01 春の楽しみ
2025.9/30
今回の更新は全4話です。隔日で更新していきます。
本日より、マンガUP!で当作のコミカライズが連載スタートいたします。ご興味を持たれた御方は是非ご一読くださいませ。
「さくやおねえちゃん! こっちにいっぱい、ゼンマイが生えてるよー!」
陽菜の元気な声に呼びかけられて、咲弥は「ほいほい」と移動した。
咲弥が祖父から譲り受けた、七首山――その麓に広がる山林においてのことである。異世界と融合していないその区域において、咲弥たちは山菜採りに励んでいるさなかであった。
「おー、ほんとだぁ。こいつは立派なゼンマイだねぇ」
「うん! きっと、美味しいよ! ……みんな、喜んでくれるかなぁ?」
と、後半の言葉はぼしょぼしょと囁き声で伝えられる。この場には、山菜採りの案内人たる田辺ハツ老婦人も同行しているのだ。
「どうだい、咲弥ちゃん? 七首山は、麓まで立派なもんだろう?」
老婦人が笑顔で近づいてきたので、咲弥も笑顔で「そうですねぇ」と応じた。
「こんなにドカドカ山菜が採れるなんて、思ってなかったですよぉ。これだけ採れると、楽しいもんですねぇ」
「うんうん。旬は今月いっぱいだからねぇ。気が向いたら、またおいでなさいな。……って、ここも咲弥ちゃんの土地なんだけどさ」
「あはは。そんな水臭いことは、言いっこなしです」
祖父も古きの時代から、麓の山林は村落の人々に開放していたのだ。春は山菜、秋は茸と、七首山の恵みは数多くの家庭の食卓を彩ってきたはずであった。
咲弥がこのたび山菜採りに初挑戦したのは、陽菜の要請に応じた結果である。
秘密のキャンプメンバーたるドラゴンたちにも、山菜を食べてもらいたい――そんな言葉を聞かされたからには、咲弥の側に断る理由は一片も見当たらなかった。
「それにしても、ひな坊はすっかりキャンプってもんがお気に召したようだねぇ」
老婦人はくたびれた腰を叩きながら、そんな言葉をこぼした。
そちらを振り返りながら、陽菜は「うん!」と満面に笑みを浮かべる。
「キャンプ、楽しいもん! さくやおねえちゃんが、色んなことを教えてくれるしね!」
「それにしても、まさかせっかくの遊園地を断るとは思わなかったよ」
現在はゴールデンウィークの真っただ中であり、陽菜の兄たちは親戚の家に滞在して遊園地に出向いているのだそうだ。実家は畑仕事が忙しくて連休中にも遠出が難しいため、親戚の都合がつく折にはいつもお世話になっているのだという話であった。
「遊園地より、キャンプのほうが楽しいもん! 美味しいものも、いーっぱい食べられるしね!」
「そうかいそうかい。案外、うちの畑はひな坊が継ぐことになるかもしれないねぇ」
そんな風に言ってから、老婦人は咲弥のほうに向きなおってきた。
「ひな坊は本当に楽しそうにしているから、咲弥ちゃんには感謝してるよ。どうもありがとうねぇ」
「いえいえ。あたしもキャンプ友達ができて、嬉しいですよ」
咲弥が二人に笑顔を送ると、二人も笑顔を返してくれた。
生前の祖父がもっとも懇意にしていたのは、どうやらこちらの両名であるようなのだ。咲弥は何だか、人との温かな関係まで祖父から譲り受けたような心地であった。
そうしてトータル二時間ばかりも山林を巡ったのちに、咲弥たちは山菜採りを終了させた。
畑仕事がある老婦人は自分の家に戻っていき、咲弥と陽菜は軽ワゴン車に乗り込む。これから準備を整えて七首山に乗り込めば、ちょうど昼からキャンプを楽しめる頃合いであった。
「いっぱい採れたねー! ドラゴンくんたちも、喜んでくれるかなー!」
「もちろんさぁ。みんな、食いしん坊だからねぇ」
陽菜と笑顔を交わしてから、咲弥は車を発進させた。
ついに五月に突入して、いよいよ気温が高くなってきたようである。本日は天候も良好で、キャンプにせよ遊園地にせよ行楽日和であった。
「キャンプはひさしぶりだから、楽しみだなー! 早くみんなに会いたいなー!」
山菜が詰め込まれた大きな籠を抱え込んだ陽菜は、ほくほく顔である。先週の土曜日は友人との約束が入ってしまい、陽菜は二週間ぶりのキャンプであったのだ。
