01 発見
2025.11/13
今回は全6話で、毎日更新いたします。
水晶石の温泉を目の前にした陽菜は、「うわあ」と瞳を輝かせた。
ゴールデンウィークに敢行された二泊三日のキャンプの、二日目の朝である。初の連泊ということで、陽菜もついに温泉を楽しむことに相成ったのだった。
うっすらと漂う湯けむりが水晶石のきらめきをくゆらせて、いっそう幻想的な光景を完成させている。もうたびたびこの場で温泉を楽しんでいる咲弥も、まだまだこの美しさに見飽きたりはしていなかった。
「ね、すごいでしょ? せっかくだから、温泉に入れる日までは内緒にしておこうと思ったんだよねぇ」
「うん、すごいすごい! ほらあなの奥に、こんなきれいな場所があったんだねー!」
陽菜も前回の雨のキャンプで、この鍾乳洞の入り口付近までは足を踏み入れている。ただしこの場所は突き当りの角を曲がった位置にあるため、入り口のほうまでは水晶石のきらめきも届かないわけであった。
「ふん。ついにそいつも連れ込んできたのかァい」
と、湯面にそびえたつ小山の上から、スキュラが皮肉っぽい声を投げかけてくる。
陽菜は水晶石に負けない勢いで瞳を輝かせながら、そちらを振り返った。
「スキュラさん、おはよー! スキュラさんも、いっしょに入るの?」
「ああもう、朝っぱらからやかましいねェ。いちいちあたしが答える義理はないよォ」
相変わらず、陽菜に対してはひときわ素っ気ないスキュラである。
そんなスキュラに代わって、咲弥が説明を施すことにした。
「スキュラさんは、熱いお湯が苦手なんだってさぁ。でも、水場はスキュラさんの縄張りだから、あたしたちが悪さをしないように見張ってるんだよぉ」
「へー、そうなんだね! でも、ひさしぶりに会えたから、うれしいなぁ」
陽菜の純真な笑顔にも、スキュラは応えようとしない。
すると、同行していたユグドラシルが「ほほほ」と声をあげた。
「熱い湯が苦手なのは、わしも同様じゃ。わしらにはかまわず、思うさま身を清めるがよいぞ」
「はぁい。それじゃあドラゴンくん、いつものやつをお願いねぇ」
「うむ」というダンディな声とともに、光のカーテンが張り巡らされた。温泉前の、お着換えタイムである。
「はい。それじゃあ、これが陽菜ちゃんの分ねぇ」
咲弥がボストンバッグから水着を取り出すと、陽菜は「ありがとう!」とまた笑った。七首山に温泉がわいていることは秘密であるため、咲弥が陽菜の分まで水着を準備することにしたのだ。咲弥がこのたびチョイスしたのは、ひらひらとしたフリンジが可愛らしいセパレートタイプの水着であった。
いっぽうアトルやチコは幼児用の、ミツバチを模したデザインである。
その愛くるしい姿に、陽菜はたちまち「かわいー!」とはしゃいだ。
そうして着替えが完了したならば光のカーテンを消し去って、みんなで一緒に湯に浸かる。
ドラゴンもケルベロスたちも肩まで湯に浸かりながら、満足そうに目を細める。魔力を補充している面々は、もしかしたら咲弥たち以上に極楽気分なのかもしれなかった。
「あー、すっかりあったかくなったけど、温泉の気持ちよさに変わりはないねぇ」
「うん! すごく気持ちいい!」
陽菜は人生初の温泉ということで、いっそう幸せそうな面持ちである。陽菜は異界の温泉で、温泉生活をスタートさせてしまったわけであった。
(でもまあそれは、今に始まったことじゃないかぁ。そもそも人生初のキャンプが、このメンバーだったわけだもんね)
咲弥としては、この体験が陽菜の人生にとってプラスの材料になるように心を砕くのみである。
アトルやチコと一緒になってきゃっきゃとはしゃいでいる姿を見る限り、今のところは何の心配もいらないようであった。
