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05 新たな食材

「こちらが、キバジカのおにくなのです!」


 作業台たる『祝福の閨』に鎮座ましましていた壺の中から、アトルが砂まみれの肉塊を引っ張り出した。

 それをウォータジャグの水で洗ってみると、実に見事な赤身の肉が登場する。デザートリザードの肉は鶏肉を思わせる淡い桃色であったが、こちらはまさしく牛肉のごとき鮮やかな赤色であった。


「ほうほう。脂身が少なくて、しっかりした赤身だねぇ。これって、どこの部位なんだろ?」


「こちらは、かたにくなのです! もっとやわやわなせなかのおにくも、すなづけにされているのです!」


 たしか牛肉においても、歯ごたえのある肩肉は煮込み料理、やわらかいロースはステーキなどに向いていると聞いた覚えがある。咲弥が考案した献立に相応しいのは、肩肉であるようであった。


「じゃ、背中のお肉は後で使わせていただくとして、まずはその肩肉を使わせていただこうかなぁ。あとは……精霊さんたちのプレゼントだねぇ」


 さきほど花畑でいただいた、果実と木の実の山である。

 すると、黒い竜巻を起こして三体に分裂したケルベロスの中から、ルウが「恐れながら」と進み出た。


「木の実に関しては存じませんが、果実に関しては多少の知識を携えております。そちらの朱色の果実は酸味が強く、おもに肉料理の風味づけなどで活用されており、紫色の果実は甘みが際立っているため、菓子の材料に使われることが多いようです」


「おー、にゃるほど。じゃ、こっちの黄色いのは?」


「申し訳ありませんが、そちらの果実だけは存じあげません。私がこれまで巡った地には存在しない果実か……あるいは、世界の融合によって生まれた新たな種であるのでしょう」


「ご明察じゃよ。その黄色い果実は、新顔じゃ。甘みも酸味もなかなかの強烈さで、わしはわりあい好んでおるぞよ」


 ユグドラシルの補足説明に、咲弥は「にゃるほど」と繰り返す。


「何に使うにせよ、こっちは味見が必要かなぁ。幸い、どっさりあるからねぇ」


 ということで、咲弥は三種の果実を切り分けることにした。

 まず朱色の表皮をした果実は、柑橘系である。カボスのように清涼な風味が豊かであるが、同時に酸味も強く、甘みはほとんど感じられない。チコたちも「すっぱいのですー」と涙目になっていた。


 紫色の果実は両断してみると黄白色の身で、なんとも言えないまろやかな甘みとねっとりとした食感である。マンゴーか、あるいは西洋ナシか、何にせよ咲弥には馴染みの薄い味わいと食感で、チコたちは「あまいのですー」と涙を引っ込めた。


 そして最後の黄色い果実は、皮が固くて両断するのもひと苦労である。こちらは果肉も鮮やかな黄色で、ユグドラシルが言う通り甘みも酸味も同じぐらい強く、咲弥が知る中ではパイナップルに近かった。