そして本日の土曜日から、世間は四連休となる。それで陽菜はご両親から、二泊三日のキャンプを楽しむ許しをいただいたのだ。その喜びの思いが、陽菜の笑顔にあふれかえっているわけであった。
(あたしもじっちゃんの家に押しかけるたびに、こんな顔をさらしてたのかなぁ)
そんな思いに胸を温かくしながら、咲弥はまず祖父から譲り受けた我が家を目指した。
そちらで必要な物資を搬入したならば、いざ七首山である。
山林を突っ切って、もっとも手近なスポットを目指すと、そこには最愛なるキャンプメンバーたちがずらりと居揃っていた。
「お待たせぇ。予定通り、陽菜ちゃんも来てくれたよぉ」
「みんな、ひさしぶりー! 元気そうで、よかったよー!」
陽菜が助手席を飛び出すと、ドラゴンは優しく目を細めながら「うむ」と応じる。アトルとチコはもじもじしながら嬉しそうな笑顔、ケルベロスはルウだけが粛然と一礼しながらぱたぱたと尻尾を振るという、いつも通りのリアクションであった。
「そちらも息災なようで、何よりである。では、何処に腰を落ち着けようか?」
「実は今日は、山菜を持参したんだよねぇ。よかったらユグドラシルさんにもご馳走したいんだけど、どうだろう?」
「左様であるか。では、ひとまずユグドラシルの根城に出向くとしよう」
咲弥の愛車は魔法陣の向こうに仕舞いこまれて、一行はドラゴンの背中に騎乗する。そうして空の旅を楽しみながら、咲弥は陽菜に補足説明を施した。
「ユグドラシルさんは、お昼寝好きみたいでさ。あんまりお邪魔にならないように、ときどき声をかけてるんだよぉ」
「ふーん。どんな人なのか、楽しみだなぁ」
ユグドラシルとロキの人となりについては、すでに陽菜に通達している。陽菜はもっとも複雑な人柄をしたスキュラに対しても動じる姿を見せなかったので、もっとも人格者であるユグドラシルを紹介するにあたっては何の不安を覚えることもなかった。
七つの峰の中央に到着したならば、ドラゴンは低空飛行で茂みの中にもぐりこむ。そうして樹林の隙間をすいすいと進んでいくと、陽菜ははしゃいだ声をあげながら咲弥の手をつかんできた。きっとこれは、遊園地のアトラクションにも負けない体験であろう。
その末に到着したのは、幻想的な木漏れ日が躍る広場である。
その壮麗なる景観に、陽菜は「うわあ」と目を輝かせた。
この場所は頭上の梢が生き物のように絶え間なく動いているため、木漏れ日も常に形を変えるのだ。それで今日のような晴天の日は、光の雨が降り注いでいるような美しさであるのだった。
咲弥もこの地に足を踏み入れるのはちょっとひさびさであったので、うっとりと見入ってしまう。
すると、樹林の陰から緑色の髪をした少女が姿を現した。
「ひさかたぶりじゃな、皆の衆。……ふわーあ」
と、樹木の精霊の束ね役たるユグドラシルは、口もとに手をやって可愛らしくあくびをこぼした。
若葉を溶かしたような緑色の髪と瞳をしており、頭には豪奢な花冠をかぶっている。ワンピースのような装束は簡素そのものであるが、どことはなしに神々しさが備わっているため、スキュラにも負けない存在感であろう。陽菜も驚嘆に目を見開きながら、ユグドラシルと相対することになった。
「は、はじめまして。ひなは、田辺ひなといいます」
「うむ。竜王たちから、噂は聞き及んでおったぞよ。わしはユグドラシルと呼ばれる、老いぼれじゃ」
いくぶん眠そうに目を細めつつ、ユグドラシルはにこりと微笑んだ。
すでに千年を生きているというユグドラシルであるが、外見上は十歳児であるため、ちょうど陽菜とは同世代ぐらいに見える。ただやはり、こうして間近から見比べると、風格の差は歴然であった。
「ユグドラシルは、眠そうであるな。午睡の邪魔をしてしまったのなら、詫びよう」
「いやいや。日がな昼寝ざんまいなんじゃから、詫びには及ばんぞよ。うぬらであれば、いつでも歓迎じゃ」
そんな風に答えながら、ユグドラシルはまた「あふう」とあくびを噛み殺す。これだから、咲弥たちもキャンプのお誘いには加減を考えているわけであった。
「今日は陽菜ちゃんと一緒に、山菜を採ってきたんだよぉ。ユグドラシルさんは見慣れてるかもしれないけど、一緒に食べたいと思ったんだぁ」
