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05 ねぎらいの間食

 キャンプのスポットに舞い戻った一行は、さっそく食事の準備を進めることにした。

 まだ昼食を食べ終えてから二時間も経過していないが、魔力を使ったメンバーは空腹を覚えているようであるので、取り急ぎ間食を準備することに相成ったのだ。


 その中核を担うのは、ちょっとひさびさとなる巨大魚の『大喰らい』である。

 こちらの『大喰らい』は巨大ガニのように異常繁殖することもなく、間引く必要も生じなかったため、食材とされるのはスキュラと初めて対面した日以来のことだ。ドラゴンの魔法で移送された『大喰らい』が『祝福の閨』に置かれると、陽菜はあらためてその大きさに目を丸くした。


「おっきーね! こんな大きなお魚を、お料理できるの?」


「うん。今回も、アトルくんを頼らせていただこっかぁ」


「おまかせあれなのです!」と、アトルは意気も揚々である。働き者のアトルとチコは、仕事で頼られることを何よりの栄誉であると考えているのだった。


「わたしも、おーぐらいのさばきかたをしゅーとくしたいのです! アトルにごきょーじねがいたいのです!」


「りょーかいなのです! ふたりのちからで、おーぐらいをさばくのです!」


 ということで、およそふた月ぶりに『大喰らい』の解体ショーが披露されることになった。

 体長百センチオーバーで、岩のようにごつごつとした灰色の鱗に覆われた巨大魚である。咲弥が知る中でもっとも近いのは古代魚のシーラカンスであるが、それよりもさらに凶悪な面がまえをしている。巨大で尖ったヒレなどは、ほとんど武器のようだ。


 しかし、岩をも斬り裂く『竜殺し』の短剣があれば、『大喰らい』をさばくのにも不自由はない。アトルはしっかりその手順を覚えていたようで、チコに手ほどきをしながら着々と『大喰らい』の身をさばいていった。


 咲弥と陽菜はひとまず雑用係として、アトルたちの作業をフォローしていく。食用に適さない部位は『貪欲なる虚無の顎』に投じ、物凄い質量である臓物は流し台で洗浄だ。あとは早々に切り分けられた頭部を兜焼きにするべく、焚火台に火を起こした。


「この場では、半分も食せば十分であろう。残りの半分は、夕食で使ってもらいたく思うぞ」


「りょうかぁい。それじゃあ今は、お手軽な献立を仕上げていくねぇ」


 もっとも手軽であるのは、やはり刺身であろう。そういえば、以前はなめろうやカルパッチョに挑戦しつつ、純粋な刺身は試していなかったのだ。

 皮を剥いだブロック肉を受け取った咲弥は、祖父の形見である渓流ナイフで可能な限り薄く切り分けていった。


「せっかくだから、タレのほうでアレンジしてみよっかぁ」


 もっともシンプルな醤油とワサビの組み合わせの他に、醤油とマヨネーズ、めんつゆとゴマ油、『ほりこし』とオリーブオイルという組み合わせの皿も準備する。前回は焼いた切り身でさまざまな味付けを楽しんだので、その記憶を頼りにした調合であった。


「さあさあ、スキュラさんもご遠慮なくどうぞぉ。ひなちゃんは、ケルベロスくんたちに食べさせてあげてねぇ」


「わかったー! はい、ケイくん、あーん!」


「ったく。もっと食いやすいメシに仕上げろよなー」


 もじもじと身を揺するケイの口に、陽菜の手から刺身が投じられる。前回の経験で、ケイもすっかり魚の生食に抵抗がなくなったようであった。


 いっぽうスキュラは取りすました顔で刺身をつまみあげ、『ほりこし』とオリーブオイルの小皿にひたしてから口に運ぶ。それに気づいた陽菜が、とびっきりの笑顔で振り返った。


「どう? スキュラさんも、美味しい?」


「……やかましいねェ。あたしは何百年も前から、魚を喰らって生きてるんだよォ」


「何百年も生きてるの? スキュラさんは、すごいねー!」


 どうやら陽菜は、スキュラに対しても興味津々のようである。明らかに、スキュラの美しさに魅了されている様子であった。


 スキュラの本体とはさきほどの川べりでお別れしたので、こちらは分身なのだろう。しかし、存在感や迫力に差があるだけで、美しさそのものに変わりはない。水晶のようにきらめくスキュラの髪に、陽菜はうっとりと目を細めていた。


「あと、前回お披露目してないのは……そうだそうだ、せっかく乳脂があるんだから、そいつで焼いてみよぉ」


 アトルたちが持参するキャメットの乳脂という食材は、バターによく似た風味を持っている。切り身に塩とブラックペッパーをふり、薄力粉をまぶして乳脂で焼きあげれば、立派なムニエルであった。


 おまけのひと味として醤油を垂らすと、熱されたスキレットでじゅわじゅわと焼けて、世にも芳しい香りが放出される。ケイの尻尾はいっそう激しく振りたてられて、大仕事のさなかであるアトルとチコもちらちらと視線を送ってきた。


