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04 不測の事態

 しとしとと小雨が降りそぼる中、咲弥たちは焼きそばとバーベキューと焼きマシュマロのランチを楽しんだ。

 雨足は時おり弱くなるものの、完全にやむ気配はない。空は灰色に閉ざされて、春らしからぬ寂然とした風情であった。


 しかしまた、生命力の塊のごときキャンプメンバーとともにくつろいでいれば、物寂しさとは無縁である。陽菜という新たなメンバーを迎えたことで、キャンプの場はいっそう華やかになっていた。


「そうだ。なんかの動画で、焼きマシュマロをココアに浮かべてるのを見かけた覚えがあるよぉ。ちょっとチャレンジしてみよっかぁ」


 咲弥の発案で焼きマシュマロをアレンジしてみると、これも大当たりである。甘いココアがいっそう甘くなって、ルウなどは尻尾が千切れそうな勢いであった。


 そうして賑やかにすればすれほど、雨天の情景との対比が際立っていく。

 やはりこれは、晴天では味わえない情緒であろう。ローチェアに身を沈めた咲弥は、なんだか暖炉の前に設置したロッキングチェアでくつろぐ老婦人のごとき心情で、はしゃぐ陽菜たちの姿を見守ることになった。


「……あんたたちは、雨が降ろうとおかまいなしだねェ」


 と――そんな皮肉っぽい声が響きわたったのは、陽菜が持参したトランプで神経衰弱を始めてから一時間ていども経過したのちのことであった。


 声の主は、もちろん水妖スキュラである。細雨でけぶる景色の向こう側からふわりと出現したその妖艶なる姿に、陽菜は「うわぁ」と声をあげた。


「すごくきれい……この人も、みんなのお友達?」


 スキュラはただ端麗な容姿をしているばかりでなく、水晶のように輝く髪と瞳をしているのだ。肌は抜けるように白く、薄物ひとつで色香あふるる肢体のシルエットがあらわになっているその姿は、世代や性別を超越して訴えかける美しさを備えているようであった。


「うん。この人は、水の精霊を束ねるスキュラさんだよぉ。ドラゴンくんより昔からこのお山に住んでる、三人の魔族のひとりなの」


「スキュラさん……あっ、ひなは田辺ひなっていいます! はじめまして!」


 陽菜はローチェアからぴょこんと身を起こし、深々と頭を下げる。

 たわわな胸の下で腕を組んだスキュラは、いつもの調子で「ふン」と鼻を鳴らした。


「またずいぶんと、ちんまりしたやつが入り込んできたもんだねェ。生憎、あたしはそんなもんにかまってるいとまはないんだよォ」


「ふむ。何か、危急の事態であろうか?」


 ドラゴンが真剣な眼差しで問いかけると、スキュラは「ははん」とそっぽを向いた。


「あんたがたにとっては、そうなのかもしれないねェ。……あたしのねぐらの裏側で、川の水があふれかえってるのさァ。ま、山の調和を乱すほどの騒ぎじゃありゃしないけど……あのままだと、あんたがたが酔狂で切り開いた土地が土砂で埋まっちまうかもしれないよォ」


