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01 変異体

2025.5/29

今回の更新は全8話です。隔日で更新いたします。

「うわぁ、これはなかなかの景観だねぇ」


 咲弥がそのように呼びかけると、ロキの使い魔にして分身たるゴーレムは「……ソウ」と無機的なロボットめいた声で答えた。

 ロキと出会った日の、翌朝のことである。その日も咲弥たちが朝の温泉を楽しもうとしたところ、ゴーレムがこの場にいざなってくれたのだった。


 ここはロキが管理する最東端の峰の、西側の面である。ゴーレムが生み落とされた窪地の岩場よりも高みにある中腹で、キャンプメンバーの全員がドラゴンの背に乗って参じたのだった。


 こちらも暗灰色の岩場であるが、白い蒸気と鉄臭い香りがたちのぼっている。岩の狭間に、真っ黒の湯がわきたっているのだ。暗灰色の岩場に黒い湯面と白い蒸気というモノクロームの様相は、まるで水墨画のような荘厳さであった。


「黒い温泉ってのは聞いたことがあるけど、ここまで真っ黒なのは初めて見たなぁ。ちょっと鉄臭いけど、この前のマグマみたいな温泉ほど強烈ではないよねぇ」


「はいなのです! これなら、おめめやおはなもいたくならないのです!」


 アトルとチコも、期待に瞳を輝かせている。普段は砂浴びで身を清めているという彼らも、すっかり温泉に魅了されたようであった。


「こちらの湯にも、魔力が溶け込んでいるようであるな。ロキは普段から、この温泉で魔力を補給していたのであろうか?」


 ドラゴンのそんな言葉にも、ゴーレムは「……ソウ」としか答えない。

 しかし彼は、自らの意思で咲弥たちをこの場に案内してくれたのだ。彼の本体が眠るのは正反対の側であったが、ここも彼が管理する根城の懐であったのだった。


「湯温も四十度ていどで、人間族やコメコ族の害になる成分も含まれていないようであるな。この香りから察せられる通り、鉄分が豊かであるようだ」


「それじゃあさっそく、朝の温泉を楽しませていただこうかぁ」


 というわけで、昨日と同じ手順で入浴の支度である。咲弥とアトルとチコだけが水着を着用して、ユグドラシルはひとり高みの見物であった。


 黒い温泉というのは奇妙な印象であるが、温かい湯の心地好さに変わりはない。それにこちらはそれなりに開けた場所であるので、なかなかの解放感であった。


「あちらに適度な窪みを持つ場所があったので、身を清めるのに都合がよかろう。その際にはまた結界を張るので、いつでも声をかけてもらいたい」


「ありがとぉ。毎回毎回、ドラゴンくんにはお世話をかけちゃうねぇ」


「それでサクヤの連泊が可能になり、長き時間をともにできれば、我としても本望である」


 優しく目を細めるドラゴンに、咲弥は「えへへ」と笑いかける。

 咲弥が計画した三泊四日のキャンプの、今日は三日目である。明日の午前中には帰宅する予定であるので、フルで楽しめるのは今日が最終日であった。


 最初の日にはキバジカに襲われたのちにユグドラシルと出会い、昨日の二日目にはロキと出会ってたくさんの石の道具を錬成してもらうことになった。七首山におけるキャンプはいつも充実しているが、今回は二日連続で新たな顔ぶれと出会ったためか、いっそう濃密な時間を過ごせている心地であった。


(ロキくんとも、それなりにわかりあえた気がするしなぁ)


 ロキの使い魔たるゴーレムは、他の面々と同じように丸い頭だけを湯面から覗かせている。ひときわ小さな体をしたゴーレムは、浅い場所を選んで立っているのだろう。表情を動かしようのない石の顔であるが、それも昨日までよりいっそう愛嬌があるように感じられた。


