02 遺跡
七首山のもっとも東側に位置する峰の上空に到達すると、ドラゴンが「あそこであるな」と滑空を始めた。
ユグドラシルは居眠りをしていたので、その背中に乗っているのは咲弥と陽菜のみである。遺跡の発見というのは大ごとであろうが、詳細がわからない内からみんなを集める甲斐はないだろうという判断だ。まずはこのメンバーで状況を確認してから、残るメンバーをまとめて招集しようという算段であった。
ドラゴンは、峰の北側の面に下降していく。咲弥たちが暮らす村落から見ると、裏側だ。こちらの峰は他の峰よりも岩場が多く、ドラゴンが目指す先も暗灰色の岩場であった。
山頂と山麓のちょうど中間ぐらいの位置で、一見は何の異常も見られない。
しかしドラゴンが岩場に降り立つと、眼前に土砂崩れの痕跡が残されていた。
ここよりも上側の地盤がゆるんで、大量の土砂と樹木が岩盤に覆いかぶさっている。
そして、岩盤の一部が崩落し、そこにぽっかりと黒い穴が口をあけていた。
「なるほど。土砂崩れの影響で岩場が崩落し、この洞穴の入り口が開いたわけであるな」
「ふむふむ。でも、遺跡があるってことは、昔は誰かが出入りしてたってことだよねぇ?」
「うむ。おそらくは長きの時を経て、洞穴の入り口がふさがれることになったのであろうな。これだけ揺るぎないように見える山も、刻一刻と変化しているのだ」
そんな言葉を交わしながら、一行は洞穴の入り口に近づいていった。
滑落の危険がありそうな樹木や岩塊は、すでに左右に押しのけられている。きっとロキが、事前に処置してくれたのだろう。その洞穴は、それこそ最初からそこに存在していたかのように、堂々と口をあけていた。
「待たせたな。ロキよ、案内を願えようか?」
大型犬サイズに縮んだドラゴンが洞穴の内側に呼びかけると、暗がりの向こうからちまちまとした影が進み出てきた。
ロキの分身にして使い魔たる、ゴーレムである。
アトルやチコよりも小さな身体で、頭は丸く、腕は長く、足は足首から先しか存在しない。ぱっと見は、ころころとしたペンギンのようなシルエットである。つるんとした暗灰色の姿で、顔には丸い穴の目しか存在せず、ぬいぐるみのような可愛らしさであった。
たちまち、陽菜は瞳を輝かせたが――ゴーレムは洞穴から出ようとせず、遠い位置で歩を止めた。
「……アイサツ、ヒツヨウ?」
「うん。もうドラゴンくんから聞いてるだろうけど、この子が陽菜ちゃんだよぉ。これからもちょくちょく遊びに来るはずだから、よかったらロキくんも仲良くしてあげてねぇ」
「はじめまして。田辺ひなです。よろしくお願いします」
ロキが内気だと聞かされている陽菜は声量を抑えて、お行儀よく頭を下げる。
ゴーレムは「……ソウ」とつぶやき、きびすを返した。
「……ソレデハ、アンナイ、カイシスル」
「ありがとう。どうぞよろしくねぇ」
咲弥は陽菜にうなずきかけてから、ゴーレムを追って足を踏み出した。
そして咲弥たちが洞穴に足を踏み入れる前に、ドラゴンが青白い鬼火を生みだして足もとを照らしてくれる。
それを頼りに洞穴の入り口をくぐると、足もとの岩盤も実にしっかりとしていた。
入り口はそれほど大きくないが、内部はそれなりに広々としている。咲弥と陽菜とドラゴンが横に並んで歩けるぐらいの幅があるし、天井は鬼火の明かりが届かないぐらい高かった。
ドラゴンのお宝が眠る洞穴や温泉がある鍾乳洞とも、さして変わらない雰囲気である。
しかしまあ、鬼火の誘導で進むだけで、異界情緒には事欠かない。陽菜が少し不安そうな表情であったので、咲弥は自分から手を握ってあげることにした。
「ふむ……これは確かに、長きにわたって生あるものが踏み込んでいない空間であるようであるな」
暗がりに視線を巡らせながら、ドラゴンがそんなつぶやきをこぼす。
先頭を進むゴーレムはちょこちょこと歩きながら、「……ソウ」と応じた。
「イリグチ、カンゼン、フサガレテイタ。ダイチノセイレイ、ニセンネンイジョウ、ダレモ、ハイッテイナイ、カタッテイル」
その言葉に、咲弥は「うん?」と首をひねった。
「ちょっと待ってね。二千年以上前っていうと……こっちの世界でも、まだそんなに文明は進んでないんじゃないかなぁ」