「ほうほう。それは楽しみなことじゃな」
そのように応じるユグドラシルと笑顔を交わしててから、咲弥は設営を始めることにした。
陽菜とアトルとチコの四人がかりであるので、二組のテントとタープはすみやかに組み上げられていく。そうして咲弥が薪割りの準備に着手すると、陽菜が「あっ」と驚嘆の声をあげた。
咲弥が振り返ると、ユグドラシルの姿が樹木の間でゆらゆらと揺れている。
本日は蔓草のハンモックではなく、蔓草のブランコである。のんびりブランコを揺らしながら、ユグドラシルは「うむ?」と小首を傾げた。
「何じゃな? うぬも揺られたいなら、準備してしんぜるぞよ」
「あ、ううん。今は、薪割りがあるから……」
と、陽菜は期待の面持ちでもじもじとする。かつては咲弥もユグドラシルのハンモックを目にしたときに、同じような姿をさらしたものであった。
ともあれ、まずはランチの下準備である。二泊三日のキャンプは始まったばかりであるので、まだまだいくらでも楽しむ時間は残されていた。
「お待たせしましたぁ。これが今日の収穫だよぉ」
薪割りを完了させたのち、咲弥は作業台たる『祝福の閨』の上に数々の山菜を広げた。
ゼンマイ、タラの芽、フキノトウ、ワラビ、コゴミ、コシアブラ――春の山菜が、よりどりみどりである。
ゼンマイというのはシダ植物の若芽で、その名の通りゼンマイバネのようにぐるぐると渦を巻いている。そもそも「ぜんまい」というのは巻貝の螺旋状に巻かれた形状を指す言葉であり、それに似ていることからこちらの山菜がゼンマイと呼ばれるようになり、最後にゼンマイバネという呼称が誕生した――というのは、咲弥が今日に向けて山菜のことを調べた際に得た雑学であった。
タラの芽というのはタラノキの若芽であり、これから葉に育とうという部位が折り重なって、ころんとした可愛らしい形状をしている。
フキノトウはフキの花のつぼみで、タラの芽よりもさらに丸っこい形状だ。
フキの茎ならば咲弥もスーパーの総菜で食した経験があったが、フキノトウは初めての体験なので楽しみなところであった。
ワラビもシダ植物の若芽であるが、ゼンマイのようにぐるぐると渦を巻いてはおらず、茎の先端に小さな芽の塊が三つほどひっついている。これから開こうと身をたわめているような風情は、他なる山菜と同様であった。
コゴミはクサソテツの若芽であるが、それもまたシダ植物の一種であるらしい。かくもシダ植物の若芽というのは、食用に適しているのだ。形状としてはゼンマイに似ており、大きな芽の塊が先端でぐるんと丸くなっている。
そして最後は、山菜の女王と呼ばれるコシアブラだ。
しかし山菜に疎い咲弥は、このたび初めてコシアブラの名を知ることになった。本日は他の山菜よりも葉が開いた状態で収穫されており、茎の部分はやや紫がかっていた。
「うむ。実に見事な収穫であるな」
そのように語るドラゴンを筆頭に、他の面々も興味深げに瞳を輝かせている。ただひとり――というか三人というべきか、ケルベロスは野菜類に興味が薄かったが、陽菜の心情を思いやってか大人しく口をつぐんでいた。
「どうかなぁ? やっぱりユグドラシルさんは、みんなご存じだった?」
「うむ。しかしいくつかの種は、形状や大きさが異なっているようじゃ。こちらの世界との融合で、変異したのじゃろうな」
そんな風に言ってから、ユグドラシルはにっこり微笑んだ。
「じゃが何にせよ、わしがこれらを口にしたことはないのぉ」
「あ、そうなの? 変異して、毒草になっちゃったとか?」
「いやいや。わしが口にするのは果実や木の実で、芽やら蕾やらを口にすることはそうそうないのじゃよ」
そういえば、ユグドラシルやスキュラは火を使わないため、調理の概念そのものが乏しいようであるのだ。これらの山菜も、生食には適していないはずであった。
「それなら、腕のふるい甲斐があるなぁ。きっと気に入ると思うから、一緒に楽しもうねぇ」
「うむ。うぬの顔を見ていたら、わしも腹が空いてきてしもうたわ」
ユグドラシルは片手でお腹をさすりながら、あどけなく微笑む。
その笑顔に心を和ませながら、咲弥は調理を開始することにした。