08 預言
豪華なイブニングディナーのさなか、突如として預言の儀式が執り行われることに相成った。
とはいえ、食卓に背を向けたウィツィが石板を膝の上に置きながら、小さく呪文を唱え始めたのみである。冒険者たちは固唾を呑んでそのさまを見守っていたが、それ以外の面々は黙々と食事を進めていた。
(あたしたちは、まごうことなき部外者だもんなぁ)
咲弥もウィツィの集中をさまたげないように気をつけながら、鍋物の第二陣を焚火台の火にかける。いっぺんに仕上げると煮詰まりすぎてしまうため、鍋は三つに分けていたのだ。
あるていどの熱は事前に通していたため、新たな鍋はすぐにぐつぐつと沸騰し始める。
そのタイミングで、ミシュコが「おお!」と驚嘆の声をあげた。
ウィツィの膝にある『プロフェーテースの黒碑』が、黒く輝き始めたのだ。
黒く輝くというのは面妖な物言いであろうが、そうとしか表現のしようがない。もともと真っ黒な石板が、黒い炎のような輝きをゆらめかせているのである。そして、静かにうつむいたウィツィの肢体もまた、不可視の波動を纏っているように感じられてならなかった。
「……魔道士ウィツィの名において……星辰の導きを、我に捧げたまえ……」
ウィツィの呪文が、咲弥にも理解できる言葉に切り替えられた。
「……かつての銀の森の王と、その息女たる第二王女は、何処の地に……?」
ぐわんと、あたりの空気が揺れたような気配がした。
アトルとチコは固く口をつぐみつつ、おたがいの身を抱きすくめる、咲弥も思わず、ドラゴンのそばに身を寄せてしまった。
ドラゴンは咲弥を安心させるように、尻尾の先端をそっと肩に置いてくる。
そんな中、石板の表面から青白い紋様のような文字が浮かびあがり――そして、ゴーレムよりも無機的な声が陰々と響きわたった。
『かつての銀の森の王と第二王女は、南の最果てにあり。王位は第二王女に継承され、金の森の女王として君臨す』
ウィツィはびくりと背中を震わせてから、小さく息をついた。
とたんに石板の輝きは消え失せて、奇怪な雰囲気も消滅する。ウィツィはけだるげに身をよじり、右腕で石板を振りかざした。
「用事は済んだわ。……あなたの親切に、感謝の言葉を捧げさせていただくわよ」
「うむ。其方の役に立てたのならば、預言の石板も本望であろう」
ドラゴンは最後に咲弥の肩をぽんと叩いてから、尻尾で石板を受け取った。
食卓のほうに向きなおったウィツィは、ぐったりと頬杖をつく。石板から預言を授かるには、ひと晩の休息が必要になるほどの魔力が必要であるという話であったのだ。確かにウィツィはこの数分間で、すっかり消耗してしまったようだった。
「も、もう終わりなのかよ? 銀の森って……地竜族に滅ぼされたっていう、お前の故郷のことだよな?」
ミシュコが性急に問いかけると、ウィツィはうるさそうに顔をしかめながら酒杯を口に運んだ。
「わ、わたしはてっきり、ウィツィの同胞はみんな死に絶えてしまったのかと思っていました。でも、別の地で元気に過ごしておられるのですね」
いっぽうトナは、瞳を輝かせている。
しかしその可愛らしい顔に、すぐさま不安げな表情が広がった。
「で、でも、かつての王家の方々が新たな地で君臨しているというのなら……ウィツィも、そちらに参じてしまうのでしょうか? そのために、王家の方々の居場所を突き止めようと考えたのでしょうか?」
「…………」
「い、いえ。同胞たちと再会できるなら、それが一番ですよね。わたしたちに、文句をつけることはできません。……でも……」
と、トナは涙ぐみながら口ごもってしまう。
そして、テクトリが「ふん」と鼻を鳴らした。
「しかし、南方の最果てに向かうには相応の資金が必要になるし、単独の旅は厳しいだろう。もしや、俺たちを護衛役として雇おうという算段か?」
「……うるさいわね。誰もそんなこと、言っていないじゃない」
「では、どうするのだ? 南方の国境地帯は魔獣どもが跋扈しており、お前ひとりの手には余るはずだぞ」
「だから、そんな場所に向かう気はないわよ。南の果てで暮らすなんて、御免こうむるわ」
