04 クラフトワーク
「実は今日は、ドラゴンくんにお願いしたいことがあったんだよねぇ」
咲弥がそのように告げたのは、幻想的なる花畑からもとの空き地に戻ってからのことであった。
こちらの空き地も木漏れ日できらめいているし、咲弥たちの頭にはまだ花の冠がかぶせられている。しかしいつまでも陶然とはしていられないので、咲弥は楽しいキャンプに気持ちを切り替えようという所存であった。
「ふむ。サクヤに頼られるのは、得難き話である。いったい如何なる願いであろうか?」
「ユグドラシルさんの前で何だけど、実は木材が欲しいんだよぉ。……これって、精霊さんたちの反感を買っちゃったりしないかなぁ?」
「ほほほ。わしとて古木を道具として使うことはあるし、森の調和を乱す樹木を間引くこともあるぞよ。そういえば、以前は竜王とともに頭をひねりながら、たいそうな量の樹木を間引くことになったものじゃ」
「そうそう。それで、間引いた樹木はどこかに保管してるんでしょ? それを分けてほしいんだよねぇ」
二つの世界を融合させた当初、この山は樹木が過密になったらしい。それで生態系を守るために、ドラゴンは数多くの樹木を間引くことになったのだ。そして、それらの樹木はどこかの谷で保管されており、かつてはアトルとチコの椅子の材料にされていたのだった。
「承知した。どれだけの量が必要なのであろうか?」
「えーっとね、これぐらいかなぁ」
咲弥が指先で二センチぐらいの幅を示してみせると、さしものドラゴンも驚きに目を見開いた。実に愛くるしい所作である。
「あ、これは厚みね。直径四十センチぐらいの丸太があったら、これぐらいの厚さで拝借したいんだよねぇ」
「うむ……丸太であれば、百本でも二百本でも準備できるのだが……わずかそれだけの厚みで事足りるのであろうか?」
「うん。実は、カッティングボードを自作したいんだよねぇ。じっちゃんの木工キットを発見したから、あたしもチャレンジしたくなっちゃってさぁ」
咲弥がそのように言葉を重ねると、ドラゴンの目もとがたちまち和んだ。おそらく祖父の面影が、ドラゴンの胸にも去来したのだ。
「なるほど。アトルたちのために匙や皿を作りあげた、あれらの器具であるな。しかし、カッティングボードとはまな板のことであろう? まだ数に不足があるのであろうか?」
「うん。今ってあの黒い石板をカッティングボードの代わりに使ってるでしょ? それでウィツィさんが大騒ぎしてたから、何だか申し訳なくなっちゃってさぁ」
ウィツィとは冒険者のひとりで、ダークエルフという種族の魔道士である。咲弥が『プロフェーテースの黒碑』の上で肉を切り刻んでいた際、彼女はその場にくずおれそうな勢いで衝撃をあらわにしていたのだった。
「なるほど……しかし他なる冒険者たちは、他なる魔法具の扱いにも打ちのめされていたはずであるな?」
「うん。でも、壺やランタンや食器なんかは、正しい使い方をしてるでしょ? ただ、あの石板だけはちょっと用途がずれすぎかもって思いなおしたんだよぉ」
「うむ。『プロフェーテースの黒碑』とは、預言を授かるための魔道具であるからな。まな板として扱うのは、確かに不相応であるのやもしれん」
そんな風に言ってから、ドラゴンは可愛らしく小首を傾げた。
「しかし、それを言うならば、『聖騎士の槍』や『昏き眠りの爪』もずいぶん本来の用途から外れているのではなかろうか?」
「そうだねぇ。でも、あれってどっちも武器なんでしょ? 武器として使うぐらいならポールやペグとして活用したいっていう、あたしの身勝手な思惑で除外された次第であります」
咲弥のおどけた物言いに、ドラゴンは「左様であるか」と満足そうに目を細めた。
「承知した。では、望みの品を準備しよう」
「あ、できたらなるべく乾燥した丸太でお願いできるかなぁ? どうもカッティングボードってのは、数年ばかりも乾燥させた木材で作るのが理想みたいなんだよねぇ」
「大事ない。丸太を保管している峡谷には、水の精霊を通さぬ結界を張っているのだ。もっとも古き時代に間引いた樹木はもう二年ばかりも水気のない場所で保管されていたのだから、存分に乾ききっていることであろう」
「おー、それは助かるなぁ。あと、カッティングボードとして使うからには、なるべく頑丈な材質でお願いしたいんだよねぇ」
