07 親睦の食事会
それからしばらくして、ついにメインの料理が完成した。
ダッチオーブンにいっぱいのジャンバラヤと、鉄鍋にいっぱいの味噌汁である。さらに余った時間を使って、ダイコンの千切りサラダも添えていた。
ドラゴンがひとっとびして巨大な丸太を持ち込んでくれたので、四名の冒険者はそれを横に倒して椅子の代わりにしている。『祝福の閨』をはさんで向かい合うのは三頭のケルベロスと亜人族の兄妹であり、咲弥とドラゴンはその両方を見渡せる面に腰を落ち着けていた。
さらに、咲弥の足もとには銀の大皿が置かれて、一枚ずつ剥かれた『黄昏の花弁』が積み重ねられている。それを取り囲んでいるのは、もちろん五頭の一角ウサギたちであった。
「ではでは、親睦の食事会を開始いたしまぁす。かんぱぁい」
咲弥がマグカップを掲げると、ケルベロスを除く面々もそれぞれ酒杯を掲げてくれた。そこに注がれているのは、桃のような香りがする『世捨て人の悦楽』の果実酒だ。
咲弥が呑気な顔をさらしているためか、先刻までの気まずい雰囲気はいちおう払拭されている。まだミシュコはいくぶん悄然とした面持ちであったが、トナなどは卓上の料理に目を輝かせていた。
「す、すごく立派な料理ですね。野営でこんなに立派な食事を口にできるなんて、普段ではありえないことです」
「あはは。立派かどうかは味しだいだけどねぇ。さあさあ、トナちゃんも召し上がってくださいなぁ」
「は、はい。神と食事を作ってくださったみなさんに、心よりの感謝を捧げます」
トナは両手の指先を組んで何やら呪文のようなものを唱えてから、子供のような性急さで銀の匙を取った。
そうして味噌汁をひと口すすると、「んー」と可愛らしく目を細める。
「こ、こちらも素晴らしい味わいです! それにやっぱり、まったく見知らぬ味わいであるようです!」
「ふん。あんなに肉を食った後なのに、ずいぶん食い意地が張ってるね」
そんな意地悪なことを言って純真なるトナを赤面させるのは、隣に座したウィツィである。そちらは銀の酒杯を回しながら、果実酒の香りを楽しんでいた。
「それにしても、まさか辺境の果てで『世捨て人の悦楽』の果実酒を楽しめるなんてね。こんなの、都では高級酒だよ?」
「そっかぁ。それもアトルくんとチコちゃんが作ってくれたんだよねぇ」
咲弥がそのように答えると、ミシュコがギクリとしたように首をすくめる。
咲弥は頭をかきながら、そちらに笑いかけることにした。
「ミシュコくんも、肩の力を抜いてよぉ。あたしはもう言いたいことを言わせてもらったから、なんも腹に溜めたりはしてないよぉ?」
「お、おう……」
「そんで、また納得のいかないことがあったら、あらためて意見させていただくだけだからさぁ」
「だ、だから、それがおっかないってんだよ!」
ミシュコはやけくそのように、酒杯の果実酒をあおった。
すると、素知らぬ顔でテクトリが発言する。
「この米料理にも、見知った香草と見知らぬ香草が混在しているようだな。半分がたは、肉焼きで使われていたのと同じものなのであろうが……それとも異なる風味を、強く感じる」
「ジャンバラヤには、『ほりこし』とケイジャンスパイスを使ってるからねぇ。唐辛子やガーリックなんかは共通してて、クミンとかシナモンとかが別物かなぁ」
その恩恵で、ジャンバラヤはきわめてスパイシーに仕上がっている。また、生米を具材と混ぜ合わせながら鍋で炊くという調理法であるため、食感も独特だ。インディカ米を使用したほうが理想的なのやもしれないが、日本米でも咲弥には不満のない出来栄えであった。
いっぽう味噌汁は味噌汁なのでごくオーソドックな仕上がりであるが、やはり異界の食材を多用しているためか、そこはかとなく新鮮な味わいである。『黄昏の花弁』は独特の甘い香りを有しているし、デザートリザードの肉とマンドラゴラモドキと巨大キノコもその食材ならではの出汁を出しているはずであった。
(あたしが持ち込んだのは生米とダイコン、それにニンニクとタマネギとパプリカぐらいだもんなぁ。それだけでこんな立派な料理を作れるなんて、やっぱりお得だなぁ)
今日はゲストがいるためか、アトルとチコも静かに食事を進めている。しかしジャンバラヤや味噌汁を口にするたびに紫色の瞳が輝き、内心の満足度をあらわにしてくれた。