「それで、この後はどのように過ごすつもりなのじゃな?」
温泉のへりであぐらをかいたユグドラシルが、のんびりと問うてくる。
咲弥はそのへりに寄りかかりながら、「そうだなぁ」と思案した。
「今のところは、完全にノープランなんだけど……せっかくだから、ロキくんも陽菜ちゃんに紹介してあげたいかなぁ」
「ほうほう。あやつは、ヒナを受け入れられるのかの? ……見たところ、スキュラもいくぶん難渋しておるようじゃが」
と、後半の言葉はスキュラに聞こえないようにひそめられる。
小山の上で知らん顔をしているスキュラの姿を確認してから、咲弥は「そうだねぇ」と微笑んだ。
「でも、最初の一歩を踏み出さないと、先はないからさぁ。誰にとっても無理のない範囲で、陽菜ちゃんと仲良くしてもらえたらなぁと思ってるよぉ」
「そうじゃな。うぬは心のままに振る舞うがよいぞ」
ユグドラシルはお地蔵様のように目を細めて、にこりと笑った。
その後は洗い場でそれぞれ身を清めて、魔法の温風で髪とバスタオルを乾かしたのち、コーヒー牛乳で水分を補充する。そして、ひとまずユグドラシルの根城へと舞い戻った。
「ロキに声をかけるのは、こちらの見回りが終わってからでよかろうか? どうせあやつも、この時間は見回りをしていようからな」
「うん。それでかまわないよぉ。みんな、それぞれ頑張ってねぇ」
ドラゴンとケルベロスは山の見回り、アトルとチコは畑の仕事、咲弥と陽菜は昨晩のディナーの後片付けである。陽菜もこれで三度目のキャンプであるため、後片付けも手慣れたものであった。
「この流し場をつくったのも、ロキくんなんでしょ? ロキくんって、すごいんだね!」
「うん。ロキくんにも、あれこれお世話になってるよぉ。ただ、ロキくんはすっごくシャイだからさぁ。あんまりおしゃべりできなくても、気にしないでねぇ?」
「うん! 早く会えるといいなー!」
陽菜は無邪気に笑いながら、ロキが錬成してくれた石の鍋をスポンジで洗浄していく。
きっと陽菜も時間をかければ、ロキと確かな友人関係を築きあげることができるだろう。陽菜はキャンプの回数を重ねるたびに元気な面が目立つようになっているが、本来は内気な一面も備え持っているのだ。そんな陽菜であれば、内気な相手を気遣ってくれるだろうと期待をかけることができた。
「よし、しゅーりょー。ひと休みしながら、ランチのプランでも練ろっかぁ」
「うん! ロキくんって、何か好きな食べ物はあるの?」
「いや、特に聞いてないなぁ。何を食べても、シラナイアジ……ってつぶやくだけだしねぇ」
祖父のローチェアに身を沈めながら、咲弥は陽菜に笑いかけた。
「でも、他のみんなに負けないぐらい、たくさん食べてくれるからねぇ。それだけで、こっちは嬉しいもんだよぉ」
「それじゃあきっと、美味しいんだね! ひなもキャンプだと、ふだんよりいっぱい食べちゃうもん!」
咲弥のローチェアに座った陽菜は、にこにこと笑っている。ロキとの対面が楽しみでならない様子である。
ユグドラシルは蔓草のハンモックで居眠りを始めたため、咲弥は陽菜とともにランチの献立を考案しながら歓談に耽る。
そうしてランチのプランがまとまりかけたところで、ドラゴンがひとり舞い戻ってきた。
「あれあれ? 今日はずいぶん早かったねぇ」
「否。ロキが参ずるか否かで、昼食の量は変動しよう? 念話で伝えようかとも思ったが、他なる峰への行きがけであったので立ち寄ることにしたのだ」
「あー、そっかそっか。あたしも、うっかりしてたよぉ。ドラゴンくんは、さすがですなぁ」
