06 釣果
テントとタープを張った拠点に引き返した咲弥たちは、あらためて本日の釣果を取り囲むことになった。
謎の巨大魚たる『大喰らい』と、虹色に輝く魚の群れは、それぞれ薄ぼんやりと光る球体の中で優雅に泳いでいる。虹色の魚は体長二十センチから二十五センチていどでやたらと輝かしい鱗をしている以外はおかしな点もなかったが、どこか咲弥の知る魚とはシルエットが異なっているように感じられた。
「虹色だけど、ニジマスではないし……なんか、イワナやヤマメとも違うんだよなぁ」
「こちらはおそらく世界の融合によって、多少の変異を遂げた種なのであろう。しかし、人間族やコメコ族が口にしても、害になることはあるまいぞ」
「ふうん? ドラゴンくんには、それがわかるの?」
「こちらの魚の体内組成を解析したのだ。これまでサクヤが口にしてきた作物も、すべて解析済みである。でなければ、うかうかと食べさせるわけにもいくまい」
「もー、至れり尽くせりだなぁ」
咲弥が親愛の念を込めてドラゴンの首を撫でると、ケイが「あのなー」と不機嫌そうな声をあげた。
「それより、こっちのデカブツだろー? こいつはいったい、何なんだよ?」
「そいつが、『大喰らい』だねェ。こいつがうじゃうじゃ増えちまったら、いつか川の調和を乱すことになるはずだよォ」
スキュラの皮肉っぽい言葉に、ドラゴンは「ふむ」と考え深げな声をあげる。
「しかしこちらもまた、正体はただの魚であるようだ。見ての通り、魔力を帯びたりもしておらぬし……ただ、消化器官がいささか特異で、生きるためには多くの滋養が必要となるのであろうな」
その場の面々に見守られながら、『大喰らい』はゆったりと泳いでいた。
全長は百センチオーバーで、きわめて肉厚の体格をしている。灰色の鱗は岩のようにごつごつとしており、やたらとヒレが巨大で、顔つきも厳つい。古代魚のシーラカンスの人相を悪くしたような趣であった。
「まあ、まだ間引きするほどの数ではないようだからねェ。胃袋に収めるか川に戻すか、さっさと決めてやりなァ」
「ふーん。この『大喰らい』くんも、食べられるのかしらん?」
「うむ。まったくもって、問題はない。こちらはたとえ生鮮のまま食しても、害はなかろう」
「はあ? 魚なんざ、生で食えるかよ! 獣じゃあるまいし!」
ケイのそんな発言に、咲弥は小首を傾げることになった。
「……獣じゃあるまいし?」
「お前なー! 俺のことを、なんだと思ってやがるんだよ!」
ケルベロスが大きな足で地団駄を踏むと、ドラゴンがなだめ口調で説明してくれた。
「サクヤよ、たとえ獣に似た姿をしていようとも、魔族は魔族であるのだ。魔族の中で獣の名に値するのは、それこそ魔獣のみであろうな」
「そっかぁ。そもそもあたしは魔族のなんたるかも理解しきれてないから、何か失礼なことを言っちゃったんなら謝るよぉ。今後のために、ちょろっと説明してもらえるかなぁ?」
「魔力が発見されていない世界で生まれ育ったサクヤに魔族のなんたるかを説明するのは、きわめて困難な話であるのだが……そもそも魔族も亜人族も、魔力の拡散とともに生まれた人間族の亜種であるのだ。人間と同様に肉の身をもって変異したのが亜人族、魔力と肉の身の混合として変異したのが魔族、とでも定義するべきであろうかな」
「ええ。たとえ姿は獣に似ていようとも、魂のありようは人間族と大きな差もないはずです。我々を獣と見なすのは、知性なき魔獣と同列に扱うようなものであると思し召しいただけたら幸いです」
ルウのクールな物言いに、咲弥は眉を下げることになった。
「あたしはみんなのことを見下したりはしてないから、それだけは信じてねぇ?」
「ふん! わかれば、いーんだよ!」
「ありがとぉ。ではでは、仲直りのハグをば」
「だーっ! いちいちひっつくんじゃねー!」
そうしてこちらの騒ぎが一段落すると、スキュラが「で?」と冷ややかにうながしてきた。
