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02 集結

「また新たな収獲であるぞ」


 そのように語るドラゴンは、ふわふわと漂う光の球体の中に巨大ガニを閉じ込めていた。

 そして空き地の真ん中にはさらに巨大なドーム型の結界が設置されており、その中で巨大ガニの群れがわさわさと蠢いている。そのさまに、ケイは「うひー」と首をすくめた。


「気色わりーなー。なんで水の中に、こんな虫みてーなのがうじゃうじゃいるんだよ? アラクネーが甲冑でもかぶったみてーな姿じゃねーか」


「これは蟹なる生き物で、我々の世界においても北方の海などに生息しているようであるぞ。とはいえ、我も実物を目にしたのは初めてであるがな」


 ドラゴンは粛然と答えながら、小さな球体の巨大ガニを大きなドームの中に移動させた。

 今もなお、スキュラとユグドラシルは巨大ガニの捕獲作戦に従事している。咲弥は何の役にも立てなそうであったので空き地に舞い戻り、昨日の夕食の洗い物に励んでいるさなかであった。


「なおかつ、サクヤの世界の人間たちの知識をあさっても、これは海の生き物と認識されているように思われる。しかし、川辺にも生息していたのであるな」


「うん。あたしが知ってるのは、サワガニってやつだねぇ。でも、せいぜい手の平に乗るていどの大きさだったし、こんな立派なハサミも持ってなかったと思うよぉ」


「うむ。世界の融合の影響によって、変異を遂げたのであろう。この者たちに罪はないが、山の調和を守るためには間引く他ない」


 こちらの巨大ガニはただ大きいばかりでなく、実に立派なハサミと足を有している。ただサワガニを巨大化させても、このようなシルエットにはならないことであろう。ずんぐりとした形状のハサミなどは二つあわせると胴体と同程度の質量であり、シオマネキのような迫力であった。


 なおかつ巨大ガニたちはごつごつとした甲羅を青紫色に照り輝せながら、結界の中でわしゃわしゃと動き回っている。胴体だけで横幅二十センチ、足を広げれば八十センチというサイズであるのに、恐ろしいほど俊敏であるのだ。これは水場の主たるスキュラも、難渋して然りであった。


