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05 伝心

 咲弥たちはドラゴンの背中に乗って、恐竜のもとに向かうことになった。

 陽菜はまだわずかに震えながら咲弥の身に取りすがっているが、その目には好奇心の光も瞬いている。もとより咲弥たちは恐竜よりもとんでもない存在と親交を深めているのだから、怯えてばかりもいられなかった。


 恐竜は、岩場に固定されている。

 その上にのしかかったゴーレムの残骸はスライムのようにどろりとして見えるが、その形状のまま固形化しているのだ。横向きの姿勢で固定された恐竜にできるのは、巨大な口で雄叫びをあげることだけだった。


 数メートルの距離まで近づくと、耳をつんざくようなボリュームである。

 それでアトルとチコが「ひゃわー」と両耳をふさぐと、ドラゴンが「ふむ」と思案した。


「コメコ族は聴力が優れている上に、自分の意思で調節することもままならぬのだな。ロキよ、世話をかけるが、あれなる恐竜の口を閉ざしてもらえようか?」


「……イサイショウチ」


 恐竜の首もとを固定していた暗灰色の塊がどろりと溶け崩れて、恐竜の口もとを包み込む。それで雄叫びをあげることができなくなった恐竜は、上向きに位置する青い瞳に熾烈な怒りの炎を燃えあがらせた。


「えーと、あれじゃあ知性があるかどうかを確かめることもできなくなっちゃうんじゃない?」


「口を開かずとも、念話で語ることは可能である。ただし、生まれたての身では念話を扱えぬ可能性があるので、我があやつの思考を走査するとしよう」


 落ち着いた声で答えながら、ドラゴンは恐竜の鼻先に着陸した。

 あらためて、途方もない巨体である。全長は、ドラゴンの倍ほどもあるのだ。なおかつ、頭部は体長の二割を占める巨大さであるので、人間などひと呑みにしてしまえそうな迫力であった。


 陽菜は咲弥の身にひしと取りすがりながら、怖々と恐竜の姿を見つめている。

 アトルとチコは驚嘆の表情、ケイは興味津々、ルウは沈着なる学者のごとき眼差し、ベエは無関心、スキュラは皮肉っぽい眼差し、ユグドラシルはあどけない笑顔、ゴーレムは相変わらずの無表情――まったくもって、反応は人それぞれである。


 そんな中、咲弥は一心に恐竜の青い瞳を覗き込む。

 そこに渦巻くのは、純然たる怒りの思いだけだ。まあ、このように身動きを封じられては、知性があろうとなかろうと怒るしかないのだろうと思われた。


「……走査は、終了した」


 と、ドラゴンが穏やかな声で告げてくる。


「これなる恐竜は我にとっても初めて相対する存在であるため、いささか判断に迷うところもあるのだが……結論から言うと、知性は存在する。ただし、生まれたての身であるために、知性を働かせるすべがないのだ」


