第十話 「戦士アキレウスの後悔」
結婚式はささやかな物であった。
ささやかであるが、キチンとしたものをと。
拒む彼女に俺が嘆願をして、せめて新品のドレスくらいはと街一番の服飾屋に頼んだ。
誠に恥ずかしい話だが。
告白に失敗したことへの穴埋めというか、いいところを見せようと必死だったのだよ。
この戦士アキレウス、背後に庇護し守るべき民がおる際は、いかなる化物にも退いたこともないが。
惚れた女にだけは、どうしてよいかわからなかった。
そこのランタンよ、矮人はよく年齢が判らぬが、まだ若いのであろう。
恋は知っておるか?
本当の恋は知っておるか?
男はな、どうでもよい女には素直に性欲だったり、女は守られるべきであるという原理だけで行動をするが。
本当に心底惚れぬいた女に対しては、もうどうしてよいかわからなくなるのよ。
それこそ赤子のように無防備かつ臆病者になるものよ。
嫌われたくない。
愛されたい。
そんな気持ちでいっぱいになるものなのだ。
繰り返すが、告白の失敗を取り戻すために必死だった。
だから、もう一度告白をした。
その頃の首都マインツとはいっても食用花以外には栽培されておらず、あれよ、ゲシュペンストがファウルハウトに捧げた花と同じ花よ。
あれを捧げてこう口にした。
まるで騎士のように。
「一生貴方を愛すると誓います。これから先は健やかなるときも病めるときも、喜びのときも悲しみのときも、富めるときも貧しいときも、貴女だけを愛し、敬い、命ある限り真心を尽くすことを誓います。ですので、どうか俺の妻となって頂けないでしょうか?」
そうよ、誰もが惚れた女に一度限り許されたる告白を行ったのだ。
もう一度、告白をやり直したのだ。
町一番の服飾屋が作った、御自慢の新品のドレス。
それに身を包んで、彼女はこう答えた。
「私などで宜しければ、ずっと一緒におりますよ」
今度は笑って答えてくれた。
許されたと。
あの時のミスを、醜き告白を許してくれたのだと思った。
そうして結婚生活が始まった。
俺はな、約束通り生涯を何度も繰り返し遊べる財産の殆どを、貧窮院への寄付にあてたよ。
その後に余った財産でも、彼女とささやかな暮らしをする分には問題なかった。
それでも彼女に、妻に少しでも贅沢をさせてあげたかった。
幸い、この戦士アキレウスは剛力である。
魔王戦争時代が終わり、都市開発のために力仕事など探せばそこら中にあった。
毎日何人分もの仕事をこなしては、色々なものを贈ったよ。
髪飾り、首飾り、指輪、花、喜んでもらえると考えた贈物なら何でも贈った。
彼女は喜んでくれたよ。
同時に、無理をしなくてよい、二人だけの時間を過ごそうとも彼女は口にしたが。
そうだな、時折は実際にそうしたよ。
結婚生活は悪くないものであった。
何一つ乱れの無い、穏やかなものだったよ。
やがて時代は流れ都市が復興し、貧窮院にも予算が出るようになり、ちゃんとした都市の役人が貧窮院を運営してくれることになって。
彼女も貧窮院の院長という立場から離れた。
そうすると二人の時間も増えてな、やがて子も出来た。
お前も家で出会っただろう?