「ふむふむ。ここはチャレンジ精神を発揮して、この黄色い果実は料理で使わせていただこうかなぁ」


「えー? こんな甘くて酸っぱい果実は、肉の味を台無しにしちまうんじゃねーのかー?」


 ケイが不服を申し立ててきたので、咲弥はにんまりと笑顔を返した。


「今日の献立はこの果実を隠し味に追いやるぐらい強烈な味わいだから、心配はご無用だよぉ。きっとドラゴンくんたちは、食べたことがあるんじゃないかなぁ?」


「ふむ。それほどに強烈な味わいというと……もしや、カレーライスであろうか?」


 そのように答えたドラゴンは期待に瞳を輝かせており、アトルとチコはぐっと身を乗り出してきた。


「かれーらいすは、トシゾウさまになんどもふるまわれているのです! きょうのりょーりは、かれーらいすなのです?」


「大当たりぃ。キャンプでは定番だから、じっちゃんも披露してると思ったんだぁ」


 アトルとチコは「わーい!」と腕を振り上げて、ちょろちょろと駆け回る。そのさまに、ケイは仏頂面をこしらえつつ尻尾をぱたぱた振っていた。


「なんだかまた、奇妙なもんを食わされそうだな! そのかれーらいすってのは、そんな特別なシロモノなのかよ?」


「いやぁ、家でもキャンプでも定番の料理だねぇ。つまり、それだけたくさんの人に愛されてる料理ってことさぁ」


 しかしどれだけ言葉を重ねても、料理の味を伝えることは難しいだろう。咲弥はすみやかに、調理を開始することにした。

 まずは、生米を水にひたす。兵式飯盒と二組のメスティンをフル活用して、八合だ。今日はちょうど八名のメンバーであったので、一杯ずつはおかわりが可能な分量であった。


 次なるは、具材の切り分けである。

 現地調達の食材は、キバジカの肩肉、トウガラシとトマトを掛け合わせたような『ジャック・オーの憤激』、名も知れぬ巨大キノコ、リンゴに似た『イブの誘惑』、そしてパイナップルに似た黄色の果実だ。

 いっぽう咲弥が買いそろえたのは、タマネギ、ジャガイモ、ニンジンに、カットトマトの缶詰となる。それを目にしたドラゴンが、不思議そうに小首を傾げた。


「『ジャック・オーの憤激』とは別に、そちらの世界のトマトも使用するのであるな」


「うん。ジャックくんはトマトに似た酸味と旨みがあるけど、食感はカボチャっぽいからさぁ。今日は無水カレーに挑戦するから、野菜に水気が必要なんだよねぇ」


「無水カレー……具材を煮込むのに水を使わず、野菜の水分のみで仕上げるカレーであるな?」


「おー、さすがドラゴンくんは博識だねぇ。無水カレーにはダッチオーブンみたいに立派な鍋が必要だから、あたしにとっても初チャレンジなんだぁ」


 なおかつソロキャンプでひとり分のカレーを作る気にはなれなかったため、咲弥がカレーが手掛けたのは祖父とのデュオキャンプのみとなる。これは祖父との思い出を辿りつつ、ダッチオーブンを入手した現在ならではの要素も盛り込んだ献立であった。


 リンゴに似た『イブの誘惑』は金色の皮ごとすりおろして、パイナップルに似た果実は固い表皮からほじくりだしたのち、スポークの腹で押し潰す。これらの豊かな水分も、煮汁として活用されるのだ。

『ジャック・オーの憤激』は、このさいカボチャのように扱おうと決めて、薄いくし切りに仕上げる。こちらも焼き料理よりは煮込み料理に適していることが、これまでの調理で立証されていた。


 他なる具材は、アトルとチコの三人がかりで切り刻んでいく。

『プロフェーテースの黒碑』をカッティングボードの代用にするのも、今日限りだ。そのように考えると、つやつやと黒く照り輝くその姿が何だか愛おしかった。


「ところで、こちらの木の実はどのように活用する算段であろうか?」


 ドラゴンの言葉で、咲弥はまだ新たな食材が残されていることを思い出した。山積みにされた、茶色の木の実である。


「そっかそっか。すっかり忘れてたよぉ。あたし、木の実ってほとんど馴染みがないんだけど……これはどういうお味なんだろうねぇ」


「これらの木の実は、我も普段から口にしている。熱を通さずとも好ましい味わいであるが……人間族やコメコ族が多量に摂取すると、消化不良を起こす危険があるようであるな」


