07 ディナー
ハンモックから下りた咲弥がタープの下の作業台まで移動すると、フリスビー遊びに興じていた面々も駆け寄ってくる。二時間ばかりもはしゃいでいたというのに、誰もが元気いっぱいの様子であった。
「ったく! こんな昼間から、よくぐーすか眠れるもんだなー! こっちはすっかり腹が減っちまったぜ!」
「ごめんごめん。美味しいディナーを準備するから、勘弁してよぉ」
そうして騒いでいる間に、ハンモックで身を休めていたユグドラシルも近づいてくる。ゴーレムも作業台のかたわらでひっそり控えていたので、これにて全員集合であった。
「それで今日は、どんなメシなんだ?」
「二日目の今日は、ひさびさにローストデザートリザートを作ろうと思ってたんだよねぇ。ケルベロスくんには、まだ食べてもらったことがなかったからさぁ」
「よくわかんねーけど、デザートリザードってことは肉だな!」
肉好きのケイは、きらきらと瞳を輝かせる。
咲弥がかつてローストデザートリザートを供したのは、アトルやチコと初めて出会った日であったのだ。その日から、すでに三週間ぐらいが経過しているはずであった。
「でも今回は、キバジカのお肉をゲットできたからねぇ。ローストキバジカにメニューを変更して、みんなでお初の料理を楽しむことにしよっかぁ」
アトルとチコは「わーい!」とはしゃぎ、ケイはぱたぱたと尻尾を振りたてる。そんなさまに胸を温かくしながら、咲弥は調理を開始することに相成った。
まずは、キバジカ肉の下ごしらえだ。今日もアトルたちが新たなブロック肉を持ち込んでくれたので、それをたっぷり四キロばかりも使わせていただくことにした。
肉の部位は、ロースとモモである。それぞれ五百グラムていどの見当で切り分けられていたブロック肉をそれぞれポリ袋に封入して、『ほりこし』とオリーブオイルを揉み込んでいく。そのさまを眺めているだけで、ケイは早くもうずうずと身を揺すっていた。
「じゃ、お肉はしばらく寝かせておこっかぁ。その間に、野菜とコメモドキの準備だねぇ」
昨日の無水カレーでも使用したタマネギとジャガイモとニンジン、さらにはニンニクと『黄昏の花弁』をローストキバジカで使用することにする。さらにコメモドキは、カシューナッツモドキで炊き込みご飯に仕上げることにした。
「これはどっちも、ユグドラシルさんと精霊さんのプレゼントだからねぇ。気に入ってもらえたら、嬉しいなぁ」
「ほほほ。出会って二日目じゃが、うぬの手腕を疑う気にはなれんのぉ」
善良の極みたるユグドラシルに笑顔を返しつつ、咲弥は炊き込みご飯の準備に取り組んだ。ダッチオーブンはこちらで使い、ロキの力作である二組の石鍋でローストキバジカを仕上げることにした。
コメモドキは浸水させすぎるとべちゃべちゃの仕上がりになってしまうため、十分ていどで切り上げる。塩と醤油、和風だしと調理酒を添加して、咲弥の自前である焚火台の火にかけた。
そして、野菜の切り分けでは、ついに昨日作製したまな板の登場である。
丸一日乾燥させたまな板は亜麻仁油のてかりもすっかり落ち着いて、さらさらの質感になっている。咲弥が祖父の形見たる渓流ナイフで『黄昏の花弁』を刻んでも、その表面に目でわかるほどの傷がつくことはなかった。
「うんうん。こっちもいい感じだねぇ。これからはアトルくんたちがこのまな板を使ってねぇ」
「えっ! サクヤさまのりきさくを、ぼくたちがつかってもよろしいのです?」
「うん。あたしはやっぱりローテーブルのほうが作業しやすいからさぁ。そのまな板だと、ちょっと大きいんだよねぇ」
「しょーちしたのです! だいじにだいじにあつかわせていただくのです!」
ということで、咲弥たちは三人がかりで野菜を切り分けていった。
とはいえ、ロースト料理では具材もなるべく大きなままであるほうが望ましい。タマネギとニンニクは頭と尻を落として皮を剥き、ジャガイモは芽を取るだけで丸ごと投入である。ニンジンも頭を落とすのみに留めて、ざっくり切り分けるのはハクサイに似た『黄昏の花弁』ぐらいのものであった。
