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03 返礼の品

 それから紆余曲折を経て、咲弥は冒険者の女性陣と温泉を楽しむことに相成った。

 紆余曲折の最たるは、彼女たちの魔力の消耗が著しかったためとなる。どうやら彼女たちはドラゴンの見込みよりもさらに膨大な魔力を使って、転移の術式とやらを発動させたようだった。


「転移というのは、それだけ魔力を消耗する術式であるのです。アトルやチコが転移の門をくぐるたびに、竜王殿も相当な魔力を消耗しているわけですが……まあ、竜王殿を引き合いに出しては、冒険者たちが気の毒でしょうね」


 ルウはこっそり、そんな裏事情を咲弥に教えてくれた。だからドラゴンも普段は転移の術式を使うことなく、飛行能力で移動しているわけである。咲弥としてはドラゴンの強さに感服すると同時に、空の旅を楽しめる幸せを噛みしめるばかりであった。


「そういえば、その転移の門とやらで他の人たちが押しかけてくる危険はないのかなぁ?」


 咲弥がそのように問いかけると、褐色の裸身を玉虫色の湯面に沈めたウィツィが忌々しげに眉を寄せた。


「誰も彼もが通れるような転移の門を、そうそう簡単に仕掛けられるわけないでしょうよ。そんなもん、上級どころか特級の術式よ」


「左様でありますか。何せ魔法に関しては素人なもんで、どうかご容赦を」


「ったく……だいたい、どうしてあんたまで湯に浸かってるのよ? あんたは最初っから、魔力も持ちあわせちゃいないのにさ」


「薪割りしたら、汗をかいちゃったんだよぉ。それに、みんなが温泉を楽しむのを黙って眺めてるだけなんて、殺生な話じゃん」


 咲弥は朝一番で温泉をいただいていたが、あれはロキの管理する漆黒の温泉であったし、そうでなくとも温泉は何度浸かっても心地がいいものである。ずっと不機嫌そうなウィツィとは対照的に、トナもすっかりゆるんだ顔になっていた。


 そしてこの場には男女を区分するために光のカーテンが張られており、温泉のあがりふちではスキュラとユグドラシルが目を光らせている。それでウィツィも、警戒態勢を解除できないのかもしれなかった。


「まったく今日は、とことん騒がしい日だねェ。なんもかんも、竜王の責任だよォ」


「ほほほ。確かに竜王がおらんかったら、こんな愉快な事態には陥らなかったのじゃろうな」


 スキュラは以前にもこちらの温泉で冒険者たちと出くわしているが、ユグドラシルは初対面となる。そして男湯のほうでは、テクトリとミシュコがドラゴンとケルベロスとゴーレムに見守られながら魔力を補給しているわけであった。


「……竜王の他にも三体の個体種がこの山に住みついてるってのは、有名な話だけどさ。まさかそいつらが、仲良く雁首をそろえてるとはね」


 ウィツィがぶちぶちと文句をつけると、スキュラが「なんか言ったかァい?」と挑発的な声を投げかけてくる。


「あんたたちなんざ、招かれるざる邪魔者だってことを忘れるんじゃないよォ? ……そっちの娘は、今日の役割を忘れてないだろうねェ?」


「うん。たっぷり時間はあったんで、あれこれ献立を考えておいたよぉ。でもまずは、基本のお味を確認してみないとねぇ」


 咲弥がそのように答えると、トナが現在の状況を思い出した様子で不安そうに囁きかけてきた。


「あ、あの、あなたは竜王ばかりでなく、三体の個体種とも懇意にされているのでしょうか?」


「うん。ロキくんとは昨日会ったばかりだけど、もっともっと仲良くなりたいなぁって思ってるよぉ」


「……あんた、正気なの? 竜王にこの三体とケルベロスが加わったら、玉座を取り戻すことだって難しくないのよ? だからこそ、あたしらも城主に嘘つき呼ばわりされることになったんだからね」


 囁き声で割り込んできたウィツィに、咲弥は「城主?」と反問する。


「あたしらに竜王の遺跡を発掘するように依頼してきた、張本人よ。このままだと、あたしらは依頼主を裏切って秘宝を強奪した大罪人に見なされかねないのよ」


「うーん。それは由々しき事態だねぇ。お山の平和を守るためにも、なんとか事情をわかってもらわないとなぁ」


 咲弥があまり声をひそめなかったためか、光のカーテンの向こう側から「大事ない」というダンディな声が飛ばされてきた。


「城主には、我の念話を封じた書簡でも届けさせよう。それでも得心がいかなければ、我が直接出向いてもかまわん」


「りゅ、竜王が辺境都市の城までやってきたら、それだけで大変な騒ぎになってしまいそうですが……」


「それで我がつつましき姿を見せれば、諍いを起こす気もないという真情を理解してもらえるのではなかろうかな」


「……ふん。辺境都市の城ぐらい、あんただったら一滴の血も流さないで制圧できるんでしょうしね。あの尊大な城主が真っ青になってへたりこむ姿が目に浮かぶわよ」


 ウィツィはどこか凛々しい面持ちになりながら、そのように答えた。


「でも、書簡にあんたの魔力を少しばかり込めるだけで、宮廷魔道士どもが見誤ることはないでしょうね。そうしたら、あたしたちの潔白も証明される。……どうか、お願いできる?」