今ではあやつも婚姻をして、孫もいるんだ。
俺は幸せな人生を送ったよ。
それは間違いない。
それは主に対しても、神に対しても、断言できる。
ただ、ただな。
本当にこれで良かったと思ってしまう時がある。
「彼女は俺の事を本当に愛してくれていたのだろうか?」
と。
本当は愛してくれず、貧窮院のために自分の身を犠牲にしたのかもしれない。
そう思う時がある。
いや、最初はそうだが、途中からは許してくれたのかもしれない。
そう思う時もある。
愛していたのだよ。
この戦士アキレウスは彼女に心底惚れぬいていたのだ。
だから、聞けなかった。
怖くて聞けなかったのだ。
「本当に俺を愛してくれているのか?」という問いが出来なかった。
三年前に彼女がついに亡くなるまで。
なんと二十七年もの時を要して、ようやく一度きり尋ねた。
「なあ、我が妻よ。お前は俺があの日、金ずくでお前の愛を勝ち取るような真似をした。そのことを恨んでいないかい。俺はあの時の事を今でも後悔しているんだ」
と。
老いてなお美しい、そんな愛妻は。
彼女は震える口で答えたよ。
「甘い束縛だったわ。とっても」
と。
それが彼女の最期の言葉であった。
どういう意味かと再度尋ねようと勇気を出した時に、彼女は事切れていた。
俺は泣いたよ。
号泣した。
そして、お前に八つ当たりの手紙を送った。
そうよ、あの手紙よ。
なあ、ゲシュペンストよ!
俺はあの怠惰の姫君には確かに好意を抱いていたが。
今の妻を差し置いて、あんなことを本気で考えていたのではないよ。
本当に単純な、ただの八つ当たりの手紙で。
同時に、ふとお前に会いたくなったのよ。
一つ、話がしたくなった。
なあ、ゲシュペンストよ。
お前は確かにファウルハウトの心を射止めた。
そのはずだよな。
だが、それが真実であると誰が証明してくれる?
お前も悩んだことはないか?
彼女はただ、長命種ゆえの気まぐれで自分に付き合ってくれているのではないかと。
余計なお世話だ?
まあ、そりゃそうだ。
だが、わかるぞ、やはりお前も疑っている。
自分の惚れた女が、本当に自分の事を愛してくれているかを疑っているのだ。
――そう怒るな。
別にお前を侮辱しようと思っての言葉ではない。
ただな、やはり俺は遅かった。
死に際にあんな質問をするんじゃなくて、もっと早くに真偽を尋ねるべきであった。
俺を愛しているかどうかについて。
もし本当は愛していないのであれば、若い頃に離婚すべきであった。
彼女に暮らしていける財産をくれてやり、自由にしてやるべきであった。
それが本当の愛というものではないだろうか。
そんなことを考えている。
だからな、ゲシュペンスト。
これは俺の最期の忠告だ。
もしファウルハウトからの愛を疑っているのならば、早めに尋ねることだ。
そうでなければ後悔を抱いてお前は死ぬことになると、予告してやる。
嗚呼。
それにしても、彼女の言葉。
「甘い束縛」とはどういう意味であったのだろうな?
俺は俺なりに必死に考えたのだが。
やはり、彼女は俺の事を愛していなかったのではないかな。
だが、俺は俺なりに必死に彼女を愛そうとした。
彼女の望みの全てを叶えようと足掻いた。
その努力だけは認めてくれたから。
それを「甘い束縛」と呼んだのではないかな。
だとすれば、俺は喜ぶべきなのかな。
それとも悲しむべきなのか。
ゲシュペンストはこれについてどう思う?
わからぬか。
ランタンはこれについてどう思う?
やはり、わからぬか。
おそらく、俺はこれについて悩んだまま死ぬのであろうな。
それを思うと少し心細いよ。
さて、この戦士アキレウスの話はこれで終わりよ。
情けない愚痴の話よ。
世間では、魔王戦争時代にちょいと活躍した戦士が、全財産を貧窮院に喜捨して、その院長を嫁に迎えた。
そんな美談で通っているが。
真実とは常に冷たいものよ。
なあ、ゲシュペンスト。
なあ、ランタンよ。
申し訳ないが、再度問う。
どうして彼女は「甘い束縛」だなんて言葉を口にしたのだ?
俺はそれを知るまで、死んでも死に切れぬ。
一つ、古き仲間として頼みがあるのだが。
もししばらく、この町に滞在するつもりならば――どうかこの謎を解き明かす手助けをしてくれぬか?




