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04 裸のおつきあい

 白い頬を桜色に染めたトナが、「ふいぃ……」と無防備なる悦楽の声をもらした。

 最後まで抵抗していた彼女も、ついに温泉の心地好さを実感できたようである。玉虫色にきらめく湯に肩まで浸かった彼女は、チコに負けないぐらい表情が弛緩していた。


 いっぽうウィツィは背後の岩場に両肘をかけながら、そっぽを向いている。白銀のロングヘアーをアップにまとめて、水面から大きな胸の谷間を覗かせたその姿は、なかなかの色香である。スキュラとウィツィではどちらがよりセクシーであろうかと、咲弥はゆるんだ心の片隅でそんな埒もない想念に耽っていた。


「どうどう? 温泉に浸かるっていうのも、悪くないもんでしょ?」


 咲弥がそのように呼びかけると、トナは「は、はい!」と背筋をのばした。


「た、確かにこの泉は、魔力が豊潤であるようです。これでしたら、体温を保つぐらいの魔力はすぐに回復できるかと思います」


「うんうん。物理的にも温まるから、もう寒さに凍えることはないだろうねぇ。でも湯冷めしないように、しっかり温まっていくといいよぉ」


「は、はい。あなたは……親切な御方なのですね」


 と、トナは光のカーテンのほうをちらりと見てから、おずおずと咲弥のほうに近づいてきた。


「……どうしてあなたのような御方が、竜王に侍っているのですか? もしも竜王の手によって捕らわれているのでしたら……ともに、脱出いたしましょう」


「いやいや。あたしは自分の意思で、ドラゴンくんと仲良くしてるんだよぉ。しばらく一緒にいたら、トナちゃんたちにも理解できるさぁ」


「……確かにあんたは、異界の住人なのかもしれないね。だから、悪逆なる竜王にたぶらかされたってわけだ」


 と、ウィツィも咲弥のほうに身を乗り出してきた。


「いいかい? あいつは悪名高き、恐怖の百年王国の――きゃあーっ!」


 ウィツィの悲鳴を聞きながら、咲弥はきょとんと目を丸くした。

 咲弥の胸もとのペンダントがバチッと放電したような音をたてると同時に、ウィツィの褐色の裸身が派手な水飛沫をあげながら後方に吹き飛ばされたのだ。


 数秒遅れで、トナも「ひゃーっ!」と反対の側に吹き飛ばされていく。

 咲弥が目をぱちくりさせていると、光のカーテンの向こう側からミシュコのわめき声が響きわたった。


「ど、どうしたんだ? 何かに襲われたのか?」


「否。肉体に魔力が巡ったために、サクヤの携えた護符によって弾き飛ばされたのであろう。これは、我の落ち度である」


 とても申し訳なさそうな響きを帯びたドラゴンの声が、そのように告げてきた。


「人の身であっても魔力を携えていれば、退魔の結界が反応してしまうのだ。危険な魔法が行使できるだけの魔力が溜まるまでは無効となるように調整したので、容赦を願いたい」