「是非もない。我はこの山で安らかに過ごすことを、何より願っているのであるからな。思えば、最初から書簡を託しておくべきであった。其方たちにいわれのない心労を与える結果になってしまい、申し訳なく思っている」


「ふん。見通しが甘かったのは、おたがいさまよ。それじゃあ、城主の件はこれで手打ちね」


 そのように語りながら、ウィツィはますます真剣な面持ちになっていく。


「それじゃあ、あたしの本題よ。……『プロフェーテースの黒碑』を使わせてもらいたい。この山から持ち出すことなく、ただ一回だけ預言の術式を使わせてもらいたいの。……了承してもらえる?」


「其方が求めていたのは、『プロフェーテースの黒碑』であったか。あの秘宝を手放す心づもりにはなれんが、この地で使用したいという話であれば断る理由もない。道具とは、正しく使われてこそ意味と価値が生じるものであろうからな」


「……魔道士ウィツィの名において、竜王に感謝の言葉を捧げさせていただくわ」


 そのように言い放つなり、ウィツィは脱力して下顎まで湯に沈んでしまった。

 咲弥が黙ってそのさまを見守っていると、ウィツィは同じ体勢のまま褐色の頬を赤らめる。


「何よ? 何か文句でもあるっての?」


「いやいや。ウィツィさんの願いがかなって、よかったなぁって思っただけだよぉ」


 ウィツィは赤い顔のまま、水飛沫をあげて「ふん!」とそっぽを向いてしまう。

 酒宴の夜、酔った彼女はずっとけらけら笑いながらドラゴンに絡んでいたのだ。あれが一夜の戯れで終わらなかったことを、咲弥は心から喜ばしく思っていたのだった。


「言っておくけど、あんたたちと馴れあうつもりはないからね? 用事が済んだら、こんな山――きゃあーっ!」


 と、ウィツィがいきなり咲弥に抱きついてきた。

 そのなめらかな褐色の肩ごしに視線を飛ばすと、玉虫色の湯面に灰褐色の毛玉がぷかぷかと浮いている。どうやら一角ウサギがうっかりその角でウィツィの背中をつついてしまったようであった。


「あはは。一角ウサギくんたちも、歓迎するってよぉ」


「お、驚かせるんじゃないわよ! この山には、腹立たしいやつしか住みついてないの!?」


 照れ隠しのようにわめきながら、ウィツィはまだ咲弥の身を抱きすくめている。

 その豊満なる肢体の感触は落ち着かない限りであったが、咲弥としてはこの思わぬ再会を寿ぎたいところであった。


                 ◇


 それから数十分後、魔力の補給を終えた面々はあらためて空き地で向かい合うことになった。

 咲弥とドラゴン、ケルベロス、スキュラ、ユグドラシル、ロキ、四名の冒険者たち――アトルとチコはまだ畑であるが、実に錚々たる顔ぶれだ。それに、冒険者の面々もおおよそ魔力が充填されて、実に雄々しいたたずまいであった。


 ただし、ミシュコは仰々しい甲冑を纏っておらず、テクトリも弓と矢筒を手放している。彼らに敵対する気はないという意思表示であろう。剣や魔法の杖などは携えたままであったが、咲弥も今さら彼らの真情を疑うことはなかった。


「さて。『プロフェーテースの黒碑』についてであるが……あれなる魔法具を行使するには、少なからず魔力を消耗する。其方が魔力を捧げたならば、ひと晩の休息が必要となろうな」


 まずはドラゴンが、そのように口火を切った。温泉に入るために大型犬サイズに縮んだが、その風格に変わるところはない。


「まあ、我が代理人として魔力を捧げてもかまわんが――」


「願う本人が魔力を捧げないと、預言の精度に差が出るってんでしょ? あたしだって、他の誰にも肩代わりさせるつもりはないわ」


「ああ。しかし、ウィツィの魔力が枯渇した状態では転移の術式を使うことはもちろん、自力で砂の海を渡りきるのも難しい。世話をかけるが、またこの山で一夜を明かす許しをもらいたい」