「あー、こいつらを見てるだけで、背中がかゆくなってくるぜ! ……こんなやつ、ほんとに食えるのかー?」


「うむ。誰にとっても害がないことは、解析済みである」


「あたしの世界でも、カニは美味しく食べられてたよぉ。まあ、サワガニだったら素揚げが定番だったけど……この大きさだと、ちょっと難しいかなぁ」


 そうして咲弥が洗い物を終えたタイミングで、スキュラとユグドラシルも舞い戻ってきた。

 そして、ユグドラシルに追従する蔓草が、また二体の巨大ガニを絡め取っている。それをドラゴンが小さな球体で受け取り、ドーム型の生け簀へと移送させた。


 あまりに動きが素早いために数を勘定するのも難儀であるが、少なくとも三十体を下ることはないだろう。

 ズワイガニに匹敵するようなサイズをした巨大ガニが、その数である。これは、なかなかの質量であった。


「これで少しは、川辺も落ち着くだろうねェ。ま、いずれはこいつらが産んだ連中が、またどこかで騒ぎを起こすんだろうけどさァ」


 そのように語るスキュラは、いくぶんけだるげな様子である。切れ長の目がとろんと半分まぶたを閉ざして、ただでさえ過剰な色香が上乗せされていた。


「この蟹なる生き物は大きくて素早い上に硬い甲羅を有しているため、川の中では捕食される恐れもないのでしょうね。それで、繁殖に拍車が掛けられたのでしょう」


 そのように声をあげたのは、ケルベロスのルウであった。


「しかしまた、どれほど俊敏に動けようとも、この姿で泳げるとは思えません。川底を這うばかりでは満足な食事を得られず、森まで荒らし始めたというわけですか」


「そういうことになるんだろうねェ。こいつらが喰らうのは虫だけのようだけど、この馬鹿でかいハサミを遠慮なく振り回すもんだから、森を傷つけちまうのさァ」


 そんな風に応じながら、スキュラは咲弥に流し目を向けてきた。


「で? そいつを喰らう算段はついたのかァい?」


「うん。まあ、とりあえず火を通せば食べられるんじゃないかなぁ。生食は、危ないんでしょ?」


「うむ。魔族であれば問題あるまいが、人間族やコメコ族には危険であるな。……それに我も、これを生鮮のまま口にしたいとは思えぬのだ」


 そのように答えるドラゴンは、いくぶん申し訳なさそうな眼差しである。それをなだめるために、咲弥は笑ってみせた。


「どっちみち、あたしたちが食べるには火を通すしかないんだから、何も気にすることないさァ。そういえば、スキュラさんは味見をしてみたの?」


「……だから、こいつをとっつかまえるのは難儀だって言ったろォ?」


「そっかそっか。あたしも頑張るから、ひさびさに一緒に食事を楽しもうよぉ」


 とはいえ、捕獲作戦が早々に終了したため、時刻はいまだに午前の十時ていどである。朝にはココアしか飲んでいないのでブランチを開始してもやぶさかではなかったが、アトルとチコを仲間外れにするのはいささかならず忍びなかった。


 それにそもそも、これは一回の食事でどうこうできる量ではないのだ。たとえ昼夜に分けたとしても、まだずいぶんな余剰が出そうなところであった。


「その前に、あたしはしばらく水晶の泉でひと眠りさせていただくよォ。あたしが目を覚ます前に、気のきいた喰らい方を考えておきなァ」


 そんな言葉を残して、スキュラはしゃなりしゃなりと鍾乳洞のほうに立ち去っていった。


「ふむ。結界の操作など、さして魔力を消耗する行いではない。しかし、川や森に悪い影響を与えないように、細心の注意が必要であったのであろうな」


「そうじゃのぉ。スキュラは偏屈者じゃが、このお山を大切に思う心情にまさり劣りはないのじゃろ」


 そんな風に言ってから、ユグドラシルは可愛らしく「あふう」とあくびをもらした。


「かくいうわしも、頭のほうが疲れてしもうたわい。スキュラが目覚めるまで、わしもくつろがせてもらおうかの」


 そうしてユグドラシルは茂みのほうに舞い戻ると、蔓草で編みあげたハンモックに身を横たえた。

 あとに残されたのは、咲弥とドラゴンとケルベロスである。わしゃわやしゃと蠢く巨大ガニの様相をしばらく見守ってから、ドラゴンは「では」と声をあげた。


「我々も、中天までは山を見回るとしよう。サクヤは何か、不都合はなかろうか?」


「こっちは大丈夫だよぉ。のんびり設営しながら、巨大ガニのメニューを考えておくねぇ」


「うむ。またサクヤに手間をかけさせてしまうが、楽しみにしているぞ」


 ドラゴンは優しい眼差しで咲弥の心を和ませてから巨大化して、ケルベロスを乗せて飛び去っていった。

 普段よりも小一時間ばかり遅れて、ようやく日常に立ち返ったようである。ただ異なるのは、咲弥の背後に蠢く巨大ガニたちの存在であった。


(うーん。このカニくんたちは、どんなお味なのかなぁ。ズワイガニやタラバガニみたいなお味だったら、ありがたいところだなぁ)


 そんな想念にひたりつつ、咲弥は愛車のラゲッジスペースから数々のキャンプギアを引っ張り出した。

 あとは『祝福の閨』の上に並べられていた分も使って、二組のテントとタープを設営していく。アトルとチコなしで二組分の設営を受け持つのは初めての体験であったが、倍の時間がかかるだけでどうということもなかった。


 その後はローチェアでコーヒーをすすりつつひと休みして、さらに薪割りの作業を開始する。その間も、ひたすら巨大ガニの調理方法に思案を巡らせていた。


(調味料はそろってるから、何とかなるかなぁ。あとは畑の収穫をフル活用させていただいて……そうだそうだ、非常食のパスタも使っちゃおう。それでもこれを一日で食べきるのは難しいだろうから……熱を通せば、明日ぐらいまではもつかなぁ?)