「……まったく。今日に限って、ロキの縄張りに出向くとはねェ。つくづく、間の悪い連中だよォ」


 聞き覚えのある皮肉っぽい声に、咲弥は背後を振り返る。

 あぐらをかいたユグドラシルのかたわらに、腕を組んだスキュラが傲然と立ちはだかっていた。


「……スキュラ、ワガハイ、ヨウジ?」


 ゴーレムの問いかけに、スキュラは「ははん」と鼻を鳴らした。


「あんたなんざに用事はないけど、水場はあたしの縄張りだからねェ。あんたに文句をつけられるいわれはないよォ」


「……モンク、ナイ。デモ、スキュラ、ワガハイノネジロ、アラワレル、ハジメテ」


「あたしは、こっちのとぼけた年寄りに用事があって出向いてきたんだよォ」


 ユグドラシルは泰然と座したまま、にこやかな面持ちでスキュラを振り仰いだ。


「スキュラがわしに用事というのも、珍しいことに変わりはないのぉ。何か変事でも生じたのかの?」


「ふん。あんただって、察しがついてるんじゃないのかァい? 水場の住人が、森を荒らしたんだからさァ」


 スキュラのそんな言葉には、ドラゴンが過敏に反応した。


「水場の住人が、森を荒らしたとは? ひさかたぶりに、魔獣でも忍び込んだのであろうか?」


「魔獣なんざ、この二年ばかりは影も見てないねェ。あんたの戯れで生まれた連中が、いよいよ悪さを始めたってことさァ」


「それはつまり、二つの世界の融合に影響された存在が、山の調和を乱したということであるな。それは我も、看過できない話である」


「あんたがいきりたったって、どうにもなりゃしないよォ。あんたがあいつらを追い回したら、それこそ森も水場も無茶苦茶だろうからねェ」


 スキュラは血の気の薄い唇を妖艶に吊り上げながら、またユグドラシルのことを見下ろした。


「かくいうあたしも、あいつらのすばしっこさに難渋してるんだよォ。そこで、ご老体に登場を願いたいのさァ」


「ふむ。確かに昨日の夜半に、精霊たちがいくぶん騒いでおったようじゃの。それもすぐに静まったようなので、わしはかまわず寝てしもうたのじゃが」


「あいつらを放っておいたら、毎晩おんなじ騒ぎが起きることになるだろうねェ。何せあいつらは、森の恵みに手を出すぐらい腹を空かせてるんだからさァ」


「それはさすがに、放っておけんのぉ。して、わしは何をすればよいのじゃ?」


「こんな暑苦しい場所で、長々と語らう気にはなれないねェ。まあ、あいつらも朝方は大人しいようだから、そうまで急ぐ必要はないさァ」


 そう言って、スキュラは咲弥のほうに流し目をくれてきた。


「それで、首尾よくあいつらをひっつかまえたら、あんたの出番だよォ」


「んー? あたしでも、何かお力になれるのかなぁ?」


「あいつらは馬鹿みたいに頑丈で食いにくいから、こうまでうじゃうじゃとはびこることになっちまったのさァ。食えるもんなら食い尽くして、それが無理なら細かく刻んで塵に返しちまいなァ」


 そんな言葉を残して、スキュラはふわりと身をひるがえした。


「じゃ、用事が済んだら、あの水晶石の鍾乳洞のそばにある空き地に顔を出しなァ。遅くとも、中天までには必ず来るんだよォ?」


 蒸気のもやに包まれたスキュラの姿が、やがてぼんやりと輪郭を失った。

 真剣な眼差しになっているドラゴンやケルベロスたちを余所に、ユグドラシルは「ほほほ」と笑う。


「存外、あやつも義理堅いのじゃな。水場の住人が森を荒らしたということで、ずいぶん心を痛めておるようじゃ」


「うむ。しかしこれは、我々としても看過できまい。……サクヤも、助力を願えようか?」


「うん。きっとスキュラさんも、間引いた生き物をただ捨てるのは忍びないんだろうねぇ。あたしもめいっぱい、協力させていただくよぉ」


 それが二つの世界の融合によって生じた問題であるというのなら、その恩恵に預かっている咲弥にとっても他人事ではない。凶暴化したキバジカと同じように、食べることで供養したいところであった。


