03 探索
小一時間ていどの食休みで蔓草のブランコ遊びを堪能したのち、キャンプメンバーの一行はお山の茂みに踏み入ることに相成った。
ただし、道なき道を進むのに、九名というのはあまりに大所帯であろう。そこで今回は、特別な編成が取られることになった。
「そちらは、好きな人数で分かれるがよい。案内は、わしの分身が受け持つぞよ」
ユグドラシルがどこからともなく取り出した葉っぱに息を吹きかけると、それは手の平サイズのユグドラシルに変化した。二頭身にディフォルメされた、ぬいぐるみのような姿である。陽菜はたちまち、「かわいー!」と歓呼の声をあげた。
「うむ。茂みを踏み荒らす人数は、なるべく少ないほうが好ましかろうな」
そのように宣言するなり、ドラゴンの姿が真紅の輝きに包まれる。すると、大型犬サイズであったドラゴンの身も、手の平サイズに縮んでしまった。
「わー、ドラゴンくんって、そんなにちっちゃくなれたんだねぇ。それはちょっと、反則級のかわゆらしさだよぉ」
「うむ。本来の姿から遠ざかるほどに魔力を消費することになるが、それも微々たるものである」
どれだけ小さくなっても、ドラゴンの声音のダンディさに変わりはない。しかしさすがにこのサイズでは、風格よりも可愛らしさがまさっていた。
こうなると、残る人数は七名である。
ケルベロスも分裂した小さな姿のほうが茂みに分け入るには適しているので、この人数だ。それを二手に分ければ、もはや支障はないように思われた。
「あたしは陽菜ちゃんをおあずかりしてる責任があるから、一緒の組にしてほしいんだよねぇ」
「左様であるか。では、アトルとチコのどちらかと、ケルベロスの一名が同行するがいい」
「一名もへったくれも、俺は三つでひとつの個体だってんだよ」
そんな風に応じつつ、ケルベロスたちも別行動を取ることに異論はないようである。
協議の末、咲弥と陽菜にはチコとベエが同行し、アトルとケイとルウでもうひとつの組を作ってもらうことになった。陽菜は同性であるチコのほうがより気安いようであるし、寡黙なベエは大人数の組にするべきであろうと判じた次第である。
「では、そちらにも案内をつけるぞよ」
ユグドラシルが新たな分身を生みだして、それをアトルの肩に乗せた。
こちらの分身は、チコの肩に乗っている。その可愛らしさは、ドラゴンといい勝負であった。
「わしの分身を通せば念話も届けられるし、それはケルベロスも同様じゃろ。あとは好きに振る舞うがよいぞ」
そうして蔓草のハンモックに横たわるユグドラシルに見送られて、咲弥たちの組は空き地の東寄りの茂みに、アトルたちの組は西寄りの茂みに踏み入ることになった。
茂みには、異界の植物が待ちかまえている。人の頭ほどもある食虫チューリップや、花弁の一枚ずつと種の一粒ずつが異なる色合いをしたサイケデリックなヒマワリや、自らの意思で動き回るイバラのごとき蔓草など、異界情緒が満載であった。
「冬の間も南国みたいな華やかさだったけど、春になるといっそう勢いが増すみたいだねぇ」
「うむ。秋に落ちた葉もすっかり茂り、春の気配がたちこめている」
咲弥のかたわらをふよふよと浮遊する小さなドラゴンは、愛おしげな眼差しで異界の植物を見回している。
そして、チコの肩に乗ったユグドラシルも「ほほほ」と笑い声をあげた。
「中には毒を持つ草もおるが、そやつらはわしが制御する。自ら毒草に触れぬように、用心しておくのじゃぞ」
「うん。その辺りの要領は、山麓の山菜採りと一緒かもねぇ」
咲弥はハーフパンツ、陽菜はキュロットスカートという格好であるが、どちらもレギンスを装着している。さらには薄手の上着を一枚羽織り、手には軍手だ。それらはいずれも、山菜採りで素肌をさらすのは危険と判じての処置であった。
