04 設営
ドラゴンの巨体が天高く舞い上がると、陽菜は何度目になるかもわからない歓声をあげた。
しかし咲弥も、基本の心情に変わりはない。咲弥はキャンプのたびにこの空の旅を楽しんでいたが、まだまだまったく飽きる気配はなかったのだった。
「すごいすごーい! あ、ひなのおうちも見えるよー!」
「うんうん。でも、向こうからは見えないから心配はいらないよぉ」
本日も快晴であるため、七首山の威容は春の陽射しにきらめいている。その麓に、咲弥たちが暮らす村落と田畑が広がっていた。
この場では、咲弥と陽菜だけが同じ光景を見ていることになる。アトルやチコやケルベロスたちの目に映るには、広大なる砂漠の様相であるのだ。そしてその両方の世界に干渉できるというドラゴンの目に、世界はどのように映っているのか――出会って二ヶ月が経過しても、それは謎のままであった。
「それでは、着陸する」
ドラゴンはものすごいスピードで飛空できるため、空の旅はいつもあっという間に終わってしまう。
そうしてドラゴンが降り立ったのは、西から二番目と三番目の峰の狭間であった。
西から三番目の峰の反対側には、数々の温泉が存在する。反対側のこちらの峡谷も、ごつごつとした岩場であり――そしてそこに、驚くべき光景が待ち受けていた。
「うひゃー。丸太って、こんなに保管されてたんだぁ?」
「うむ。世界を融合させた折には、ずいぶんな数の樹木を間引くことになったのでな」
淡い灰色をした岩場に、丸太の山が積み上げられている。おそらくは、百本や二百本という数ではないのだろう。太さも長さも色合いもまちまちである丸太が、二階建ての建物よりも高い位置までどっさり積み上げられていた。
「以前にも説明したかと思うが、こちらには水気を通さないように結界を張っている。なおかつ、下段の丸太が腐敗してしまわないように、時おり上下を入れ替えているのだ」
「すごいねー! こんなにたくさんの木を、どうするの?」
そのように問うたのは、陽菜である。
ドラゴンは、重々しくも優しい声音でそれに答えた。
「確たる目的は、存在しない。これらの樹木はこちらの都合で間引くことになったので、ただ腐らせてしまうのは忍びないと考えてのことである」
「うんうん。でも今までも椅子やお皿の材料として、あれこれ活用させてもらったんだぁ。いざとなったら、薪として使うこともできるしねぇ」
「すごいねー! 今日はこれで、何を作るの?」
「うん。実は、こんなに立派な丸太は必要ないんだけど……ねえねえ、ドラゴンくん。あたしの腕ぐらいの太さをした丸太とかってあるのかなぁ?」
「うむ。小ぶりの丸太は、上段であるな。如何ほど必要なのであろうか?」
「えーっとね」と、咲弥はサロペットエプロンのポケットをまさぐった。いつかチャレンジしようという目論見で、スマートフォンにメモを残していたのだ。回線の通らないこちらの山中において、咲弥のスマートフォンは時計とメモ帳の役にしか立っていなかった。
「うん、合計で二メートルちょいもあれば、十分だねぇ。何本かに分かれてても、かまわないからさぁ」
「承知した。では、しばし待っていてもらいたい」
ドラゴンは単身で飛び立って、丸太の山の頂を目指した。
そうして尻尾で目的の品を絡め取り、すぐさま舞い戻ってくる。一メートルていどの細長い丸太が三本であった。
「念のため、余分に運んできた。必要がなければ、焚きつけにでも使ってもらいたい。それでこの後は、何処に腰を落ち着けようか?」
「そうだなぁ。またホニャララ殺しが必要になるから、例の洞窟の前にしよっかぁ」
「ふむ? それは、『竜殺し』のことであろうか?」
「そうだよぉ。でも、そんな言葉はなるべく口にしたくないからねぇ」
咲弥が笑いながら答えると、ドラゴンも「左様か」と目を細めた。
そうして再びの、空の旅である。ひとつの峰を飛び越えれば、そこがもう目的の地であった。
山頂近くの岩場であり、壁面には大きな洞穴が口をあけている。その洞穴に、ドラゴンのお宝が眠っているのだ。フットサルができそうなぐらい広々とした岩場が広がる、咲弥のお気に入りのスポットのひとつであった。
「わー、すごーい!」と、陽菜はまたはしゃいだ声をあげる。この場所は開けているので、隣の峰を見渡すことが可能であるのだ。冬の終わりには『星の花』が咲き乱れる山腹が雄大な姿をさらしており、絶景という他ない景観であった。
「それじゃあまず、テントとかを設営しよっかぁ。キャンプの楽しみは、そこからだからねぇ」
「うん! よろしくおねがいします!」
期待に瞳を輝かせる陽菜の眼前に、咲弥の愛車とドラゴンが保管していたキャンプギアが亜空間から引っ張り出される。大きな作業台たる『祝福の閨』の上には立派な宝箱がいくつも並べられており、それがまた陽菜の期待をかきたてたようであった。
「この人数だと道具が足りないから、ドラゴンくんのお宝アイテムもお借りしてるんだよぉ。おいおい説明していくから、お楽しみにねぇ」
しかしまずは、設営である。いつも通り、テントとタープのひと組はアトルとチコにおまかせして、咲弥は陽菜にレクチャーしながら作業を進めることにした。
