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02 交流

「これなるは、ファングディアと呼ばれる森の獣じゃ。こやつらが数多く生息する東の地においては、キバジカなどと称されておるようじゃな」


 そのように語ってから、ユグドラシルと名乗る魔族の少女はにこりと笑った。


「しかし、ファングディアもキバジカも、わしらの世界の言葉じゃからな。言語解析の術式でどのように伝わっておるかは、知るすべもない」


「なかなかいい具合に翻訳されてるみたいだよぉ。呼びやすいから、あたしはキバジカって呼ばせていただこうかなぁ」


 車の窓から身を乗り出した体勢のまま、咲弥は小首を傾げた。


「でも、それって動物だったの? だったらどうして、ドラゴンくんの魔法で弾き飛ばされたんだろ?」


「こやつはきわめて狂暴なので、魔力を持つ存在とまとめて結界の対象にされたんじゃろ。なかなかに複雑な術式になるはずじゃが、竜王はああ見えて小器用じゃからな」


 ユグドラシルは咲弥の祖父と挨拶をしたことがあるというし、ドラゴンに対してもきわめて親しげだ。退魔の結界とやらがなければ、咲弥ももっと間近から交流させていただきたいところであった。


「こうして大きく育ったキバジカはのべつまくなしに森を荒らすし、あらゆる存在に牙を剥く。それでも森の調和が保たれていれば、さしたる害にもならないのじゃが……竜王が二つの世界を融合させたことにより、いささか調和が乱れてしもうたのじゃよ。それであやつも責任を感じて、後始末に追われているわけじゃな」


「そっかぁ。ドラゴンくんがそんな苦労をしてるなんて、あたしはちっとも知らなかったよぉ」


「その苦労がかさんだのは、ここ数日の話じゃよ。それまでは見回りのついでで捕獲して魔族の食料にするだけで事足りたが、三日ほど前から森に悪い影響が出始めたのじゃ。それでわしも老体に鞭打って、竜王に力を添えることにしたのじゃよ」


 三日前――ちょうど咲弥が冒険者たちに別れを告げて、祖父の家に戻った日取りである。それでは、咲弥が知るすべもなかった。


「なるほどねぇ。それじゃあ、この子はどうするの?」


「知らん。わしでは地面に埋めて草木の肥やしにするぐらいの頭しかないので、すべて竜王に任せておるのじゃ。こやつも、竜王に受け渡すしかないのぉ」


 そのように語りながら、ユグドラシルは頭上を仰ぎ見た。

 つられて顔を上げた咲弥は、思わず口もとをほころばせてしまう。愛おしき真紅の巨大な影が、こちらに舞い降りてくるところであったのだ。


「あちらの峰で別なるキバジカを追っていたために、遅参してしまった。こちらのキバジカは、ユグドラシルが処置したのであるな? 心より、感謝の言葉を捧げよう」


 ドラゴンは咲弥に温かな眼差しを向けてから、すぐさまユグドラシルに頭を垂れた。

 ユグドラシルは無邪気に笑いながら、ひらひらと手を振る。


「いつにも増して、堅苦しいのぉ。どうせこの娘はうぬの護符に守られているのじゃから、心配には及ぶまいに」


「うむ。しかし、サクヤにはキバジカについて伝えていなかったのでな。さぞかし不安な思いを抱かせてしまったことであろう」


 ドラゴンの黄金色の瞳が心配そうな輝きをたたえたので、咲弥はユグドラシルと同じように手を振ってみせた。


「最初はちょっとびっくりしたけど、お守りのおかげで危ないことはなかったよぉ。こっちこそ、いつもありがとうねぇ」


「うむ。こちらのキバジカは雄の一部の個体のみ、凶暴化する恐れがあるのだ。凶暴化したキバジカは特異な脳波を発するので、そういった個体のみサクヤに接近できぬように術式を施していた」


