第十三話 「どうか真実を!」
深夜二時を過ぎたころ。
俺は一人静かに眠っていた。
ゲシュペンストたちが肩を落として帰った後、病院の個室にて静かに眠っていた。
老いていたし、やせ細っていた。
寿命も残り少ないだろう。
だが、その戦士アキレウスとしての感性までを忘れたわけではない。
「何者か? あまり騒いで、他の病人に迷惑をかけたくはない。静かにしておくれ」
俺は目を開き、尋ねた。
何者かの気配を近くに感じたのだ。
それが何者であろうと構いはしないが。
死神だろうか?
誰かの恨みを買った覚えなど人生で一度もないが、自分の死は近い。
これがもし夢定かならぬ中でないならば、死神が見えても不思議ではない。
自分の下に訪れても何一つ不思議ではなかった。
それでもよかった。
このまま自分は失意の中に死ぬのだろう。
ただ、訪れたる相手は確かに人という種族ではなかったが、死神でもない。
エルフである。
真の魔法使いである彼女にとって、深夜の病室に忍び込むことなど造作もなかった。
「こんばんは、アキレウス。夜分にお邪魔するよ」
「こんばんは、怠惰の姫君。ファウルハウト。いや、この場ではトーリと呼ばせて頂くべきかな?」
「どちらでもいいけど」
凛とした声。
少しだけ小首をかしげ、ナズナの花飾りが揺れている。
彼女が好きな、永遠に咲く花。
グランの贈物。
花言葉は「あなたに私のすべてを捧げます」。
俺が贈った花のような醜き花言葉とはまるで違うものだ。
それを身に着けた、彼女がどちらでもよさそうに。
それでいて、ちょっとだけこちらに妥協を求めるように口にする。
「今日は私なりに頑張ったから。怠惰の名は返上しておきたいところだね。トーリと呼んでほしい」
「そうさせて頂く。君の名を呼ぶのは本当に久しぶりだが」
俺は、アキレウスは理解した。
今日この場にてはトーリと呼ばせてもらおう。
しかし、頑張ったとは何をだろうか。
「まず、アキレウス。謝らなければならないことがあるよ」
「何かな?」
「そこの花なんだけどね。花を活ける際に水を作る魔法をかけたことは覚えてる?」
視線を壺に移す。
まだ花は枯れておらず、瑞々しいままであった。
「これが何か?」
「ついでに別な魔法を一つかけた。諜報の魔法さ。君とグラン達の会話は全て私に筒抜けだったというわけさ」
「――なるほど」
ということは、あの時点でトーリは病室から出て行ってほしいと。
このアキレウスが言い出すことを予期していたらしい。
さすがに英知ある長命種である。
見事なものだ。
「君が聞かれたくない話を興味本位で聞いた無礼を先に謝っておくよ。ごめんね」
「いや――今さらさ。許すよ」
怒る事なのかもしれない。
だが、今更よ。
恥はすでに掻いたし、もう明日明後日には死ぬのだ。
身体がそう訴えている。
それに、俺のような罪人に被害者ぶって何かを訴える権利があるのだろうか?
ありはしないだろう。
「話はそれだけか? トーリよ。その謝罪に訪れたか?」
「いや、違うね。グランが間違った回答を出していたから、それを妻として。そしてアキレウスのかつての仲間として正しに来た」
間違った回答?
どういう意味なのかさっぱりわからぬ。
俺が導き出した。
そしてランタンもグランも嘘をつかざるを得なかった。
『甘い束縛』は、結局のところ彼女の生涯を私が拘束したことへの評価であった。
彼女が残した、ささやかな呪いの言葉であった。
そのはずであるが。
「ねえ、アキレウス。私は面倒ごとを避けるために、人に隠していることが沢山あるよ。それこそ自分の怠惰のために、それこそグランだってそれに薄々気づいていて、私にあえてなにか質問を避けることが沢山ある。怠惰にならずにいられなかったのさ」
「そうだろうなあ」
長命種とは、長く生きるということは。
我々人間と違うということは、そういうことなのだ。
それを承知でグランは彼女を愛した。
だから、本当に困って何も言えずに。
ちゃんとした夫婦ならば踏み込めることでも、踏み込めないことが沢山あるだろう。
グランは直情的な性格だから、大層苦労したに違いない。
それでも口には決して出さなかった。
男とはそういうものなのだ。
本当に惚れた女相手には、赤子のようにどうしてよいかわからなくなるのだ。
とても臆病になる。
だから、今から話す事も、おそらくグランは知らないことなのだろう。
「隠しているその内の一つを今から話すよ。墓まで持って行って、死んでも黙っていてね。それこそグランにだけは絶対に黙っていて」
死ぬまで黙っていてね、ではなく。
死んでも黙っていてね、と来たか。
そしてグランにさえ教えられないという。
よかろう。
そんな秘密を最期に抱えて逝くのも悪くない。
「どうせ死を待つ身だ。墓まで持っていくだけでなく、死んでからも永遠に貴女の秘密を守ることを約束しよう。トーリ」
俺は誓いを述べた。
トーリは少しばかり沈黙を置いて。
こう口にした。
「私は死者と会話できる魔法を習得している。こんなことをできるのは世界でも私一人だけだろうね。尊敬してくれてよいよ」
それはとんでもない秘密だった。
もし人が知れば、それこそ愛する者を無くした人間が。
どうか一度だけでもと、何をしてでもと。
全財産を差し出しても、自分の命を差し出しても。
彼女に死者との会話を、意思疎通をと嘆願する者が押し寄せるほどに。
「本当に?」
その何をしてでもの分類に入るのは、ここにもいる。
俺はそれが信じられなくて、トーリに尋ね返した。
「本当のことだよ、アキレウス。すでに君の知りたい事は彼女に尋ねてきた。君の妻だった彼女に、何もかもを」
トーリはただいつもの冷静な表情で、そう呟くのみである。
俺は動揺しかけて、それを必死に抑えて。
「では、では。真実を知っているのだな!」
俺は、それでもあふれ出る感情を抑えきれずに彼女に尋ねた。
彼女は答えた。
「全て知っている。彼女が『甘い束縛』だなんて遺言を残した真実を。その言葉の意味を。どういう意図であったのかを」
トーリは、感情を見せずに。
こう口にした。
私たちが『甘い束縛』に出した回答。
「その結論を先に教えておくよ。アキレウスも、グランも、ランタンも。大いなる勘違いをしているんだよ。全て誤答さ。真実は違うよ」
それはまるっきり違うと。
では、なんだ。
それがなんなのか。
「教えてくれ、トーリ。全て教えてくれ」
私は細くなった腕を、手を伸ばし、嘆願をする。
なんでも差し出そう。
どのような誓いでも交わそう。
だから、だから。
「何を代価に差し出してもよい、どうか真実を!」
俺はそれだけを望む。
もうそれ以外は何もいらないのだ。
だから。
「どうしても聞きたい? 聞けばガッカリするかもしれないよ?」
トーリは少し躊躇ったが。
「人間、エルフ、どちらも変わらず。女というものの本性が如何に醜いかを知ることになるだろうけれど。それでもというなら」
俺が望みを変えないことを理解して。
やがて、闇夜の中で静かに語り始めた。
「語るよ。全ての真実を」
それは俺の惚れた女が。
生前、どんな感情を抱いて、俺の妻でいたのか。
そんな全てをさらけ出す話だった。




