08 感謝の思い
それから、数十分後――ニジマスモドキの串焼きを除く料理が、すべて完成した。
ようやく焼きあがった『大喰らい』の兜焼きはアルミホイルの上に移して、空いた焚火台に八本の串を刺しておく。そちらが焼きあがるのを待ちながら、他なる料理の実食であった。
「いやぁ、魚尽くしになっちゃったけど、なかなか豪勢な仕上がりだねぇ」
『大喰らい』を使用した献立は、六品にも及ぶ。
兜焼き、炊き込みご飯、なめろう、カルパッチョ、あら鍋、そして鱗つきの網焼きというラインナップである。焚火台にかけられた網焼きを除く品は、すべて食器に取り分けられていた。
カルパッチョは『大喰らい』の身とタマネギを薄切りにして、オリーブオイルと酢と砂糖、そして『ほりこし』で和えている。事前に味見をしたところ、こちらも文句のない味わいであった。
あら鍋は各種の内臓が入念に煮込まれており、味噌と花のように甘い香りを匂いたたせている。甘い香りは、紫色の白菜に似た『黄昏の花弁』の効能である。
兜焼きには何の味付けもしていないので、お好みで醤油をかけてもらうことにした。
炊き込みご飯となめろうは、もはや説明も不要であろう。時刻はいまだ夕刻の手前であったが、昼食を控えた咲弥は存分に食欲を刺激されていた。
「ほんでもって、今日のお供はこいつでございやす」
咲弥がクーラーボックスから巨大な酒瓶を引っ張り出すと、その場の全員が瞳を輝かせる。スキュラもそのひとりであることを、咲弥は見逃さなかった。
「また新たな酒を準備してくれたのであるな。サクヤの温情には、どれだけ感謝しても足りぬことであろう」
「いやいや、やっぱお魚には日本酒だと思ってさぁ。安物だから、気にしないでねぇ」
こちらの日本酒は純米大吟醸と銘打たれているが、一升にあたる一・八リットルで千円以下というリーズナブルな価格であったのだ。本日は食材に費用をかけていないし、咲弥としては五日間の業務の打ち上げという気持ちもあったので、奮発して二本購入していた。
ということで、各自の酒杯に日本酒を注いでいく。咲弥とドラゴンはおそろいのマグカップ、アトルとチコは祖父からの贈り物である木彫りのコップ、ケルベロスたちは美しい彫刻がされた銀の深皿――スキュラは同じく、銀の酒杯であった。
「ではでは、『大喰らい』を釣り上げたアトルくんに感謝の思いを捧げつつ、いただきましょう」
「と、とんでもないのです!」とアトルは真っ赤になりながら、嬉しそうな笑顔だ。そしてそれ以上に嬉しそうな笑顔であるのは、隣のチコであった。
「スキュラさんも、ご遠慮なくどうぞぉ。口に合わなかったら他のみんなで片付けるから、無理はしないでねぇ」
「ふん。どうしてあたしが無理をしてまで、意に沿わないもんを喰らわないといけないのさァ?」
そのように語るスキュラには椅子の準備がなかったため、コンテナボックスに座っていただいている。そちらの前にも、他のみんなと同じだけの皿が並べられていた。
「うむ。ただ醤油をかけただけの兜焼きも、美味であるな」
さっそく兜焼きの身をほじくったドラゴンが、満足そうな声をあげる。
熱いあら鍋を豪快にむさぼっていたケイが、ちらりと横目でそちらを見やった。
「……そいつの目玉は、二つしかねーんだよな」
「ふむ。其方は目玉を所望であろうか? これはどのように配分するべきであろうな」
「食べたい人が食べればいいんじゃないかなぁ。優先すべきは、アトルくんぐらいだろうねぇ」
「では、アトルとケルベロスに与えることとしよう」
「お、おそれおおきことなのです!」
アトルはぺこぺこと頭を下げながら、やはり嬉しそうな面持ちだ。何も語らないまま、ケイもご満悦の面持ちであった。