「ほ、本当ですか?」と、トナは再び瞳を輝かせる。
「でも……それなら、どうして王家の方々の行方を探そうと考えたのです? それに、ご自分のご家族の安否を確かめなくてよかったのですか?」
ウィツィは、「ははん」としか答えなかった。
すると、我関せずで火酒のカクテルを楽しんでいたスキュラが、妖艶に微笑む。
「だからこの娘は、家族の安否を確かめたんでしょうよォ。まったく人間族ってのは、察しが悪いねェ」
「は、はい? だってウィツィは、王と王女のことしか……」
そこまで言いかけて、トナは愕然とした。
「え? ま、まさか、その王と王女がウィツィのご家族だとか……?」
「そんじょそこらのダークエルフじゃ、こいつほどの器を備え持ってる道理もないからねェ。そんなこともわからずに、あんたは仲間面をしてたのかァい?」
「ほほほ。ダークエルフの王族ならば、確かに納得じゃな。竜王やケルベロスが手こずるはずじゃわい」
「へん! 山を守れとか言われなきゃ、こんなやつ雷撃の一発でぶっ倒せるけどな!」
と、魔族の面々はいつも通りの調子である。
咲弥としても、取り立てて動揺する理由はない。アトルとチコも、みんなの様子を心配げに見回しながら食事を再開させていた。
が――ミシュコとトナは言葉を失っており、テクトリはじっとウィツィの横顔を見据えている。
ウィツィは銀色の髪を荒っぽくかき回しながら、スキュラのすました顔をにらみつけた。
「余計な口をはさみやがって……やっぱりあんたは虫が好かないわよ、この大蛸野郎」
「ダークエルフに好かれたって、こっちには何の得もないからねェ。あんたが王女らしいつつしみを残していたら、少しはそそられたかもしれないけどさァ」
「くたばりやがれ」と、ウィツィは美麗な唇で吐き捨てる。
空気がとげとげしくなりかけていたので、咲弥もそこで声をあげることにした。
「まあとりあえず、ウィツィさんはお疲れさまぁ。鍋の第二陣が煮えたけど、おかわりは如何かなぁ?」
やかましいと一刀両断されるかと思いきや、ウィツィはすねた幼子のような目を咲弥のほうにちらりと向けてきた。
「なんだか今は、塩気のあるものを口にする気分じゃないわね。……甘い菓子は、食事の後なの?」
「おやおや、ウィツィさんは甘いお菓子をご所望で? ルウくんもそろそろ我慢の限界かもしれないから、ちゃちゃっと仕上げちゃおっかぁ」
「いえ。どうぞ私のことは、お気になさらず」
などと言いながら、ルウはぱたぱたと尻尾を振っている。そちらにサムズアップしながら、咲弥はローチェアごと背後に向きなおった。
今回は大きく移動する必要もなく、そちらにローテーブルを準備しておいたのだ。グリルスタンドを含めて三台に及ぶローテーブルには、菓子の材料がどっさり積み上げられていた。
材料は、小麦粉、重曹、牛乳、砂糖、キャロットの乳脂、百里香、鶏卵のごとき『大地の卵』、そしてリンゴのごとき『イブの誘惑』である。モーニングコーヒーとモーニングココアのために牛乳を多めに持参していたのは、僥倖であった。
しかしこれらをただ焼きあげるだけでは、ホットケーキと変わりがない。一昨日もホットケーキざんまいであったので、多少は変化をつけたいところであった。
(菓子作りは、そんなに得意じゃないけど……ま、どうにかなるっしょ)
小麦粉は、すでに重曹と牛乳と乳脂と『大地の卵』を添加している。あとは『イブの誘惑』とともに焼きあげるのみであるが、そこで若干の工夫を凝らすことにした。密閉性の高いダッチオーブンでもって、蒸し焼きにしてみようという算段であったのだ。
まずは以前と同じ要領で、薄いくし切りに仕上げた『イブの誘惑』を乳脂で焼きあげる。その際に、百里香のパウダーを適度に振りかけた。
頃合いを見て、その上から大量の生地を流し込む。あとはダッチオーブンの蓋を閉めて、焼けた炭を蓋の上に移動させれば、ひとまず完了である。
「……だけど、お前が本当にダークエルフの王女だってんなら、それこそ人間族なんざ内心で見下してるんじゃねえか?」
と、咲弥が食卓のほうに向きなおると、またその話題が蒸し返されていた。
