07 カニ尽くし
それから、およそ三時間後――間に何度かの小休止をはさみつつ、ついにすべての料理が完成した。
『祝福の閨』を取り囲んだ面々の過半数は、驚嘆の表情になっている。調理の過程はのきなみ見物していたはずであるが、それらをすべて食卓に並べると尋常ならざる質量であったのだ。咲弥自身、これはキャンプ料理の概念を打ち砕くような質量なのではないかと自認していた。
「いやぁ、巨大ガニくんを使いきろうと思ったら、大変な量になっちゃったねぇ。みんな、くれぐれも無理しないようにねぇ」
「うむ。しかしおそらく、食べ残しが出ることはあるまいな」
咲弥の隣に控えたドラゴンもまた、期待に瞳を輝かせながらそう言った。
ドラゴンと反対の側には小さなゴーレムがちょこんと陣取り、向かいの面にはスキュラとユグドラシル、右手の面にはアトルとチコと三体のケルベロス、左手の面には四名の冒険者という配置となる。巨大なる『祝福の閨』も、さすがにこの人数ではキャパオーバー寸前であった。
そして、この人数でも食べきれるかどうかという料理の山が、ずらりと並べられている。
然して、その献立は――鍋物、チャーハン、パスタ、お好み焼き、サラダ、テクトリの仕上げた炒め物といったラインナップで、それらのすべてに巨大ガニが使用されていた。
鍋物は、もはや説明もいらないだろう。白菜に似た『黄昏の花弁』と巨大キノコに長ネギのごとき『老賢者の杖』と春菊のごとき『精霊の寝床』が加えられて、どこに出しても恥ずかしくないカニ鍋に仕上がっていた。
カニチャーハンは、『老賢者の杖』と鶏卵のごとき『大地の卵』あっての献立である。味付けには黒豆貝の貝醬なる調味料と『ほりこし』を併用しており、咲弥にとっても新鮮な仕上がりだ。コメモドキの扱いもだいぶん手馴れてきたので、こちらも理想的な味わいを求めることがかなった。
パスタでは、トマトと唐辛子の特性をあわせもつ『ジャック・オーの憤激』に自前のニンニクとタマネギを追加したいつものレシピに、巨大ガニの身とカニミソを加えている。それだけで、普段よりも格段に贅沢な仕上がりであった。
お好み焼きは、せっかくの小麦粉を活用しようと思いたっての品である。キャベツはないので『黄昏の花弁』を代用として、こちらにも『大地の卵』を活用している。さらにマンドラゴラモドキのすりおろしも加えているため、ふっくらとした仕上がりだ。とんかつソースにマヨネーズ、パックのかつおぶしを添加して、咲弥の世界の調味料がもっとも効果的に使われていた。
サラダはお馴染みのダイコンサラダであるが、こちらも巨大ガニの身をどっさりと混ぜ込んで、贅沢きわまりない。ポン酢とオリーブオイルで和えただけで、まったく文句のない味わいであった。
「ではでは。この大集合を祝しまして、かんぱぁい」
咲弥の号令で、数々の酒杯が掲げられる。客人たちが手にしているのは、いずれもゴーレムが錬成した石の酒杯であった。
なおかつ、酒の種類はそれぞれのリクエストに応じている。リンゴのような『イブの誘惑』および桃のような『世捨て人の悦楽』の果実酒か、あるいは火酒を水と果汁で割ったカクテルだ。せっかくなので、咲弥はいただきものの火酒のカクテルをチョイスしていた。
また、山のようなカニチャーハンを盛りつけたのは、昨日苦労して作りあげた木工の大皿である。あとはドラゴンの持ち物である銀の食器かゴーレムが錬成した石の食器で、卓の中央にはぐつぐつと煮えたった巨大な石鍋がででんと鎮座ましましていた。
「こ、こいつは抜群に美味いな! こんなもん、場末の食堂じゃお目にかかれないぞ?」
「ほ、本当ですね! 辛いけど、すごく美味しいです!」
ミシュコとトナが目の色を変えているのは、パスタであった。前回の来訪時では、ジャンバラヤぐらいしか『ジャック・オーの憤激』を使う余地がなかったのだ。やはりトマト系のソースというのはクリーム系のソースに並んで、魚介の食材に調和するようであった。
炭水化物の料理を好むベエは、ぶんぶんと尻尾を振りたてながらパスタとお好み焼きとチャーハンを交互に食している。今日ほど彼の心を深く満たす日は、他になかったことだろう。コメモドキを準備してくれたユグドラシルと小麦粉を準備してくれた冒険者たちには、感謝するばかりであった。
アトルとチコも手を使えないケルベロスのために配膳を頑張りつつ、合間に料理をつまんではそのたびに喜色をあらわにしている。スキュラやウィツィなどはポーカーフェイスを保持しつつ、食べるスピードは他の面々にまったく負けていなかった。
