03 新たな発見
「それじゃあ、お待ちかねのランチにしよっかぁ」
タープの下でしばしくつろいだのち、一行はランチの準備を始めることにした。
ランチの定番は手軽なバーベキューであるが、毎回それではさすがに飽きてしまう。先週も陽菜にはバーベキューをご馳走したので、今回は別なる献立を考案していた。
「今日のランチは、焼きそばだよぉ。ドラゴンくんたちは、食べたことあるかなぁ?」
「うむ。何度か、トシゾウに振る舞われた経験がある」
と、ドラゴンは期待の眼差しとなり、アトルとチコは「やきそばなのですー!」とはしゃぎ回った。
「やっぱりじっちゃんも、お披露目してたかぁ。でも、どうやって作ってたんだろ? スキレットじゃ、容量が足りなそうだよねぇ」
「うむ。そういう際には、フライパンなる器具を持参していた」
それなら、納得の話である。祖父のスキレットも直径二十センチていどであったので、四名分の焼きそばを仕上げるのはずいぶんな手間になるはずであった。
いっぽう咲弥は十二インチのダッチオーブンを所持しているので、何とかなるだろうと期待している。いざとなれば、ロキの使い魔たるゴーレムに錬成してもらった石鍋も控えていた。
「それじゃあまずは、具材のカットだねぇ。今日ってキバジカのお肉はあるのかなぁ?」
「はいなのです! キバジカのおにくは、せなかなのです? おむねなのです?」
「今回は、お胸にしておこっかぁ。あとは、『黄昏の花弁』もお願いするよぉ」
キバジカの胸肉とはすなわちバラ肉で、もっとも脂身が豊かな部位である。しかしキバジカは脂身も比較的さっぱりとしており、バラ肉をたっぷり使っても重くなりすぎることはなかった。
あとは咲弥が、タマネギとニンジンともやしを持参している。麺はソースつきで市販されている品なので、調理に難しいところはなかった。
「今日はひなも、ナイフを持ってきたよ!」
と、陽菜がリュックをまさぐった。
そこから取り出されたのは、ちょっと小ぶりのシースナイフである。咲弥は「へえ」と目を丸くすることになった。
「すごいねぇ。それ、どうしたの?」
「おばあちゃんにたのんで、買ってもらったの! ひなもお料理を手伝いたかったから!」
前回のキャンプではナイフの余剰もなかったし、小学四年生の陽菜にどこまで手伝わせるべきか判然としなかったので、ひとまず見学してもらったのだ。その際に、陽菜がきらきらと瞳を輝かせていたことを、咲弥はしっかり記憶に留めていた。
「にゃるほど。学校の調理実習とかは、まだなんだっけ?」
「うん! でも、おうちでは手伝ってるから! キャベツのせんぎりとか、ママよりじょうずだよ!」
咲弥は、「にゃるほど」と繰り返した。
家で調理を手伝っており、家族がナイフを買い与えたというのなら、許容するべきであるのだろう。あとは咲弥が責任をもって、怪我のないように取り計らうのみであった。
陽菜の持参したナイフをじっくり検分させてもらうと、柄の太さや長さも陽菜の体格に見合っているようである。陽菜の家族もしっかり考えて、こちらのナイフを選んだのだろう。少なくとも、咲弥が知る田辺ハツという老婦人はこういった話をおろそかにする人間ではないはずであった。
「それじゃあ、陽菜ちゃんにも手伝ってもらおうかぁ。タマネギとニンジンは切ったことあるかなぁ?」
「あるよ! カレーライスとかも、手伝ってるから!」
そのように語る陽菜は、確かに手慣れた様子でナイフを扱っていた。刀身が短いナイフは包丁よりも扱いにくい面もあるはずであるが、それも苦になっていないようだ。少なくとも、咲弥が十歳の頃よりはよほど危なげがなかった。
(あたしは家で、キッチンに立たせてもらえなかったからなぁ)
まあ、それは家庭ごとの流儀であろうし、子供に家の仕事を手伝わせなかったことに文句をつけることもできないだろう。咲弥自身、家ではキッチンに立ちたいなどとはこれっぽっちも考えていなかったので、なおさらであった。
(あたしの調理スキルは、のきなみキャンプの場で磨かれたんだもんなぁ)
そんな思いを胸に、咲弥も具材を切り分けることにした。
その間も、タープの外ではしとしとと雨が降りそぼっている。タープやテントにぽつぽつと当たる雨音が、咲弥を清涼な心地にしてくれた。
焼きそばの具材などは大した量でもないので、切り分けの作業はすぐさま完了する。
次の準備は、火起こしだ。
そこで咲弥は、陽菜にも薪割りの作業を部分的に手伝ってもらうことにした。ナイフを使ったバトニングで、咲弥が丸太にあてがったナイフの背に薪を叩きつける作業をお願いしたのである。
咲弥がインターネットで調査した結果、子供に薪割りを任せる家庭も少なくないらしい。中には、手斧による薪割りを許可する家庭もあるようであるのだ。