「うん。二千年前は、弥生時代だね」
現役の小学生である陽菜が、すぐさまそんな答えを提示してくれた。
しかしゴーレムは無言であり、ドラゴンも驚いた様子はない。
「我もそちらの世界の歴史に関してはさしたる知識も持ち合わせておらぬが、弥生時代にも文明は存在したのであろう? その時代の遺跡が残されていたとしても、不思議はあるまい」
「いやぁ、そんな時代の遺跡なんて、そうそう発見されてないと思うんだけど……どうだったっけ?」
「たしか、弥生時代の終わりに前方後円墳ができたんだよ」
そのように答える陽菜も、咲弥ほど不思議そうな顔はしていなかった。
「古墳って、山とか森とかで発見されてるんでしょ? 七首山にも、古墳があったのかなぁ?」
「いやぁ、そんなことはないと思うけどねぇ。まあ、確認してみないことには何とも言えないかなぁ」
咲弥も古墳に関して特別な知識は持ち合わせていなかったが、こんな山腹の洞穴の奥深くで発見されるというのが、どうにもピンとこなかったのだ。そもそも七首山はこれだけ広大であるのだから、よりにもよって岩場の多いこちらの峰に古墳を築くというのも考えにくかった。
(でも、大昔はこの峰も緑が豊かだったのかなぁ? やっぱり、よくわかんないや)
咲弥は思い悩むのをやめて、この道中を楽しむことにした。
もう洞穴や鍾乳洞はなれっこであるものの、異界情緒は満載であるのだ。ドラゴンやロキですら詳細をわきまえていないとなると、探検気分もつのるいっぽうであった。
「……足もとが平坦にならされているのも、かつては人の手が及んでいた証左であるのやもしれんな」
と、ドラゴンが再び独白をこぼす。
ドラゴンはドラゴンで、この未知なる領域に探求心をくすぐられているのであろう。
「それに、二千年以上も閉ざされていた割には、空気が澄んでいる。どこかに風の抜ける場所があるのであろうか?」
「……ムカウサキ、ジャッカン、テンジョウ、クズレテイル。センコクノイリグチ、ドウジキ、ヒライタ、スイソクサレル」
そんな風に語ってから、ゴーレムはひかえめにつけ加えた。
「……テンジョウ、クズレタノチ、アンテイ、ミセテイルノデ、キケン、ソンザイシナイ」
「あ、そうなんだねぇ。どうもありがとう」
ゴーレムはきっと、向かう先にも危険はないと咲弥たちに知らせてくれたのだ。咲弥は心からの感謝の思いを届けたが、やはりゴーレムは無反応であった。
鍾乳洞はうねうねとうねっており、時には脇道も顔を覗かせるが、ゴーレムは迷うことなく歩を進めていく。
そうして十分ばかりも歩を進めると、いきなり広い空間に出た。
ただし、広すぎて鬼火の光が届かず、どれだけ広いのかも把握しきれない。
ドラゴンが「ふむ」とつぶやきながら尻尾をひと振りすると、高い位置に浮かびあがった鬼火がいっそう激しく燃えさかった。
ただし、ドラゴンの鬼火は青白いので、目が痛くなるような眩しさではない。それにおそらくは燐光に近い性質であるために、熱もいっさい感じなかった。
「おー、広々としてるねぇ。あ、あれが天井の穴ってやつかなぁ?」
鬼火のおかげで、おおよその全容は把握できた。フットサルができそうなぐらいの広さを有する、いびつな円形の空間だ。天井は十メートル以上の高さがあり、そこにそれなりの大きさをした菱形の白い光が灯されていた。
風を感じることはないが、息苦しさはまったくない。広い空間に出たことで、いっそうの開放感である。
ただ、どこにも遺跡らしきものは見当たらない。天井から崩落したと思しき岩塊が壁際に積み上げられているのみであった。
「ふむ……奥側の壁であるな?」
と、ドラゴンが鋭く目をすがめる。
そういえば、ドラゴンは夜目がきくのである。鬼火は、咲弥たちのために生み出されているのだった。
「……ソウ。ショウタイ、フメイ」
「うむ。これは確かに、我々の世界の遺跡ではないのであろうな」
「うーん? あたしには、よく見えないなぁ」
「では、近づいてみるとしよう。如何にも風変わりな遺跡であるが、危険なことはなかろうからな」
というわけで、一行は広場の奥へと歩を進めた。