そして食卓のすぐそばでは、五頭の一角ウサギたちがしょりしょりと『黄昏の花弁』およびマンドラゴラモドキの皮をかじっている。温泉そばのスポットに設営した折には、彼らもすっかりレギュラーメンバーであった。
そういった光景に心を浮き立たせつつ、咲弥もいざ注目していた皿に手を掛ける。
言うまでもなく、テクトリが仕上げた炒め物の料理である。
その作業手順は、咲弥も要所要所で覗き見をしていた。巨大ガニの身の他に、『ジャック・オーの憤激』、『黄昏の花弁』、マンドラゴラモドキ、『イブの誘惑』、『老賢者の杖』、『精霊の寝床』、『大地の卵』とさまざまな具材が使われており、塩と砂糖とブラックペッパーと貝醬なる調味料で炒めたのち、最後にカニミソを主体にした調味液をあわせるという手順であった。
いかにも男の手料理といった風情で、それほど小難しい手順は存在しなかったように思う。
しかしまた、カニミソの調味液を仕上げる際には入念な味見を繰り返していたし、具材も厳選した上でそれだけの種類を使ったように見受けられた。そして何より、見た目も香りも食欲中枢を刺激してならなかったのだった。
(中華料理のような、エスニック料理のような……まあ、テクトリさんは異世界のお生まれなんだから、こっちのモノサシでは計れないんだろうけどさ)
そんな思いを噛みしめながら、咲弥は小皿に取り分けた料理をスポークですくいあげ、頬張った。
とたんに、甘い香りが鼻に抜けていく。テクトリは最終的に、百里香なるスパイスもカニミソに添加していたのだ。カニミソの濃厚な風味にバニラっぽい甘い香りと清涼かつ刺激的な風味があわさって、咲弥の知らない味を織り成していた。
ドラゴンいわく、百里香というのは咲弥の世界でクローブと呼ばれるスパイスであるらしい。
クローブであれば、咲弥も名前を知っている。が、知っているのは名前だけで、おそらく口にしたのは初めてのことだ。これをいきなり料理で使いこなす自信はなかったので、咲弥は食後のデザートで使う予定でいた。
その百里香が、風味の中核をなしている。
バニラのごとき甘い香りだが、塩気のきいた料理にもまったく違和感はない。それどころか、カニミソの強い風味をいい意味で中和しているように感じられる。
それに、まず鼻腔を刺激するのは百里香とカニミソの風味であるが、こちらの料理にはさまざまな味わいが詰め込まれているのだ。
『ジャック・オーの憤激』や『老賢者の杖』や『精霊の寝床』などは、単体としても強い味わいである。それらがすべて、好ましい味わいと風味にまとめられているのだ。
味の面でもっとも印象的であったのは、貝醬なる調味料であった。
こちらは、シジミか何かの旨みを凝縮したかのような発酵調味料であったのだ。咲弥が使うオイスターソースよりもはっきりと貝らしい風味がして、これもまた咲弥には馴染みのない味わいであった。
しかし、馴染みはなくとも、美味である。
カニミソに百里香に貝醬という強い風味が綺麗に溶け合って、またとない味わいを生み出しているのだ。きわめて力強い味わいでありながら、その配合の妙には繊細な計算を感じてやまなかった。
「いやぁ、こいつは美味しいなぁ。テクトリさんは、さすがだねぇ」
「……ふん。熱の入れ方は甘いし、香草の種類も足りていない。野営の地では、これが限界だな」
ダイコンサラダをついばみながら、テクトリはぶっきらぼうに言い捨てる。
それに気づいたミシュコがテクトリの料理に口をつけると、その目が驚きに見開かれた。
「わっ、なんだこりゃ? これを本当に、テクトリが作ったのかよ?」
「……お前まで騒ぐ必要はなかろう。こちらには、見知らぬ食材も蟹ぐらいしか使っておらんぞ」
「で、でも、他の料理にまったく負けてないじゃねえか。サクヤの料理は、みんなすげえ出来栄えなのに……」
「うんうん。本当に美味しいよねぇ。あたしも、見習わないとなぁ」
「……これだけの料理を仕上げるやつに言われても、皮肉だとしか思えんな」
テクトリは仏頂面のまま、お好み焼きを大きな口に放り入れた。
「こんな料理こそ、口にした覚えもない。辺境都市で店でも出したら、いくつもの料理店が看板をおろすことになろうな」
「でもそれは、調味料の恩恵だからねぇ。あたしは何も、大したことはしてないさぁ」
「確かにこれらの調味料は、驚くほどに刺激的だ。しかし、すべて後掛けではないか。土台の料理が貧相であったなら、これほどの仕上がりは望めまいよ」