そちらの切り分けが完了したならば、二組の石の焚火台に火を育てて石鍋をセットしたのち、オリーブオイルをたっぷり注ぎ込んで、ポリ袋のブロック肉を投入した。
デザートリザードの肉を使用した際にはローストチキンの要領でそのまま蒸し焼きにしていたが、こちらは牛肉に似ていたのでローストビーフの手順を踏襲することにしたのだ。これは、肉汁の流出を防ぐために表面を焼きあげる作業であった。
ブロック肉の全面にほどよい焼き色がついたならばいったん引きあげて、火傷をしないように気をつけながら鍋の底にアルミホイルを敷き、野菜と焼いた肉を積み上げていく。
二組の石鍋にそれぞれ二キロの肉塊と野菜を詰め込んでもまだゆとりがあるのは、頼もしい限りである。
そうして蓋を閉めたならば、その上にも焼けた炭を積んでいく。石鍋の正式な扱い方などはわきまえていないので、すべてダッチオーブンと同じ要領だ。あとは、料理の仕上がりで成否を問うしかなかった。
「いやぁ、どんな仕上がりになるか、楽しみだねぇ」
咲弥が笑顔を向けても、ゴーレムはやっぱり無反応だ。その丸い穴の目は、石の焚火台で火にかけられる石鍋の姿をじっと見つめていた。
その後はしばし歓談を楽しんで、料理が完成に近づいた頃合いで副菜の調理である。
本日の副菜は、ヤマイモに似たマンドラゴラモドキと巨大キノコの乳脂ソテーだ。人数が人数であるので、直径二十センチのスキレットで三回に分けて仕上げることに相成った。
なお、この作業では祖父の焚火台を使用したので、本日はバーナーを使用していない。ガスの節約になるのも、咲弥にとってはありがたい限りであった。
(確かにキャンプメンバーが増えると、消耗品の代金も馬鹿にならないからなぁ。ロキくんには、ほんと感謝だよ)
しかしここでお礼を言うと、愛おしきキャンプメンバーたちが恐縮してしまうかもしれない。とりわけそういう話題に過敏であるアトルとチコの耳をはばかって、この場は口をつぐんでおくことにした。
そうして調理の開始から、およそ九十分後――すべての料理が完成した。
ローストキバジカ、カシューナッツモドキの炊き込みご飯、マンドラゴラモドキと巨大キノコの乳脂ソテーである。食材と調理器具の準備にひと役買ってくれたユグドラシルとロキのおかげもあって、申し分ない質量であった。
「今日のデザートは焼きイブだから、もうちょっとしたら仕上げるねぇ。ルウくんは、しばしお待ちくださいませ」
「はい。いつもご面倒をおかけしてしまい、慙愧に堪えません」
凛々しい面持ちでそのように応じながら、ルウはぴこぴこと尻尾を振っている。まったくもって今さらの話であるが、三名のケルベロスはそれぞれ異なる愛くるしさを有していた。
そんなわけで、夕食の開始である。
夕闇に閉ざされつつある森の中で、九名のキャンプメンバーが『祝福の閨』を取り囲む。ユグドラシルもゴーレムも余った丸太で作られた椅子に座っており、すっかりこの場に溶け込んでいるように見えた。
「ではでは、ロキくんとの初ディナーを祝しまして、かんぱーい」
咲弥がそのように告げても、ちょこんと座したゴーレムは無反応だ。しかし咲弥も、だんだんその寡黙さが好ましく思えるようになってきていた。
(リアクションは薄いけど、ロキくんは親切だし、色々と頑張ってくれたもんなぁ。あとは、ロキくんに楽しいと思ってもらえてるかどうかだなぁ)
咲弥がそんな想念を浮かべながら甘いイブ酒をなめていると、ケイがさっそく「うめー!」と快哉の声をほとばしらせた。食しているのは、もちろんローストキバジカである。
「ろーすとキバジカ、おいしーおいしーなのですー! ろーすとデザートリザードとは、またちがうおいしさなのですー!」
アトルとチコも、ご満悦の面持ちである。咲弥も「どれどれ」とスポークをのばすことにした。
石鍋でじっくり蒸し焼きにされたため、肉の断面は美しい薔薇色をしている。やはり仕上がりは、ローストビーフに似ているようだ。ワサビ醤油に軽くひたしてからその肉を口に運ぶと、得も言われぬ味わいが口内に駆け巡った。