「けっきょく、こいつはどうするのさァ? 喰らうか逃がすか、さっさと決めておくれよォ」
「そうだったそうだった。そんでもって、食べるんだったら残さずにって約束だったよねぇ。こいつはかなりの大物だけど、この人数だったら何とかなるかなぁ?」
「それは……サクヤの腕次第ではなかろうかな……」
ベエの言葉に、咲弥は「そっかぁ」と笑ってみせた。
「じゃ、アトルくんのせっかくの釣果だし、みんなでいただくことにしますかぁ。……でも、これだけでかいと、シメるのも大変そうだねぇ」
「ふむ。シメるとは……活け締め、すなわち獲物の鮮度を保つための処置であるな?」
「うん。たいていの川魚は血抜きの必要もなくって、頭を小突くだけで済むんだけどさぁ。このコは、見るからに頑丈そうだよねぇ」
「うむ。では僭越ながら、我が受け持とう」
ドラゴンはしばし『大喰らい』の姿を見据えてから、にわかに尻尾の先端を球体の中に差し込んで、その固そうな脳天を殴打した。
さして力を入れたようにも見えなかったが、『大喰らい』は瞬時に動かなくなる。ドラゴンが尻尾を巻きつけてその巨体を空中に引きずりだすと、役目を終えた球体はふよふよと川のほうに戻っていった。
そうしてドラゴンが作業台である『祝福の閨』に巨大魚をおろすと、かつんと硬い音が鳴る。それこそ、石と石を打ちあわせたような音色であった。
「うわぁ、やっぱり見た目通りの硬さなんだねぇ」
咲弥が手の甲で胴体を小突くと、岩塊を小突いているような感触が返ってきた。
「うむ。サクヤの所持する刀では、刃こぼれを起こす危険があろうな。では、またこちらの出番であろうか」
ドラゴンが魔法陣を描き、再び『竜殺し』の短剣を取り出した。
すると、アトルが昂揚した面持ちで挙手をする。
「よ、よろしければ、ぼくがこのさかなのしまつをつけるのです!」
「ふむ。デザートリザードも頑強な鱗を有しているので、其方であれば扱い方もわきまえていような。……サクヤとしては、どうであろうか?」
「うん。異存はないよぉ。でも、そのナイフは切れ味がよすぎるから、くれぐれも気をつけてねぇ?」
「りょーかいなのです! サクヤさまとりゅーおーさまのごおんじょーに、かんしゃいっぱいいっぱいなのです!」
「ではまず、魚の体内の構造とさばき方について教示しよう」
そのように告げるなり、ドラゴンの巨体が真紅の輝きに包まれる。
そうしてドラゴンの身が大型犬サイズに縮小されると、スキュラは「ははん」と鼻で笑った。
「その姿は、いったい何なのさァ? 威厳もへったくれもありゃしないねェ」
「玉座を捨てた我が、威厳など保つ必要はあるまい。もとの姿では、色々と不自由があるのでな」
ドラゴンもタープの下に入り、アトルを相手に弁舌を振るい始める。
その間に、咲弥はもう片方の釣果を検分した。虹色に輝く、川魚の群れ――ニジマスに似た、ニジマスモドキだ。
「ひのふのみの……おー、ちょうど八尾そろってるねぇ。こいつは塩焼きにでも仕上げよっかぁ?」
「うむ。そちらは、サクヤに任せよう」
ドラゴンが尻尾を小さく振ると、ニジマスモドキの一尾が球体から弾き出されて、咲弥の手もとに飛んできた。
それをキャッチした咲弥はチコの眼前にかざしつつ、脳天にデコピンをくらわせる。その一撃でニジマスモドキの目玉は上を向き、動かなくなった。
「これが、活け締めだよぉ。もうちょい大きな魚だと血抜きをしたりする必要もあるみたいだけど、このサイズならこれで十分なはずだねぇ」
「なるほどなのです! わたしも、おやくにたちたいのです!」
そのように語るチコと手を携えて、咲弥は八尾のニジマスモドキを次々と締めていった。
やがてすべての獲物を放出すると、輝ける球体は川のほうに戻っていく。それを横目に、こちらは次なる下ごしらえであった。
「ねえ、ドラゴンくん。こっちの魚は、内臓も食べられるのかなぁ?」
「否。入念に洗浄すれば害になることはなかろうが、除去したほうが無難であろうな」