「最初にこのグランドシートっていうのを地面に敷いて、その上にテントを設営するんだよぉ。それでテントの入り口は風が吹き込まないように、風下に向けるの。ここは高台の割に風は強くないけど、いきなり強風でも吹いたらテントが吹き飛ばされちゃうからねぇ」
そんな説明を施しながら、咲弥は陽菜とともにテントを組み上げていく。
かつては咲弥も、祖父からこのように設営の手順を習い覚えることになったのだ。否応なく、咲弥の胸にはさまざまな思い出があふれかえった。
そんな咲弥たちの姿を、ドラゴンとケルベロスは黙って見守っている。祖父を知らないケルベロスは普段通りのたたずまいであるが、ドラゴンはとても優しい眼差しだ。その眼差しが、咲弥の情感をいっそう揺さぶってやまなかった。
陽菜にはスタンダードな設営から覚えてもらいたいので、『精霊王の羽衣』と『聖騎士の槍』はアトルたちに担当してもらい、こちらでは自前のタープを受け持つことにする。
ただしこちらのスポットは足もとが硬い岩盤であるため、ペグだけは『昏き眠りの爪』を頼らなくてはならない。テントを固定させる際に、咲弥は注釈を施した。
「普通はこのペグっていう道具を地面に打ち込んで、テントを張ったロープを固定するんだけどねぇ。この岩場だとペグが通らないから、ドラゴンくんのお宝をお借りするんだよぉ」
そうして咲弥がペグハンマーで叩くと、黒き杭たる『昏き眠りの爪』は易々と岩盤の内側にもぐりこんでいく。その常識を外れた光景に、陽菜は「うわあ」と目を輝かせた。
「すごいね! ひなも、やってみたい!」
「うん。でも、ハンマーを扱うのは危ないから――」
そこまで言いかけて、咲弥は後の言葉を呑み込んだ。
咲弥もまた、祖父との初めてのキャンプではペグを打ってみたいとおねだりしていたのだ。祖父がそれを断らなかったことを、咲弥ははっきり記憶していた。
(あたしが十歳の頃に、許してもらえなかったのは……たぶん、薪割りだけだったよな)
咲弥はまた大いに胸の内側を揺さぶられながら、陽菜にペグハンマーを手渡した。
「それじゃあ、自分の手を叩いちゃわないように気をつけてねぇ。力まずに、ハンマーの重さを利用するんだよぉ。ペグは、ロープと直角になる角度でねぇ」
そうして咲弥たちがテントを完成させた頃には、アトルたちはすべての作業を完了させていた。
初めてのペグ打ちに頬を火照らせた陽菜は、玉虫色にきらめく『精霊王の羽衣』にまた歓声をあげる。
「すごーい! きれいだね! なんだか、おひめさまのドレスみたい!」
「うん。本来は、そういうものを仕立てるためのお宝らしいからねぇ」
ドラゴンのお宝アイテムの効果で、陽菜はあの頃の咲弥よりも昂揚している様子である。
それにそもそも、ドラゴンたちに見守られているだけで、昂揚が増幅されて然りであろう。この人数では、さすがの祖父も分が悪かった。
(ま、そんなもんは比べたって意味ないしね)
ドラゴンたちとのキャンプがどれだけ楽しかろうとも、祖父との思い出が色あせることはない。むしろ陽菜は祖父とキャンプを楽しむ機会を失ってしまったのだから、その分まで今を楽しんでほしかった。
その後は、陽菜と二人でタープを設営していく。
働き者のアトルとチコは手伝いたくてうずうずしている様子であったので、そちらには薪割りをお願いすることにした。
「あたしが自分で薪割りするようになったのは、中学生になってからなんだよねぇ。ただ、小学生でも包丁を使ったりはするわけだから、一概に危ないって決めつけるべきではないのかなぁ。一般的にはどうなのか、今度調べておくねぇ」
「うん! ありがとう! でも、ひなはすっごく楽しいよ!」
「うんうん。設営を楽しめるようだったら、キャンパーの素質もムンムンだねぇ」
そんな言葉を交わしながら、タープも無事に完成させることができた。
ドラゴンの怪力によって『祝福の閨』がタープの下に移動されて、基本の設営は完了である。咲弥は陽菜のために、自前のローチェアを差し出した。
「あたしはじっちゃんのチェアを使わせていただくから、陽菜ちゃんはこちらをどうぞ」
「ありがとう!」と元気に応じる陽菜とともに、咲弥はローチェアを組みあげた。
陽菜はこの数十分で何度となく感謝の言葉を口にしながら、まったくおざなりな感じにはなっていない。それもまた、陽菜の純真さのあらわれであった。
「ようやく一段落だねぇ。みんな、おなかの具合はどんなもんかなぁ?」
「うむ。昼にはサクヤが参じるという話であったので、朝方に山の果実を口にしたのみである」
と、ドラゴンは愛くるしくもじもじとする。アトルとチコも同様であり、ケルベロスはぱたぱたと尻尾を振っていた。
「それじゃあ恒例の、バーベキューといきますかぁ。おもちゃ作りは、その後のお楽しみだねぇ」
「ふむ。サクヤが木材で手掛けようと思案しているのは、玩具であったのか」
「まあ、そんなようなもんだねぇ。みんなが楽しめるかどうかは、乞うご期待ということで」
そうして咲弥たちは焚火台に火を灯し、バーベキューのランチを楽しんで、午後からの遊楽に備えることに相成ったのだった。