 薪割りを終えた咲弥はスウェットの袖をまくりつつ、「ふいー」と息をつく。

 そのとき、どこからともなく「ツウシンツウシン」という声が響きわたった。


 咲弥がタープの下に設置しておいたゴーレムのほうを振り返ると、閉ざされていた丸い目がぱちりと開けられている。そしてその方向から、さらなる声が響きわたった。


「シンニュウシャ、ハッケン。リュウオウ、メンカイ、モトメテイル。オウジルカ、ハイジョカ、コタエモトム」


「侵入者?」と小首を傾げつつ、咲弥はゴーレムのほうに駆け寄った。


「こちら、咲弥でぇす。ドラゴンくんは、お山の見回りに出てるんだけど……今、侵入者って言ったのかなぁ?」


「……ソウ。ニンゲンゾク、サンタイ。ダークエルフ、イッタイ。テキイ、ナイ、イッテイル。マタ、リュウオウトサクヤ、メンシキアル、イッテイル」


 人間族が三名に、ダークエルフが一名――それは、咲弥にとっても心当たりのある組み合わせであった。


「うん。たぶんそれは、以前に顔をあわせた冒険者さんたちだねぇ。ドラゴンくんに連絡してみるから、それまで丁重に応対してもらえるかなぁ?」


「……イサイショウチ」という言葉を残して、ゴーレムの目が再び閉ざされた。

 かくして咲弥は小首を傾げながら胸もとのペンダントを引っ張り出して、ドラゴンにこの予期せぬ事態を告げることに相成ったのだった。


                 ◇


「うわー! なんだよ、こりゃ!」


 そんな驚愕の声を響かせたのは、雄々しい甲冑姿をした剣士の若者ミシュコであった。

 装飾の多い修道服を纏った僧侶の少女トナは魔法の杖を支えにしながら今にもへたりこみそうな様子であり、ハロウィンの扮装めいた姿をした魔道士のダークエルフたるウィツィは呆れ返った様子で切れ長の目を剥いている。こんな際に沈着であるのは、やはり壮年の射手たるテクトリのみであった。


「これは北方の海に生息する、蟹に類する生き物であろうな。ずいぶんとまた、でかいなりをした蟹もいたものだ」


「ほ、北方の海? そんなもんが、どうして砂漠のど真ん中にいるんだよ?」


「ここは砂漠である前に、魔の山だからな。俺たちの常識など、通じんのであろうよ」


 テクトリはぶすっとした面持ちで、蠢く巨大ガニの群れを睥睨している。咲弥よりも小柄だが骨太の逞しい体躯をした、髭面の男性だ。咲弥がもっとも心安く振る舞えるのは、この不愛想で頑固そうなテクトリであった。


「……それで、其方たちは何用あって、再びこの山を訪れたのであろうかな?」


 ドラゴンがダンディな声で呼びかけると、ミシュコやトナも慌てて背筋をのばした。ロキが管理する最東端の山麓で捕獲された彼らは、ドラゴンの背に揺られてこのスポットまで運ばれてきたのだった。


 山の見回りを途中で切り上げたケルベロスも咲弥のかたわらに控えつつ、疑り深そうな眼差しで冒険者たちをねめつけている。あとはロキの使い魔たるゴーレムも再起動して一緒に立ち並んでおり、スキュラとユグドラシルはまだ休憩のさなかであった。


「わ、わたしたちに、敵意はありません。ただその、身の潔白を明かすために、ご助力を願えないかと……」


 金髪碧眼の可愛らしい少女であるトナが、おずおずと声をあげる。彼女はこの中でもっとも気弱であったが、もっとも誠実そうな人柄でもあった。

 すると、ルウが「お待ちください」とその言葉を容赦なくさえぎった。


「その前に、ひとつお聞きしたいのですが……あなたがたがこの山からもっとも近い辺境都市に戻るには、風の魔法を駆使しても三日がかりであるはずです。それがわずか五日ていどで再び姿を現したということは……辺境都市まで戻らなかったか、あるいは転移の術式をもちいたということでしょうか?」


「は、はい。この前みなさんとお別れした後、ウィツィがこちらの山のすぐ外側に転移の門の術式を施したので……それを使って、参じた次第です」


「なるほど。まあ、ダークエルフであれば転移の術式を会得していてもおかしくはないでしょう。ですがそれは、あなたがたがあらかじめ再訪することを計画していたという事実を示していますね」


「……だったら何か、文句でもあるっての?」


 ウィツィはたちまち、眉を吊り上げる。白銀の髪と瞳に褐色の肌をした美麗なる女性であるのだが、彼女はきわめて直情的な気質であるのだ。ルウは沈着そのものの眼差しで、そちらを見返した。