「……いちいち頭に来る野郎だね」


 髪や顔からぽたぽたとしずくを垂らしつつ、ウィツィが水中から身を起こす。溺れかけていたトナも、なんとか岩場に取りすがりながらぜいぜいと息をついていた。


「ごめんごめん。なんか手違いがあったみたいだねぇ。でも、魔力ってやつが回復してきたんなら何よりだよぉ」


「……そんな護符を預けられてるってことは、あんたはよっぽど竜王に可愛がられてるみたいだね」


 豊満な肢体を湯気にくゆらせて、ざぶざぶと波をたてながら、ウィツィは大股で咲弥に近づいてきた。


「うん。ドラゴンくんとは、仲良くさせてもらってるよぉ。みんなにも、仲良くなってもらいたいなぁ」


「……魔族と仲良くするなんざ、こっちの世界じゃありえないんだよ。しかも竜王なんてのは、百年にわたって世界を恐怖に染めあげた元凶なんだからね」


「それは、歪んだ認識です」と、ルウの声が響きわたった。


「竜王殿は最初から、争いのない世界を目指しておられました。その訓示を曲解して争っていたのは、王国のすべての民でありましょう」


「うんうん。よくわかんないけど、そのあたりのことものちのちじっくりと――ぐえっ」


 咲弥がおかしな声をあげたのは、背後に回り込んだウィツィに首を絞められたためであった。

 首には腕が回されて、背中にはやわらかなものが押し当てられている。一瞬息は詰まったが、咲弥としては背中の感触のほうが落ち着かなかった。


「捕らえたよ! この娘の命が惜しかったら、大人しくしな!」


「……短慮はつつしむようにという言葉が、理解できなかったのであろうか?」


 ドラゴンが、落ち着いた声で告げてくる。

 咲弥はほっと息をつきながら、それに答えた。


「あたしは大丈夫だから、心配しなくていいよぉ。ウィツィさんも、そんな物騒なことは考えてないだろうからさぁ」


「な、なめるんじゃないよ! 魔力が足りてなくったって、あんたみたいな小娘はひとひねりなんだからね!」


 ウィツィのしなやかな腕が、咲弥の首をぐいぐいと締めあげてくる。しかしそれは咲弥の身に、幼い子供にじゃれつかれているような感覚しかもたらさなかった。


「人間族も亜人族も、魔力によって肉体を強化している。長きの時を生きた者ほど、本来の腕力は衰退していような。見たところ、其方も百年以上は生きているようであるし……その腕力では、サクヤに危害を及ぼすこともできまい」


「うんうん。でも、裸でひっつくのはおかしな気分だから、そろそろ解放してもらえないかなぁ?」


 咲弥がウィツィの腕をつかむと、「痛い痛い!」という悲鳴が響きわたった。

 咲弥は慌てて手を離したが、ウィツィは涙目で後ずさっていく。その秀麗な顔には、子供のように悔しげな表情が浮かべられていた。


「なんだよ、この馬鹿力! あんた、本当はオークのメスなんじゃないの?」


「いやぁ、そこそこ野蛮人の自覚はあるけど、痛くしちゃったんならごめんねぇ」


 すると、トナが「ひっ」と頼りなげな声をあげた。

 そちらを振り返った咲弥は、また目を丸くしてしまう。下顎まで温泉に浸かったチコが、紫色の瞳を爛々と燃やしていたのだ。


「……そのおかたは、サクヤさまのてきなのです?」


「チコちゃんチコちゃん、心なし角がおっきくなってるみたいだよぉ? あたしは大丈夫だから、ラブリーなチコちゃんに戻ってくださいなぁ」


 咲弥は大急ぎでチコのもとに身を寄せて、そのしんなり湿った紫色の頭を撫でくり回した。

 ぴくぴくと蠢動しながら巨大化しかけていた角が、もとのサイズに戻っていく。そしてその瞳からも物騒な光が消え去って、小さな顔には羞恥の表情がたたえられた。


「つ、ついついわれをわすれそうになってしまったのです。サクヤさまは、ごぶじなのです?」


「あたしはピンピンしてるよぉ。心配してくれて、ありがとうねぇ」


「きょ、きょーしゅくのいたりなのです。もうなでなではだいじょーぶなのです」


 咲弥はもういっぺん安堵の息をついてから、ウィツィのほうに向きなおった。

 いつの間にか、トナがウィツィの身に寄り添っている。ウィツィはまだ悔しげな涙目で、トナは困惑の表情だ。

 すると、光のカーテンの向こう側からルウの声が響きわたった。


「最低限の誤解は、ここで解いておくべきでしょう。……竜王殿が玉座につかれた際には、すべての種族が平等であり、無益な争いはつつしむようにと訓示を布告されました。それでも竜王殿の御世が恐怖の百年王国などと称されているのは、すべて至らぬ臣民の責任でありましょう?」


「だ、だけど……そんなもんは、魔族に自由を与えるための方便だろう?」


 そのように答えたのは、光のカーテンのあちら側にいるミシュコである。

 ルウは厳粛なる声音で「いえ」と応じた。


「竜王殿は種族の区別なく、力なき存在のために訓示をもたらしたのです。しかし、魔族も人間族も亜人族も、決して争いをやめようとはしませんでした。誰もがおのれの欲得にとらわれて、戦いに明け暮れていたのです」


