01 朝の湯あみ
2025.4/21
今回の更新は全8話です。隔日で更新していきます。
咲弥が計画した三泊四日のキャンプの、二日目――ユグドラシルという新たなゲストを迎えて無水カレーを楽しんだ日の、翌日である。
その日は朝から、隣の峰の温泉を目指すことに相成った。
飲酒後の入浴は危険であるので、温泉を楽しむのは夕食の前か朝方に限られるのだ。昨日は夕食が早かったし、食後もさんざん火酒のカクテルと『イブの誘惑』の果実酒を楽しんだため、こうして翌朝に持ち越されたわけであった。
なおかつ今回はさらなる楽しさを味わうために、いくつかのニューアイテムも持参している。水晶石がきらめく温泉の手前で光のカーテンを張ってもらった咲弥は、鼻歌まじりにそのアイテムを着用することになった。
「よーし、こっちは準備オッケーだよぉ。アトルくんは、大丈夫かなぁ?」
「は、はいなのです! たぶんだいじょーぶだとおもうのですけれど……ぼくには、ただしいこたえがわからないのです……」
「とりあえず、大事なところが隠れてればオッケーだよぉ。ドラゴンくん、問題なさそうだったら結界とやらを解除してもらえる?」
「うむ。そちらも、問題ないのであるな?」
厳粛なる響きを帯びたドラゴンの声に、咲弥は「うん」と気安く応じる。
そうして光のカーテンが解除されて、左右に分けられていた男女が再び巡り合うことになった。
女性陣は、咲弥、チコ、ユグドラシルの三名で、水晶石の小山の上では皮肉っぽい微笑をたたえた水妖スキュラも控えている。
いっぽう男性陣は、ドラゴン、アトル、ケイ、ルウ、ベエの五名だ。この鍾乳洞は入り口がせまいので、ドラゴンは大型犬サイズに縮んでおり、ケルベロスも三体に分裂していた。
その中で、咲弥とチコとアトルだけが身なりを整えている。
男女の混浴を楽しむために、咲弥が水着を準備してきたのだ。アトルとチコはおたがいの姿を目にするなり、なんとも言えない面持ちでもじもじとした。
「チ、チコはふしぎなすがたなのです。しゅーらくのみんながみたら、きっとびっくりびっくりなのです」
「そ、それはアトルもいっしょなのです」
そのように語る両名が身につけているのは、ミツバチを模した幼児用のスイムウェアである。彼らは背丈が一メートル足らずであったので、その体格に見合った水着を通販サイトで物色したところ、これらの品が咲弥の琴線に触れてしまったわけであった。
こちらの品はいちおうトップスとボトムで分離しているが、どちらも黄色と黒の太いストライプ模様であるため、一見するとロンパースでも着込んでいるかのようである。そして背中には小さな羽根が生えており、巻き角のある頭に無理やりかぶせられたスイムキャップには二本の触覚がちょこんと生えのびていた。
いっぽう咲弥は、無難にハーフトップとショートパンツの水着である。プールや海水浴に縁のない咲弥もまた、中学時代ぶりに水着を新調することになったのだ。これにて、ドラゴンたちとも存分に混浴を楽しめるわけであった。
「ではでは、温まらせていただこうかぁ。……ユグドラシルさんは、本当に入らないの?」
「うむ。わしは、熱が苦手なのじゃよ。このていどの蒸気であれば問題はないので、こちらで魔力を補充させていただこうかの」
緑色の髪に豪奢な花の冠をかぶり、翡翠のような瞳をきらめかせる、十歳児のごとき姿をしたユグドラシルである。一夜が明けた現在も、彼女はあどけない笑顔を見せてくれていた。
いっぽう小山の天辺に陣取ったスキュラは、シニカルに微笑みながら下界を見下ろしている。そちらは水晶のようにきらめく水色の髪と瞳をした、妖艶なる美貌の持ち主だ。その切れ長の目は、ずっとユグドラシルに向けられているようであった。
「まったく、酔狂なこったねェ。まさか、あんたまで竜王の戯れにつきあうとは思ってなかったよォ」
スキュラがそんな言葉を投げかけると、ユグドラシルは同じ笑顔のままそちらを振り返った。
「わしにしてみれば、うぬがこうして出張っておることのほうが愉快に感じられるぞよ。おたがい、退屈せんのぉ」
「ふん。あたしは水場を荒らされないように見張ってるだけさァ。まったく、余計な世話をかけてくれるもんだよねェ」