「サクヤが使用しているカッティングボードは、アカシア材であったな。では、それと同程度の硬度を持つ樹木を見つくろうとしよう」
そのように語ってから、ドラゴンはケルベロスに向きなおった。
「では、ケルベロスにも同行を願えようか?」
「あん? なんで俺まで引っ張り出されなきゃならねーんだよ?」
「刃物を使おうと風の魔法を使おうと、我はそうまで正確に丸太を寸断する自信がないのだ。其方の剣の腕を見込んでの願い出である」
「ちぇっ、めんどくせーなー」などと言いながら、ケイもまんざらでもない面持ちである。彼もドラゴンと同様に、他者から頼られることを嬉しく思っているようであった。
「では、我々はしばし席を外させていただく。さして時間はかからぬであろうが、よろしく願いたい」
魔法陣から咲弥の愛車とキャンプギアの一式を取り出して、本来の巨大な姿に戻ってから、ドラゴンはケルベロスを乗せて飛び去っていった。
咲弥たちは、いざ設営である。すると、黙って成り行きを見守っていたユグドラシルが愉快げに声をあげた。
「うぬと竜王は、出会ってひと月とは思えぬ親密さじゃな。まるで家族さながらであるぞよ」
「あはは。それは一番、嬉しい言葉だねぇ」
木漏れ日の落ちた地面にテント用のグランドシートを広げつつ、咲弥はユグドラシルに笑顔を届けた。
「そう言うユグドラシルさんも、ドラゴンくんと仲良しなんでしょ? なおさら、もっと早く紹介してほしかったなぁ」
「仲が良いというても、ここ最近は顔をあわせる機会もなかったぞよ。べつだん、用事もなかったのでな」
「あ、そーなのぉ? こんなに気が合いそうなんだから、もっと仲良くすればいいのに」
「先刻も言うたが、わしは老いぼれなので負担をかけないようにと気をつかったのじゃろ。……本質的に、樹木の精霊は火竜族を恐れるものじゃしな。あやつがスキュラを苦手にするのと同じことじゃよ」
しかし、このユグドラシルがドラゴンを恐れている気配はない。それでも心優しいドラゴンは、つい遠慮してしまうのかもしれなかった。
「それじゃあユグドラシルさんは、ふだん誰と仲良くしてるの? スキュラさんとも、そんなに交流はないんでしょ?」
「うむ。水の精霊にはさんざん世話になっておるが、束ね役のスキュラはあの通り偏屈者なのでの。おたがいを尊重しつつ、むやみに近づかないという間柄じゃな」
そう言って、ユグドラシルはにこりと微笑んだ。
「そもそもわしは、いささか出自が特殊なのでな。おおよその魔族は、扱いに困っておるのじゃろうよ」
「ふうん? でも、ドラゴンくんはどんな種族でも平等だっていう信念だよねぇ?」
「うむ。その種族というものすら、わしは曖昧であるのじゃ。おおよその魔族は魔力の渦から生まれ落ちるか、群体種であれば肉の身で交わって子を生すかじゃが……わしはもともと、一本の樹木に宿った精霊だったのじゃよ」
おとぎ話を読み聞かせる老婆のような風情で、ユグドラシルはそのように言葉を重ねた。
「それで気づけば千年の時を生きて、伝説の世界樹たるユグドラシルの名を与えられることになったのじゃ。もとをただせば、精霊族に分類されるべき出自じゃろうし、千年も生きたならば精霊王に成り上がっても不思議はない。しかしわしの身は魔力に侵食されたため、ありようとしては魔族に他ならぬのじゃ」
「うーん。あたしにはよくわかんない話だけど……でも、千年も生きてるなんて、すごいねぇ」
「そんなもんは、大雑把な勘定じゃよ。実は五百年かもしれんし、二千年かもしれん。あまりに長きを生きすぎて、わしにはどうでもよくなってしもうたのじゃ」
年齢を感じさせないあどけない笑顔で、ユグドラシルはそんな風に言いつのった。
しかし確かに先刻の花畑で見せた透徹なる眼差しには、ドラゴンに負けない風格を感じてやまなかった。少なくとも、見た目通りの十歳児でないことは確かである。
「それで最初の質問に戻ると、わしは精霊たちとともに過ごしておるよ。これだけの精霊があふれかえっておったら、退屈するいとまもないのでな」
「そっかぁ。あたしとしてはこんな風に、ときどきキャンプにお招きしたいところなんだけど……それって迷惑になっちゃうかなぁ?」
「ほほほ。わしは竜王が思うておるほどつつましい性分ではないので、賑やかなのは大歓迎じゃよ。日がな眠りこけておる日もあるので、そういう日だけは遠慮してもらえれば幸いじゃな」
