02 山菜のランチ
ユグドラシルの根城の庭先において、咲弥たちはランチの準備に取りかかった。
そして、本日の指南役は幼き陽菜である。何せ、山菜についてもっとも詳しいのは、陽菜であるのだ。陽菜はいくぶん頬を火照らせながら、懸命にその役目を全うしてくれた。
「タラの芽とコシアブラ以外の山菜は、最初にあくぬきをしないといけないの。お塩をいれたお湯で、二分間ぐらいゆでるんだよ。……あ、あとね、フキノトウはべつのおなべにして、ゆでた後も二時間ぐらい水に漬けておかないといけないの」
「ふむふむ。そのココロは?」
「なんかね、フキノトウはそのままだとすごく苦いし、毒もあるんだって」
陽菜の思わぬ返答に、ドラゴンが「なるほど」と目を細めた。
「取り急ぎ解析してみたが、確かにこちらの山菜には毒の成分が含まれているようである。魔族にとっては害になるほどの強さではないが、人間族や亜人族には毒抜きの処置が必要であろうな」
「へえ、それは知らなかったなぁ。フキノトウなんて有名だから、毒があるとは思わなかったよぉ」
「獣に食されないように毒を帯びる植物は、少なくないからのぉ。じゃから、知恵を持つ人間族にしか食されることもないというわけじゃ」
蔓草のブランコをゆらゆらと揺らしながら、ユグドラシルも会話に加わった。
「まあ、毒があろうとなかろうと、若芽やら蕾やらを食する魔族などそうそうおらんことじゃろう。どんな食事が準備されるのか、楽しみにしておるぞよ」
「うん。期待に応えられるように頑張るよぉ」
ランチのメニューは山菜料理の王道、天ぷらである。下処理に時間のかかるフキノトウはディナーのお楽しみとして、残る四品をのきなみ天ぷらに仕上げることにした。
ただし、山菜だけでは物足りないので、追加の食材も準備している。咲弥が購入してきたのはチクワとサツモイモであり、畑の収穫から拝借するのはデザートリザードのモモ肉とマンドラゴラモドキとリンゴのごとき『イブの誘惑』であった。
「お菓子っぽい天ぷらってのを調べてみたら、リンゴの天ぷらってのを発見したんだぁ。ルウくんも楽しみにしててねぇ」
「はい。いつもいつも手数をかけさせてしまい、慙愧に耐えません」
などと厳粛な面持ちで一礼しながら、ルウの尻尾はぴこぴこと振られている。ランチの開始を待ちかねている様子で、ケルベロスは早々に分裂していた。
そしてさらにはベエのために、うどんも準備している。午後の時間をめいっぱい楽しむには炭水化物の補給も必要であろうし、天ぷらとの相性も申し分なかった。
陽菜にはうどんの準備をメインに頑張ってもらい、多少の危険が生じる天ぷらの揚げ作業は咲弥が受け持つ。アトルは咲弥、チコは陽菜の補助だ。天ぷらの調理は初めて目にするそうで、アトルとチコは期待に瞳を輝かせていた。
「ではでは、いざ参りましょう」
天ぷら粉を纏わせた具材をサラダ油を張った石鍋に投じると、パチパチと小気味のいい音色が響きわたる。そのさまに、アトルたちはいっそう期待をあらわにした。
「なんだか、たのしーのです! わくわくがとまらないのです!」
「うんうん。はねる油に気をつけてねぇ。あたしも天ぷらにチャレンジするのは、数年ぶりだからさぁ」
「ほう? サクヤにとっても、こちらは馴染みの薄い料理なのであろうか?」
ドラゴンの問いかけに、咲弥は笑顔で「うん」と応じる。
「天ぷらって、使った油を処理するのが面倒だし、ちょっともったいないからさぁ。一人や二人のキャンプだと、なかなかチャレンジする気になれないんだよねぇ」
「左様であるか」と、ドラゴンは優しく目を細める。
それでいっそうの意欲をかきたてられながら、咲弥は次々と天ぷらを仕上げていった。
そうして数十分後には、かつてこの場所で作りあげた木の大皿に天ぷらが山と積み上げられる。
人数分の温かいうどんも準備されて、ランチの準備は完了であった。
「ではでは、いただきましょう。お酒は、夜のお楽しみねぇ」
ユグドラシルを含めた九名のメンバーで、冷たい緑茶の乾杯を交わす。
ただし、天ぷらはつゆにつける必要があるし、うどんはすすらなくてはならないため、ケルベロスたちにはいささか食べにくい内容であった。
「天ぷらは、あたしたちがフォローするからさぁ。うどんのほうは、どうだろう?」
「うむ……取り立てて、支障はないように思う……」
ベエは鬱々と語りながらうどんの深皿に鼻を突っ込み、舌の先で器用に麺をからめ取る。そして、熱々のかけ汁も普段と同じ調子で舌先ですくいあげ、満足げな吐息をついた。
「……これはまた、ぱすたとは異なる味わいだな……」
「うむ。うどんなる料理はトシゾウにも何度か振る舞われていたので、とても懐かしく思う」
そのように語るドラゴンは尻尾の先でスポークを操り、問題なくうどんを食している。ユグドラシルもキャンプの場でしか食器を扱う機会はないとのことであったが、咲弥が準備したフォークを使ってなかなか巧みにうどんをすすっていた。
「こちらも、美味じゃな。しかしやっぱり、お山の恵みを何より得難く思うぞよ」