「そっか。スキュラさんも、異存はないかしらん?」
「はァん。あたしだって、好きこのんで魚の内臓を喰らったりはしないよォ」
「左様でありますか。ではでは、遠慮なく」
咲弥はウォータージャグの水でニジマスモドキの表面を洗いつつ、祖父の形見である渓流ナイフで腹をさばき、内臓と血合いとエラを引っ張り出した。
物覚えのいいチコも作業に加わると、そちらの下ごしらえもあっという間に完了する。食用に適さない部位は『貪欲なる虚無の顎』という大層な名を持つ黒い壺に投じて、塵に返っていただいた。
「あとは串打ちして塩を振れば、準備万端だねぇ。アトルくんのほうは、どうかなぁ?」
「はいっ! りかいかんりょーなのです! さぎょーかいしするのです!」
かくして、アトルの手による『大喰らい』の解体ショーが開始された。
まずは慎重に腹部へと『竜殺し』の刃が入れられて、内臓が引きずり出される。なりがでかいので、臓物だけで大層な量だ。それをバケツに移したアトルは、いつになく真剣な面持ちでチコを振り返った。
「ぼくたちのしゅーらくでは、デザートリザードのぞーもつもおいしくいただいているのです! こちらのぞーもつもたべられるというおはなしでしたので、チコにおねがいしたいのです!」
「りょーかいなのです! アトルのせいかを、けっしてむだにはしないのです!」
アトルの熱意が伝播した様子で、チコも頬を火照らせた。
その後は、二人がかりで『大喰らい』の下処理だ。咲弥は八尾のニジマスモドキに串を刺しながら、その勇躍を見守ることにした。
どうやらアトルとチコはもともと持っていた知識とドラゴンから授かった知識を掛け合わせて、『大喰らい』の下処理に励んでいるようであった。
内臓を抜かれた『大喰らい』は、アトルの手によって頭とヒレを落とされる。『竜殺し』の切れ味は常識外であるので、なんの苦労もないようだ。むしろアトルは、作業台たる『祝福の閨』を傷つけてしまわないことに注意を払っているようであった。
ドラゴンの解析によってヒレは食用に適さないと判断されたため、小さく切り分けられた上で『貪欲なる虚無の顎』行きとなる。
ただし頭部のほうは、ただ捨てるには惜しい大きさであった。
「サクヤの世界には、兜焼きなる料理も存在するのであったな。可食部などは大した量でもなかろうが、如何であろうか?」
「うんうん。あたしもおんなじことを考えてたよぉ。じゃ、焚火台に火を入れておくねぇ」
ドラゴンはかつて一万名にも及ぶ人間の思考を精査したそうなので、咲弥の属する世界に関しても博識であるのだ。現在のアトルは、それこそマグロの解体ショーの知識に基づいて作業を進めているのではないかと思われた。
「ではでは、どーたいもふたつにきりわけるのです! ……でも、ほんとーにかわをはがさなくていいのです?」
「うむ。こちらの鱗は石と同程度の硬度であるようだが、表皮との結合が脆弱な作りであるため、デザートリザードの皮のように活用することは難しかろう。刻んで、塵に返す他あるまい」
「りょーかいなのです! ではでは、きりわけるのです!」
今度は背中の側に『竜殺し』の切っ先が突きたてられて、硬い鱗ごとざくざくと切り分けられていく。
そうして『大喰らい』の巨大な胴体が二つに切り分けられると――ケイが「なんだこりゃ?」といぶかしそうな声をあげた。
「こいつ、腹が空っぽじゃん。でかいくせに、食いごたえがなさそーだなー」
「うむ。内臓を抜いたのだから、腹部が空洞なのは道理であるが……通常の魚よりも、よほど胃袋が巨大であったのであろうな」
好奇心をかきたてられた咲弥も身を起こして、作業台の上を拝見した。
『大喰らい』の身は、確かに可食部が少ないようである。巨大な胃袋を収めるために、ぽっかりと大きな空洞ができていたのだ。さらに言うならば、鱗と表皮の厚さが一センチばかりもあるため、そこでもかなりの比重が占められていた。
「まあでも、もともとのサイズがサイズだからねぇ。この人数でも、物足りないことはないんじゃないかなぁ」