ユグドラシルが温かな笑顔でそのように言ってくれたので、咲弥も心からの笑顔を返すことになった。
そうして設営が完了したタイミングで、ドラゴンとケルベロスが舞い戻ってくる。ドラゴンの尻尾には、実に立派な丸太の輪切りが携えられていた。
「サクヤの申し出よりも、いくぶん大ぶりになってしまった。これから形を整えるのであれば問題はなかろうと判じたのだが、如何であろうか?」
「おー、こりゃまた立派な丸太だねぇ。お察しの通り、大きい分には問題ないよぉ」
その丸太は、直径五十センチばかりもあるようであった。これならば四角い形状に加工しても、四十センチていどの長さを確保できそうなところである。
「それだけでかいと、まさしくまな板って感じだけど……作業台が大きいから、別に問題はないしねぇ。そもそも小ぶりのカッティングボードがもてはやされるのは、持ち運びの手軽さとローテーブルのサイズに合わせてのことなんだろうからさぁ」
そうして丸太を横合いから拝見してみると、二センチていどの厚みで真っ直ぐ平行に仕上げられている。ケルベロスの剣さばきというのは、実に巧みなものであった。
「うんうん。立派なもんだねぇ。いっそ、四角く切り出すのもケルベロスくんにお願いしちゃおっかなぁ」
「それを四角く切り分けるのですか? 目印でもつけていただければ、難しいことはないかと思いますが」
頼もしきルウの言葉に従って、咲弥は定規とサインペンを取り出した。この作業のために持参した品々である。本来は、祖父の形見であるノコギリで切り分けるつもりであったのだ。
(あたしのやることは、ほとんどなくなっちゃうけど……みんなで作りあげたほうが、楽しいもんな)
丸太の表面に四十センチ掛ける二十五センチの長方形を記して差し出すと、ベエの口がそれをくわえこんだ。その間に、ケイはドラゴンが差し出した『竜殺し』の短剣をくわえこむ。
そうして咲弥たちのもとから遠ざかると、ベエは首を横に傾けて、丸太の輪切りを空中に投げあげた。
かつてのフリスビー遊びを思わせる勢いで、丸太の輪切りはぎゅんぎゅんと舞い上がり、やがて下降してくる。そこにケイが、目にも止まらぬスピードで短剣を振りかざし――地面には、五つに切り分けられた木材が転がった。
「い、いっしゅんでかんせいしてしまったのです! ケルベロスさま、すごいのですー!」
アトルとチコが感服の面持ちで拍手をすると、またケイは自慢げに首をのけぞらせた。
しかし実際、どれだけ自慢しても足りない手際である。咲弥が長方形に切り分けられた分を拾いあげてみると、電動カッターで切られたような切り口であり、四つの角も正確に九十度であるようであった。
「ケルベロスくんは、本当にすごいねぇ。刃物をくわえてなかったら、ハグしてあげたかったところだよぉ」
まだ短剣をくわえていたケイは声にならないわめき声をあげ、ルウは折り目正しくお辞儀をしてきた。
ケルベロスのモフモフは後のお楽しみとして、次なる作業は面取りである。鋭利な切り口は危険であるため、サンドペーパーで削って丸みをもたせるのだ。
祖父の木工キットには当て木も準備されていたので、それにサンドペーパーを巻きつけて、木材の角を削りあげていく。硬い材木をリクエストしたので、やはりなかなかの手応えだ。それでも根気よく作業を進めていくと、やがて申し分のない曲線が完成された。
すべての辺の始末を終えたならば、四つの角はさらに入念に削っていく。多少はふぞろいになっても、それは手作りの味というものであろう。カッティングボードとしての機能に支障が生じない限り、問題はなかった。
そして最後に、板の表面も細かい番手で研磨していく。短剣の切り口は見るからになめらかであったが、わずかな凹凸でも不純物が溜まってカビの原因になるのだ――と、咲弥は事前に調べあげていた。
「よし、完成――なんだけど、欲を言えば穴でも開けたいところだなぁ」
咲弥がそのようなつぶやきをこぼすと、ドラゴンが「穴?」と小首を傾げた。
「うん。隅っこに指を引っ掛けられる穴が開いてると、持ち運びに便利なんだよねぇ。あと、乾かすときに吊るすこともできるからさぁ」
「なるほど。では、そちらは我が受け持とう」