冒険者たちは冒険者たちで、ひとしきり料理の感想を述べた後は小声で仲間内の会話に励んでいる。あまりしつこく絡むのも気が引けたので、咲弥は隣のドラゴンに語りかけることにした。
「ドラゴンくんは、如何かなぁ? たぶんジャンバラヤは、お初でしょ?」
「うむ。かつてトシゾウから振る舞われたチャーハンなる料理と似た部分も見受けられるが、米の食感や刺激的な味わいなど相違点のほうが多いようだ。……ともあれ、きわめて美味である」
「おー、じっちゃんもチャーハンなんて作るんだぁ? あたしは食べたことなかったなぁ。いいなぁ、羨ましいなぁ」
「トシゾウも、見様見真似で作りあげたのだと語っていた。きっと同じ献立ばかりでは我々が飽きると判じてのことであろう。トシゾウの気づかいには、どれだけの感謝を捧げても足りなかった」
「そっかぁ」と応じつつジャンバラヤをいただこうとした咲弥は、四対の視線に気づいて「おおう」とのけぞった。四名の冒険者が、食い入るように咲弥を見つめていたのである。
「どうしたのかなぁ? みんなもチャーハンが気になるのぉ?」
「そんな話は、どうでもいいわよ。……あんたたちは、本当に遠慮なく言葉を交わすのね」
今さら何を言っているのだろうと咲弥は首を傾げそうになったが、よくよく考えると調理中はほとんどドラゴンと口をきいていなかったのだ。それはドラゴンが冒険者たちのもとに留まり、見守る役に徹していたためでもあった。
「うーん。実のところ、ドラゴンくんと出会ってからまだひと月も経ってないんだけどさぁ。初対面の頃から、他人って感じがしなかったんだよねぇ」
「……人間族と竜族で、そんなことはありえないでしょうよ」
「ありえないって言っても、それが事実だからさぁ。まあ、ドラゴンくんは二年近くもあたしのじっちゃんと仲良くしてくれたから、その影響も大きいんじゃないかなぁ」
「それが、トシゾウってやつのこと? 竜王に侍る人間が、他にも存在するというわけね」
「ううん。じっちゃんは、二ヶ月ぐらい前に亡くなってさ。それであたしが、じっちゃんの家とこの山を相続することになったんだよぉ」
すると、酒気でいくぶん顔を赤くしたミシュコが身を乗り出した。
「山を相続? それじゃあお前は、貴族だったのか?」
「まっさかぁ。あたしなんて、庶民中の庶民だよぉ。こっちの世界では、山を持ってる庶民も少なくないんだよねぇ」
「しかしこの山は、これだけ魔力が豊潤な……あ、いや、そっちの世界では関わりのない話なのか」
「うん。こっちの世界では、ただの大きな山だったからねぇ。まあ、あたしにとっては大切な宝物だけどさぁ」
そんな思いをいっそう深めてくれたのは、ドラゴンの存在である。
それで咲弥がドラゴンに微笑みかけてから向きなおると、また冒険者たちは真剣な眼差しになっていた。
「まだ何か、納得のいかないことでもあるのかなぁ?」
「納得なんて、何ひとついってないわよ。……でも……」
ウィツィが口ごもると、折り目正しく食事を進めていたルウが発言した。
「竜王殿は王の時代から、すべての種族が平等であると訓示を布告されていました。実のところ、私も当時は真意をはかりかねる部分もあったのですが……この山で竜王殿とお会いしたことで、納得がいきました。やはり竜王殿の訓示には、言葉の通りの意味しかなかったということです」
ウィツィが不満そうに目を光らせると、ルウはさらに言葉を重ねる。
「ダークエルフたるあなたは、生まれながらに人間族を上回る魔力の器を備えておいでです。であればやはり、他の種族と平等などと称されるのは屈辱的なのでしょうか?」
「ふん。それを言うなら、個体種の魔族であるあんたはダークエルフとも比較にならない魔力を備え持ってるじゃない。あんたこそ、どういうつもりで人間族やコメコ族に侍っているのよ?」
「サクヤ殿は命の恩人であり、コメコ族の両名はこの山における先達となります。それを見下すことができるほど、私の品性は失われておりません」
きりりとした面持ちで語るルウから顔をそむけて、ウィツィは「ふん!」と果実酒をあおる。褐色の肌なのでわかりにくいが、彼女もずいぶん酔いが回っているようであった。
「……わたしたちが不思議に思うのは、やはり竜王の心持ちなのだと思います」
と、トナがおずおずと発言した。