「おー、これは確かに絶品だねぇ。キバジカのお肉って、美味しいなぁ」
咲弥が口にしたのは、脂の少ないモモ肉である。しかし、赤身の肉はしっとりとしていてジューシーであり、物足りないことはまったくなかった。
キバジカの肉はクセがなく、それでいて肉らしい味が力強い。キバジカはまぎれもなく山に住まう獣であるので、これは立派なジビエであろう。思い込みかもしれないが、咲弥が知る牛肉や豚肉とはまた異なる野生の魅力にあふれかえっているように思えてならなかった。
いっぽうカシューナッツモドキの炊き込みご飯は、実に素朴な味わいである。カシューナッツモドキの香ばしさが豊かであり、米よりも大きいコメモドキの食感が実に心地好い。咲弥としては不満のない出来栄えであったし、穀物好きのベエも陰気にうつむきつつ尻尾を元気に振りたてながら、炊き込みご飯を食していた。
「うむ。どれも素晴らしき味わいじゃな。昨日のかれーらいすなる料理は絢爛きわまりなかったが、今日の料理もそれに負けないぐらい力強い味わいであるぞよ」
と、普段は果実や木の実で心を満たしているというユグドラシルも、そんな風に言ってくれた。
「ありがとう。これはみんなのおかげで出来上がった料理だから、みんなに喜んでもらえたら嬉しいよぉ」
「ほほほ。わしなどは、この白き実りを地面から引き抜いたのみじゃがな」
「でも、ユグドラシルさんだってドラゴンくんやケルベロスくんと一緒にキバジカを捕まえてくれたでしょ? あとはアトルくんとチコちゃんが育ててくれた作物も使われてるし、ロキくんが作ってくれた道具も大活躍だったし……やっぱり、みんなのおかげだよぉ」
「うむ。そして、他なる食材の準備と調理に携わったサクヤも、その中核を成す存在であるわけであるな」
ドラゴンのダンディな声に、咲弥は「うん」と笑顔を返す。
「だから、いっそう嬉しいんだよぉ。みんなでひとつのものを作りあげたような心地だからさぁ」
すると、機械的な動作で数々の料理を口の中に放り込んでいたゴーレムが、ぴたりと動きを止めた。
そして咲弥のほうに丸い目を向けてくるが、やはり黙して語らない。そんなゴーレムにも、咲弥は笑いかけてみせた。
「どうしたの? 言いたいことがあるなら、遠慮なくどうぞぉ」
「……サクヤ、シラナイソンザイ」
咲弥は、「うん?」と小首を傾げた。
「知らない存在とは、これ如何に?」
「……コノショクジ、シラナイアジ。サクヤ、シラナイソンザイ」
「わかんねーよ」と、ケイも面倒くさげに文句をつける。
ゴーレムは咲弥の顔をじっと見据えながら、さらに言葉を重ねた。
「……サクヤ、イカイノジュウニン。ダカラ、マゾク、オソレナイ。マゾク、オソレナイ、ニンゲンゾク……シラナイソンザイ」
「ふむふむ。確かにあたしは、みんなを怖がる理由がないからなぁ。ここ最近で一番おっかなかったのは、凶暴化したキバジカだと思うよぉ」
「……ワガハイ、タクサンノニンゲンゾク、キズツケタ。ソレデモ、コワクナイ?」
「うん。それはあたしの知らない世界での出来事だし……ロキくんは、理由もなく人を傷つけたりはしないんじゃないかなぁ」
「……サクヤ、ワガハイノコト、シラナイ」
「うん。それは否定しないよぉ。でも、ロキくんが悪い魔族だったら、きっとドラゴンくんも信用したりはしないだろうからさぁ」
ロキは誰よりも争いを好まない魔族だと、ドラゴンはそのように語っていた。咲弥もわずか半日のつきあいであったが、その言葉を疑う理由はどこにも見当たらなかったのだ。
「だからあたしも、ロキくんのことをもっと知りたいって思ってるよぉ。もし迷惑じゃなかったら、またキャンプにお誘いさせてねぇ」
ゴーレムは何も答えぬまま、食事を再開させた。
なんとなく――咲弥の言葉に迷っているような雰囲気である。それは咲弥の希望的観測に過ぎないのかもしれなかったが、少なくとも、咲弥の言葉に何も感じていないようには思えなかった。