「なるほど。元来の個体種であれば自然に知恵をつけることもかなうが、この者にはそのすべがないのじゃな?」


「うむ。魔力のほどは個体種に匹敵するが、知性は群体種に等しいのだ。程度としては、人間族と同等か……わずかに劣っているていどであろうかな」


「ふン。そいつは、危なっかしいこったねェ。個体種なみの魔力を持ちながら知性が足りてないなんて、そこらの魔獣より厄介じゃないのさァ」


 やっぱり咲弥には、魔族の機微というものがわからない。

 だから、自分のわかる領域に話を引っ張り込むことにした。


「つまりこの子は、生まれたての赤ん坊ってこと? 成長すれば、きちんとコミュニケーションできるの?」


「うむ。どれだけ成長しても、知性は人間族の幼子ていどであるやもしれんが……いずれは、言葉を解することもできような」


 であれば、咲弥の側に迷う理由はない。

 あとは、それが可能であるかどうかであった。


「それならあたしは、この子をきちんと育ててあげたいよ。……それって、可能なのかなぁ?」


「それはべつだん、難しい話ではあるまいな」


 ドラゴンが優しい声音で答えると、ケイが「おいおい」と声をあげた。


「どこが難しくねーんだよ? こいつはロキの全力のゴーレムと互角にやりあってたんだぞ?」


「ええ。私であれば、このように拘束することもかなわなかったでしょう。この者の動きを止めるには、絶命の寸前まで傷つける他なかったかと思います」


「うむ……生まれたてでこの魔力とは、ゆくゆくは我を凌駕するほどの存在に育つのではなかろうか……?」


 それが、ケルベロスたちの見解であった。

 しかし、ドラゴンの穏やかなたたずまいに変わりはない。


「その膨大なる魔力を封印すれば、さしあたって危険はあるまい。問題は、心根のほうであるな」


「心根?」


「うむ。どれだけ魔力を抑え込もうとも、この者は肉の身としても大した膂力を備え持っている。それで先刻のように暴れられては、けっきょく山を傷つけられることになろう」


 危険な魔族の魔力だけを封じても、危険な野獣のごとき存在に成り果てるだけということだ。これだけの巨体であれば、それも納得の話であった。


「よって、この者の心根に安らぎを与える必要があるのだが……それには、サクヤの助力が必要であろうな」


「うん? あたしに何ができるのかなぁ?」


「何も難しい話ではない。この者の幼き心根に、サクヤの思いを届けるのだ」


 そう言って、ドラゴンは咲弥のもとまで顔を下げてきた。


「この者は、この山の魔力で生まれたこと。この山の所有者は、サクヤであること。そしてサクヤはこの山とこの山で生まれた存在を大切に思っていること。……それらの思いを、この者の心に届けてほしく思う」


「……それを、どうやって伝えるの?」


「我が、念話で伝えよう。どれだけ知性が未熟でも、強き思いは心に刻みつけられるはずであるからな」


 ドラゴンの尻尾の先端が、咲弥の胸もとにのばされる。

 陽菜の小さな身を抱き止めたまま、咲弥はその温かな尻尾をつかみとった。


「集中して、念じるのだ。目を閉ざして、視覚の情報を遮断するべきであろうな」


 咲弥はドラゴンの言葉に従って、一心に念じた。

 咲弥の中に、迷いはない。この恐竜が七首山の力で生まれたというのなら、それは咲弥にとって大切な存在であるのだ。


 凶暴化したキバジカや異常繁殖した巨大ガニは食べて供養するしかなかったが、コミュニケーションできる相手であれば限界のぎりぎりまで相互理解に努めたい。それもまた、人間ならではの驕りであるのかもしれなかったが――しがない人間にすぎない咲弥は、自分の気持ちに従うしかなかった。


(あたしは、キミとも仲良くしたいよ。一緒に、この山での暮らしを楽しもう?)


 まぶたを閉ざした暗闇の中で、咲弥はそんな思いを捧げる。

 そうして咲弥の中で、ふっと時間の感覚が失われかけたとき――ドラゴンの温もりが指先から逃げていった。


「完了した。では、この者の魔力を封印する」


 咲弥がゆっくりまぶたを開くと、恐竜の頭上に燃えるような真紅の魔法陣が浮かびあがっていた。

 そして恐竜は、ぐったりとまぶたを閉ざしている。口もとがふさがれているために、見える場所は限られていたが――それでもそれは、安らかな寝顔であるように思えてならなかった。


「……これだけの魔力を、簡単に封印できるのかよ。やっぱ、おめーはバケモノだなー」


 そのようにつぶやくケイの声には、驚嘆の響きが入り交じっている。

 そんな中、真紅の魔法陣がいっそう激しく燃えあがり、消失した。


「生存に必要な魔力だけを残して、封印した。ロキよ、手数をかけたな」


 ゴーレムはうんともすんとも答えぬまま、恐竜の拘束を解除した。

 巨大ゴーレムの身が再びとろけて、恐竜の上を流れ落ち、大地へと還っていく。それでようやく、恐竜の全容が咲弥たちの眼前にさらされた。


 とはいえ、体長十メートル以上の巨体であるため、このような間近からでは視界に収まりきらない。

 するとドラゴンが、「ふむ」と声をあげた。


「この姿では、歩くだけで山に悪しき影響を与えてしまおうな。ここは、もうひと手間かけるしかあるまい」


 ドラゴンが尻尾をひと振りすると、恐竜の巨体が真紅の閃光に包まれた。

 アトルとチコが「きゃー!」と声をあげ、咲弥は反射的に目を閉ざす。それからおそるおそるまぶたを開けると――恐竜の巨体が、分裂したケルベロスと同程度のサイズに縮んでいた。


「わー、かわいい!」と、陽菜がひさかたぶりにはしゃいだ声をあげる。

 極彩色の羽毛を生やしたティラノサウルスのごとき恐竜が、両手で抱えられるていどのサイズに縮んでしまったのだ。もとよりこちらの恐竜は尻尾を差し引くと三頭身ていどのプロポーションであったため、ずんぐりとした可愛らしい姿に成り果ててしまった。