「……そういうお前も、都では災厄の権化などと呼ばれていたな」


 テクトリの低い声に、ルウは変わらぬ調子で「ええ」と答える。


「私はワーウルフの一派と手を携えて、ヒュドラが率いる勢力と相争っていました。その争いの余波が広く及んだので、私の悪名が広がることになったのでしょう。……しかしそもそもヒュドラの一派がこちらに侵攻してきたのは、人間族に領地を奪われたのが原因でありました」


「だが……長きにわたって世を治めていた聖王国ヴェイロムも、竜王によって衰退の一路を辿ることになった」


「それはヴェイロムが亜人族の領地に侵攻したため、竜王殿が武力をもって諫めることになったまでです。ヴェイロムの侵攻を許していたならば、数多くの亜人族が滅亡していたことでしょう」


 ルウのよどみない言葉に、テクトリも押し黙った。


「そして、そちらのダークエルフはひときわ竜王殿に敵意を向けているようですが……もしやそれは、地竜族に故郷を滅ぼされたためなのでしょうか?」


 ウィツィは唇を噛んだまま、何も答えない。

 それにはかまわず、ルウは言葉を重ねた。


「ダークエルフは百年前の戦乱を傍観していたので、詳細をわきまえていないようですね。かつて地竜族は他なる種族と徒党を組んで、火竜族の殲滅に加わっていたのです。それですべての同胞を失った竜王殿が、魔族と人間族と亜人族の連合軍を撃退して……そののちに、平和な世を求めて玉座につかれたのです」


 ウィツィは愕然と、身を震わせる。

 いっぽうトナは、悄然と肩を落としていた。


「ウィツィは火竜族と地竜族の敵対関係をご存じでなかったのですね。……わたしは、神官長から聞き及んでいました」


「な、なんだって? だったらどうして、あたしに黙ってたのさ!」


「だ、だって、ウィツィが故郷にまつわるお話を耳にするのは……とてもつらそうなご様子でしたから……」


 ウィツィは力を失って、口のあたりまで温泉に沈んでしまった。

 その肩を支えながら、トナは光のカーテンを振り仰ぐ。


「わ、わたしたちはことさら、竜王に恨みを抱いているわけではありません。ただ、滅んだ竜族の遺跡を探索するのは、冒険者のつとめですので……」


「うむ。我々が相争うことになったのは、我の考えが足りていなかったがゆえであろう。其方たちの心を乱さぬように、もっと慎重に姿を現すべきであった」


 とても落ち着いた声で、ドラゴンはそう言った。


「そして、玉座を捨てた現在も、すべての種族が平等であるという信念に変わりはない。我に人間族や亜人族を忌避する気持ちはないので、それだけは信じてもらいたく思う」


 トナとウィツィは無言であったし、ミシュコとテクトリも声をあげようとはしなかった。

 やはり、言葉だけでは伝わりきらないものがあるのだろう。そのためにこそ、ドラゴンは咲弥を頼ってきたのだった。


(ドラゴンくんがみんなと楽しそうに過ごしてる姿を見れば、きっと誤解は解けるだろうさ)


 咲弥がそんな風に考えていると、視界の端で灰褐色の小さな影がちょこちょこと動いた。


「お、今日も会えたねぇ。さあさあ、みんなも遠慮なくどうぞぉ」


 力ない表情で視線を巡らせたウィツィが、たちまち惑乱した声を張り上げる。


「ア、アルミラージじゃないのさ! あんた、あんな連中まで手懐けてるの!?」


「いやいや、あれは一角ウサギくんだよぉ。そのアルミラージっていうモンスターに擬態してるんだってさぁ」


 五頭の一角ウサギがちゃぷちゃぷと水面を泳いで、咲弥たちのもとに近づいてくる。その愛くるしい姿に、ウィツィは「ああもう!」と怒声を響かせた。


「いちいちまぎらわしいんだよ! そんな魔族にそっくりの獣を手懐けるなんて、やっぱり気が知れないね!」


 そんな風にわめきながら、ウィツィはそっぽを向いてしまう。

 それは、先刻までと大差のない傲慢な態度であったが――ただ、どこか子供が癇癪を起こしているような風情である。もしかしたら、彼女は咲弥たちの前でやわらかな内面をさらしてしまったことを恥ずかしがっているのかもしれなかった。


(ま、じっくりのんびり取り組みますか)


 そんな風に考えながら、咲弥はとりあえず愛くるしい一角ウサギの一頭を胸もとにかき抱くことにした。

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