陽菜の大切な時間
2025.9/19
当作の書籍版第2巻の発売とコミカライズ決定を記念して、ショートストーリーを公開いたします。
書籍とコミカライズの概要に関しては、活動報告をご参照ください。
本編の更新再開は10月初旬を予定しておりますので、もう少々お待ちくださいませ。
咲弥たちとの出会いによって、陽菜はどっぷりキャンプに魅了されることになった。
陽菜がキャンプに取り組むのは今回でようやく二度目であったが、もうこの楽しさを手放す気持ちにはなれそうもない。それぐらい、陽菜の心はキャンプの楽しさにがっしりとつかまれていたのだった。
もちろんそこには、異界の住人たちの魅力も大きく関わっているのだろう。
咲弥が最初に友達になったというドラゴンは、とても魅力的な存在であった。本来の姿は体長五メートルという巨体であったが、これっぽっちも怖い感じはしなかったし――その穏やかで落ち着いた物腰は、咲弥の祖父を思い出させてやまなかったのだ。
咲弥の祖父はとても寡黙で人づきあいもいいほうではなかったが、村落中の人間から好かれていた。そして陽菜も、そのひとりであったのだ。それで陽菜は咲弥の祖父にキャンプに連れていってほしいとおねだりをしていたが、ついにその願いがかなうことはなく――そしてその代わりに、今の幸せを手にすることがかなったのだった。
ドラゴンの優しい眼差しや心にしみいるような声音は、咲弥の祖父とよく似ている。きっと咲弥も、それですぐさま仲良くなることができたのだろう。咲弥とドラゴンが楽しげに過ごしているさまを見守っているだけで、陽菜は胸がいっぱいになってしまった。
そして他なる面々も、魅力のほどでは負けていない。
まずは、コメコ族のアトルとチコである。彼らは咲弥と同程度の年齢であるという話であったが、見た目は可愛らしい五歳児であるのだ。そして彼らはとても内気であり、いまだ陽菜に対してももじもじとしていたが、それがいっそうの可愛らしさであった。
それに陽菜も、普段は内気だと言われることが多い。
陽菜もまた、目立ったり自己主張したりするのが苦手な子供であったのだ。学校でもごく限られた相手としか口をきくことはなく、二人の兄たちからもいつも弱虫だとからかわれていた。
だから陽菜は、内気な相手には優しく接したいと思っている。
そうして陽菜が優しく接すると、アトルとチコもとても嬉しそうにしてくれるのだ。それで陽菜は、どんどん彼らの可愛らしさに魅了されていったのだった。
そして三名のケルベロスも、それぞれ魅力的な人柄をしている。
彼らが三名ではなくひとりの存在だという理屈は、いまだによくわからなかったが――ともあれ、陽菜はケイにもルウにもベエにもそれぞれ異なる魅力を覚えていた。
ケイはいささかならず乱暴な物腰であり、出会った当初はちょっと苦手な感じかもしれないと思ったものだが、そんな心配はすぐさま解消されることになった。彼はクラスの意地悪な男子たちとは異なり、荒っぽい言動の裏側に優しい思いやりを備え持っていたのだ。また、最初のキャンプでモルックという遊びに夢中になっていたさまは、可愛らしく思えてならなかった。
ルウは一転して落ち着いた物腰であり、ドラゴンに比べると冷たい印象もなくはなかったが、優しい部分はケイに負けていなかった。普段はとても頼り甲斐があり、甘いものを前にしたときは可愛らしくてならない。それで陽菜も彼に喜んでもらいたい一心で、このたびマシュマロを持参したのだった。
最後のベエはとても内気で、陽菜とはあまり言葉を交わしてくれない。しかし陽菜にとって、内気というのは嫌う理由にならなかった。それにけっきょく、彼も根っこは優しいのだ。そういう意味で、ケルベロスが三人でひとりの存在であるというのは、とても納得のいく話であった。
そして今回、陽菜はスキュラという新しいキャンプメンバーとも出会うことになった。
彼女はもともとこの山に住んでいた三名のひとりで、時おりキャンプに参加しているのだという。陽菜はその全員と仲良くなりたいと願っていたので、スキュラと早々に出会えたことをとても嬉しく思っていた。
また、スキュラはその三人の中でもっとも扱いが難しい性格をしているのだと聞き及んでいたが、陽菜はまったく気にならなかった。確かに彼女はいつもつんと取りすましていたが、とても綺麗で格好がよかったのだ。その水晶のようにきらめく髪を見ているだけで、陽菜はうっとりしてしまった。