陽菜も好奇心に満ちた眼差しで異界の植物を検分しつつ、決して手をのばそうとはしない。というか、咲弥自身が午前中の山菜採りにおいて、見知らぬ植物には気安く触れないようにと注意を受けていたのだ。こと山菜採りに関しては、咲弥のほうが教わる側であった。
「あたしは他のキャンプ場でも、こういう茂みに踏み入ることはほとんどないからさぁ。山にのぼるときも、整備された登山道ばっかりだったしねぇ」
「ふむ。トシゾウも、登山とキャンプは似て異なると語っていたな」
「うんうん。どっちを主体にするかで、ガラリと趣が変わるんだろうねぇ。あとはキャンプの中でもブッシュクラフトっていうのは、必要最低限の道具で自給自足を楽しむっていうワイルドなスタイルなんだけど……あたしやじっちゃんはそれなりのキャンプギアを持参して、のんびり楽しむスタイルだったってことだよぉ」
そんなわけで、咲弥はきわめて新鮮な心地である。昼なお暗き原生林で、しかも異界の植物がはびこっているのだから、そんな心地も倍増であった。
「お、そちらにうぬらが持参したものと同種の若芽が生えのびておるぞよ」
ユグドラシルの誘導で、一行は右手の側の茂みに踏み入った。
蔦の絡まる斜面の手前に、ゼンマイに似た山菜が密集している。
ただそれは、咲弥たちが収穫したゼンマイよりもふた回りは大きく――そして、金属のような鉄灰色をしていた。
「えーと……ずいぶんメカニカルな見た目だけど、これも食べられるのかなぁ?」
「うむ。サクヤたちが収穫した山菜と、成分に大きな差はないようであるぞ。ただ、ホウレンソウを超える鉄分を有しているようであるな」
「にゃるほど……神様っていうのは、茶目っ気がきいてるねぇ」
ともあれ、異界の恵みの初めての収穫である。もともと山菜を詰め込んでいた籠はアトルに託していたので、こちらはドラゴンが亜空間に保管してくれた。
「あちらには、別なる種が密集しておるぞよ」
ユグドラシルの言葉に従って前進すると、お次はタラの芽であった。
が、咲弥たちの世界では十センチから十五センチていどのサイズであるタラの芽が、三倍ぐらいのサイズで鎮座ましましている。そのタケノコのように立派な姿に、咲弥は「どひゃー」と声をあげてしまった。
「芽でこのサイズだったら、どんな大木に育つんだろうねぇ。ちょっと収穫するのが恐れ多くなっちゃうなぁ」
「ほほほ。これらがすべて育ったら、それこそ大地の滋養が足りなくなってしまうじゃろ。草木というのは途中で何割かが枯れ果てる前提で、数多くの芽を生やすのじゃよ」
「うん。でも、あたしたちが収穫するのは、イレギュラーな例だよねぇ」
「このお山の大きさを思えば、十人やそこらの食いぶちなど誤差の範囲じゃろ。無論、加減を忘れれば調和を乱すことになろうが……そうでなければ、うぬらも調和の輪の中じゃ」
ユグドラシルのそんな言葉を受けて、咲弥は頭上を振り仰いだ。
遥かなる高みで、空は森の天蓋にふさがれている。そこからこぼれる木漏れ日が、ちらちらと光を散らしているばかりだ。
確かに――これだけ雄大な山の懐にあっては、人間などちっぽけな存在なのだろう。
しかしそれでも考えなしに行動したならば、山を傷つけることになる。そんな思いを再確認してから、咲弥はユグドラシルの小さな分身に笑いかけた。
「わかったよぉ。じゃ、この子はふたつだけいただくねぇ」
「うむ。どのような味わいであるのか、楽しみなところじゃな」
そのとき、どこからともなく獣の遠吠えめいたものが響きわたり、陽菜が咲弥に取りすがってきた。
「い、今のは、なんの声だろう?」
「はてさて。夜なんかには、たまーに聞こえるんだよねぇ」
軍手の汚れていない部分で陽菜の頭を撫でながら、咲弥はドラゴンに向きなおる。
ドラゴンは、ちんまりとした首で「うむ」とうなずいた。