「文句があるわけではなく、事実確認をしたまでです。……それで、身の潔白とは?」


「は、はい。辺境都市に戻ったわたしたちは、竜王に関してありのままを報告したのですが……誰にも信用してもらえなかったのです。それで、竜王の秘宝を発見しておきながら独り占めしようとしているなどと疑われてしまって……」


「それはつまり、悪逆なる竜王が平穏な隠遁生活などに満足するわけがないという判断であるな。であれば、我の不徳である」


 ドラゴンがふっと目を伏せると、ルウは「お待ちください」と言葉を重ねる。


「であればやはり、疑問が残ります。身の潔白を明かすために再訪したというのであれば、あらかじめ転移の術式を施す理由が立たないのではないでしょうか?」


「だから、そいつは別件なのよ。いちいち面倒な狼野郎ね」


 酒宴ではずいぶんくだけた姿を見せていたウィツィが、また反抗的な態度に戻ってしまっている。

 ただそれは、どこか子供がすねているような風情でもある。それに彼女は気丈に振る舞っているが、どことはなしに倦怠感を漂わせていた。


「……転移の術式は、門の設置よりも通過の発動に大きな魔力を消費する。なおかつそれは移動の距離に比例するので、人間族の足で三日がかりの距離となると……其方たちであれば四人がかりでも、総量の半分以上の魔力が必要となろう」


 そのように語りながら、ドラゴンは穏やかな眼差しでケルベロスを見下ろした。


「つまり、出向いた先ではこのように消耗した姿をさらすということである。それは、我々と争う気がない証にもなるのではなかろうかな?」


「……はい。私もこの者たちに、敵意を感じているわけではありません。ただ、筋道の立たない話を聞き流すことはできないというだけのことです」


「ふむ。ではまず、最初から再訪するつもりであった別件というものについて聞いておくべきであろうな」


 ドラゴンに視線を向けられたウィツィは、唇を噛んでしまう。すると、ますます子供がすねているような顔になった。


「ウィ、ウィツィは、竜王が所有する財宝のひとつをお借りしたいそうです」


 トナがそのように釈明すると、ウィツィはたちまち「ちょっと!」と声を張り上げた。


「な、なんですか? まずは疑いを晴らすべきでしょう? あちらでもこちらでも疑われたら、わたしたちは本当に立ち行かなくなってしまいます」


 トナは魔法の杖を押し抱きながら、祈るように両手を組み合わせた。


「神に誓って、虚言はついておりません。それにわたしも、もうひとたびこの山を訪れたかったので……転移の術式の構築に力を添えたのです」


「ふむ。其方は、何用があったのであろうかな?」


「そ、それは……夜の酒宴で、ひどくはしたない姿をお見せしてしまったような気がしていたので……ひとこと、お詫びを申しあげたかったのです」


 トナは白い頬を赤く染めながら、うつむいてしまう。

 すると、ベエが深々と嘆息をこぼし、ケイは「ははん」と鼻で笑った。あの日、泣き上戸のトナに絡まれて困っていたのは、ベエであったのだ。


「そーゆーことかよ、だったら、おめーにも詫びを入れてほしいところだなー」


「な、なに? どうして俺が、詫びなくてはならんのだ!」


 心外そうに顔をしかめるミシュコに、ケイはべーっと舌を出す。


「おめーはずっと俺に絡んでたじゃねーか。しょーもねー話を、長々と聞かせやがってよー」


「お、俺はそんなことしておらんぞ! ……し、していないよな?」


「わ、わかりません。あの夜は、わたしもお酒が過ぎてしまいましたので……」


 そうしてみんなでわちゃわちゃ騒ぎ始めると、あの夜の酒宴の賑やかさが蘇るかのようである。

 それで咲弥が心を和ませていると、二つの人影が左右から忍び寄ってきた。


「あたしの庭先でやかましいこったねェ。そいつらも、今日の獲物かァい?」


「ほほほ。こちらの世界の人間族と出くわすのは、ずいぶんひさかたぶりじゃのぉ」


 たちまち冒険者の三名は惑乱の表情になり、テクトリはひとり眼光を鋭くした。

 ロキの使い魔たるゴーレムに続いて、スキュラとユグドラシルまで目を覚ましてしまったのだ。これにて、この山に根をおろした名のある魔族も勢ぞろいしてしまったわけであった。

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