「それは、畑のことであるな?」


 ドラゴンはいっそう真剣な目つきになり、アトルとチコは真っ青になって跳び上がった。


「は、はたけのいちだいじなのです? でしたら、こーしてはいられないのです!」


「ふふん。どうにかしたいなら、丸太の二十本も準備するこったねェ。それで壁でも作ったら、どうにかできるかもしれないよォ」


「丸太であるな。了承した。……ケルベロスも、助力を願えようか?」


「へん。あの畑が埋まっちまったら、うめーメシにありつけなくなっちまうからなー」


 勇ましい面持ちでそんな風に言ってから、三体のケルベロスは黒い竜巻と化して合体した。


「ぼ、ぼくたちもおちからになりたいのです!」


「はいなのです! あのはたけは、わたしたちにとってもたいせついっぱいいっぱいなのです!」


「うむ。其方たちの膂力も、必要になるやもしれん。ともに出向いてもらうとしよう」


 アトルとチコにうなずきかけてから、ドラゴンは咲弥のほうに向きなおってくる。

 咲弥は無力感を噛みしめながら、ひとつ息をついた。


「できればあたしも力になりたいところだけど……きっと足手まといにしかならないんだろうねぇ」


「うむ。しかしサクヤもこの山の管理者として、顛末を見届けたいところであろうな」


 ドラゴンは優しく目を細めると、しなやかな足取りでタープの外に出た。

 そうして本来の大きな姿に戻ると、尻尾の先で虚空に魔法陣を描く。その動きは、咲弥がこれまで目にしてきたものよりも遥かにダイナミックで、なおかつ緻密でもあった。


 そうして描かれたのは、炎のように真紅の魔法陣だ。

 そして、その魔法陣を突き破るようにして、真紅の影が地上に降り立った。


 体長は三メートルほどで、燃える炎がゆらゆらと形をつくっているかのような姿であるが――その輪郭はドラゴンそのもので、目の辺りには黄金色の炎が燃えている。その炎が優しい感情をたたえながら、咲弥を見下ろしてきた。


『これは、我の分身である。分身の術式は得手ではないので不細工な姿であるが、容赦をもらいたい』


 ドラゴンとそっくりの声が、咲弥の頭に響きわたる。声質は同じだが、明らかに鼓膜ではなく脳内に響いていると実感できる声音であった。


「ははん。大仕事の前にこんなもんを生み出すなんて、酔狂なこったねェ。しかもこいつには、魔力もたっぷり込められてるのじゃないのさァ」


『うむ。飛空と結界に必要な魔力を付与した次第である。サクヤとヒナはこちらの分身の背に乗って、我々の働きを見守ってもらいたい』


 咲弥は得も言われぬ感慨を抱きながら、ドラゴンと分身の姿を見比べた。


「でも、いいのかなぁ? ドラゴンくんに、余計なお世話をかけちゃうんじゃない?」


『こちらの分身を操作しても、多少の魔力を消耗するだけのことである。まあ、魔力を消耗したならば、美味なる食事で腹と心を満たす必要が生じようが……その点に、不安はなかろうからな』


 と、ドラゴンと分身は、二人で一緒に優しい眼差しをした。

 分身のほうは目の辺りに黄金色の炎が燃えているだけであるのに、本物のドラゴンと変わらない情感が感じ取れるのだ。それで咲弥は、ドラゴンの優しさを倍する勢いで味わわされることに相成ったのだった。


「わかったよぉ。みんなの作業が終わったら、めいっぱい腕を振るうねぇ。ドラゴンくん、ありがとう。スキュラさんもケルベロスくんも、アトルくんもチコちゃんも、どうかお山をよろしくお願いします」


 咲弥もローチェアから腰を上げて、その場の全員に頭を下げることにした。

 ケルベロスは勇壮なる表情で、アトルとチコもいつになく表情を引き締めている。ただひとり、スキュラだけが普段通りの軽妙さであった。


「じゃ、あたしはあっちの水辺で待機してるからねェ。丸太の準備ができたら、あたしの魔力を感知して念話をよこしなァ」


「ふむ。つまり、其方も本体をそちらに――」


 ドラゴンの言葉を黙殺して、スキュラの分身は雨の中に溶けてしまう。

 ドラゴンは苦笑するように目を細めてから、身を伏せた。


「では、丸太の準備をしたのちに、畑へと向かう。皆は、我の背に乗るがいい。サクヤとヒナは、分身のほうにな」


「うん。いちおう雨具を着ていくねぇ」


 咲弥と陽菜は大急ぎで雨具を纏い、分身のもとに駆けつける。

 ドラゴンの分身は炎そのものであるが、触れてみるとドラゴン本人のような温もりである。普段よりもやや小ぶりのサイズであるため、ちょっと大きめの馬にまたがるような心地であった。


「では、出発する」


 ドラゴンと分身は、同時に天へと舞い上がる。

 丸太が保管されているのは、同じ峰の裏側だ。空の高みに舞い上がると、世界はどこまでも灰色の雨にけぶっていた。


 丸太が保管されている峡谷も薄暗さに変わりはなかったが、水気を防ぐ結界が張られているため空気が乾いている。ドラゴンは二十本ばかりの立派な丸太を浮遊の魔法で持ち上げて、ともに目的の地を目指した。