 と、ドラゴンはわずかに目を細めながら、そのように語った。おそらくは魔法を駆使して、木の実の成分を解析しているのだ。


「熱を通せば、そういった危険も回避できるようである。そして、この成分から推察するに……サクヤの世界でもっとも近しい食材は、カシューナッツのようであるな」


「へー。ドラゴンくんは、カシューナッツなんて知ってたのぉ?」


「うむ。トシゾウが酒のつまみと称して持参したことがあったのだ。あれも、美味なる味わいであったな」


 目を細めたまま、ドラゴンは優しげな眼差しを浮かべる。

 そのさまに心を温かくしながら、咲弥も「そっか」と微笑んだ。


「じゃ、その木の実も山ほどあるから、カレーとホットケーキの両方で使っちゃおうかな。いやあ、精霊さんたちのおかげでどんどん料理が豪華になっていくねぇ」


「ほほほ。精霊たちの贈り物がお気に召したのなら、何よりじゃの」


 ユグドラシルも、温かな眼差しで調理のさまを見守っている。やっぱり彼女は十歳児のような無邪気さを持ちながら、ドラゴンに負けないぐらい老成した雰囲気も兼ね備えていた。


 やがてすべての具材の切り分けが完了したならば、いざ次なるステップである。

 木の実の皮むきはアトルとチコにお願いして、咲弥はまずダッチオーブンでキバジカの肉とタマネギの半分を炒めた。カッティングボードの作製で生じた木屑も、ここで焚きつけとして活用させていただく。


 無水カレーは初めての挑戦であるので、すべてはインターネットで覚えた手順だ。肉とタマネギがしっかりサラダ油になじんだならば、残りのタマネギ、ニンジン、ジャガイモ、巨大キノコ、『ジャック・オーの憤激』、カシューナッツモドキの順番で重ねていき、最後に水気の多いカットトマト、細かく潰したパイナップルモドキ、『イブの誘惑』のすりおろしを加えて、ダッチオーブンの重い蓋を閉ざした。


 焚火台の火加減は、弱火と中火の中間を目指す。これで十五分ほど加熱したならば、いったん蓋を開けて具材を攪拌し、カレーのルーも混ぜ合わせたのち、また蓋を閉めて弱火で二十分――肝要であるのは、蓋を何度も開いて水気を逃がさないように、とのことであった。


「これでよし、と。この間に、お米も炊かせてもらうとして……残りのフルーツとカシューナッツモドキの使い道も考えないとなぁ」


「あとは、肉だろ! 背中の肉も、食うんだろ?」


 ケイが待ちきれない様子でぴょこぴょことステップを踏んでいたので、咲弥はつい「あはは」と笑ってしまった。


「そっちもきちんと考えてるから、心配めされるな。みんなこの三日間は、キバジカのお肉をいただいてたの?」


「いえ。こちらは山で過ごす許しを得てからすぐに、キバジカの肉を食していました。当時から、凶暴化したキバジカは多少ながら間引く必要がありましたので」


 ルウの返答に、ベエも「うむ……」と陰気に言葉を重ねる。


「しかしキバジカはあれだけの大きさであるので、日に一頭も食せば十分となる……今日などは合計五頭も捕らえることになったので、とうてい食べきれぬ量であるな……」


「にゃるほど。お肉は、焼いて食べてるんだよねぇ? それじゃあ、ちょっとでも味付けで変化をつけないとなぁ」


 そこで咲弥が目をつけたのは、カボスのごとき風味を持つ朱色の果実である。こちらを活用すれば、ステーキにも使える立派なドレッシングを作りあげられるのではないかと思われた。


 ドレッシングなどは、目ぼしい調味料を混ぜ合わせるだけでそれなりのものが出来上がるものである。塩にブラックペッパーにオリーブオイル、醤油に酢に砂糖、ついでにニンニクにタマネギにリンゴに似た『イブの誘惑』と、手頃な食材は手もとにそろっていた。


「あとはやっぱり、ダイコンサラダかなぁ。ダイコンはまだまだ家に残ってるから、みんなも消費に協力してねぇ」


 咲弥がそのように告げると、ドラゴンが不思議そうに小首を傾げた。


「それらはすべて、ハツ・タナベからの贈り物であるな? しかしあちらは、我々の存在を知らぬのであろう? サクヤひとりにそれほどのダイコンを受け渡しても、とうてい食べきれぬのではなかろうか?」


