01 独りの時間
2025.2/20
・今回の更新は全8話です。隔日で更新していきます。
・また、当作は書籍化が決定いたしました。昨日付けの活動報告にて書影を公開しておりますので、ご興味を持たれた御方はご覧ください。発売日などの詳細は、後日におしらせいたします。
「よーし、終わったぁ」
誰にともなく宣言しながら、咲弥は畳にひっくり返った。
そこは祖父から譲り受けた家屋の居間であり、こたつのテーブルにはノートパソコンが開かれている。八日前とおおよそ同じシチュエーションで、咲弥はブルーライトカット眼鏡を畳に放り出すことになった。
八日前、咲弥は五度目のキャンプで水妖スキュラと出会い、釣りを楽しむことになった。
その翌朝にはいったん帰宅して、今度は温泉巡りである。それで身を清める手段を確保した咲弥は、そのまま二泊三日のキャンプを楽しみ――そうして家に戻ってみると、新たな仕事の依頼が舞い込んでいたのだった。
『次の仕事は三月下旬でって話だったけど、もし余裕があったら手伝ってくれない?』
かつての職場の先輩であった女性からは、そんなメールが届けられていた。
それで一考した咲弥は、仕事を引き受けることにしたのである。
(たぶんこれで、今月分の稼ぎは確保できるからなぁ。残りの半月ちょいを遊んで暮らせるなら、悪くないさ)
そうして咲弥はまた五日間をかけて、無事に作業を終了させて――その末に、畳にひっくり返っているわけであった。
「うーん。こんなに急いで仕上げる必要はないのに、ついついキャンプが恋しくてはりきっちゃうなぁ」
疲れた目もとをもみほぐしながら、咲弥はそのように独りごちた。
そうしてしばし任務達成の余韻にひたってから、胸もとのペンダントを引っ張り出す。燃える炎のように赤い、鱗のペンダントだ。
「もしもし、咲弥でぇす。ドラゴンくん、聞こえますかぁ?」
数秒のタイムラグを経て、真紅の鱗がぴこぴこと明滅した。
ただ、普段よりも明滅の具合がせわしないように感じられる。それをいぶかしく思いながら、咲弥はさらに語りかけた。
「えーと、仕事は無事に終わったんだけど……これからキャンプに向かっても大丈夫かなぁ?」
鱗は再び、せわしなく明滅した。
なんとなく、普通の感じではない。咲弥の仕事が五日ていどで終了することは事前に伝えておいたので、何も慌てる必要はないはずであるのだが――どこか、焦りのようなものを感じさせる風情であった。
「うーん。もしも都合が悪いようだったら一回、オッケーだったら二回、鱗を光らせてくれる?」
すると、鱗は二回明滅した。
であればやはり、OKの合図であったのだ。咲弥はどこか腑に落ちない感覚を抱きつつ、身を起こすことにした。
「それじゃあこれから支度するんで、到着は一時間後ぐらいの見込みだねぇ。他のみんなも都合がいいようだったら、よろしくねぇ」
鱗はまた、速いリズムで二回明滅した。
咲弥は「通信、以上でぇす」と告げてから、ペンダントをスウェットの内側に仕舞い込む。
(なんだろう? はしゃいでるわけじゃないと思うんだけど……まあ、本人に直接聞いてみるしかないか)
そうして咲弥は気を取り直して、楽しいキャンプの準備を開始することになったのだった。
◇
それからおよそ三十分後、咲弥は七首山に向けて軽ワゴン車を走らせていた。
三月も中旬に差し掛かり、またじわじわと気温が上がっている。しかし山中は冷えるので、咲弥はこれまで通りのいでたちだ。山中は昼夜の寒暖の差も激しいので、上着の脱着で防寒の調整をするのが基本であった。
やがて山の一合目あたりを越えると、周囲に異界の要素たる原色の色合いが見え隠れし始める。それらの光景を横目で眺めていると、咲弥の気持ちはすみやかに浮き立っていった。
(メールの返事を待たないといけないから、今回は一泊で帰らなきゃいけないけど……それが済んだら、連泊ざんまいだ。みんな、喜んでくれるかなぁ)
スキュラと出会った日と翌日からの温泉巡りを分けて考えるならば、これが七度目のキャンプとなる。祖父の家に転居して、あと一週間でようやくひと月という日取りであるのだから、実に充実した日々であった。
(ていうか、ドラゴンくんと出会ってからまだ三週間ちょいしか経ってないのか。もう何ヶ月も、こんな楽しい時間を過ごしてるような感覚だなぁ)
楽しい時間はあっという間に過ぎ去ると聞くが、咲弥はゆったりとした川の流れにでも身をゆだねているような心地である。それもすべてはこんな環境を与えてくれた祖父と、その環境の中にひそんでいたドラゴンたちのおかげであった。
(今日も釣りを楽しもうかなぁ。それとも、まだ行ったことのない場所に案内してもらおうかなぁ。とりあえず、みんなに相談してみよう)
そんな思いを抱きながら、咲弥はもっとも手近な空き地に車を乗り入れた。
ドラゴンに告げた予定時間よりも早く到着したためか、誰の姿もない。これは、四度目のキャンプ以来のことであったが――あの日はそこに、ケルベロスが初めて姿を現したのだった。
とりあえず降車した咲弥は、「うーん」と大きくのびをする。