                 ◇


「ワガハイ、ミマワリノシゴト。イッタン、シツレイスル」


 ゴーレムがそのように告げてきたのは、手早く入浴を済ませてユグドラシルの庭先に舞い戻り、テントやタープの撤収に励んでいる頃合いであった。


「うむ。そちらの峰にも被害が出ていないか、早急に確認が必要であろうな。手数をかけるが、よろしく願いたい」


「イサイショウチ。……コノゴーレム、ホカン、ユルサレル?」


 ドラゴンはふっと目を細めて、「うむ」と首肯した。


「さすれば、おたがいいつでも連絡をつけられようからな。我が預かるので、危急の折には連絡をもらいたい」


「……イサイショウチ」と告げるなり、ゴーレムの丸い穴の目が一本の線になるまで閉ざされた。


「わっ。この目って、閉じられるんだ。……まあ、何もない場所に口が開くんだから、今さらかぁ」


「うむ。ロキは他なるゴーレムに見回りをさせるために、こちらのゴーレムの操作を取りやめた。しかし、思念を送れば声を届けることもかなう。サクヤに授けた護符のようなものであるな」


「そっかぁ。ロキくんといつでも連絡をつけられるんなら、心強いねぇ」


「うむ。かつてのロキであれば自分の根城たる峰にしか関心はなく、我らと連絡をつけたいと願うこともなかったであろう。サクヤとユグドラシルのおかげでもって、あやつもずいぶん心持ちが変じたようであるな」


「ほほほ。最初の引き金は、うぬなのじゃろうがな。ともあれ、急ぐとしようかの」


 テントの撤収が完了したならば、すべての荷物を咲弥の愛車に詰め込んで、ドラゴンの亜空間に封印である。

 なおかつ、洗い物の山が詰まれた流し台や石造りの焚火台セットなども、まとめて亜空間に片付けられる。亜空間に物を詰め込むとそれだけで魔力を消耗するという話であったが、ドラゴンは何の苦労もない様子でけろりとしていた。


「ではまず、アトルとチコを畑に送ろう。捕獲作業が無事に完了したならば昨日と同じ刻限に迎えに行くので、そのように心置くがよい」


「りょーかいなのです! ……サクヤさまのごぶじをおいのりしているのです」


 不安げに手を合わせるアトルとチコに、ドラゴンは「大事ない」と目を細めた。


「我がある限り、サクヤに危険は近づかせないと約束しよう。其方たちは心置きなく、畑の仕事に励むがよい」


 かくして、咲弥たちは二日にわたって滞在したユグドラシルの庭先から出立した。

 まずはアトルたちが働く山中の畑で、そののちに水晶石の温泉がある鍾乳洞そばの空き地を目指す。その移動中、スリープモードのゴーレムはドラゴンの尻尾に巻き取られていた。亜空間に封入すると念話の声が届かないので、そのように取り計らっているとのことである。

 そうして一行が空き地に到着すると、すぐさまスキュラが姿を現した。


「ずいぶん早いご到着だったねェ。それじゃあ、さっそく働いていただこうかァ」


 その姿に、咲弥は「あれあれ?」と小首を傾げる。スキュラの外見や物言いに変化はなかったが、どことはなしに雰囲気が違っていたのだ。

 水晶のごとき髪と瞳はいつも以上にきらきらと輝いているようであるし、ぬめるように白い肌はいつも以上に生々しい色香を発散させているようであるし――総じて、普段以上の生命力と存在感であるように感じられる。なまじ外見に変化がないために、その差異は顕著であった。