 と、ミシュコがいつになく堂々とした態度でそのように言い放った。


「それに俺たちも、返礼の準備があるんだ。亜空間の扉を開くぞ」


 ミシュコが鞘に収められた長剣で虚空に魔法陣を描くと、そこから二つの大きな木箱が出現した。


「片方は火酒で、もう片方は食材だ。前回世話になった分も含めて、これを捧げさせてもらいたい」


「ほう。前回も、火酒をいただいたはずであるが」


「たった二本の火酒では、一割の返礼にもなってなかろうよ。そもそもこちらは、それ以上の果実酒を飲み干しているのだからな」


 と、仏頂面のテクトリが咲弥をじろりとにらみつけてきた。


「お前ならば、この食材を無駄にすることもなかろう。せいぜい活用するがいい」


「へえ、どんな食材なんだろう。なんだか、わくわくしちゃうなぁ」


 咲弥がそのように答えると、ミシュコのほうがいくぶん心配そうな面持ちで振り返ってきた。


「テクトリの提案で、返礼の品は酒と食材に決められたんだが……俺たちの判断は、間違っていなかったか?」


「うん。これで立派な料理を作れたら、ドラゴンくんたちも大満足だろうからねぇ。一番理想的な品だと思うよぉ」


「それなら、よかった」と、ミシュコは安堵の息をつく。そして、子供のようにもじもじとした。


「それに、お前も気を悪くしていないようで、ほっとしている。あの日は俺も、精魂尽き果てていたので……無礼な発言には、容赦をもらいたい」


「あはは。ミシュコくんは別れ際にも、さんざん謝ってくれたじゃん。そもそも、あたしが謝られる筋合いでもないしさぁ。……ミシュコくんだって、もうアトルくんたちを見下したりはしないでしょ?」


「も、もちろんだ! コメコ族に対する偏見は捨てると、約束する!」


「それなら、言うことなしだよぉ。よかったら、あたしも一緒に仲良くさせてねぇ」


 咲弥がのんびり笑顔を返すと、ミシュコは真っ赤になってしまった。

 そして、隣のトナが今にも口をとがらせそうな顔つきになっている。それに気づいた咲弥は、心中で(おっと)と自分を戒めた。


(おかしな誤解をされないように、気をつけないといけないかぁ。やっぱり魔法の世界でも、人間関係ってのは大変なんだなぁ)


 残念な美人と称される咲弥は、これまでにも何度か人様の色恋沙汰にいらぬ波紋を及ぼしてしまったことがあったのだ。それはまったく咲弥の意思に関わりのないところで生じた作用であったが、咲弥が身をつつしむことで回避できるならば是非もなかった。


「……ただ、あたしはテクトリさんの腕前も拝見したいなぁ」


 咲弥がそのように呼びかけると、テクトリは「なに?」と太い眉をひそめた。


「俺の腕など、必要あるまい。見知らぬ食材があったら使い方を教えてやるので、存分に腕を振るうがいい」


「でも、十四人分の食事を作るってのは、さすがにちょっとしんどそうだからさぁ」


「十四人分?」と、冒険者たちがそろって不思議そうな顔をしたので、咲弥は指折り数えてみた。


「だって、あたしとドラゴンくんに、アトルくんとチコちゃん、ケルベロスくんはひとりで三人だし、それにスキュラさんとユグドラシルさんとロキくんを加えて……ほら、こっちだけで十人きっかりじゃん。みんなも合わせたら、十四人でしょ?」


「……そこに俺たちを加える必要はない。それでは、返礼にならぬではないか」


「ええ? それじゃあみんなは、食べないつもりだったのぉ? どっちみちひと晩泊まっていくなら、別々に食べる必要はないじゃん」


「左様であるな」と、ドラゴンも穏やかな声音で会話に加わった。


「それに、こちらの十名だけで三十体以上にも及ぶ蟹を食べ尽くすのは、難儀であろう。よければ、協力を願いたいところであるな」


「な、なに? まさか、この気色悪い生き物を食おうというつもりなのか?」


 ミシュコは慌てふためきながら、ドーム状の結界で蠢く巨大ガニたちを振り返る。トナは真っ青な顔になり、ウィツィはしかめっ面だ。そんな中、テクトリがぶっきらぼうに言い捨てた。


「北方において、蟹は高級食材と見なされているぞ。魔の山にわいた蟹がどのような質であるかは、まったく知れたものではないがな」


「うむ。それをともに確かめてもらいたく思う」


 きっとドラゴンは厚意で語っているのであろうが、竜王に恐れ入る冒険者たちにとってはあらがいようのない命令に等しいのだろうか。それぐらい、テクトリを除く三名はげっそりした面持ちになっていた。


 しかし、巨大ガニで立派な料理を仕上げることがかなえば、彼らの心も晴れ渡るに違いない。咲弥はそんなモチベーションでもって、見知らぬ食材尽くしの調理に挑むことになったのだった。

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― 新着の感想 ―
最初だけ「こんなに美味いものだったのか!」と騒いだ後、みんなでもくもくと殻をむきながらカニ身をほじくりむさぼる未来が見えます(そりゃそうだろw
カニが美味しかったら、みんな黙っちゃいそですね(笑)
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