炊き込みご飯はベエに託されたが、他なる料理はルウもケイも等しく食している。五日ぶりに見るそれらの光景が、咲弥の胸を深く満たしてやまなかった。
(みんなで釣りを楽しんで、釣果で胃袋を満たす。紆余曲折あったけど、とりあえず今日の目標は達成だなぁ)
そんな思いを噛みしめながら、咲弥は紆余曲折の大元締めを振り返った。
スキュラはそっぽを向いたまま、時おり食事を口に運んでいる。彼女は常に皮肉っぽい笑顔であるし、ぱたぱたと振られる尻尾もなかったので、なかなか内心がつかめなかった。
「スキュラさん、お味はどうだろぉ? お好みに合う料理はあったかなぁ?」
「ふん。火にかけようが生で喰らおうが、川の恵みは川の恵みだからねェ。べつだん、あたしが忌避する理由はありゃしないさァ」
「そっか。じゃあ、炊き込みご飯は如何かなぁ?」
「あたしだって戯れで、森の実りを口にすることはあるんだよォ。ま、こいつはあんたの世界の実りなんだろうけど……やっぱり、奇妙な味わいだねェ」
スキュラは悪意や敵意を感じない代わりに、なかなか本心がうかがえない。
咲弥も本来は個人主義であるので、無理に干渉する気はなかったが――ただ、もう一歩ぐらいは踏み込んでおきたいところであった。
(もうちょっと、ぶっちゃけトークをしてみたいんだけど……なんか、タイミングを逃がしちゃったなぁ)
咲弥がそんな風に考えながらカルパッチョをつまんでいると、ケイが「なーなー!」と元気に呼びかけてきた。
「あっちの魚は、いつまで放っておくんだよ? もうとっくに焼きあがってるんだろー?」
「ああ、そうだったそうだった。こいつは、どうやっていただこうねぇ」
ニジマスモドキの塩焼きも完成は目前であるが、ケイが語っているのは鱗つきのブロック肉のほうである。いかに巨大なブロック肉でも、とっくに熱は通っているはずであった。
台座の真ん中にアルミホイルを敷いて、いくつかのブロック肉をトングで移動させる。そうして身のほうを木串で支えつつトングで鱗を引っ張ると、期待通りにぺりぺりと剥がれてくれた。
「うんうん、美味しそうだねぇ。味付けは、それぞれお好みでどうぞぉ」
「はいなのです! ケイさまは、どれがおこのみなのです?」
「よくわかんねーけど、そこのそれだったら何でも合うだろ!」
そこのそれとは、『ほりこし』のことである。この優秀なアウトドアスパイスが『大喰らい』の身と調和することは、カルパッチョで実証されていた。
他には、塩、ブラックペッパー、顆粒コンソメ、カレーパウダー、バーベキューソース、練りワサビ、チューブの生姜、粒マスタード、醤油、とんかつソース、マヨネーズ、ケチャップ、オリーブオイル、ゴマ油などなど、たいていの調味料はそろっている。種類がありすぎて、選別に困るぐらいだろう。なおかつ、『ほりこし』をかけるだけで十分な味わいであることは、想像に難くなかった。
(でも、これだけ量があるんだから、ちょっと遊んでみるか)
咲弥はトングでほぐした身を小皿に移して、そこにマヨネーズを加えてみた。
さらに一考して、少量の塩とブラックペッパー、さらに練りワサビも加えてみる。サンドイッチの具材でもこしらえているような気分であった。
「うん、悪くない仕上がりだなぁ。スキュラさんも、おひとつどうぞぉ」
咲弥が小皿を差し出すと、スキュラは無言のまま指先で『大喰らい』のディップをすくいとり、青みがかった舌で舐め取った。
それなりに満足そうな目つきであるように感じられなくもないが、やっぱりノーリアクションだ。咲弥はディップの残りをチコに託しつつ、また別の皿に身を取り分けた。
今度はゴマ油とカレーパウダーでシンプルに仕上げてみる。どちらも風味が強いので、少量でも刺激的な味わいであった。
それを口にしたスキュラは、ぴくりと眉のあたりを動かす。咲弥が見る限り、否定的な反応ではないようであった。