「あはは。アトルくんたちも、気になっちゃうよねぇ。陽菜ちゃん、二人にも味見をしてもらいなよぉ」


 陽菜は「うん!」とうなずくと、銀のフォークでほぐしたムニエルを二つのスプーンですくいあげて、アトルたちのもとに駆け寄っていく。


「はい! 二人とも、あーん!」


「きょ、きょーしゅくのいたりなのです。あーんなのです」


「あはは。最後に口を閉じちゃったら、あーんの意味がないよ?」


 そんな微笑ましいやりとりを経て、二人の口にムニエルが届けられる。とたんに、二人の顔がゆるみきった。


「これは、すばらしいあじわいなのですー。チコ、しゅーちゅーをとぎらせないように、きもちをひきしめるのですー」


「りょうかいなのですー。でもでも、おいしーおいしーなのですー」


 醤油バターとは、かくも罪深き味わいである。ドラゴンたちも、満足そうに同じ罪深さを味わっていた。


「あとは余ってる焼きそばで、アレンジしてみるかぁ。焼きイブの準備もするから、ベエくんとルウくんも待っててねぇ」


「は……ですが、このような刻限からサクヤ殿の手をわずらわせるのは、申し訳ない限りです」


「いいのいいのぉ。こっちは楽しくてやってるんだからさぁ」


 みんなの喜ぶ姿によって、咲弥のやる気スイッチはとっくにオンになっているのである。自分は食べずに他者のためだけに料理を準備するというのも、なかなか悪い気分ではなかった。


「ちなみに陽菜ちゃんは、魚のみじん切りとかできるかなぁ?」


「うん! たぶんできると思うよー! このまえ、パパといっしょにハンバーグを作ったから!」


「それじゃあ、こっちの切り身をお願いするよぉ。それでなめろうを作るからさぁ」


 そうして陽菜と作業を分担しつつ、咲弥は調理に勤しんだ。

 焼きそばは少しでもランチと趣向を変えるべく、ソースを使わずにオリーブオイルとニンニクと『ジャック・オーの憤激』でペペロンチーノ風に仕上げる。『大喰らい』の切り身は別のスキレットで焼きあげて、ほぐしてまぶすスタイルだ。サーモンに似た味わいである『大喰らい』は、さまざまな料理で使い勝手がよかった。


 その間に陽菜がたたきの作業を終えていたので、調味料の配合を口頭で指示する。さすが家で手伝いをしているだけあって、陽菜の調理スキルはそれなり以上であった。


「陽菜ちゃんは、すごいねぇ。あたしはキャンプでじっちゃんに習うまで、料理なんて何にもできなかったよぉ」


「えへへ。畑がいそがしいときは、ひながお料理をがんばってたから」


 恥ずかしそうにしながらも、陽菜はとても嬉しそうだ。咲弥と同様に、キャンプメンバーの喜ぶ姿に意欲をかきたてられていることは明白であった。


 そうしてペペロンチーノ風の焼きそばを供したのち、咲弥が焼きイブの準備を進めていると、陽菜が「あーっ!」と弾んだ声をあげる。

 咲弥がそちらを振り返ると、木陰に灰色の毛皮が見え隠れしていた。


「おー、一角ウサギくんたちの登場だぁ。温泉の近くでキャンプしてると、いっつも顔を出してくれるんだよねぇ」


「すごくかわいー! あの子たちも、魔族なの?」


「たわけたことを言ってるんじゃないよォ。あんたには、魔族と獣の区別もつかないのかァい?」


 スキュラのつれない反応にめげた様子もなく、陽菜は「うん!」と大きくうなずく。


「それじゃああれは、動物なんだね! かわいいなぁ。さわりたいなぁ」


「きっと初対面の陽菜ちゃんに遠慮してるんだよぉ。陽菜ちゃんが呼んだら、来るんじゃないかなぁ」


「ほんとにー? ……おいでおいで」


 陽菜が身を屈めて手招きすると、ちらちらとこちらをうかがっていた一角ウサギの群れがやがてぴょこぴょこと近づいてきた。

 陽菜は「わーい!」とはしゃいだが、タープの外は雨であるので一角ウサギたちはずぶぬれだ。せっかくのモフモフも、すっかりしぼんでしまっていた。


「そっちのコンテナにタオルが入ってるから、それでふいてあげなよぉ」


「では、我も力を添えよう」


 ドラゴンが尻尾で小さな魔法陣を描き、温風の魔法を行使した。

 温泉で出くわすたびに同じ処置を受けているため、一角ウサギたちもすっかり手馴れた様子である。今では魔法の温風を吹きかけられると、心地よさげに目を細めるのが通例であった。