真剣な面持ちでウィツィに詰め寄っているのは、ミシュコだ。ウィツィはけだるげに頬杖をついたまま、「やかましいわね」と言い捨てる。
「ダークエルフの王女が人間族を見下すのが当然だってんなら、人間族がコメコ族を見下すのも当然ってことね。そんなんだから、あんたはあの小娘に噛みつかれるのよ」
「は、話をそらすなよ! 今は、お前の話をしてるんだろ!」
「そんな話をして、どうなるっていうのよ? あたしを信頼できないんなら、パーティーを追放すればいいじゃない」
何やら、剣呑な雰囲気である。
すると――誰あろう、ドラゴンがゆったりと発言した。
「せっかくの絆をこのような形で不意にしてしまうのは、あまりに惜しい話であろう。今少し、おたがいの心情を思いやるべきではなかろうか?」
ミシュコは、ぎょっとした様子で口をつぐむ。
ドラゴンは、そんなミシュコとトナの姿を静かに見比べた。
「其方たちはそちらの魔道士を失いたくないがために、焦燥を抱いているのであろう。しかしそちらの魔道士は預言の術式で多くの魔力を失い、疲弊し果てているのだ。このような状態で問い詰めても、望ましい結果は得られないのではないだろうか?」
「だ、だけど、そんな大事な話を仲間に隠していたなんて……」
「隠すからには、相応の事情があったのであろう。家族が無事であったにも拘わらず再会を望まないという行いからも、それは自明の理ではなかろうか?」
ドラゴンの言葉に、ミシュコとトナはきょとんとする。
その隙に、ルウがクールに発言した。
「察するに、そちらのダークエルフは家族と再会したくないがために、その居場所を突き止めようと考えたのではないでしょうか? 王と第二王女が南の果てで暮らしていると耳にした際、そちらのダークエルフは安堵の表情を覗かせたように見えました」
「か、家族と再会したくない? ウィツィ、そうなのかよ?」
直情的なミシュコが慌てた顔で詰め寄ると、ウィツィは心の底からうんざりした様子で溜息をこぼした。
「本当に、忌々しい連中ね……ああ、そうよ。あたしが生きているなんて知られたらどんな悪さを仕掛けられるかもわからないから、あいつらの居所を知りたかったのよ」
「そ、それはどういうことなんだよ? だって、家族なんだろう?」
「……地竜族が銀の森に攻め込んできたとき、あのくそったれな妹はどさくさにまぎれてあたしに雷撃をくらわせやがったのよ。あいつは前々から、王の座を狙っていたからね。南の果てでその望みがかなったんなら、幸いな話だわ」
今度こそ、ミシュコとトナは絶句した。
そして、トナはぽろぽろと涙をこぼし始める。
「そんな……そんなの、あまりにひどいです……実の妹が、玉座のために姉を亡きものにしようだなんて……」
そんな言葉を振り絞りながら、トナは石の酒杯を握りこんだ。
それに気づいたチコが、わたわたと土瓶を取り上げる。
「お、おさけをごしょもーなのです?」
「……すみません。いただきます」
チコが『世捨て人の悦楽』を酒杯に注ぐと、トナは水で割りもせずにひと息で飲み干してしまった。
「そんな悪行は、決して許されません! いっそ南の果てまでおもむいて、その不埒者を成敗するべきではないでしょうか?」
トナが涙を流しながら怒声を張り上げると、ウィツィは横目でそちらをねめつけた。
「今度は何を言い出すのよ。人間族がダークエルフの根城を襲撃して、生きて帰れるとでも思っているの?」
「だって! ウィツィにそんなひどい真似をするなんて……わたしは、許せません!」
そうしてトナは横合いからウィツィの身を抱くすくめると、さめざめと泣き始めてしまった。
「まったく、大層な騒ぎだねェ。玉座を巡っての殺し合いなんて、人間族でもしょっちゅうだろうにさァ」
スキュラが冷然と言い捨てると、ユグドラシルは「ほほほ」と笑った。
「それこそが、群れで生きる存在の業なのかのぉ。個体種のわしらには、理解することも難しいが……群れで生きる喜びを享受するならば、そういった業も呑み込むしかないのかのぉ」
