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07 温かな記憶

「ありゃ、陽菜ちゃんは寝ちゃったかぁ」


 咲弥がそのように告げると、ドラゴンは優しい声音で「うむ」と応じた。


「心身ともに、力尽きたのであろう。十歳の幼子としては、まだしも持ちこたえたほうなのではないだろうか?」


「そうだねぇ」と答えながら、咲弥は自前のマウンテンパーカーを陽菜の上にそっとかぶせた。

 すでに夜半となっており、夜食の無水カレーをたいらげたのちのことである。小さな体をローチェアにうずめた陽菜は、世にも安らかな顔ですやすやと寝入っていた。


 アトルとチコとケルベロスは、まだまだ元気な様子で果実酒を楽しんでいる。けっきょくモルックの勝負はパートナーを交代させながら三回も楽しむことになったので、さらに親睦が深まった様子であった。


 ちなみに、二回目の勝者はルウとベエのペアであり、三回目の勝者はケイとアトルのペアとなる。一度も勝利の美酒を味わえなかったのは咲弥とチコのみであるが、チコもまったく無念の思いを引きずっている様子はなかったので幸いなところであった。


「……サクヤが勝利をあげられなかったのは、いささか意外な結果であったな」


 ドラゴンがそんな言葉をこっそり伝えてきたので、咲弥は「あはは」と笑ってしまった。


「そうかなぁ? あたしって競争心が薄いから、こういう勝負には強くないんだよねぇ」


「左様であるか。それでもサクヤは、持って生まれた力でもって軽やかに勝利する姿が似合うように思うのだが」


「それは、買いかぶりだよぉ。まあ今日なんかは、普段以上に集中力が欠けてたかもねぇ。みんなの楽しそうな姿で、心が和みきってたし……しかも、陽菜ちゃんまでいたわけだからさぁ」


「うむ。ヒナにもキャンプの楽しさを、しっかり教示できたようであるな」


 ドラゴンは穏やかに目を細めながら、また陽菜の寝顔に視線を落とした。

 陽菜の寝顔は、ほとんど笑っているかのようである。そんな寝顔を見守っているだけで、咲弥も心が満たされてならなかった。


「陽菜ちゃんもドラゴンくんたちと仲良くなれて、何よりだったよぉ。迷うあたしを後押ししてくれて、ありがとうねぇ」


「うむ。心優しきサクヤであれば、迷うのが当然であろう。我の無遠慮な振る舞いが功を奏して、安堵している」


「ドラゴンくんこそ、優しさの権化じゃん。でもきっと、それだけヒナちゃんと仲良くなりたかったってことなんだろうねぇ」


「うむ。ヒナはトシゾウにとって、数少ない友であったのであろうからな」


 そう言って、ドラゴンはいっそう目を細めた。

 半分まぶたに隠された黄金色の瞳が、ランタンの光を反射させて美しいきらめきをたたえている。


「トシゾウは、余人を頼ることなく満ち足りた生を過ごせる強さを持っていた。それゆえに、余人と絆を育むことを苦手にしていたようであったが……そちらの村落の住人はおおよそトシゾウのことを慕っていたし、その中でもヒナはひときわ懐いていたようであるのだ」


「うんうん。だからキャンプに連れていく約束をしてたんだろうねぇ」


「うむ。しかしトシゾウは、その約束を果たすことができなかった。だから我もトシゾウの友として、なんとか力を添えたかったのだ」


 ドラゴンは細めた目に同じきらめきをたたえたまま、咲弥の顔を見返してきた。


「無論、サクヤひとりでも、ヒナの心を満たすことはかなったのであろうが……我も、他人顔はできなかったのだ。差し出がましい真似をしてしまい、サクヤには申し訳なく思っている」


「何を言ってるのさぁ。みんなも一緒のほうが楽しいに決まってるんだから、何も申し訳なく思う必要はないよぉ」


「うむ。これがサクヤの世界で言うところの、結果オーライというものなのであろうかな」


 ドラゴンのおどけた物言いに、咲弥はまた「あはは」と笑ってしまう。

 ドラゴンはしみじみとした調子で、さらに言いつのった。


「きっとヒナにとって、今日という日は忘れられないものとなろう。……トシゾウと初めてのキャンプを楽しんだサクヤと同様にな」


「うんうん。気づいたら十年以上も経っちゃったけど、あの日のことは今でも忘れられないなぁ」


「左様であろう。それは、トシゾウも同様であったからな」


 咲弥がきょとんとすると、ドラゴンはわずかに申し訳なさそうな眼差しになった。


「これはサクヤに告げるべきか、ずっと迷っていたのだが……もしも気分を害してしまったならば謝罪するので、どうか聞いてもらえようか?」


「うん。あたしがドラゴンくんに腹を立てる図ってのは、ちょっと想像つかないからねぇ。ご遠慮なく、どうぞぉ」


「うむ……以前にも語った通り、我はトシゾウと初めて出会った際に心根を精査している。トシゾウはこの地で初めて相対した人間族であったので、危険がないか入念に調べる必要があったのだ」