「なんと、そうまで細かい術式を編んでおったのか。ずいぶんな手間をかけるのぉ」


 ユグドラシルが可笑しそうに微笑むと、ドラゴンは厳粛な目つきで「うむ」と首肯した。


「もとよりトシゾウは、退魔の結界も不要と申し述べていた。それでは山の息吹を正しく感ずることもできまいと言ってな。しかし、魔獣や凶暴化したキバジカは危険な存在であるし、魔族や亜人族や人間族にも危険な者はいる。そして本来それらのものどもはトシゾウの世界に存在しなかったのであるから、それで危険な目にあったならばすべて我の責任となる。そのような事態には耐えられなかったので、なんとか護符を持ち歩くようにと伏して願ったのだ」


 そのように語ってから、ドラゴンは優しい眼差しで咲弥を見つめてきた。


「きっとサクヤも同じように考えるであろうと思い、トシゾウの護符をそのまま受け継いでもらった。我の考えに、間違いはなかったであろうか?」


「うん。おかげで危ない目にあうこともないし、危険のない一角ウサギくんなんかとは仲良くなれたしねぇ。あたしにとっては、ありがたい限りだよぉ」


 咲弥はドラゴンに笑顔を返してから、ユグドラシルのほうに視線を移した。


「ただワガママを言わせてもらうと、ユグドラシルさんともお近づきになりたいかなぁ」


「左様であるな。ユグドラシルも、退魔の対象から外させていただく」


 ドラゴンは迷う素振りも見せず、尻尾をひとふりした。

 それぐらい、ドラゴンもユグドラシルのことを信用しているわけであった。


「これでもう、近づいても大丈夫なんだよねぇ? ユグドラシルさん、あらためまして、どうぞよろしくぅ」


 咲弥はいったん車内に引っ込んでから、ドアを開けて車外に出た。

 いちおう慎重な足取りで近づいてみたが、ユグドラシルが弾き飛ばされることもなく、近い距離で相対する。十歳ぐらいの少女に見えるユグドラシルは、咲弥よりも頭ひとつぶん小柄であった。


「ところで、ユグドラシルさんの名前も聞いた覚えがあるんだよねぇ。ユグドラシルさんもスキュラさんと一緒で、この山を守ってくれてたんでしょ?」


「うむ。あちらは水場、こちらは森で、相まみえる機会はそうそうなかったがの。……ロキとはもう顔をあわせたのかや?」


「否。あやつは他者に関心がないので、トシゾウも顔をあわせることはなかった。我にしてみても、キバジカの肉を届ける他には顔をあわせる機会もない」


 ロキとは、ドラゴンよりも先んじてこの山に住みついていたという三名の魔族の、最後のひとりである。スキュラと面会する際に、咲弥はユグドラシルとロキの名前を聞かされていたわけであった。


「ロキはひとつの峰を守っているのみであるが、水の精霊を束ねているスキュラと樹木の精霊を束ねているユグドラシルは、この山の調和の要である。今後も長く生きて、この山の調和を守ってもらいたく思っている」


「わしがくたばっても、次なる誰かが束ね役を担うだけじゃろ。世界の調和は、そのように保たれておるのじゃよ」


「……しかし我の術式は、こうして調和を乱す存在を生み出してしまったからな」


 ドラゴンは目を伏せつつ、死んだように眠るキバジカに視線を落とした。


「二つの世界を融合したために、この山の生態系には小さからぬ歪みが生じた。それでキバジカは絶対数が増えたために、凶暴化する個体も増えたということであろう。世界の融合から二年近くが経過して、ついにそれが表面化したわけであるな」


「ふむ。となると、キバジカそのものを間引かない限り、このさき延々と凶暴化した個体を追うことになりそうじゃの」


 ユグドラシルがどこか悪戯小僧っぽい眼差しでそのように告げると、ドラゴンは「否」と首を横に振った。


「凶暴化したキバジカは森を荒らすので、こうして間引く他ない。しかし、こちらの手間をはぶくために凶暴化していないキバジカを間引くのは、道理が通るまい。なるべく其方の手をわずらわせないように努めるので、どうか容赦を願いたい」


「これじゃよ。まったく、損な性分じゃの」


 ユグドラシルに楽しげな笑顔を向けられて、咲弥も笑うことになった。


「いや、ドラゴンくんにしてみれば、笑えない話なんだろうけどさ。あたしの世界でも、家畜を襲うオオカミを駆除したせいで鹿やら何やらが大繁殖したって話を聞いた覚えがあるよぉ。そういうのは、もう文明人の業ってやつなんじゃないかなぁ」