「なんだか、よくわかんないけど……ひなは、みんなを応援すればいいの?」


 陽菜が不安げな眼差しを向けてきたので、咲弥は「うん」と笑顔を返す。


「魔法を使えないあたしたちは、たぶんお役に立てないからさぁ。みんなのために、美味しいごはんを準備しようねぇ」


 陽菜は真剣な面持ちで「うん!」とうなずくと、正面に向きなおった。

 畑は、二つの峰を越えた先だ。三日月の形に切り開かれた畑も、現在は小雨に打たれながら無事な姿をさらしていた。


『スキュラは、あちらであるな』


 分身の声が響くと同時に、一行は向かいの峰へと近づいていく。

 緑の深い中腹で、一見では川の姿も見当たらない。しかし、さらに近づいていくと、どうどうと水の流れる音が雨音を圧倒する勢いで響き始めた。


「ようやくご到着かァい。壁が必要なのは、そこらだよォ」


 まだずいぶん距離があるはずであるのに、スキュラの声がはっきりと響きわたる。

 そうして一行が森の茂みをかいくぐると、眼下に川のうねりが現れた。


 川の幅は十メートル足らずであるが、大量の土砂が入り混じって褐色の奔流になっている。

 ただその流れは樹林に沿ってうねうねとのたうっていたが、どこにも決壊しそうなポイントは見当たらなかった。


『これは……スキュラが水の精霊に呼びかけて、決壊を防いでいるのであるな?』


「ふん。余計な口を叩いてないで、さっさと準備を始めなよォ」


 と、濁流の渦中にスキュラの上半身が出現した。

 おそらく、これは本体であるのだろう。遠目にも、分身とは比較にならない迫力が感じられた。


『では、我々は作業に取りかかる。サクヤとヒナは、そこで見守ってもらいたい』


 そんな言葉を残して、ドラゴンと丸太の山は濁流のすぐそばに滑空した。

 分身の背中に乗った咲弥と陽菜は、十メートルぐらいの高みからそのさまを見守る。ドラゴンたちであれば何も危険はないのであろうが、手放しで安心することはできなかった。


 まずはケルベロスたちが畑に面した川辺に降ろされて、ドラゴンは浮遊していた丸太を空中で横に並べる。それを縦向きにすれば、もう立派な壁であった。


 その壁が、空中で横移動する。おそらくスキュラの指示で、位置の調整をしているのだろう。やはり肉眼では、どの箇所が決壊のポイントであるのか見当もつかなかった。


 そして、その丸太の壁が、ゆっくりと川の中に沈められていく。

 川辺に沿って、壁を築こうとしているのだ。川はわずかに蛇行しているので、自然にその壁も曲線を描くことになった。


 五十センチていどの太さを持つ丸太が二十本ばかりも並べられているので、横幅が十メートルに及ぼうかという壁である。

 その壁がとりあえず隙間なく並べられると、次なる作業が開始された。どこからともなく出現した黒い蔓草で、丸太を結び始めたのだ。その作業に従事するのが、アトルとチコの役割であった。


(なるほど。ドラゴンくんが魔法を解除してもバラバラにならないように、固定してるのかぁ)