「あなたを除く火竜族は、魔族と人間族と亜人族の連合軍に滅ぼされたのでしょう? それなのに、どうしてすべての種族が平等であるなどという考えに行き着いたのですか?」
ドラゴンが小首を傾げると、トナは身をすくめつつ懸命に言いつのった。
「そ、そちらのサクヤは異界の住人で、コメコ族は火竜族の討伐に関わっていないのでしょうから、あなたがどれだけ親密になってもおかしなことはないのかもしれません。でも、すべての同胞を滅ぼされながら玉座についたあなたが、どうしてすべての種族を守ろうとしたのか……その理由が、わからないのです」
「べつだん、難しい話ではない。火竜族は強大なる魔力を有するがゆえに、恐れられて、滅ぼされた。……もうこのような悲しみを繰り返してほしくないと願ったまでのことである」
ドラゴンは、とても静かな声でそう答えた。
「しかし、我の言葉は世界に届かなかった。我は火竜族としても比類なき魔力を携えているため、誰もが恐怖と猜疑の思いをぬぐえなかったのであろう。よって、我はこの身に王たる資格はないと見なして、玉座を打ち捨てた。あとはこの山で、静かに余生を過ごしたいと願っている」
「それが……あなたの本心であるのですね」
「うむ。偽りなき本心である」
ドラゴンのよどみない返答に、トナはそっと目を伏せる。
他の三名は、それぞれ考え込んでいる様子だ。そのタイミングで味噌汁を食べ終えた咲弥は、誰にともなく声をかけた。
「あたしには口出しできない話になってきたみたいだから、ここでいったん失礼するねぇ。……それでもしよかったら、干した果実っていうのを分けてもらえないかなぁ?」
トナとミシュコはきょとんと目を丸くして、ウィツィはうろんげに眉をひそめる。そして、最初から仏頂面のテクトリが咲弥に答えた。
「干した果実など、どうしようというのだ? 果実ならば、あちらの草籠に『イブの誘惑』が準備されているではないか」
「うん。あれも活用するつもりだけど、知らない果実にも興味があってさぁ」
「……干した果実など、大した使い道はないぞ」
テクトリが横目で見やると、ウィツィはしかたなさそうに指先を走らせて、虚空に魔法陣を描いた。そこから吐き出されたのは、小さな布の包みである。
「それで四人の、一食分だ。こうして食事を振る舞われたからには、パンや干し肉を差し出してもかまわんが……それ以上の果実を渡しては、帰り道の滋養に不足が出る」
「ありがとぉ。大事に使わせていただくねぇ」
そうして咲弥が腰を上げると、チコもぴょこんと立ち上がった。
「サ、サクヤさま! よろしければ、わたしがおてつだいいたしますのです!」
「あ、そう? それじゃあアトルくんには、おかわり係をお願いできるかなぁ?」
「りょーかいなのです! ケイさま、おみそしるのおかわりはいかがです?」
「おう! 肉をたっぷりとな!」
ということで、咲弥は布の包みとローチェアを手に、隣のタープの下に移動した。そちらには、二組のローテーブルと三台のバーナーが出番を待ち受けていたのだ。咲弥を真似て丸太の椅子を運び込んだチコも、向かいの位置にちょこんと座した。
「さてさて。実は今日は、こんなものを持参してたんだよねぇ」
咲弥がコンテナから物資を取り出すと、チコはきょとんと小首を傾げた。
咲弥が準備したのは、ネット通販で買い求めた業務用のホットケーキミックスである。どっさり一キロも封入されているが、業務用であるためにパッケージも味気なく、日本語が読めなければ正体もわからないはずであった。
「これは、お菓子の材料だよぉ。チコちゃんも、お菓子はお気に召したでしょ?」
「はいなのです! サクヤさまのつくるやきイブは、ゆめのようなおいしさなのです!」
チコはたちまちうっとりと目を細めながら、そう言った。いつもディナーの締めくくりには焼きリンゴならぬ焼きイブを供していたので、そのときの記憶を反芻しているのだろう。
「きっとルウさまもおよろこびなのです! わたしもわくわくがとまらないのです!」
「うんうん。みんなにも喜んでもらえたら幸いだねぇ」
背後の食卓を振り返りながら、咲弥はそのように答えた。
あちらではまた何か議論が勃発したようで、おもにルウとミシュコが語っているようである。それを見守るドラゴンの穏やかな眼差しを確認してから、咲弥は作業に取り掛かることにした。