この五日間はひとたび買い出しに出向いただけでずっと家に引きこもっていたため、実に清々しい心地である。そう考えると、生活のための勤労もキャンプを楽しむためのスパイスのようなものであった。
頭上に視線を巡らせても、真紅の巨体が飛翔する姿は見当たらない。
咲弥は適当に空き地をぶらついて、ドラゴンたちの到着を待つことにした。
こちらの空き地は直径十メートルていどのささやかな規模であるが、それを取り囲む樹木を眺めて回るだけで退屈はしない。そこには、異界の花や木々が入り乱れているのだ。
種子のひと粒ずつが異なる色合いをしたサイケデリックなヒマワリのごとき大輪や、モンスターの口のように巨大なハエトリグサや、巨木にびっしりと絡みついた棘つきの蔓草など、相変わらず異国情緒というか異界情緒にあふれかえっていた。
しかし、十五分ばかりも散策していると、さすがに飽きてくる。
咲弥は愛車のもとまで取って返し、地面にシートを敷いて、小物のキャンプギアが詰め込まれたコンテナボックスを引っ張り出した。
(ひさびさに、昼からコーヒーでも楽しむかぁ)
咲弥は必要なギアを取り出してから、コンテナの上に腰を落ち着ける。
こちらのコンテナは人間が乗っても壊れないという謳い文句で売りに出されているため、咲弥が座ってもビクともしなかった。
しかし、バーナーで火を焚いたら、あっという間にやることが尽きてしまう。そのように思い直した咲弥は、焚火シートの上に焚火台をセットした。
それから祖父の手斧で必要最低限の薪を割り、その中からとりわけ細く割れたものを選び取り、再びコンテナに腰を落とす。退屈しのぎで、もっとも手のかかる方法で火を起こそうと考えたのだ。
火起こしでまず必要となるのは、フェザースティックである。細い薪の表面を薄く削り重ねて、羽ボウキのような形状をこしらえるのだ。そうすると空気に触れる面積が広がるため、景気よく燃えあがり、燃焼剤として活用することができるわけであった。
一考した咲弥は、あえて祖父の形見であるアウトドア渓流ナイフで取り組むことにする。フェザースティック作りはあるていど刃厚が薄いほうが適しているはずであったが、祖父はこのナイフ一本で何でもこなしていたし、咲弥もそれを見習いたかったのだ。何より道具というものは、使い慣れないとその真価を引き出せないはずであった。
コンテナに座した咲弥は、鉛筆を削るようにナイフを走らせていく。
薄く削いだ部分を最後まで削り落としてしまわないように留意しながら別の面に移り、それを繰り返していくのだ。
やはり使い慣れないナイフであるので普段ほどは上手くいかなかったが、その不自由さが楽しかった。
咲弥は無心で作業に取り組み、三分ほどでフェザースティックは完成する。
それを焚火台に設置してから、咲弥はファイアースターターのキットを取り上げた。
ロッドと呼ばれる金属製の棒に、ストライカーと呼ばれる金属製の火打石だ。ただし、咲弥がサブとして使っている四ミリ厚のナイフは背の部分が直角でストライカーとして使うことができるので、本日はそちらを使用することにした。
まずは、焚火台の真ん中でロッドとナイフを軽く擦って、金属の粉を落としていく。これがまた、着火剤の役割を担うのだ。その金属の粉の上にフェザースティックを配置して、今度は勢いよくロッドとナイフを擦り合わせた。
その一回で火花が散り、金属の粉とフェザースティックに燃え移る。
その勢いが衰えない内に薪を積み重ねて、火吹き棒で空気を送ると、やがて申し分のない炎がたちのぼった。
ファイアースターターを使用したのは数ヶ月ぶりであったが、要領は忘れていなかったようだ。咲弥とて、十年近くも前からこの作業に励んでいた身であったのだった。
咲弥はしばし焚火の炎で心を和ませてから、スモールサイズのコッヘルにウォータージャグの水を汲み、焼き網とともにセットする。
マグカップにドリッパーとフィルターをセットして、ミルでコーヒー豆を挽いている間に、こぽこぽと湯がわき始めた。
中挽きに仕上げたコーヒーの粉をフィルターに移し替え、平らにならしてから、お湯を少量だけ回し入れる。まずは蒸らしのために二十秒ほど待って、あらためてお湯を注ぎ入れると、コーヒーの芳しい香りが三月の冷たい大気に溶けていった。
ドリッパーからぽたぽたと垂れていく黒褐色のしずくを見やりながら、咲弥は自分の膝に頬杖をつく。
いまだテントの設営もしていないが、すっかりキャンプ気分である。咲弥の心は、深く満たされていたが――ただ、心の片隅にわずかな隙間が生じていた。
(ドラゴンくんは、もっと酸味が強くてもいいとか言ってたっけ。今の豆がなくなったら、キリマンジャロでも試してみよっかな。……他のみんなはココアのほうがお好みみたいだけど、甘いカフェオレとかだったら喜んでもらえるかなぁ)
いまだ姿を現さないキャンプメンバーの面影が、咲弥の脳内にふわふわと漂っている。それを肴に、咲弥は苦いコーヒーを口にした。
焚火の炎は、じわじわと勢いを弱めていく。
もっと焚火を楽しみたいところであったが、この後に盛大な調理を控えているならば、薪を無駄にしたくなかった。
しかし――盛大な調理は、果たして控えているのだろうか?