ひたすら善良なユグドラシルとひたすら皮肉っぽいスキュラであるので、どちらも別々の意味で内心をつかみにくい。まあ、それでも穏便な関係性であるようなので、咲弥も心置きなく温泉を楽しませていただくことにした。
風呂桶で掛け湯をしたのちに、七色に照り輝く湯面に体を沈めると、着替えの間に冷えた身に温もりがしみわたっていく。咲弥にとっても水着を着用して温泉に浸かるというのは初めての体験であったが、さほど情緒は損なわれなかった。
「うーん、やっぱり気持ちいいねぇ。チコちゃんたちは、どうかなぁ?」
「はいなのですー。やっぱりおんせんは、ぬくぬくできもちいーのですー」
チコとアトルは、さっそくゆるんだ笑顔になっている。ミツバチを模した帽子と相まって、普段以上の愛くるしさであった。
そしてその向こう側では、ドラゴンとケルベロスたちも肩まで湯に浸かっている。
この光景を目にしたいがために、咲弥はわざわざ水着をあつらえたのだ。気づけば咲弥も、チコたちに負けないぐらい頬をゆるめることになった。
「やっぱりみんな一緒だと、楽しさも倍増だねぇ。ケルベロスくんたちも毛並みがぺったりして、普段とは趣の違う愛くるしさだねぇ」
「うっせーなー。俺は魔力を補給してるだけだよ」
などと言いながら、ケイも心地好さげにまぶたを閉ざしている。竜や狼がいい子で温泉に浸かっている図が、咲弥の心をくすぐってならなかった。
(冒険者の殿方たちも、こうやってドラゴンくんたちと温泉を楽しんでたんだもんなぁ。案外、この愛くるしい姿にほだされたって部分もあったんじゃないかしらん)
咲弥の視線に気づいたドラゴンが、優しげに目を細める。それで咲弥は、いっそう温かな心地を授かることになった。
「起きぬけに温泉に浸かるというのも、心地好いものであるな。総身に魔力が行き渡り、今日の仕事をぬかりなく果たそうという意欲をかきたてられるかのようである」
「うんうん。ドラゴンくんたちは、今日もキバジカを追いかけるのかなぁ?」
「否。この数日で相当数のキバジカを捕獲したので、しばし様子を見ようかと思う。森に悪い影響が出ない限りは、凶暴化したキバジカといえどもむやみに駆除するべきではなかろうからな」
「うむ。今のところ、救いを求める精霊の声も聞こえてこないようじゃぞ」
温泉のふちであぐらをかいたユグドラシルが、のんびりと声を投げかけてくる。そちらに笑顔を返してから、咲弥はドラゴンに向きなおった。
「それじゃあ今日は、いつもの見回りだけで済むんだねぇ。お昼ごろには、合流できるのかなぁ?」
「うむ。不測の事態が生じない限りは、そういうことになろう。サクヤは、どのように過ごす算段であろうか?」
「そうだねぇ。まずは、昨日の食事の後片付けをして――」
そこで咲弥は、おのれの迂闊さを思い知ることになった。
「あー、しくじったぁ。実は、あの体を洗う場所で食器も洗っちゃおうって考えてたんだよねぇ。温泉が楽しみなあまりに、ついつい忘れちゃってたよぉ」
「ふむ? 食器を、あの場所で?」
「うん。お山を汚さないように食器を洗うのって、なかなかの手間だからさぁ。それなら、ここで洗っちゃえばいいんだって思いついたんだよねぇ」
元来、食器類の本格的な洗浄は、家で行っていた。しかし、連泊するとなると翌日に備えてしっかり洗浄する必要が生じるし、ドラゴンの持ち物である銀の食器に至っては、咲弥の世界に持ち出すこともできないという話であったのだ。それで咲弥は銀の食器を扱うようになった時分から、現地で本格的な洗浄をする方法を模索することに相成ったのだった。
『ウンディーネの恩寵』なる魔法アイテムのおかげで水は使い放題であるが、洗剤を使ってしっかり洗うとなると、やはり色々と難しい面が出てくる。これまでは作業台の上に設置したバケツで食器を洗いつつ、『貪欲なる虚無の顎』で排水しては、また新たな水を注ぐという、その繰り返しであったのだった。
「なるほど。サクヤにしてみれば、あれは常ならぬ手間であったのであるな。おのれの迂闊さに恥じ入るばかりである」