「うんうん。今日の主役は、そっちだからねぇ」
咲弥もケルベロスの面倒を見るかたわらで、山菜の味わいを楽しんでいた。
山菜というのは、特に強い味を持っているわけではない。ただその反面、他なる野菜と似た部分も多くはないだろう。ワラビもゼンマイもタラの芽も、ほのかな苦みと心地好い食感で咲弥の舌を楽しませてくれた。
そして、咲弥がこのたび初めて口にした、山菜の女王コシアブラである。
こちらは他なる山菜よりも苦みや青臭さが強い分、野菜らしい甘みも豊かであり、何とも独特の味わいであった。
葉のほうはシャキシャキと、根もとのほうはサクサクとしており、ひと口で二種の食感を楽しむことができる。立派な異名に相応しい味わいであった。
「いやぁ、美味しいねぇ。これも陽菜ちゃんが山菜採りを提案してくれたおかげだよぉ」
「うん! ひなもみんなといっしょに食べたかったから!」
そんな風に答えながら、陽菜はもじもじとキャンプメンバーたちを見回した。
「でも、うちのおにいちゃんたちは山菜がそんなに好きじゃないんだよね。みんな、いやじゃなかった?」
「はい。実に新鮮な味わいであるように思います」
「へん。どの首がどれだけ食うか、迷っちまうけどなー」
「うむ……しかし、うどんとともに食すれば、さらに美味であるようだ……」
もっとも反応が鈍そうであったケルベロスが真っ先に応じてくれたため、陽菜は嬉しそうにはにかんだ。
そして、善良なるコメコ族の兄妹は陽菜に負けないぐらいもじもじとしている。
「ぼ、ぼくはとってもおいしーおいしーなのです。はたけのしゅーかくとおなじように、おやまのちからをわがみにとりいれているようなここちなのです」
「わ、わたしもなのです。サクヤさまとトシゾウさまのおかげで、わたしたちはしんせんなおやさいをたべるしあわせをしることができたのです。ヒナさまにも、かんしゃいっぱいいっぱいなのです」
「ありがとう。デザートリザードのお肉も、すっごく美味しいよ」
陽菜が純真なる笑顔を返すと、アトルとチコも嬉しそうな様子でいっそうもじもじとした。
ちなみにデザートリザードのモモ肉は鶏のムネ肉に似ているので、天ぷらに仕上げるとかしわ天さながらである。下準備として入念に揉んでおいたので、硬い食感もほどよい弾力になっていた。
チクワはケイ、サツモイモはルウを意識して買いそろえた品であったが、どうも三名は均等に天ぷらを食している様子である。ただ、『イブの誘惑』だけは通例通り、ルウがひと切れを食する間に残る二名で半切れずつ食していた。
「そうだそうだ。あたしもまだイブ天をいただいてなかったっけ」
大皿から目当ての品をつまみあげた咲弥は、何もつけずに口へと運んだ。こちらには、かつて冒険者たちから贈られた百里香の余りを振っておいたのだ。
百里香とはスパイスのクローブで、バニラに似た甘い香りとツンとした刺激的な香りを有している。咲弥はシナモンの代用という感覚で使用しているが、今回も普段のイブ焼きと同様に華やかな彩りを添えていた。
砂糖などは添加していないので、もともとの甘みと酸味がすべてである。しかし、熱を通したことでイブ焼きと同様のまろやかさが生まれ、てんぷら粉の衣が心地好い食感を加えてくれている。これは確かに、デザートの名に相応しい仕上がりであった。
「うんうん。イブ天も悪くないねぇ。これは豪勢なランチだなぁ」
「まったくじゃな。うぬらの親切と尽力に感謝するぞよ」
ユグドラシルはすっかり眠気も覚めた様子で、調理に参加したメンバーを笑顔で見回していく。陽菜もアトルもチコも心から嬉しそうな様子で、その眼差しを受け止めた。
「それにしても、あちこちに生えのびておる若芽や蕾がこれほどに美味とは、驚きじゃの。まあ、わしのように生でかじるだけではどうにもならんのじゃから、言うても詮無きことじゃが」
「そうだねぇ。ユグドラシルさんも、自分で調理する気はないんでしょ?」
「うむ。そもそもわしは、火を扱う気になれんからの。わしがこの手で火などを焚いたら、精霊たちも恐れおののいてしまうじゃろ」
そんな風に言ってから、ユグドラシルはにこりと目を細めた。
「ただ、こうして熱を通した若芽や蕾の味わいを知ってしまうと、普段ほっぽっておるお山の恵みがどのような味わいであるのか気になってしまうのぉ」
「おー、だったら今度はお山の山菜を採らせてもらえないかなぁ? 前々から、お山の奥深くにお邪魔してみたかったんだよねぇ」
そんな思いを伝えつつ、咲弥はドラゴンに向きなおった。
「でも、あたしなんかがお山の奥にもぐるのは危ないのかなぁ?」
「否。退魔の護符を携えている以上、他の山と危険度に変わりはない。我々がともにあれば、遭難の危険もなかろうしな」
咲弥の気持ちを察したように、ドラゴンは優しい眼差しをした。
七首山の楽しさを余すところなく味わいたいと決意した咲弥は、前々から自分の足で山の懐を巡りたいと考えていたのだ。ドラゴンの背中に乗る空の旅は楽しい限りであったが、それだけで七首山のすべてを知ることは難しいはずであった。