 同時進行で陽菜がタオルを使い、五頭の一角ウサギはすみやかに本来のモフモフを取り戻すことがかなった。

 その内の一頭をすくいあげた陽菜は、「かわいーねー」と優しく抱きすくめる。そして、スキュラの視線に気づいた陽菜は、笑顔で「はい」と一角ウサギを差し出した。


「……そんな不味そうな獣を喰らう気はないよォ」


「あはは! 食べたら、だめだよー! だっこしたかったんじゃないの?」


「獣なんざに執着するのは、人間族ぐらいだろうさァ」


 スキュラがぷいっとそっぽを向くと、陽菜は不思議そうに小首を傾げる。

 すると、ドラゴンが可笑しそうに目を細めながら発言した。


「スキュラは一角ウサギではなく、ヒナに関心を向けていたのであろうな」


「ひなに? ひなも、スキュラさんとおしゃべりしたいなー!」


「うるさいねェ。気安くしゃべりかけるんじゃないよォ」


 と、スキュラはさらにそっぽを向いてしまう。

 どうも咲弥に対するよりも、いっそう素っ気ない態度だ。なおかつ、冒険者たちに対するように、挑発する様子もなかった。


「ふむ……其方は、幼子が苦手なのであろうか?」


「あんたも、やかましいねェ。誰が好きこのんで、そんなひ弱な生き物にかまおうってのさァ?」


「うむ。その心情は、わからなくもない。我々のように強大な魔力を備え持っていると、か弱き存在を傷つけてしまうのではないかという不安をかきたてられてしまうのであろう」


 そう言って、ドラゴンは優しく目を細めた。


「しかし、分身であれば他者を傷つける恐れもあるまい? 思うさま、ヒナと絆を深めるがいい」


「だから、酔狂なあんたと一緒にするんじゃないよォ」


 スキュラは険悪に、眉をひそめる。いつも人を食った態度であるスキュラがそんな顔を見せるのは、これが初めてのことであった。

 すると陽菜は一角ウサギを抱きかかえたまま、しょんぼりしてしまう。


「スキュラさんは、ひながうるさいから怒ってるの? それなら、ごめんなさい」


「否。スキュラは我の粗忽な物言いに腹を立てているだけで、ヒナに悪い感情を持っているわけではない」


「ほんと? ひなは……スキュラさんと仲良くなりたいなぁ」


 陽菜はもじもじしながら、スキュラのことを上目遣いで見つめた。

 スキュラはわずらわしげに顔をそむけつつ、荒っぽい仕草で美しい髪をかきあげる。ますますスキュラらしからぬ態度であった。


「どいつもこいつも、腹立たしいねェ。そっちのそいつが、可愛く見えてきたよォ」


「あ、ほんとぉ? スキュラさんに可愛いって思ってもらえたら、嬉しいなぁ」


「……やっぱり、あんたが一番腹立たしいよォ」


 と、スキュラは皮肉っぽく唇を吊り上げる。

 なんとなく、咲弥に絡むことで自分のペースを取り戻そうとしているかのようだ。それも含めて、咲弥は何だか感慨深かった。


(よくわかんないけど、スキュラさんにとっての陽菜ちゃんは刺激物みたいだなぁ)


 であればそれは、いい刺激に落ち着けるべきであろう。

 そのように考えた咲弥はスキレットでイブ焼きを仕上げつつ、陽菜を招き寄せて耳打ちした。


「スキュラさんって、ちょっと頑固なところがあるからさぁ。陽菜ちゃんも、焦らずのんびり頑張ったらいいと思うよぉ」


「うん、わかった」と、陽菜は純真な顔で微笑む。

 それから咲弥がスキュラのほうに向きなおると、そちらは「わかっているぞ」とでも言いたげに半分まぶたを下げている。咲弥はにっこり笑顔を返してから、焼きイブを銀の皿に移動させた。


「ルウくん、お待たせぇ。他のみんなは、もうちょっと待っててねぇ」


「ふん! それより、次の魚はまだなのかよ?」


「あらら、もう焼きそばとなめろうを食べ終えちゃったのぉ? じゃ、違う味付けでお魚を焼いてみよっかぁ。……あ、そうだ。一角ウサギくんたちは、『黄昏の花弁』が好物だよぉ」


「そーなんだ? それじゃあ、ひながむいてあげるね!」


 その場には、たちまち賑やかな空気がたちこめた。

 その賑わいにまぎれるように、スキュラはふっと息をついている。それもまた、スキュラが初めて見せる仕草であった。


(陽菜ちゃんはこれからもしょっちゅうお邪魔するだろうから、何も急ぐ必要はないさぁ。スキュラさんも、末永くよろしくねぇ)


 そんな思いを胸に秘めつつ、咲弥は新たなブロック肉を切り分けていく。

 タープの外では、また雨が強くなりつつあったが――こちらの熱気はじわじわ上昇する一方で、留まるところを知らなかった。

2025.8/26

今回の更新はここまでです。更新再開まで少々お待ちください。

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