「うむ。多くの相手と交われば、喜びも苦しみも増すものなのであろう。我とて百年前までは同胞を抱える身であったが、数の多い人間族や亜人族は竜族とも比較にならない業を背負っているのであろうな」
とても優しい声で、ドラゴンはそう言った。
「しかしユグドラシルの語る通り、それは表裏一体の話であり、ただ苦しいだけの生ではなかろう。仲間から得られる喜びを力にかえて、強く生きてほしく思うぞ」
「ふん。玉座を捨ててこんな場所に引きこもったあんたが、ずいぶん偉そうなことを抜かすものね」
ウィツィがすねた子供のような調子で文句をつけると、ドラゴンは「うむ」と目を細めた。
「我は王として君臨していたが、仲間と呼べるような相手を見出すことはかなわなかった。だからせめて、この山に足を踏み入れた者とは正しき絆を紡ぎたいと願っている。其方たちも、例外ではないぞ」
「はあ? あたしらなんて、これっきりの関係でしょうよ」
「うむ。其方たちが隠遁生活を送るには、まだ早かろう。しかし、ひとときの休息を願う際には、いつでも歓迎したく思うぞ」
ミシュコは仰天した様子で目を見開き、テクトリはうろんげに目を細める。トナはまだ泣き伏しており、ウィツィは何とも不明瞭な面持ちであった。
「まったく、酔狂なこったねェ。ま、あたしの縄張りを荒らしたら、遠慮なく成敗してやるよォ」
「ほほほ。森の精霊たちは警戒心が強いので、悪戯を仕掛けられる前に竜王を呼び出すことじゃな」
どうやらスキュラやユグドラシルも、ドラゴンの言葉に異存はないようである。
そして咲弥がゴーレムのほうをうかがってみると、そちらは丸い穴の目で冒険者たちの姿をじっと見つめていた。
ケイやベエは我関せずで、ルウはひとり凛然と背筋をのばしている。
アトルとチコは大事な話の邪魔をしないようにと小さくなりつつ、ぱくぱくと食事を進めていた。
そうして咲弥がひと通りのたたずまいを見届けたところで、キッチンタイマーが鳴り響く。
ミシュコはギクリと身をすくめたが、これは焼き菓子の仕上がった合図であった。
「よーし、完成だぁ。初挑戦の品だから、不備があってもご勘弁ねぇ」
咲弥はグローブを装着して、火ばさみで炭を移動させたのち、ダッチオーブンの蓋を開帳した。
ふたつのターナーを駆使してその中身を銀の大皿に移して、食卓に届けると、感嘆のどよめきがわきおこる。とりあえず、即興の焼き菓子はふんわり焼きあがっていた。
「あたしは毎日お山にいるわけじゃないけど、こうやって居合わせた日にはめいっぱいおもてなしさせていただくよぉ」
咲弥が焼き菓子にナイフを入れながらそのように告げると、ドラゴンはいくぶん慌てた様子で向きなおってきた。
「この山の所有者はサクヤであるのに、了承を得ぬまま勝手な言葉を口にしてしまった。どうか、容赦を願いたい」
「あはは。だからあたしも、自分の意見を述べておくことにしたんだよぉ。もちろん、文句なんてありゃしないさぁ」
咲弥が笑いかけると、ドラゴンはほっとした様子で息をついた。
きっとドラゴンは冒険者たちが日中に見せていたくつろいだ姿に、思うところがあったのだろう。咲弥自身、あの光景には得難いものを感じていたのだ。
ドラゴンたちが暮らす世界はずいぶん殺伐としているようであるが、この山の中では魔族も人間族も亜人族も対等の立場で過ごしている。ある意味、それはドラゴンが王国に望んでいた理想の姿であったのかもしれなかった。
(ドラゴンくんは、百年も頑張ってきたんだもんね。ここでは何も気張る必要はないさ)
そんな思いを込めて、咲弥はもういっぺんドラゴンに笑いかけた。
すると今度は、ドラゴンも微笑むように目を細める。そのさまに心を満たされつつ、咲弥は他なる面々を見回した。
「さあ、どうぞぉ。お鍋もまだひとつ残ってるんだから、楽しいディナーはこれからだよぉ?」
世界はようやく、黄昏刻である。これからの話よりも、まずは今この瞬間の楽しさを噛みしめるべきであろう。
そんな思いを胸に秘めながら、咲弥は焼きたての焼き菓子を各人の皿に取り分けていった。
2025.6/12
今回の更新はここまでです。更新再開まで少々お待ちください。