「うむ。さらに別なる視点で見れば、凶暴化して間引かれるキバジカよりも、すこやかに生き抜くキバジカのほうが遥かに多いのじゃ。見ようによっては、うぬの行いがより多くのキバジカに生きる喜びをもたらしたとも言えるのじゃろうな」


「……サクヤとユグドラシルが手を携えては、我など赤子も同然であるな」


 ドラゴンはさまざまな感情をたたえた目で、咲弥とユグドラシルの姿を見比べた。


「ともあれ、二人が早々に交流を深められたようで、得難く思う。よければ今宵は、ユグドラシルもキャンプに招いては如何であろうか?」


「あたしは最初っから、それを期待してたんだよねぇ。ユグドラシルさんは、迷惑じゃないかなぁ?」


「ふむ。確かにここでたもとを分かつのは、いささかならず惜しい気分じゃの」


 と、ユグドラシルはあどけなく微笑んだ。


「邪魔でなければ、うぬらの営みを見物させてもらいたい。この数日で、ケルベロスやコメコ族とも知遇を得たところじゃしの」


「やったぁ。今日はひときわ嬉しいゲストだなぁ」


「ではまず、こちらのキバジカの始末をつけねばな。よければ、我の背に乗ってもらいたい」


 というわけで、咲弥の愛車は道端で亜空間に封印されることになった。

 眠るキバジカの身はドラゴンの尻尾に巻き取られて、咲弥とユグドラシルは背中にお邪魔する。ドラゴンは巨大な翼を広げて、すみやかに上空へと舞い上がった。


「ではまず、畑に移動する。そちらの門から、捕獲したキバジカをコメコ族の集落に送っているのだ」


「チコちゃんたちのお家に? それでキバジカをどうするの?」


「この山で暮らす魔族だけではとうてい食しきれない量であるため、コメコ族に受け渡しているのだ。なめした毛皮も砂漬けの肉も、売れば多少の稼ぎにはなろうからな」


「売る? って、誰に?」


「もとよりコメコ族はデザートリザードやキャメットから得られる革や肉なども、行商人に売り渡しているのだ。それで代わりに、塩や豆や衣服などを買いつけているわけであるな」