しかし咲弥が手斧の使用を許されたのは中学生になってからであるし、その危険度も重々承知している。また、陽菜の肉親ならぬ咲弥が軽々に許可を出すべきではないだろう。それで、段階的に薪割りの手順を学んでもらおうと考えたのだった。
薪を振り下ろす役割であれば、最悪でもナイフを握った咲弥の手が叩かれるぐらいの被害で済む。あとは咲弥がナイフを手放したりしなければ、危険は生じないはずであった。
「そんなに力む必要はないからねぇ。まずはペグハンマーと同じぐらいの力加減で試してごらん」
陽菜は「はいっ!」と元気に応じながら、楽しそうに薪を振り下ろした。
それでもきちんと、加減はきいている。そして、じわじわと適度な力が込められて、ナイフの刃をぐいぐいと薪の内に押し込んでいった。
(なんでも楽しそうなのに、はしゃぎすぎないっていうのが、陽菜ちゃんの強みだな)
陽菜には元気な一面と内気な一面があり、作業の際にはそのブレンド具合がいい感じに発露するようである。積極的でありながら慎重さも忘れない、十歳としては実に立派な立ち居振る舞いであった。
ちなみに咲弥は、薪割りにおいて祖父の形見である渓流ナイフを使用していない。祖父はこのナイフ一本で何でもこなしていたが、薪割りだけは手斧を使用していたのだ。それはきっとナイフの寿命にも関わる話であろうから、咲弥も祖父の流儀にならった次第であった。
その手斧はアトルが、予備のブッシュクラフトナイフはチコが使って、同じ薪割りに励んでいる。それで夜に使用する分まで、あっという間に仕上げることがかなった。
「よぉし、それじゃあ調理の開始だぁ。ダッチオーブンで焼きそばを仕上げるのは初めてだから、あたしがチャレンジさせていただくねぇ。アトルくんとチコちゃんは、バーベキューのほうをよろしくぅ」
そちらは、ケイを筆頭とする食いしん坊なキャンプメンバーたちのための措置である。というか、ケルベロスはそれぞれの好物を分配して食しているので、どんな際にも肉と穀物と甘味を準備するのが理想的であるのだ。あとは焼きイブを仕上げれば、いい具合に分配できるはずであった。
「あ、そうだ! ひなもね、ルウくんにおみやげを持ってきたの!」
と、陽菜が再びリュックサックをまさぐった。
そこから取り出されたのは大きなビニールのパッケージで、そこに封入されていたのは真っ白なマシュマロである。
「キャンプではマシュマロを焼いて食べるんだって、ほしのちゃんが言ってたの! だから、これもおばあちゃんに買ってもらったんだー!」
「へえ、すごいねぇ。ほらほら、ルウくん。何か言うことがあるでしょ?」
「は……私などのために気をつかっていただき、恐縮の限りです。ヒナ殿のご温情に、心よりの感謝を捧げさせていただきます」
そんな仰々しい言葉を述べながら、ルウの尻尾はぴこぴこと振られている。それでヒナも嬉しそうに、「うん!」と顔中をほころばせることになった。
「でも、焼きマシュマロって美味しいのかなぁ? ひな、マシュマロもあんまり食べたことがないの」
「うん。それは、あたしもご同様だねぇ。でも確かに、キャンプでは焼きマシュマロが流行ってた時期があったみたいだよぉ」
「え? さくやおねえちゃんも、食べたことないの?」
「うん。あたし、あんまり甘味には興味なかったからさぁ。最近になって、ルウくんのおかげで開眼してきたって感じかなぁ」
なおかつそれも、ルウを筆頭とするキャンプメンバーに喜んでもらいたいという意識がまさっている。このたびは、陽菜に先を越されたわけであった。
(陽菜ちゃんは、ますます頼もしいなぁ)
そんな思いを胸に、咲弥は陽菜に笑いかけた。
「こっちはまだちょっと時間がかかるから、味見用にいくつか焼いてみたら?」
「うん! でも、どうやって作ったらいいんだろう?」
「たしか、マシュマロを串に刺して火であぶるんじゃなかったかなぁ。串は、あっちのコンテナに入ってるよぉ」
魚を串焼きにするために、金属製の串は常備されているのだ。陽菜は嬉々として、コンテナボックスをあさり始めた。
その間に、咲弥も作業を進行させる。ダッチオーブンもいい具合に温まったので、まずはサラダ油をひき、中華麺から炒めることにした。
ダッチオーブンは十一合の米を炊飯できるサイズであるため、八名分の焼きそばを仕上げることもできそうだ。底の面積はそれほど広くないため入念に攪拌する手間は生じたが、薪を節約するために石鍋を持ち出すのはやめておくことにした。
「準備できたよー!」という声に咲弥が振り返ると、陽菜とチコが両手に焼き串を掲げている。その先端に、白いマシュマロがふたつずつ刺されていた。
「あとは、どうしたらいいんだろう? マシュマロってやわらかいし、すぐに溶けちゃいそうじゃない?」
「そうだねぇ。あたしも憶測で語るしかないけど……まずは鉄網の上から、火に近づけてみたら?」
「わかったー! やってみよー、チコちゃん!」
「は、はいなのです!」