大型犬サイズに縮んだドラゴンは尻尾で板を持ち上げると、それを自分の鼻先にかざした。
そうしてまぶたを半眼に閉ざしつつ、くわっと大きな口を開く。まるで板を丸呑みにしようとしているかのようであるが――その大きく開かれた上顎と下顎の中央に、やがて黄金色の輝きが渦を巻き始めた。
咲弥たち一行は、言葉もなくその姿を見守っている。
そんな中、黄金の輝きはどんどん凝縮されていき、やがて直径二センチていどの球状に変化する。そしてその輝きが弾丸のように射出されて、板の隅に真円の穴を穿ったのだった。
「このていどの大きさで、用は足りるであろうか?」
「どれどれ? ……うん、ばっちりだねぇ。どうもありがとう」
咲弥が笑顔でお礼を言うと、ドラゴンは嬉しそうに目を細める。
そのかたわらで、ケイは呆れた顔をしており、ユグドラシルは楽しそうに微笑んでいた。
「何だよ、今の魔法は? そんなもん、見たことがねーぞ!」
「風と光の複合魔法かのぉ。火竜族のうぬが、ほんに器用なもんじゃなぁ」
「うむ。敵の武具を破壊するために考案した術式である」
ドラゴンがふっと目を伏せたので、咲弥はすかさずその背中をぺちぺちと叩いた。
「じゃ、あの槍や杭と同じように、平和的に再利用できたってわけだねぇ。おかげで、立派なカッティングボードができあがったよぉ」
ドラゴンは視線を上げて、「うむ」とまた目を細める。
その間に、アトルとチコが咲弥の足もとに寄り集まってきた。
「それで、かんせーしたのです? きょうからちょーりでつかえるのです?」
「いや、最後に油を塗って、丸一日は乾燥させなきゃいけないんだよねぇ」
咲弥がそのように答えると、アトルがぽんと手を打った。
「そーいえば、ぼくたちのおさらやさかずきも、さいごにあぶらをぬられていたのです! つぎのひにつかえるようになるまで、わくわくだったのです!」
「そうそう。じっちゃんの木工キットに、その油も入ってたからねぇ。やっぱりアトルくんたちの食器は、ニスとかじゃなくてあの油で仕上げられてたのかぁ」
材木から切り出した食器はそのまま使うとすぐに傷んでしまうため、最後に油を塗って仕上げるのだという話であった。口にしても無害な植物性で、べたべたとした感触が残らない乾性の亜麻仁油である。
咲弥はそもそもこちらの木工キットを発掘した際、この油は何に使うのかとインターネットで調べたことにより、カッティングボードの作製を思いたったのだった。
「この油は、定期的に塗りなおしたほうがいいらしいからさぁ。今回の帰りがけに、アトルくんたちの食器セットも塗りなおしてあげるねぇ」
「ありがとーございますなのです! トシゾウさまからのおくりものをサクヤさまにおていれいしていただけるなんて、きょーしゅくのかぎりなのです!」
「わ、わたしもおなじきもちなのです! でも、それとおなじぐらい、しあわせいっぱいいっぱいなのです!」
純真の権化たるアトルとチコに笑いかけてから、咲弥はユグドラシルのほうに向きなおった。
「ねえねえ、ユグドラシルさん。こいつをどこかの木の枝にでも吊るしておきたいんだけど、了承をいただけるかなぁ?」
「うむ。なんなら、こちらで引き受けてもよいぞよ」
それはいったい、どういう意味か――と、咲弥が問いかけるより早く、頭上からうねうねと蔓草の先端が近づいてきた。梢の内から出現した蔓草が、生き物のように忍び寄ってきたのだ。
咲弥が板を差し出すと、蔓草は隅の小さな穴をくぐって吊るしあげる。そうして咲弥がキッチンペッパーにしみこませた亜麻仁油をまんべんなく塗り込むと、蔓草はキャンプの邪魔にならない空き地の端のほうまで退いていった。
「すごいなぁ。今日は魔法ざんまいだねぇ」
「あれは魔法でなく、精霊の力を借りただけじゃよ。まあ、世間ではそれを魔法と呼ぶのやもしれんが……わしにとっては、お仲間に助力を願ったようなもんじゃ」
そう言って、ユグドラシルはにこりと笑った。
「しかし、わしにとっても見ていて飽きない騒ぎじゃの。お次は何を見せてくれるのじゃ?」
「うん。それじゃあちょっと早いけど、夕食の支度を始めようかなぁ。今日はみんな大忙しで、おなかもぺこぺこだろうしねぇ」
咲弥がそのように答えると、キバジカの捕獲に勤しんでいたドラゴンとケルベロスたちは瞳を輝かせて、ユグドラシルもいっそう笑みを深めたのだった。