「ふむふむ。香辛料も、嫌いではないみたいだねぇ。それじゃあ、お次は――」
「ちょっとお待ちよォ。あんたはどうして、あたしにしつこく絡むのさァ?」
咲弥は「ほえ?」と小首を傾げる。
スキュラはそっぽを向きながら、妖艶なる流し目で咲弥の顔をねめつけていた。
「あんたは首尾よく川の恵みを手にしたんだから、もうあたしなんざに用はないはずだろォ? それでもしつこく絡んでくるってのは、何か他にも下心を抱えてるのかァい?」
「いやいや。あたしはただ、スキュラさんと仲良くなりたいだけだよォ」
「ふん。そうやって、あんたは竜王どもを手玉に取ってるのかァい? 人間族が魔族や亜人族を侍らせて、いったい何を目論んでるんだかねェ」
すると、マグカップの中身を舌先で味わっていたドラゴンが理知的なる眼差しを向けてきた。
「スキュラよ。以前にも言い置いたが、こちらの世界の住人はサクヤの世界に干渉できぬし、サクヤもまたこちらの世界に干渉することはできん。であれば、サクヤが何かの打算で其方たちを従えようなどと目論む理由はあるまい」
「だったらなおさら、魔族に近づく理由はないだろォ? こいつはいったい何のために、こうまで魔族の世話を焼いてるのさァ?」
「それはサクヤの判断であるので、我にはうかがい知れぬことであるな」
ドラゴンは優しく目を細めつつ、卓上の料理に向きなおる。
咲弥はワークキャップを外しつつ、スキュラに笑いかけることにした。
「やっぱ、あたしが順番を間違えてたのかなぁ。あたしはスキュラさんにお礼を言いたかったんだけど、つい言いそびれてたんだよねぇ」
「お礼? あんたにお礼を言われる筋合いなんざ、ありゃしないよォ」
「そんなことないさぁ。今でも川の面倒を見てくれてるのは、スキュラさんなんでしょ? 魔法の世界のことはよくわかんないけど、スキュラさんがいないと川の調和が保てないって話だったもんねぇ」
そのように語りながら、咲弥はスキュラに一礼した。
「それに、ドラゴンくんが来るまでこの山を守ってくれてたのも、スキュラさんなんでしょ? スキュラさんがいなかったら、あたしはみんなと出会えてなかったんだろうからさぁ。そっちのほうでも、お礼を言っておきたかったんだよぉ」
「……あたしはこんな目にあうために、魔獣どもを追い払っていたわけじゃないけどねェ」
「うんうん。でもあたしは、感謝の気持ちでいっぱいだよぉ。そんでもって、あたしはこうして楽しく過ごすことができてるからさぁ。スキュラさんにも、楽しく過ごしてほしいんだよねぇ」
スキュラは横目で咲弥をねめつけたまま、押し黙った。
そちらに笑顔を届けてから、咲弥は焚火台に向きなおる。
焼き網に設置されたニジマスモドキはこんがりと焼きあがりながら、表面に油をにじませていた。
「こっちの串焼きも仕上がったみたいだよぉ。みんな、火傷をしないように気をつけてねぇ」
「わーい! ぼくたちがおくばりするのです!」
アトルとチコが大皿を手に、ちょこちょこと駆け寄ってくる。
それより先んじて、咲弥は二本の串焼きをつかみ取った。
「はい。スキュラさんの分だよぉ」
それでもスキュラは、押し黙ったままであったが――やがて咲弥の手から串焼きの一本をひったくり、油の浮いた川魚の背中に荒っぽく歯を立てた。
「ふん、塩気がききすぎてるねェ。人間族はなんでもかんでも塩をぶっかけりゃいいって考えてるから、タチが悪いよォ」
そう言って、スキュラは皮肉っぽく口の片端を吊り上げる。
咲弥は「あはは」と笑いながら、自分の串焼きに歯を立てた。
確かにちょっと塩がききすぎていたが、初めて食する虹色の川魚は申し分なく美味であり――祖父に初めて焼いてもらったイワナの味を思い出させてやまなかったのだった。




