確かにアキレウスの奴めは笑っていた。

 もう何も後悔することはないと。


「どこかの詩人は死の間際に『もっと光を!』と言ったそうだけど」


 我が愛しの怠惰の姫君、ファウルハウト。

 私よりも先に、奴の顔を拝んでいた彼女が口にする。


「もう彼に光は必要なさそうだね。ゲシュペンスト。そろそろ棺を閉じるよ。明かりをこれ以上与える必要はない。ちゃんとアキレウスの顔は拝んだ?」

「……」


 私は驚愕して何も言えぬ。

 何故、何故。

 アキレウスはここまで全てに納得したような顔をしている?

 私はそれが不思議で仕方なかったが――。


「ああ」


 我が怠惰の姫君がこう言っている。

 私は頷いて、彼女の言葉を受け入れて、この手で自らに開いていた棺を閉じた。

 アキレウス。

 ひょっとして、お前は真実に辿り着いたのか?

 私とランタンの導き出した答えは誤答であったのか。

 何故か、そのように思えた。

 奴の死に顔は、そんな笑みで溢れていた。



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