「これは質量を凝縮する魔法であるため、どれだけ小さくなっても身の力に変わりはない。その顎は、丸太を噛み砕くほどの力であろうな」


 ドラゴンが、静かな声でそう言った。


「よって、サクヤとヒナには触れられぬよう、護符に術式を追加した。危険がないと知れるまでは、その状態で過ごしてもらいたい」


「うん、わかったよぉ。ドラゴンくん、色々とありがとう」


「否。我は、サクヤと見解が一致したことを喜ばしく思っている」


 と、ドラゴンが優しく目を細めたとき――恐竜が、ぱちりと目を開いた。

 右目は黒、左目はサファイアのごとき青色だ。その二色の瞳で周囲を見回した恐竜は弾かれたような勢いで身を起こし、「ぐるる……」と威嚇のうなり声をあげた。


「おいおい。ちっとも大人しくなってねーんじゃねーの?」


「否。起きぬけにこれほどの人数に囲まれていては、警戒して然りであろう。悪いが、皆々は身を引いてもらえようか?」


 ドラゴンの言葉に従って、咲弥と陽菜を除く面々は後ずさっていく。

 そして咲弥もそれを追いかけようとすると、ドラゴンに引き留められた。


「サクヤは、この場に残ってもらいたい。先刻の念話がサクヤの思いであることを、この者に教え込む必要があるのでな」


 すると、アトルとチコがちょこちょこと駆け寄ってきて、陽菜におずおずと手を差し伸べた。

 陽菜は咲弥のもとから身を離し、左右の手で二人の手をつかみ取る。そして咲弥に励ますような笑顔を向けてから、二人と一緒に下がっていった。


 咲弥はドラゴンと二人きりで、小さな恐竜と相対する。

 恐竜はうなるのをやめて、うろんげに咲弥の顔をにらみつけていた。


「……はじめまして。あたしは大津見咲弥ってもんだよぉ」


 無駄と知りつつ、咲弥はそのように呼びかけた。

 たとえ無駄でも、咲弥にとって必要な行いであったのだ。魔法を使えない咲弥は、言葉で思いを伝えるしかなかった。


「キミもいきなりこの世界に引っ張り出されて、びっくりしちゃっただろうねぇ。なんにも怖いことはないから、あたしたちと仲良くしてもらえないかなぁ?」


 それでも恐竜は警戒心をあらわにして、低く身を伏せている。

 そこで咲弥は、ひとつの事実に思いあたった。


「ねえ。もしかしたら、このコはあたしがドラゴンくんの魔法で守られてることがわかってるんじゃないかなぁ?」


「うむ? そうであるな……知性は未熟でも、感知のすべは備えているやもしれん。その可能性は、大いにあろう」


「だとすると、出会った頃のスキュラさんみたいに、それだけで警戒しちゃうんじゃない?」


 ドラゴンは咲弥に驚きの眼差しを向けたのち、ふっと目を細めた。


「サクヤの豪胆さには、恐れ入るばかりである。しかし、あやつに噛まれれば、生命も危ういのであるぞ?」


「うん。だけど……」


「相分かった。何が起きようとも、我がサクヤを守ると約束しよう」


 ドラゴンは、ゆったりと尻尾を振った。

 それと同時に、恐竜が伏せていた身をすっと起こす。その色の異なる両目には、どこかきょとんとしているような光が瞬いていた。


「これでいいかなぁ? あたしと仲良くしてくれる?」


 咲弥はその場にしゃがみこみ、恐竜と同じ目線で笑いかけた。

 すると――恐竜が、ひょこひょこと進み出てくる。やはり小さな姿であるため、とても愛くるしい挙動であった。


 手をのばせば届くぐらいの距離にまで近づいた恐竜は、咲弥の顔をじっと見つめ返してくる。

 それこそ宝石のように輝く、つぶらな瞳だ。それは確かに、生まれたての赤ん坊のように無垢なる眼差しであった。


 恐竜は大きな口を小さく開けて、「ぎゅう」という奇妙な声をもらす。

 そして――さらに前進すると、咲弥の膝に頭をこすりつけてきたのだった。


「ありがとう」と、咲弥は恐竜の背中をそっと撫でる。

 羽毛に包まれたその背中は、ドラゴンともケルベロスとも異なる魅力的な手触りであった。


「我の想定以上に、心が通じていたようであるな」


 優しい声音で、ドラゴンはそう言った。


「では、それなる者に名を与えてはどうであろうか?」


「名前? あたしがつけちゃっていいのかなぁ?」


「うむ。サクヤの他に、相応しき者はおるまい」


 咲弥は「うーん」と考え込んだが、こういう際に頭を悩ませないのが身上であった。


「それじゃあ、ギューちゃんにしようかなぁ。どうだろう?」


 すると、小さき恐竜は顔を上げながら、「ぎゅう」と満足そうに鳴き声をあげたのだった。

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― 新着の感想 ―
更新ありがとうございます。 ギューちゃん(笑) 相変わらずのネーミングセンス!(笑) でも、恐竜のキョーちゃんよりマシか。
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