 咲弥は「にゃるほど」と、心から納得した。コメコ族が砂漠の収穫だけで生きていけるのかと、多少ながら疑問に思っていたのだ。


「もちろんサクヤとともに食する分は、こちらで保管している。よければ、今宵の料理に使ってもらいたい」


「おー、今日は鹿肉かぁ。あたしは普通の鹿肉も食べたことないんだけど、キバジカのお肉ってどんなお味なんだろう?」


「あくまで、我の印象であるが……そちらの世界でもっとも近いのは、牛肉であろうかな。あとは自らの舌で確かめてもらう他あるまい」


 咲弥は「うんうん」と応じながら、かたわらのユグドラシルを振り返った。

 ユグドラシルは腕を組み、白い足を剥き出しにしてあぐらをかいている。外見は十歳児であるが、やはり堂々としたものであった。


「スキュラさんはお魚が主食で、動物の肉はいらないって言い張るんだよねぇ。ユグドラシルさんは、どうだろう?」


「わしも普段は、森の恵みで腹を満たしておるよ。肉や魚も食って食えぬことはなかろうが、そもそも火を扱う習わしがないので食う機会もないといったところじゃな」


「そっかぁ。お肉が主体じゃなければ、大丈夫な感じ?」


「うむ。それにべつだん、食うものには困っておらんからの。わしに気をつかう必要はないぞよ」


 しかしそれでも可能な限りは、同じものを食べて同じ喜びを分かち合いたいところである。咲弥が考案してきた本日の献立であれば、それなりに何とかできそうな気がした。


 そこでドラゴンが「到着である」と告げて、急降下する。

 咲弥がドラゴンの首を抱きすくめると、ちょっと懐かしい畑の様相が眼前に迫ってきた。


 アトルとチコが管理する、山中の畑である。

 峰と峰の間の窪地に、三日月の形で大きく地面が切り開かれている。その片隅に存在する小屋の前に、ドラゴンの巨体が降り立った。


「あっ! サクヤさまとユグドラシルさまがおそろいなのです!」


 草葺き屋根の小屋から顔を出したアトルが、喜びと驚きの入り混じった面持ちで出迎えてくれる。それに続いて、チコとケルベロスも姿を現した。


「なんだ、ババアも一緒かよ」と、ケルベロスの右側の首たるケイが愛想のない声をあげる。ユグドラシルは変わらぬ笑顔で、軽やかに地面に降り立った。


「そちらも息災なようじゃの。そら、もう一頭追加じゃよ」


「ひゃわー! こちらも、おーものなのです! ユグドラシルさまがおつかまえになったのです?」


 チコがもじもじしながら問いかけると、ユグドラシルは鷹揚に「うむ」と応じた。


「まあ、花の精霊の力で眠らせただけじゃがの。後の始末は、頼んだぞい」


「りょーかいなのです! ねむったキバジカはしんせんなじょーたいでさばけるので、きっとおいしーおいしーなのです!」


「なんだよー。俺だって、雷撃で眠らせてるだろー?」


 ケイが不服そうに言いたてると、チコは大慌てで「もちろんなのです!」とそちらに向きなおった。


「さいしょのしゅーかくはこげめがついてしまいましたけれど、きのうからはけがわもきれーでありがたいかぎりなのです! おにくもけがわも、きっとりっぱなねだんになるのです!」


「ふふん。雷撃の加減もわかってきたからなー。雑なやつだったら、一撃でまる焦げにしちまうだろーぜ」


 自慢げに首をそらすケイと「すごいのですー」と拍手を送るチコが、二人そろって微笑ましい限りであった。

 そうして咲弥がひそかに胸を和ませていると、チコがおずおずと微笑みかけてくる。


「ご、ごあいさつがおくれてしまったのです。サクヤさまにおあいできて、うれし-うれしーなのです」


「うん。あたしも嬉しいよぉ。あたしが帰ってから、みんな大変だったみたいだねぇ」


「わたしたちはキバジカをさばくだけなので、ちっともたいへんではなかったのです! キバジカはデザートリザードよりもやわやわなので、かんたんにさばけるのです!」


「では、こちらの一頭も受け渡す。今日はサクヤが参じているので、キバジカの始末は集落の者たちに任せるがいい」


 ドラゴンが穏やかに語りながら、尻尾を長くのばしてキバジカを小屋の中に移動させていく。好奇心に駆られた咲弥は、チコとともにそれを追いかけることにした。


 こちらの小屋は貯蔵庫および造酒蔵であり、草籠に積まれた作物や壺や水瓶などがところせましと並べられている。その突き当りまで歩を進めると、壁に青白い魔法陣が浮かびあがった。


「では、キバジカをとどけてくるのです!」


 ドラゴンの尻尾からキバジカの巨大な身を受け取ったチコが、えいやっとばかりに魔法陣へと跳びこむ。魔法陣は一瞬だけ眩い輝きを放ち、チコとキバジカの姿を呑み込んだ。

 これぞ、かねてより聞かされていた「ぴかぴかのぴゅー」というやつである。コメコ族の集落は山麓から徒歩で一日がかりという話であったが、この魔法の門を使えば一瞬で移動できるわけであった。


「さて。では、今日は何処の地を目指すべきであろうか?」


 チコが戻ってくるのを待って一緒に小屋を出ると、ドラゴンがそのように問いかけてくる。

 咲弥が「そうだなぁ」と考え込むと、ユグドラシルが笑顔で発言した。


「うぬらは、お山のあちこちで野営をしておるのじゃろ? わしのねぐらのすぐ近くにも、それなりに開けた地があるぞよ」


「あ、ほんとぉ? あたしはできるだけ、お初の場所を巡ってみたいんだよねぇ」


 そんな風に答えてから、咲弥はドラゴンに向きなおった。


「ただそれだと、温泉まで出向くのに手間がかかっちゃうよねぇ」


「温泉が必要ということは、サクヤが連泊するということである。それに文句をつける者は、この場におるまいな」


 ドラゴンのそんな優しい言葉によって、咲弥たちは新たなキャンプスポットを目指すことに相成ったのだった。

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