「今のは、サケビザルと呼ばれる山の獣であるな。確たる力は持たぬために、大きな鳴き声で威嚇する習性を持っている。用心深い気質であるため、自ら人の前に現れることはあるまいぞ」
「なるほどなるほど。そういえば、あたしは一角ウサギくんとキバジカぐらいしか、お山の動物を見たことがないんだよねぇ。でも、この護符で遠ざけられてるわけではないんでしょ?」
「うむ。そちらの護符が遠ざけるのは、凶暴化したキバジカのみとなる。もとより野の獣というのは、そうそう人前に現れることもないのであろう」
「それじゃあ、魔族は?」
咲弥の何気ない質問に、ドラゴンはふっと目を細めた。
「魔族も何種かひそんでおるが、そちらは護符で近づけぬし……おおよその魔族は我を恐れて、目の届く場所にも寄ってくるまい」
「ほほほ。あやつらも竜王が暴虐な存在でないことはわきまえていようが、自らの失態で怒らせてしまうことを恐れておるのじゃろ。竜王の前で堂々と振る舞えるのは、個体種ぐらいのものなのじゃよ」
「うむ。我も平穏な暮らしを望んでいるので、それを苦に思うことはないぞ」
そのように語るドラゴンはとても澄みわたった瞳をしていたので、咲弥は「そっか」と笑うことができた。
ただ、ひとつだけ思う。ドラゴンがユグドラシルたちとこうまで親密になったのは、ここ最近の話であるのだ。では、それまでのドラゴンが気安く接することができたのは、咲弥の祖父とアトルとチコの三名のみであるということであった。
(でも、アトルくんとチコちゃんは誰にでも恐縮しちゃうから……じっちゃんがいなくなった後は、ちょっぴり寂しかったんだろうなぁ)
咲弥がそんな感慨にひたっていると、チコが「わあ」と弾んだ声をあげた。
振り返ると、チコは大樹の根本を覗き込んでいる。その肩のユグドラシルが、「ほほう」と感心したような声をあげた。
「そちらにも、別なる種が生えておったか。わしを出し抜くとは、目ざといことじゃの」
「と、とんでもないのです! きょーしゅくのいたりなのです!」
ぺこぺこと頭を下げるチコの足もとには、緑色の草葉がびっしりと敷きつめられている。その中から、咲弥たちの世界と変わらないコシアブラの姿があちこちに覗いていた。
「うむ。こちらは変異していないようである。サクヤたちが持ち込んだ山菜と、完全に同種であるな」
「そっかぁ。今さらだけど、ドラゴンくんはひと目で何でも見抜けるんだねぇ」
「食材の成分を検分するのは、初歩的な魔法であるからな。種族に関わらず、多くの者が体得しているはずであるぞ」
「ほほほ。しかし、ひと目で看破できるのは術式が洗練されている証左じゃな」
こちらがそんな言葉を交わしていると、陽菜がチコに「すごいねー!」と笑いかけた。
「ひなもおばあちゃんに山菜の探し方を習ってるんだけど、こんな風に他の草にまぎれてたら、わかんないよー!」
「い、いえいえなのです。わたしはほんとーに、なんのとりえもないふつつかものなのです」
チコがいっそう小さくなってしまうと、ドラゴンが優しい声音で「否」と口をはさんだ。
「おそらくチコは畑の仕事を担っているため、植物を見分ける目が磨かれたのであろう。それは其方がたゆみなく働いてきた証であるのだから、存分に誇るがよいぞ」
「と、とんでもないのです! ……でもでも、おほめにあずかるのは、こーえいのかぎりなのです」
チコが恥ずかしそうにもじもじすると、陽菜やユグドラシルは楽しげに笑い、ドラゴンも穏やかに目を細める。ベエだけはひとりひっそりとしていたが、しかし何とも和やかな雰囲気であった。
今ならば、ドラゴンが寂寥感にとらわれることもないだろう。
そしてそれは、咲弥も同様だ。咲弥は昔から寂寥感や孤独感とも無縁な気質であったが、今は複数の相手と賑やかに過ごす楽しさを骨の髄まで思い知らされていたのだった。