陽菜と共同作業する機会を得て、チコも嬉しそうな様子である。実年齢はともかくとして、外見上は五歳児のチコであるので、陽菜のほうがお姉さんであるかのようだ。
そうして二人は、アトルがバーベキューに取り組んでいるほうの焚火台に寄っていく。肉が焼けるのをそわそわしながら待ちかまえていたケイは、二人が掲げたマシュマロの串をうろんげに見比べた。
「なんだ、そりゃ? 食い物とは思えねー見てくれだなー」
「そうかなぁ? いっぱいあるから、ケイくんも食べてね!」
「ふん。どんなもんでも、半分はいただくことにしてるからなー」
ケルベロスの三名は、好物であれば二人前、それ以外は半人前という形で、三人前の食事を上手く配分しているのだ。それは、好物ならぬ品でもとりあえず食べずにはいられないという思いがあっての取り決めであるのだろうから、咲弥としても感無量であった。
「うーん。思ったよりも、焼けないみたいだねー」
と、鉄網の上からマシュマロをかざした陽菜は、しきりに首をひねっている。
すると、ドラゴンがそちらに首を向けた。
「肉なども、じっくり炙り焼きにすることで素晴らしい仕上がりを目指せるようであるからな。焦らず、時間をかけるべきではなかろうか?」
「うん! コゲちゃったら、もったいないもんね!」
ドラゴンの落ち着いた声に力づけられた様子で、陽菜は待機の構えを取った。
いっぽう咲弥は熱の通った中華麺をいったん大皿に移して、バラ肉の焼きあげに取りかかる。そちらが一分少々でほどよく焼きあがったならば、野菜と中華麵を加えて、蒸らしながらの焼きあげだ。陽菜とチコがはしゃいだ声をあげたのは、その最後の工程に取りかかったタイミングであった。
「なんだか、ちょっとずつ焼けてきたね!」
「は、はいなのです! かぐわしーかおりもしてきたのです!」
咲弥もそちらを覗き込んでみると、マシュマロの表面がキツネ色に変じつつある。時間をかけて炙り焼きにしたのが功を奏したのか、表面が溶け崩れたりはしていなかった。
「おいしそうだね! もう食べてもいいかなぁ?」
「とりあえず、味見してみればよいのではなかろうか? そちらの串は、我が受け持とう」
陽菜は両手に鉄串を掲げていたので、ドラゴンが尻尾で片方を受け取る。
陽菜は「ありがとう!」と笑顔でお礼を言ってから、残された串の先端をルウのほうに差し出した。
「はい、ルウくん! クシは熱いだろうから、ヤケドしないように気をつけてね!」
「は……ですが私は、こちらの菓子を食した経験もありませんので……味見の役には、不適当なのではないでしょうか?」
「そうかなー? でも、ルウくんに最初に食べてほしかったから!」
陽菜の果てしなく善良な笑顔にはあらがえなかったようで、ルウは粛然と一礼してから焼きマシュマロをくわえこんだ。
次の瞬間には、ふさふさの尻尾が盛大に振られている。初めて口にする焼きマシュマロのお味も、ルウの口に合ったようであった。
「どうどう? おいしい?」
「は……甘やかな味もさることながら、実に不可思議な食感であるかと思われます。初めて口にする菓子ですので、火加減に関しては何が正解であるかも判じられませんが……ともあれ、美味であることに疑いはありません」
「まどろっこしーなー! 美味いなら美味いでいいだろーがよ!」
文句をつけるケイに「あはは」と笑ってから、陽菜はドラゴンに向きなおる。
「きちんと焼けたみたいだから、みんなで食べてみよーよ!」
「左様であるな。では、こちらの分は我とサクヤでいただこう」
四本の串にふたつずつのマシュマロが刺されているため、ちょうど八名でひとつずつ味見できる分量であったのだ。
そうして咲弥がダッチオーブンにソースを投じたところで、ドラゴンが尻尾の串を差し出してきた。
「まずは、サクヤから味わうがいい」
「えへへ。なんだか、照れ臭いねぇ」
咲弥は左手で頭をかきながら、ドラゴンが差し出す焼きマシュマロをくわえて、串から引き抜いた。
焼けた表面は、マシュマロらしからぬ硬い食感になっている。しかしそれも薄皮一枚のことで、その内側にはとろけた甘みの塊が待ちかまえていた。
咲弥が最後にマシュマロを食したのは、いったいいつのことであったか――それを思い出すことも難しいぐらい記憶は薄れていたが、何にせよ、これほど好ましい味わいではなかったはずだ。パリパリに焼けた表面ととろけた中身のギャップが絶妙で、ほのかな温もりがいっそう甘みを際立たせているようであった。
アトルとチコは「おいしーのですー!」とはしゃいでいるし、咲弥と同じ串から焼きマシュマロを口にしたドラゴンも満足そうに目を細めている。
それらのすべてに心を温かくしながら、咲弥は陽菜に向きなおった。
「こんなに美味しいなら、キャンプで流行ったのも納得だねぇ。新たな発見を、ありがとう」
咲弥がそのように伝えると、陽菜は心底から嬉しそうに「うん!」とうなずいてくれた。




