第十四話 「甘い束縛」
嫌だったんです。
ずっと嫌だったんですの、私。
このようなあさましい自分を語りたくはありません。
「――」
墓地に立っている。
夜中に、自分のベッドから抜け出して。
アキレウスがこしらえた妻の墓前にて、トーリは立っていた。
墓の下に眠る、アキレウスの妻と会話をする。
世界の何処を探したって、トーリにしか使えない死者との会話の魔法。
「話して。女として大体の予想はつくけれど」
トーリには大方の予想がついていた。
男にはわからぬものだ。
だがトーリには彼女の気持ちがよくわかっていた。
たとえ人とエルフという違いはあれど、女という性には変わりがなかったからだ。
「――かつて仲間であったアキレウスを、失意の中で死なせたくない。そのためには真実を話しておく必要がある」
墓地から悲痛な、めそめそとした声が鳴り響く。
聞こえているのはトーリのぴんと立ったエルフの耳にだけであった。
一呼吸、呻きのような嘆きが響いたのちに。
死者の言葉があふれだした。
嫌なんです。
このような自分を語りたくはありません。
なれど。
なれど、もし私の愛する方が嘆いているというならば。
あの夫が、アキレウスが嘆いているというならば。
全てをお伝えくださいまし。
全て全て、何もかもをお伝えくださいまし。
私の愛する、あの夫に話してほしいのです。
貴方が愛してくれた妻が、どれだけあさましい女だったかということを。
「うん、わかってるよ。そうしてあげる」
トーリはこくりと頷いて。
それから、アキレウスの妻は、死者は静かに語りかけた。
*****
嫌だったんです。
ずっと嫌だったんですの、私。
何が嫌って、貧窮院の院長という仕事がです。
自分が望んで選んだ仕事ではありませんでした。
嫌で嫌で仕方がありませんでした。
先代の院長が突如死んだことで、後任が見つからないために、貧窮院の一番の年長者でしっかりとしている自分がやらざるを得なかったのです。
そりゃあ私も貧窮院のお世話になった立場です。
多少の責任感も使命感もありましたが。
魔王戦争時の混乱期です。
役所はたいして何もしてくれませんでしたし、支援金だって乏しいものでした。
貧窮院の経営には四苦八苦しました。
時には身体を売って金銭を得ようかなんて、考えたことも真剣にあるんですよ。
自分の見栄えには多少の自信がありましたから。
実際には私のような弱い人間は、それをする前に貧窮院から一人だけ逃げ出したでしょうが。
責任も何もかも投げだして。
貧窮院に受けた恩も忘れて。
ですがまあ、なんとかなりました。
ご存知でしょう、勇者グラン様が魔王を打倒したんです。
あれは誰にとっても救いでした。
魔王戦争が終わったとして、混乱の全てがすぐになくなったわけではありません。
ですが、誰もが少しだけ人に優しくする余裕ができました。
まだ子供ばかりですが、貧窮院の子が大きくなった頃には一人前になれるよう仕事を今から与えようと。
手工業者ギルドからお声がけがあり、雇い入れの口も将来の就職先も沢山できましたし。
少しばかりではありますが、報謝をしてくださる商人や市民の方も増えました。
役人からの支援金も多少は増えました。
まあ、本当に皆様少しずつではありますが、他人に優しくなれたんです。
困っている孤児や、その院長に手を差し伸べる余裕が出来たんです。
そんな時でした。
あの人が現れたんです。
そうです、あの頑健な身体をした、背高のっぽのあの人です。
アキレウスさんでした。
「何か御用でしょうか?」
私は初め、あの人があまりにも大きくてビックリしたことを覚えています。
優しい顔をしてらっしゃいましたが、それでも怖かったですよ。
ビクビクとして、私といえばまあ餓えた野良猫のように警戒していた記憶が残っています。
「報謝を」
話をよくよく聞いてみれば、単に少額の寄付を。
いえ、あの人にとっては少額だったのかもしれませんが、私にとっては大金でした。
銀貨ではち切れそうにいっぱいだった袋を、丸ごとくださったんです。
この袋一つあれば、何十人もいる孤児たちを一ヵ月は食べさせてあげられます。
とても有難い話でした。
私と言えばぺこぺこと頭を下げるだけで。
お茶もお菓子も何一つ出せず、恥じ入るばかりでしたから。
そんな私の事を哀れに思ったのか。
アキレウスさんは今後も継続した報謝を約束して、その日は立ち去りました。
それからです。
私とアキレウスさんの交流が始まったのは。
あの人は週に一度現れて、沢山の金銭を送ってくれました。
それだけではありません。
茶も菓子もないのならばと、自分で持ち寄ってくださったんです。
いえ。
確かにそれも有難かったんですが。
大事なのはそうじゃないんです。
本当に嬉しいのは、私個人を見てくれていると知ったことでした。
「その、なんだ。今日は院長先生。貴女個人にもプレゼントがあって」
と。
「たまには院長先生も、お洒落を如何ですかな」
そう言って、髪飾りや装飾品を贈ってくださったんです。
恥ずかしいことを言います。
男性から贈物をもらったのは、生まれて初めてのことでした。
あの時、私がどれだけ胸ときめいたか、わかってくださいますでしょうか。
私はずっと貧窮院という狭い世界で生きてきて。
そりゃあちょっといいなあという男性を想うことはありましたが。
そんなの、ただの幼稚なもので。
私は初めて男性に惚れたんです。
これが本当の初恋でした。
お安い女だと思いますか?