「否。我もつい先刻、その事実に行き当たったのだ。おたがいに浮かれ気分で、細かな話を失念してしまうのやもしれんな」
優しい眼差しで咲弥の心を温かくしながら、ドラゴンはそう言った。
そして、「うむ?」と小首を傾げる。そこに、『ツウシンツウシン』という可愛らしくも無機的な声が重ねられた。
「期せずして、ロキのほうから念話が届けられたようだ」
ドラゴンが、長大な尻尾の先端を咲弥たちの前に差し出してくる。
そこには小さな丸い石が携えられており、その石には黒い穴の目が開かれていた。通信用の、ミニチュアゴーレムの生首である。
「どうしたのだ、ロキよ? そちらから念話を飛ばすとは、珍しい限りであるな」
『……フソクノジタイ、ハッセイ。リュウオウ、イケン、モトム』
「ふむ。不測の事態とは? 急を要する案件であろうか?」
ドラゴンが鋭く目をすがめると、ミニチュアゴーレムはぱちぱちとまばたきをした。その視線を追うのは難しいところであるが、どうやら陽菜の存在に気づいたようだ。
『……シラナイニンゲンゾク、ハッケン』
「うむ。こちらは以前に念話で伝えた、サクヤおよびトシゾウの友である。ちょうど今日、其方にも紹介しようかと一考していたのだ」
『……ソウ』と、ミニチュアゴーレムは押し黙ってしまう。
ドラゴンは、それをなだめるように眼光をゆるめた。
「ヒナについてはおいおい紹介するとして、まずはそちらの用向きを聞かせてもらいたく思うぞ」
『……サイキン、アメ、オオカッタ。ソノエイキョウ、ジバン、ユルンデ、ドシャクズレ、ハッセイシタ。ソノカタヅケ、シテイタラ……ミシラヌドウケツ、ハッケンシタ』
「見知らぬ洞穴であるか。そこに何か、厄介なものでもひそんでいたのであろうか?」
『ヤッカイ、アラズ。デモ、オソラク、イカイノイセキ。トリアツカイ、フメイ。ヨッテ、イケン、モトム』
「異界の遺跡……」と、ドラゴンはまた小首を傾げた。
「ロキにとっての異界とは、すなわちサクヤたちの世界を指している。山の洞穴から遺跡が発見されるというのは……まあ、ない話ではないのであろうな」
「うーん? あたしには、あんまりピンとこないなぁ。遺跡って、どれぐらい昔のものなんだろう?」
『……ワレ、コタエルスベ、ナシ』
それはもちろん、そうなのだろう。
咲弥も一緒になって首をひねっていると、ドラゴンが決然と言い放った。
「ともあれ、まずは検分する他なかろうな。これから、サクヤたちをともなって出向くとしよう」
『……ミシラヌニンゲンゾク、ドウコウ?』
「うむ。サクヤはヒナの安全に責任を持つ身であるため、行動を別にすることができぬのだ。何も気を張る必要はないので、適当に対応してもらいたく思う」
『……イサイショウチ。バショ、ツタエル』
何か視覚的な情報でも送信されたのか、ドラゴンは一瞬だけまぶたを閉ざしたのちに「承知した」と応じた。
「では、これよりそちらに向かう。しばし待っていてもらいたい」
『イサイショウチ』という言葉を最後に、丸い穴の目が糸のように閉ざされる。
ミニチュアゴーレムたる丸い小石をどこかに収納しながら、ドラゴンは優しい眼差しで咲弥と陽菜を見比べた。
「あらたまって紹介の場を準備するよりも、こういった形で自然な出会いを果たしたほうが、ロキにとっては望ましいやもしれん。勝手に話を進めてしまったが、同行を願えようか?」
「うん。もちろんだよぉ。遺跡っていうのも、気になるしねぇ」
「うん! ひなもロキくんに会ってみたい!」
ということで、咲弥たちはランチの時間を迎える前に、ロキのもとへと向かうことになった。
そこでどれほどの驚きが待ちかまえているか、神ならぬ身には想像することもかなわなかったのだった。