「いやいや。お山の見回りや畑の面倒を頑張ってるみんなに比べたら、あたしが一番お気楽な身分だよぉ。でももし時間があったら、お仕事の前に食器を運んでもらえるかなぁ?」
「うむ。しかしそうなると、サクヤはこの場で我々を待つことになってしまおう。なおかつ洗い場に向かうには、また衣服を脱ぐ手間が生じような」
「あー、そっかぁ。じゃ、今日はいつもの方法でしのいで、ここを使うのは明日からってことにしようかなぁ。どうせ今回は、三泊もするんだしねぇ」
そうして咲弥が心からの笑顔を届けると、ドラゴンもまたゆったりと目を細め――そののちに、居住まいを正した。
「ところで、サクヤは他なる地でキャンプを楽しむ際にも、連泊していたのであろう? そういった際には、どのように食器を洗っていたのであろうか?」
「んー? 炊事場があるキャンプ場ならそこの流し台で洗ってたし、炊事場がない場所では洗い物が出ないように献立のほうを調整してたねぇ」
「なるほど。流し台であるか……」
ダンディな声でつぶやきながら、ドラゴンはちゃぷんと音をたてて尻尾の先端を湯面から覗かせた。
「サクヤよ、手数をかけるが我の尻尾を握りながら、その炊事場の流し台というものを強く思い浮かべてもらえようか?」
「んー? どういうこと?」
「我はかつて一万名に及ぶ人間の意識を走査したが、キャンプ場における炊事場というものは各人で印象が異なっており、いずれが正しい姿であるのか判然としないのだ。サクヤにとって望ましい形状をした流し台というものを、思念で伝えてもらいたい」
すると、小山の上に寝そべったスキュラが「ははん」と鼻を鳴らした。
「何をまどろっこしいことをしてるのさァ? その娘っ子は魔力を携えてないんだから、頭の中身なんて覗き放題でしょうよォ」
「そうせぬために、頼んでいるのだ。サクヤが強く思念を固めない限り、我に伝わることはないと約束する」
そのように語るドラゴンは、ひどく真剣な眼差しである。
ドラゴンはかつて祖父の頭の中を覗くことになり、咲弥に対してはその魔法を使いたくないと言い張っていたのだ。それを思い出した咲弥は、心を込めて「うん」とうなずいた。
「とにかく、流し台のことを思い浮かべればいいんだねぇ? ドラゴンくんに対する熱い思いもあふれかえっちゃうかもしれないけど、そのときは見て見ぬふりでよろしくぅ」
「うむ。そういった思いは、術式を使わずとも感知は難しくないようであるぞ」
「んにゃー。ドラゴンくんには、かないませんですにゃあ」
気恥ずかしさを冗談口でまぎらわせながら、咲弥はドラゴンの尻尾をそっと手に取った。
そして一心に、キャンプ場の炊事場を思い浮かべる。最後にそれを利用したのはもう一年ばかりも昔の話であったが、べつだん思い出すのに困るほどの内容ではなかった。
「……なるほど。肝要なのは、汚れた水がこぼれないような形状と、水に侵食されない材質であることだな。元来はそこに注水と排水の設備が必要となるが、『ウンディーネの恩寵』と『貪欲なる虚無の顎』があれば問題はなかろう」
「うん、まあ、そうだねぇ。また何か、魔法アイテムのあてでもあるのかなぁ?」
「否。我の所有する宝物に、転用できそうな品は見当たらぬようであるな。しかし、大地の精霊を駆使すれば、如何様にもできよう」
するとまた、スキュラが皮肉っぽい言葉を投げつけてきた。
「あんたはいちおう大地の精霊を掌握してるみたいだけど、そんなちまちました命令を下せるのかァい? それとも、まさか……」
「うむ。大地の精霊の扱いに関しては、ロキの右に出るものはなかろう」
すると、ユグドラシルまでもが「ほほほ」と笑った。
「ついに、ロキまで引っ張り出すのかえ? そりゃまた豪気な話じゃのぉ」
「うむ。かねてより、サクヤはこの山を守っていた三名に挨拶をしたいと申し述べていたからな。それに対して、我は機会を見るべしと答えたが……スキュラとユグドラシルに続いて、ついにその機会が巡ってきたということではなかろうか?」
そのように語るドラゴンは、また優しい眼差しになっている。
それで咲弥も心置きなく、「うん」と応じることがかなったのだった。