「うむ。とりあえずは、下処理を進めるべきであろう」
「りょーかいなのです! まずは、ちいさくきりわけるのです!」
アトルは『竜殺し』でもって、今度は『大喰らい』の身が横方向から切り分けられていった。
分厚い鱗を纏った状態で、いくつものブロック肉が山積みにされていく。そのひとつを検分したアトルは、おもむろにポンチョの内側から自分のナイフを取り出した。
「りゅーおーさまのかたなだとうろこごときれてしまうので、ぼくのかたなでかわをはがすのです!」
アトルとチコが所持しているのは、原始的な黒曜石の刀である。
それを鞘から引き抜いたアトルは、黒く光る刀身を鱗と身の間に差し込んで、べりべりと引き剥がすように切り分けていった。
咲弥は焚火の炎を育てつつ、チコの様子をうかがう。
そちらはウォータージャグの水を使って、大量の内臓をじゃぶじゃぶと洗っているのだ。いかにも、手慣れた所作であった。
(今日は、二人が頼もしいなぁ。……ていうか、もともと持ってる技能を発揮できて、すごく嬉しそうだなぁ)
咲弥は体内に生じた温かい気持ちをしみじみと噛みしめながら、焚火の炎に火吹き棒で空気を送った。
「よーし、準備オッケーだよぉ。頭は二つに割って、この焼き網に並べてもらえるかなぁ?」
「りょーかいなのです!」と、アトルがすみやかに『大喰らい』の頭部を運んでくれた。
それを焼き網で火にかけると、ケルベロスは早くもそわそわと身を揺すり始める。いっぽうスキュラは、「ふふん」と鼻を鳴らしていた。
「魚なんて、生きたまま喰らうのが絶品なのにさァ。手間暇かけてややこしく仕上げる気が知れないねェ」
「ふん! 魚を生のまんま喰らうなんざ、獣も同然だな!」
ケイの威勢のいい言葉に、咲弥はひとつの疑問を覚えた。
「そういえば、ケルベロスくんはどうやって魚に火を通してたの? やっぱり、魔法の力かなぁ?」
「はい。私は雷撃の魔法を得意にしておりますので、それを利用して火を起こしていました」
ルウの沈着なる物言いに、スキュラはまた「ふふん」と鼻を鳴らす。
「生憎あたしには、水の魔法しか能がないもんでねェ。人間族みたいにせせこましく火を起こすなんて、まっぴらだよォ」
「あー、そっちの世界にはライターとかもなさそうだもんねぇ。チコちゃんたちは、どうやって火を起こしてるのぉ?」
「わたしたちのしゅーらくでは、ひうちいしをつかっているのです! でも、ひをつかうことはめったにないのです!」
「ああ、野菜も生のまま食べることが多いって話だったねぇ。でも、お肉は?」
「デザートリザードのにくは、ほしにくにするのです! さばくのたいようはぎらぎらなので、いちにちでりっぱなほしにくがかんせいするのです!」
「にゃるほど。種族や地域で色々と違いが出るわけかぁ。……じゃ、スキュラさんが生鮮の魚を美味しくいただいてることにも、文句をつけるべきではないんじゃないかなぁ?」
咲弥の言葉に、ケイはたちまち不満げな顔をする。その口が開かれるより早く、咲弥はスキュラに向きなおった。
「そんでもって、スキュラさんにも火を使った料理の美味しさを知ってもらいたいなぁ。そうしたら、おたがいの生活スタイルを尊重できるんじゃない?」
「……そんなもんを尊重して、いったい何になるっていうのさァ?」
「そうしたら、仲良くなれるじゃん。同じお山に住んでるんなら、仲良くしないとねぇ」
咲弥が笑顔を届けると、スキュラはシニカルな微笑をたたえたままそっぽを向いた。
いっぽうケイはむすっとした顔のまま、それでも口をつぐんでいる。そちらは何となく、咲弥の言い分を吟味してくれているような気配がした。
(スキュラさんも、悪人ってわけじゃないみたいだからなぁ。だったらおたがい、歩み寄らないとねぇ)
そうして咲弥がドラゴンのほうを振り返ると、そちらはやっぱり慈愛のあふるる眼差しでこちらのやりとりを見守ってくれていたのだった。