それに彼女はときどき意地悪なことを言ったりもするが、怖い感じや冷たい感じはしない。きっと内心では咲弥たちと仲良くしたいと思っているのではないかと、そんな風に思えてならないのだ。それはある意味、内気に類する心情なのではないかと思われた。
まあ何にせよ、陽菜はスキュラのことも大好きだった。
この先もっと仲良くなれれば、嬉しいなと思う。咲弥には気長に頑張ってほしいと言われていたので、陽菜もそうするつもりであった。
(こんなみんなと一緒にいられたら、それだけで楽しいもんね)
陽菜は、そのように考えている。
しかしまた、それだけがキャンプの楽しみであるわけではなかった。咲弥が教えてくれるキャンプの内容だけでも、陽菜の心を浮き立たせるには十分であったのだ。
テントを張るのも、薪を割るのも、薪で火を起こすのも、その火で食事を作りあげるのも、何もかもが楽しくてならない。陽菜は家でも食事の手伝いをすることを苦にしていなかったが、それがキャンプの場になると何倍もの楽しさにふくれあがるのだった。
それはやっぱり、屋外であるためなのだろうか。山の中で調理に励むという非日常的な行いが、陽菜の心を弾ませるのだ。今回などは雨に降られてしまい、いつも以上の苦労であったが、その苦労までもが楽しく感じられるのだった。
楽しいメンバーと、楽しいキャンプに取り組む。それで楽しさが掛け合わされて、いっそうの喜びになるのだろう。今後、咲弥たちのいない場所でキャンプに取り組むとしたら、おそらくは楽しさも半減するのだろうと思われた。
しかし陽菜は、それでかまわないと思っている。
今はものすごく楽しいので、その楽しさが半減しても楽しいことに変わりはなかったし――咲弥の祖父もドラゴンたちと出会うまでは、そういうキャンプを楽しんでいたはずであるのだ。
咲弥の祖父は、陽菜が生まれる前からキャンプを楽しんでいたのである。
下手をしたら、咲弥が生まれる前からであるのだろうか。以前は畑仕事をしていたし、家には奥さんもいたはずであるから、晩年ほどしょっちゅう七首山に出向いていたわけではないのだろうが――何にせよ、咲弥が初めて祖父に出会った頃から、彼はキャンプを楽しんでいたのだという話であった。
それまで咲弥の祖父は、ずっとひとりでキャンプを楽しんでいた。
それできっと、咲弥と出会うことでいっそうキャンプが楽しくなり――ドラゴンたちと出会うことで、また異なる楽しさを見出すことになったのだろう。
陽菜もいつかは咲弥の祖父と同じように、ひとりきりのキャンプを楽しんでみたいと思っている。
だけどそれは大人になってからの話であるし、陽菜はそれまでにさまざまな知識と技術を身につけなければならなかった。そのために、咲弥は手間を惜しまずにキャンプのあれこれを教えてくれたのだった。
「ドラゴンくんのお宝って、本当に便利だからさぁ。このさき別の場所でキャンプを楽しむ機会があったら、便利アイテムのない不便さを楽しんでほしいなぁ」
ことあるごとに、咲弥はそんな言葉を口にしていた。
きっと咲弥も、亡き祖父に変わって正しいキャンプの楽しみ方を伝えたいと思ってくれているのだ。陽菜にとって、それは何よりありがたい話であった。
陽菜はまだまだ、キャンプのことを何もわかっていないのだろう。たったの二回ですべてが知れるほど、キャンプというのは底の浅いものではないはずであった。
大人になったら自分で必要な道具を集めて、どこか知らない場所までキャンプを楽しみに行く。そして、我が家に戻ってきたら――また咲弥たちと一緒に、キャンプを楽しませてもらうのだ。
そんな未来を想像すると、陽菜はいっそう幸せな心地になってしまう。
そして今は、咲弥たちとの楽しい時間を大切にしたかった。
(ゴールデンウィークにはもっといっぱいお泊りできるように、パパとママにお願いしよう。そうしたら……もっと楽しいはずだもんね)
陽菜は心中で、そんな決意を固めていた。
そして、そんな陽菜の目の前では、今もなお楽しいキャンプメンバーたちがきゃあきゃあとはしゃいでおり――陽菜の心を、いっそう温かくくるんでくれたのだった。