それにつれて、咲弥の胸が少しずつ鼓動を速めていく。
頭で理解する前に、咲弥の心が異常を察知したのだ。
咲弥の手を握る陽菜の手にも、いつしか強い力が込められていた。
そうしてついに、奥側の壁と相対した咲弥は――「なんじゃこら」ととぼけた声をあげることになった。
こちらの壁面は暗灰色ではなく、砂色がかっている。
その壁面に、奇妙な姿が浮かびあがっているのだ。
横を向いた大きな顔に、ぞろりと生えそろった巨大な牙、頭部に比して小さな腕に、立派な足と立派な尻尾――それらのすべてが、砂色をした骨で構成されている。
どこからどう見ても、これは恐竜の化石である。
しかも、とてつもない大きさだ。横向きで、低く身を伏せているような体勢であるが、鼻先から尻尾の先端までは十メートル以上もありそうだった。
さらに驚くべきことには、眼窩の部分に青い宝石のようなものが埋め込まれている。
その宝石だけは、どう見ても人の手による細工である。
だからこそ、ロキはこの存在を遺跡であると判じたのだった。
「こ……これって、本物なの?」
「うむ。サクヤの世界で言うところの、恐竜の化石というものであるようだな。それを信仰の対象とするような文明が、かつては存在したのであろうか?」
ドラゴンも感心はしているようだが、驚いている様子はない。
その沈着なるダンディな声音に励まされながら、咲弥は「いやいや」と手を振った。
「そんな話は聞いたこともないし、そもそも日本でここまで立派な化石が発見されたことはないんじゃないかなぁ」
「なるほど。では、希少な存在であったがために、信仰の対象に成り得たのやもしれんな」
「でも、これって明らかにティラノサウルスとかそっち系だよねぇ? そんな恐竜が、日本に生息してたのかなぁ?」
すると、呆然とたたずんでいた陽菜が寝起きのような声をあげた。
「あ、あのね、おんなじクラスのレンくんが恐竜好きで、博覧会のパンフレットを見せてくれたんだけど……ティラノサウルスの歯とか下顎とかの化石は、日本でも見つかってるらしいよ」
「左様であるか。であれば、不思議はないということであるな」
「いやいや、不思議だらけだよぉ。……やっぱりこれって、そっちの世界の化石なんじゃないの?」
ドラゴンは小首を傾げつつ、やおら黄金色の瞳をまぶたに隠した。
その末に、「否」と首を振る。
「精査したところ、この化石も宝石もサクヤの世界の存在である。この場がもう少し明るければ、サクヤたちにもその目で確認してもらうことがかなったのであるがな」
「うん? どうやって確認するのぉ?」
「こちらの世界の要素を覆い隠す目くらましの術式をかければ、確認できよう。それでもサクヤたちの目には、この化石と宝石が映るはずであるぞ」
「ああ、なるほど……だけどまあ、ドラゴンくんの言葉を疑う理由はないしねぇ」
咲弥が深々と息をつくと、ゴーレムがこちらに向きなおってきた。
「サクヤ、ドウヨウ、カンジル。コノイセキ、キョウフノタイショウ?」
「いや、あたしはただびっくりしてるだけだよぉ。たぶんあたしの世界では、なかなかに常識外れの事態だからさぁ」
「ジョウシキハズレ……コノイセキ、メズラシイ?」
「うん。こんなことが世間に知れたら、調査隊だとかマスコミだとかが山のように押し寄せてくるだろうねぇ」
ゴーレムがぴくりと体を揺らしたので、咲弥は慌てて笑ってみせた。
「もちろん、そんな真似はしないよぉ。そんな騒ぎになったら、のんびりキャンプも楽しめないからねぇ」
「なるほど。こちらの遺跡は、それほどに希少な存在であったのであるな」
と、ドラゴンは穏やかに目を細めた。
「しかしサクヤは何があろうとも、この地に不要の騒ぎを招くことはあるまい。それを心から信じられることを、得難く思う」
「うん。温泉がわこうと化石が発見されようと、わざわざ人に自慢する必要はないからねぇ」
あるいはこちらの化石を世間に公開すれば、考古学だか何だかの分野に大きな発展がもたらされるのかもしれないが――申し訳ないことに、咲弥にとっては興味の外であるのだ。そんな結論に行き着いた頃には、咲弥の心臓も普段通りののんびりしたリズムを復活させていたのだった。