 まるでイカダでも造りあげるかのように、隣り合った丸太同士を結び合わせているのだ。高い位置は、ドラゴンが魔法でアトルとチコの身を浮遊させていた。

 すると、途中からケルベロスも手伝い始める。彼らが口で蔓草を引き絞り、アトルとチコが結ぶのだ。それで格段に、作業スピードが加速した。


 およそ十五分ほどで、その作業は完了する。

 すると、ケルベロスが垂直にそそりたった壁を駆け抜けて、その頂上に立ちはだかった。


『次は、この壁を川底に埋めて固定しなければならない。我は微細な力加減が不得手であるため、ケルベロスに頼むとする』


 と、ドラゴンの分身がそんな風に解説してくれた。


『ロキに助力を願えば、土の精霊に働きかけることも容易いのであろうが……今はあちらも、入念に見回りをしているようであるな』


「そっか。みんな、お山のために頑張ってくれてるんだねぇ」


『うむ。我々も、サクヤに負けないぐらいこの山を愛しているのでな』


 咲弥は炎さながらにゆらめく分身の首筋に手の平を押し当てながら、精一杯の気持ちを込めて「ありがとう」と伝えた。


 下界では、最後の作業が行われている。

 ケルベロスの身が黒い炎のようなオーラをたちのぼらせると、蔓草でくくられた丸太の壁がずぶずぶと川の中に埋まり始めたのだ。


『念動の術式である。このような形状をした物体に均等に力を加えるには、微細な加減が必要となるのだ』


 その物言いからして、質量そのものに問題はないのであろうか。二十本の丸太を地中に埋めるなど、大変な力が必要になるはずであった。


 その作業の途中で、奇怪な物体が丸太の壁の左右ににゅるりと絡みつく。

 青黒い色合いをした、大蛸の触手である。


『丸太がずれてしまわないように、スキュラが力を添えてくれた。スキュラの親切と助力にも、報いなければならんな』


「うんうん。スキュラさんも、ディナーに招待しないとねぇ」


 五メートル以上の高さであった壁が、すでに二メートルぐらいの高さになっている。しかし、川の深さを考えると、まだ足りていないのであろうか。さらに一メートルぐらいの高さに下がるまで、作業は継続された。


『では、固定の術式を解除する』


 ずっと空中でみんなの作業を見守っていたドラゴンが、大きな尻尾を振りたてる。

 川沿いに設置された丸太の壁は、微動だにしない。


「それじゃあこっちも、水の精霊を解放するよォ」


 触手を引っ込めたスキュラが、そのように言い放つ。

 それでも、丸太の壁は動かなかった。


『うむ。取り急ぎ演算してみたが、この壁が川の流れに負けることはなかろう。皆の尽力に、感謝する』


「あーあ! 食ったばかりなのに、すっかり腹が減っちまったぜ!」


 そんな風にわめくなり、ケルベロスは狭い壁の上で器用に身を伏せた。


「おい! おめーは何もしなかったんだから、メシの準備で気合を入れろよなー!」


「もちろんだよぉ」と、咲弥は眼下のケルベロスに腕を振る。

 すると、ケルベロスの巨大な尻尾もぴこぴこと振られて――次の瞬間、壁の向こう側から出現した巨大な物体が、ケルベロスの尻尾に噛みついた。


「いてーっ!」と叫びながら、ケルベロスは川辺の側に転落する。

 そちらでひと息ついていたアトルとチコは、わたわたと慌てながらケルベロスのもとに駆け寄った。


「こ、これは、おーぐらいなのです! おーぐらいが、ケルベロスさまのしっぽにかみついているのです!」


「てめー! ふざけるんじゃねー!」


 バチッと青白い火花が弾け散り、喧噪の気配が静まった。

 咲弥が目を凝らすと、確かに見覚えのある巨大魚がケルベロスの足もとに横たわっている。雷撃で活け締めにされたらしく、その巨体はもはやぴくりとも動かなかった。


『これは、とんだ贈り物であるな』


 笑いを含んだ声で言いながら、ドラゴンの分身はそちらに降りていく。

 そちらにはすでにドラゴンの本体が降り立っており、丸太の壁の向こう側からスキュラもやってきた。大蛸の触手は消し去って、いつも通りの妖艶な姿だ。


「ふふん。あんたの尻尾を、虫か何かと見間違えたのかねェ。あんたが生餌になりゃあ、『大喰らい』も捕まえ放題ってこった」


「ふざけんな! こんなやつには、てめーの触手でも食わせておけよ!」


 ケルベロスはぐるぐるとうなりながら、スキュラをにらみ据える。

 咲弥は分身の背中から降りながら、「まあまあ」とその背中のモフモフを味わった。ドラゴンの結界のおかげで、おたがい雨に濡れることもなかったのだ。


「何はともあれ、お疲れ様でしたぁ。みんなには、本当に感謝してるよぉ」


「うむ。しかしこれは、山ではなく畑を守るための処置であるからな。ことさらサクヤが恐れ入る必要はないように思うぞ」


「そーなのです! たいせつなはたけをおまもりできて、しあわせいっぱいいっぱいなのです!」


 その場に満ちた温かな空気にくるまれながら、咲弥は「うん」と笑った。


「でも、ありがたいことに変わりはないし、あたしが何の役にも立てなかったのは事実だからさぁ。そのぶん、ディナーの準備を頑張らせていただくねぇ」


「ひなも、がんばるね!」


 咲弥の隣で声をあげた陽菜は、これまで以上に瞳を明るくきらめかせている。スキュラはひとりそっぽを向いていたが、他の面々は誰もが温かい眼差しで陽菜の姿を見返していた。

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