私もそう思います。
笑っちゃうほど安い女です。
その日、好きな人が初めてできました。
それからの日々は楽しかったです。
初恋なんです、浮かれても当然でしょう?
アキレウスさんが一週間に一度訪ねて来られるのが待ち遠しくて仕方ありませんでした。
来られる日には、頂いた装飾品を身に着けて、髪もよく梳いて。
精一杯、自分が女として見られる努力をするようになりました。
それが良くなかったのかもしれません。
ある日、報謝してくださっている豪商がとんでもないことを言いました。
私の後妻になってくれないかと。
お断りです。
アキレウスさん以外の男の妻になるなんて、ありえないことでした。
ですが、報謝してくださっている豪商には玉虫色の返事を返すしか出来ません。
あまり時間はありませんので。
嗚呼。
トーリ様。
私がここで何をしたか、おそらくは貴女ならば、ご賢察いただけることかと。
とても卑怯な事をしました。
少し話を歪め、貧窮院の子供の一人に小遣いを握らせてそそのかしました。
アキレウスさんに耳打ちを試みました。
貧窮院の院長先生が、四十歳を超えたデブのオッサンの愛人にされようとしていると、アキレウスさんはそれでもよいのかと。
本当のところ、豪商さんはまだ三十台でしたし、そこそこのハンサムでしたし、正式な後妻でしたが。
それでもアキレウスさん以外は嫌だったんです。
私の気持ちを分かって頂けますか?
アキレウスさんが悪いんです。
あんなにも、今日もお美しいだなんて、会うたびに褒めてくださるから。
だから、成功する確率は高いと思っていました。
私を攫っていく。
「きみをつれていく」と。
その告白をしていただけると思ったんです。
ええ、あさましいことを言います。
その後の貧窮院がどうなろうかなんて知ったことではありませんでした。
だってそうでしょう?
問題は――アキレウスさんがいい人すぎたことでしょうか。
「俺は遊んで人生を何度も繰り返せるだけの財産を持っている。貧窮院への数十年の報謝と引き換えに、貴女が俺の妻になるというのは如何か? ずっとこの提案を考えていた」
きっと、悩んだのだと思います。
アキレウスさんは責任感のある方でしたから、私が貧窮院を見捨てることはないだろうとか。
そんな勘違いをしていたのだと思います。
そんなことはありません、私はアキレウスさんが「きみをつれていく」と口にしたならば、何処にだって付いて行ったことでしょう。
貧窮院の院長後任など、知ったことではないとばかりに。
どうせ誰かがやるだろうと言わんばかりに。
そんな、あさましい女なんです。
ですが、アキレウスさんにそれを口にすることはできませんでした。
だって、そうでしょう?
惚れた男に対して、自分はそんな見下げ果てた人間だなんて口にすることのできる女がどれだけおりましょうか?