「……こちらはスキュラの分身ではなく、本体であるな。捕獲作業に魔法を行使するため、本体で出向く他なかったのであろう」


 ドラゴンの言葉に、咲弥は「ほへー」と間の抜けた声をあげてしまった。


「そっかそっか。スキュラさんの本体と出会ったときはちょっと距離があったから、こんなに違いがあるとは思ってなかったよぉ。……本体でも、川を出たらその姿なんだねぇ」


 初対面の折に拝見したスキュラの本体は、下半身が巨大ダコであったのだ。現在はこれまでの分身と同じく、白い薄物のワンピースの裾が地面にまで大きく広がっていた。


「何をじろじろと見てるのさァ? そんなにこの中身が気になるのかァい?」


 スキュラはやたらと煽情的な所作で、ワンピースの裾をつまみあげようとする。

 咲弥は慌てて「いやいや」と手を振った。


「それは妄想で補完するから、そんなはしたない真似をする必要はないよぉ。どうぞあたしにはおかまいなく、お山の調和をお守りくださいませ」


「ふふん……水場は、こっちだよォ」


 スキュラは白いワンピースをひるがえして、茂みの向こうに踏み入っていった。

 ドラゴンは大型犬サイズに縮み、ケルベロスは三体合体した姿のまま、それに追従する。ユグドラシルとともに最後尾を歩きながら、咲弥は先頭のスキュラに語りかけた。


「ねえねえ。その異常繁殖した生き物っていうのは、どんなやつなのかなぁ?」


「ふん。あんな不細工な生き物は、あたしの縄張りに存在しなかったねェ。ってことは、あんたの世界の生き物が融合の影響でおかしな変異を遂げたってことさァ」


「にゃるほど。森に悪さをする川の生き物なんて、まったく心当たりがないんだけど……あたしの常識なんて、通用しないんだろうなぁ」


「だろうねェ。二つの世界が重なるまでは、あいつらも大人しくしていたんだろうからさァ。そうじゃなきゃ、あんたの世界のお山もさんざん荒らされてたはずだよォ」


 そうしてスキュラが真っ白な肩をすくめたとき、やおら視界が開けた。

 咲弥の目に飛び込んできたのは、渓流の景観である。かつて咲弥たちが釣りを楽しんだスポットに匹敵するような、雄大なる川の流れであった。


「おー。そういえば、温泉の近くには川があるって話だったっけぇ。ただ、設営するのはちょっと難しそうだなぁ」


 渓流のたたずまいにおかしなところはないが、こちらは川べりまで樹林が迫っているので、テントを設営できるようなスペースもない。そしてあちこちに南国を思わせる原色の花が咲き乱れているため、咲弥はジャングルの川に行き当たったような心地であった。


「なるほど。こうまで川と森が密接しているとなると、獲物を追うのも難儀なところであるな」


「だろォ? あんたやケルベロスに任せたら、川も森も無茶苦茶になっちまうさァ。だから、あんたが必要なんだよォ」


 スキュラは妖艶なる流し目で、ユグドラシルのあどけない笑顔をねめつけた。


「あたしが水の中で結界を張ろうとしても、あいつらはちょろちょろとすりぬけちまうのさァ。だからあたしはあいつらに気づかれないぐらい遠くから結界を張って、そいつをゆっくりと縮めていく。そうしたら、あいつらは川べりに逃げるしかないから、そのときがあんたの出番だよォ」


「なるほどのぉ。それはおたがい、魔力を食いそうなやり口じゃな」


 ユグドラシルはにこにこと笑いながら、咲弥を振り返ってきた。


「魔力をつかうと、腹が減るのじゃ。このたびの獲物が美味なる食事に化けることを期待したいところじゃのぉ」


「うん。食べられそうな獲物だったら、あたしもめいっぱい頑張るよぉ」


「楽しみなところじゃな。……よし、こちらはいつでもかまわないぞよ」


「それじゃあ、結界をせばめていくよォ。あんたたちは、邪魔にならないように下がっておきなァ」


 咲弥とドラゴンとケルベロスは、それぞれ茂みの中で身を引いた。

 どうどうと流れる渓流のさまに、取り立てて変化はない。咲弥はスキュラが上流と下流にそれぞれ透明のカーテンを張って、それをせばめていく図を想像してみたが、それがどこまで現実に即しているのかも判断できなかった。


 やがてドラゴンが「……来たな」と、ダンディな声でつぶやく。

 それと同時に、足もとの茂みがガサリと鳴った。


「まず、一匹じゃな」


 ユグドラシルはいつもの調子で、のんびりと声をあげた。

 そのかたわらに、蔓草が蛇のようににゅるりと首をもたげる。その先端に絡め取られた存在に、咲弥は「うひゃー」と驚きの声をあげることになった。


 全長二十センチはあろうかという四角い胴体に、凶悪なハサミと四対の長い足を持つ、それは――どこからどう見ても、カニに類する生き物であったのだった。

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