 その話はこれまでにも何度かうかがっているので、咲弥が今さら腹を立てる理由はない。

 それで咲弥がのんびり待ちかまえていると、ドラゴンは意想外な言葉を口にした。


「トシゾウの心はどこまで深く精査しても、凪いだ海のように静謐であったが……随所に、温かな光が灯されていた。そしてそれは、おおよそサクヤとともに過ごした際の記憶であったのだ」


 意表を突かれた咲弥は、「……へえ」としか答えることができなかった。

 ドラゴンは、静かに言葉を重ねていく。


「さらに古い時代までさかのぼれば、伴侶と過ごした記憶にも温かな光が残されていた。しかしこの十数年に限って言えば、サクヤと過ごした記憶ばかりが温かな光を灯していたのだ。その中でもっとも古いのは、およそ十二年前の記憶であり……サクヤに初めてキャンプの手ほどきをしている記憶であった」


「……へえ」


「その記憶は、ひときわの温もりと眩さを宿していた。トシゾウにとっても、サクヤとの初めてのキャンプは大切な思い出であったのだ。それを、サクヤに伝えておきたかった」


 そう言って、ドラゴンは陽菜の寝顔に視線を落とした。


「トシゾウは視覚的な情報を記憶に残さない気質であったため、当時のサクヤがどのような姿をしていたかは見て取ることもできなかったが……きっと今のヒナのように、安らかな顔をしていたのであろうな」


「あはは。じっちゃんとお泊りキャンプにチャレンジしたのは、もうちょっと後の話だけどねぇ」


 そのように答えながら、咲弥はローチェアに深くもたれて頭上を仰ぎ見た。うかうかしていると、熱いものが目もとからこぼれてしまいそうだったのだ。


 咲弥たちの頭上には『精霊王の羽衣』が張られているので、春の星空が玉虫色のきらめきの向こう側にうっすらと透けている。ともすれば、それらの輝きもにじんでしまいそうだった。


「それで、今の話のどこにあたしが腹を立てる要素があったのかなぁ?」


「うむ。勝手に盗み見たトシゾウの心根をつぶさに語るというのは、サクヤにとって不快な行いなのではないかと懸念した次第である」


「にゃるほど。あたしはそんな風に考えてくれるドラゴンくんのことを、大好きだと思ってるよぉ」


 咲弥はスウェットの袖で目もとをぬぐってからドラゴンのほうに向きなおり、にっと白い歯をこぼしてみせた。


「きっとあたしの心の中では、ドラゴンくんたちと一緒に過ごした記憶がぺかぺか光ってるはずだよぉ。陽菜ちゃんも、そうだといいねぇ」


「うむ。幼きヒナのために、力を尽くしたいところであるな」


 ドラゴンもまた、優しく目を細める。

 すると、『祝福の閨』の向かいで騒いでいたケイが「おーい!」と身を乗り出してきた。


「おめーら、いつまでぼそぼそしゃべくってるんだよ? 酒が全然進んでねーんじゃねーか?」


「ごめんごめん。なんか、おつまみでも準備しよっかぁ?」


「なんか作るなら、食ってやってもいいぞ!」


 ケイは瞳を輝かせながら、ぱたぱたと尻尾を振る。

 ルウとベエも、アトルとチコも、それぞれ咲弥とドラゴンのほうを見ていた。こちらがしんみり語らっていたものだから、心優しき彼らを心配させてしまったのだろうか。


(こんなメンバーに囲まれてたら、陽菜ちゃんも両手で抱えきれないぐらいの思い出を作れるはずさ)


 そしてそれは、咲弥も同様である。

 そんな喜びを心の深い部分で噛みしめながら、咲弥は新たな料理を手掛けるためにクーラーボックスを開くことにした。

2025.7/19

今回の更新はここまでです。更新再開まで少々お待ちください。

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― 新着の感想 ―
いい記憶って大切ですよね、子供にとっても大人にとっても。 すごく温かい一幕でした。
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