見栄をはりました。
何はともあれ、アキレウスさんは告白してくれました。
だから、半分は成功です。
私はそれを受け入れました。
嗚呼。
それでも、私が残念に思ったことは伝わってしまったのでしょう。
アキレウスさんは、色々と苦悩していた素振りを覚えています。
あの時代に、街一番の服飾屋に頼んで新品のドレスを一着用意してくださいました。
ちゃんとした結婚式をしました。
もう一度告白をしてくださいました。
ずっとずっと覚えているんです。
「一生貴方を愛すると誓います。これから先は健やかなるときも病めるときも、喜びのときも悲しみのときも、富めるときも貧しいときも、貴女だけを愛し、敬い、命ある限り真心を尽くすことを誓います。ですので、どうか俺の妻となって頂けないでしょうか?」
あの言葉をずっと覚えているんです。
忘れるわけがありません。
女という性は、ずっとそういったことを覚えている生き物なのです。
「私などで宜しければ、ずっと一緒におりますよ」
震える唇でそう答えたことを覚えています。
あの時の告白と一緒に頂いた食用花の花言葉も。
『甘い束縛』でありました。
脳が蕩けそうになるほどの歓びでした。
そうです、そうです。
私はあの時、心臓が爆発して止まりそうなほどに喜んでいたんです。
それからは楽しくありました。
アキレウスさんが財産の殆どを貧窮院のために手放してしまった。
それは多少惜しくありましたが、そのような言葉を口にできるわけがありません。
私はアキレウスさんの理想の女。
そうでなければなりません。
そうでなければ、この幸せを手放してしまいますから。
アキレウスさんを手放してしまいます。
彼に嫌われてしまいます。
それだけはあってならないことでした。
貧窮院に寄付をして、ささやかな財産が残りました。
それでよかったんです、私はアキレウスさんと暮らしていく。
子を産み、きっと楽しく暮らしていく。
ずっと、自分が彼に見合わない「あさましい」本性を隠したままで。
夫が私に何か引け目を感じているのは気づいておりました。
ですが、その勘違いを否定することを私はしませんでした。
死ぬまでずっと絡めとる。
これはまさに、告白の際に送られた花の花言葉と同じ『甘い束縛』でありました。
彼は、我が夫は。
財産の殆どを寄付した後も、私に苦労はさせないと言わんばかりに。
それはとてもよく働いてくれました。
髪飾り、首飾り、指輪、花、私に喜んでもらえると考えた贈物なら何でも贈ってくださいました。
もちろん、それはそれで嬉しい事この上なかったのですが。
それより夫が欲しかった。
無理をしなくてよい、二人だけの時間を過ごそうと何度も口にしました。
もちろん、その言葉もちゃんと聞いてくれて、一緒に過ごしました。
蜜月とはああいうことを言うのでしょうね。
やがて時代は流れました。
ちゃんとした都市の役人が貧窮院を運営してくれることになって。
やっと、嫌で嫌で仕方なかった院長の仕事から逃れることができました。
責任から解放されたんです。
そして子に恵まれました。
孫にも恵まれました。
だから、だから私は幸せな人生を送りました。
至上の幸福でした。
ですが、どうしても考えてしまうことがあるんです。
夫が、アキレウスが、私の醜い本性を。
このあさましさを知っていたならば、告白してくださったでしょうか?
多分、してはくれなかったと思うんです。
だから墓まで持っていきました。
死ぬまで自分の卑劣を黙っておりました。
ですが心残りがあります。
夫は、流行病にかかった私の死に際に、こう尋ねてきました。
「なあ、我が妻よ。お前は俺があの日、金ずくでお前の愛を勝ち取るような真似をした。そのことを恨んでいないかい。俺はあの時の事を今でも後悔しているんだ」
ごめんなさい。
私はとても卑劣な方法で、貴方からの、アキレウスの愛を勝ち取りました。
ですが後悔なんてしていないんです。
私はとてもあさましい女で、貴方からの愛を勝ち取るためなら、きっとどんな卑劣を働いても悪いとは思えないんです。
だから、私は最期に、こう口にしました。
「甘い束縛だったわ。とっても」
私は死ぬまでずっと幸せでした。
私は夫に依存していました。
院長だった苦境の時も、告白を受け入れて幸せになってからも、何もかもを頼りきりの人生でした。
あの人にはもっと、優れた、立派な、このようなあさましい女よりも。
アキレウスに相応しい女性と添い遂げる権利があったでしょうに。
私は最期の最期まで卑劣を貫いて、この卑劣を墓まで持っていきました。
あの人に死んでからもずっと想って欲しかったから。
ですが。
ですが、墓まで暴かれては仕方ありませんね。
もし、アキレウスが、我が夫がそのような誤解と苦悩をしているのならば、しようがありません。
トーリ様、全てを仔細なくお伝えください。
貴方が愛してくれた女は、このようにあさましく。
貴方を死ぬまでどころか、死んだあとまで束縛してしまったと。
深く詫びていたことを、我が夫にお伝えくださいまし。