こちらに到着してからいまだに三十分ていどしか経過していなかったが、咲弥はそんな想念にとらわれてしまった。
(なんかいつもと様子が違ったけど、オッケーの返事をくれたはずだし……けっきょく何か、急用が入っちゃったとか? でも、お山でのんびり暮らしてるのに、急用とかあるのかなぁ)
あるいは、誰かが急病で倒れたか――それも何だか、想像しにくいところである。咲弥が知る面々は、いずれも生命力にあふれかえった存在であるのだ。
(まさか、いきなり嫌われたってことはないよね? この前の帰り際だって、みんなご機嫌な様子で見送ってくれたし……)
咲弥がこのような話で思い悩むのは、常にないことである。他者を粗雑に扱わないことを大前提にしつつ、気楽にマイペースに生きるのが咲弥の身上であったのだった。
(あたしは今でも、ソロキャンを楽しめるはずだけど……)
ただ本日は、またドラゴンたちとグループキャンプを楽しもうという心づもりでいた。それが急遽、ソロキャンプに変更されたならば――咲弥の心情も、ずいぶん均衡を失ってしまいそうなところであった。
(まいったなぁ。これもみんな、ドラゴンくんたちがかわゆすぎるせいだな)
咲弥はワークキャップごと頭をかいてから、早くも冷めつつあるコーヒーを口の中に流し込む。
そのとき――咲弥の頭上が、暗く陰った。
ワークキャップを落とす勢いで頭上を振り仰いだ咲弥は、思わず「んにゃー」とおかしな声をあげてしまう。その眼前に、巨大なるドラゴンがふわりと舞い降りた。
「遅参してしまい、申し訳なかった。さぞかし待ちくたびれてしまったであろうな」
巨大なるドラゴンは、長い首を申し訳なさそうに垂れる。
するとその背中から、亜人族の兄妹とケルベロスもわらわらと出現した。
「いやぁ、謝る必要なんてないさぁ。みんな元気でよかったよぉ」
咲弥は頬がゆるむのを自覚しながら、ほっと息をついた。
亜人族の兄妹はぺこぺこと頭を下げ、ケルベロスは真ん中の首たるルウだけが一礼する。そっぽを向いたケイも、もともとうつむいているベエも、以前に見た通りの元気そうな姿であった。
「ったく! 元気どころの騒ぎじゃねーよ! 俺はすっかり、腹ぺこだ! 山盛りの肉を準備してもらわねーと、割に合わねーな!」
「んー? ケイくんも元気そうだけど、何か重労働でもしてきたのかなぁ?」
「ふん! 竜王が面倒なことを言いださなきゃ、こんなに手間はかからなかったんだよ! あんな雑魚ども、俺の敵じゃねーからな!」
ケイの言葉に不穏なものを感じた咲弥は、ドラゴンのほうに向きなおった。
ドラゴンは理知的なる眼差しで、「うむ」と首肯する。
「何も危険なことはなかったので、心配は無用である。ただ本日は、闖入者を相手取ることになったのだ」
「ちんにゅーしゃ? また誰か、この山に迷い込んできたの?」
「否。この者たちは、我の財宝が目的であったようだな」
ドラゴンが虚空に尻尾を走らせると青白い魔法陣が浮かび上がり、そこから吐き出されたものが地面にどすどすと積み上げられる。
それを検分した咲弥は、「ほえー」と間のぬけた声をあげることになった。
それは四体の石像であったのだが――とうてい石像とは思えないほど、リアルな人間の姿をしていたのだった。