「うん。だから、漬物だとか切り干しダイコンだとかの作り方も教えてくれたんだけどねぇ。今のところはみんなのおかげで、余らせることなく消費できてるよぉ」


「左様であるか。我々にとっても、ありがたい限りである」


 ドラゴンは納得したようにうなずいてから、ユグドラシルのほうに向きなおった。


「そういえば、かねてよりユグドラシルに尋ねたいことがあったのだ。……この山に、穀物に該当する種は存在するのであろうか?」


「ふむ? こくもつとは、どういった種であったかのぉ」


「簡単に言えば、澱粉質を主体とする種子であるな。……サクヤよ、米をひとつぶ所望できようか?」


 咲弥は「ほいほい」とドレッシングの調合の手を止めて、米袋から米粒をつまみあげる。それを台座の上に転がすと、ユグドラシルは翡翠のような瞳で注視した。


「なるほどのぉ。こやつに似た森の恵みは、ないこともないが……またそれを、畑という場所で増やそうという算段かのぉ?」


「うむ。ケルベロスを迎えて以来、食材の消費が倍ほども増えてしまったのでな。常々、サクヤには申し訳なく思っていたのだ」


「なんだよー! お前だって、おんなじぐらい食ってるだろ!」


「うむ。サクヤが手掛ける料理があまりに美味であるため、我も以前より食事の量が増えてしまったのだ」


 ドラゴンが気恥ずかしそうに身をよじったので、咲弥は「にひひ」と笑ってしまった。


「あたしは楽しくてやってるんだから、気をつかわなくていいよぉ。こうやって、色んな食材をいただいちゃってるしねぇ」


「うむ。ようやく冬も終わりを遂げたため、今後はさらなる作物を供することもできよう。ただひとつ、穀物だけは手掛けていなかったのだ。穀物もこちらで準備できれば、サクヤの負担もずいぶん減じるのではないだろうか?」


「それはその通りだけど、お米はさすがに難しいんじゃないかなぁ。あれは畑じゃなく、田んぼで作られるもんだしねぇ」


「そうじゃのぉ。この森に存在するのも、似ているだけで別物じゃぞい」


 ユグドラシルがそのように語ると同時に、今度は足もとから蔓草がうねうねと近づいてきた。その先端に巻き取られているのは、立派なヤマイモを思わせる根菜のようである。


「んー? どっちかっていうと、マンドラくんに似てるみたいだねぇ」


「うむ。しかし中身は、この通りじゃ」


 蔓草がその根菜をぎゅうぎゅうと締めあげると、茶色い表皮が破れて中身を覗かせた。そこにみっちりと詰め込まれていたのは、白いトウモロコシを思わせる粒の羅列である。


「ふむ。確かにこれは、きわめて米と似た成分を有しているようであるな。こちらをコメコ族の手で栽培することは、可能であろうか?」


「べつだん、育てるのに難しい種ではないのでな。あれだけの種を育てあげたコメコ族なら、どうということもなかろうよ」


 そう言って、ユグドラシルはのんびり笑った。


「そこらに生えている分をいくつかもいでも、森の調和に影響はあるまいな。今日の食事には間に合わんじゃろうが、よければ明日にでも使うてみてはどうじゃ?」


「うむ。是非とも、そうさせていただきたい。ユグドラシルの親切に、感謝する」


「ほほほ。うぬがわしを頼るのは、珍しいことじゃしな。そちらのサクヤのためであれば、其方も遠慮を忘れることができるようじゃの」


 ユグドラシルは悪戯小僧のように笑い、ドラゴンは羞恥を覚えたように身をよじる。ドレッシングの味見をしながら、咲弥はひたすら温かな心地であった。

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