すると、笑顔で静かに食事を進めていたユグドラシルが「ほほほ」と笑い声をあげた。
「わしにしてみれば、どちらも大した手際じゃよ。ほんに人間族というのは、食事に対して高い志を備え持っておるのじゃな」
「ふん。志というよりは、貪欲さのあらわれなんじゃないかねェ」
ユグドラシルと対照的に、スキュラはシニカルな態度を崩さない。そして相変わらず、こちらの両名が発言すると冒険者たちの間に多少ながら緊張が走った。
(二人はあんまりおしゃべりしてなかったから、まだちょっと警戒されちゃってるのかな)
それよりもさらに寡黙であったのは、ロキの使い魔たるゴーレムである。
咲弥がそちらに目をやると、ゴーレムは食事の手を止めて、『黄昏の花弁』をかじる一角ウサギの背中を撫でていた。
(ゴーレムくんは、そっちの世界の人間さんたちに後ろめたさを持ってるんだもんな。あんまり無理させないほうがいっか)
咲弥がそのように思案していると、チコが丸太の椅子の上に立ち上がった。
「お、おさけをごしょもーなのです? よろしければ、おつぎするのです」
チコが呼びかけている相手は、トナである。トナは真っ赤になりながら、ぶんぶんと手を振った。
「あ、いえ、大丈夫です。お、お気を使わせてしまって、申し訳ありません」
「そうなのです? でもでも、とてもさびしそうにからっぽのさかずきをみつめておられたのです」
「い、いえ、決してそのようなことは……」
と、トナはますます小さくなってしまう。それを横目に、ウィツィは「ははん」と鼻を鳴らした。
「あんたは普段から、酒瓶の一本ぐらい簡単に空けているじゃない。よっぽど痴態を見せたくないようね」
「ち、ちた……わ、わたしはこれでも、神職に身命を捧げているのです。酒の悦楽に身をゆだねるなど、決して許されません」
「酒だって、大事な滋養でしょうよ。しっかり滋養を取っておかないと、また転移の術式でへたばることになるわよ?」
すると、カニ鍋をお行儀よく口にしていたドラゴンが小首を傾げた。
「そのように申す其方も、酒が進んでおらぬようだな。やはり、預言の術式のために加減しているのであろうか?」
「……ふん。酔いつぶれたら、せっかくの預言を聞き逃しかねないからね。酒を楽しむのは、その後よ」
「なるほど。では早々に、それを果たしたら如何であろうか?」
ドラゴンの言葉に、ウィツィはぐっと押し黙る。
すると、ほろ酔いのミシュコがけげんそうに振り返った。
「そういえば、ウィツィは預言で何を知ろうとしてるんだよ? 『プロフェーテースの黒碑』に頼ろうだなんて、よっぽどの話だよな」
「……うるさいわね。あんたには関係のない話よ」
「関係ないことあるかよ。俺たちは、生命を預け合ってるんだぞ? お前がよからぬ真似をたくらんだりしたら、俺たちだって罪人あつかいされかねないんだからな」
「そ、そうですよ。わたしたちは、今でも罪人あつかいなのですから……もう誤解を招くような行いは避けるべきだと思います」
トナも言葉を重ねると、ウィツィは銀色の頭をかきむしった。
「だからそんな、文句をつけられるような話じゃないわよ。あんたたち、あたしを何だと思っているの?」
「……お前は卓越した力を持つダークエルフでありながら、人間族と徒党を組む変わり者だ。仲間の信頼を得たいのなら、自らが誠意を示すべきであろう」
と、テクトリまでもが重々しく発言した。
「お前が何かよこしまなたくらみを持って人間族に近づいているのだと抜かすやつも、世間には少なくはない。それが誤解だというのなら、下手な隠し事などせんことだ」
「ふん……けっきょくあんたたちも、あたしのことを疑ってるってわけね」
「今さらお前が裏切るなどと考えているわけではない。しかし、お前は自分のことを何も語ろうとせんからな。これで全面的に信頼しろなどとは、虫のいい言い草だ」
そう言って、テクトリはパスタをすすりこんだ。
冒険者ならぬ面々は口をつぐんでいるが、みんな横目でこのやりとりを見守っている。それらの視線から逃げるように、ウィツィは「ああもう!」とそっぽを向いた。
「これだから、人間族ってのは……竜王、約束の品を貸してもらえるかしら?」
ドラゴンは「うむ」と穏やかに目を細めつつ、長くのばした尻尾の先端で宝箱をまさぐった。
そこから取り出されたのは、艶々と照り輝く漆黒の石板――つい一昨日までカッティングボードとして使用されていた、『プロフェーテースの黒碑』である。ウィツィはそっぽを向いたまま、もぎ取るような勢いでそれを受け取ったのだった。




