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02 水妖スキュラ

「我が訪れるより以前、こちらの山は三名の魔族に支配されていたのだ」


 ドラゴンは、ダンディな声音でそのように語り始めた。


「東の峰を根城としたロキ、樹木の精霊を束ねるユグドラシル……そして、水の精霊を束ねる水妖スキュラである。この山が魔獣に蹂躙されることもなく長きの安寧を保っていたのは、ひとえにそれらの三名のおかげであろう」


「えーと、初っ端から話の腰を折って申し訳ないけど、また新たなワードが飛び出したみたいだから質問させていただくね。……魔獣とは、なんぞや?」


「魔獣とは、知性を持たない魔族のことである。以前にケルベロスが砂漠地帯で遭遇したサンドウォームも、魔獣の一種であるな」


 ドラゴンの言葉に、ケルベロスのケイが「うるせーや」と顔をしかめる。ケルベロスはそのサンドウォームとやらの群れに襲撃されて、魔力が枯渇したという話であったのだ。


「魔獣は欲望のままに魔力や大地の恵みを喰らうので、さきほど述べた三名が尽力していなければ、この山も早々に死の山と化していたろうな」


 厳粛きわまりない面持ちで、ドラゴンはそのように言葉を重ねた。


「よって我もそれらの三名の承諾を得た上で、この山を咲弥の世界の山と同期させ、融合させたのだ」


「ふむふむ。そのスキュラさんとやらが、おっかないのかな?」


「うむ。魔族というものは、個体種と群体種に区分される。個体種というのはひとつの時代に一体しか存在しない種のことで、群体種よりも遥かに強大な魔力を有しているのだ。先に述べた三名もこちらのケルベロスも、すべて個体種の魔族となる」


「ほうほう。……あれ? でもドラゴンくんは、もともとご家族がいたんだよね?」


「うむ。竜族にも個体種は存在するが、火竜族は群体種に区分される」


 すると、ケルベロスのルウが謹厳なる面持ちで「恐れながら」と口をはさんだ。


「もとより竜族は、一体ずつが個体種に匹敵するほどの魔力を有しています。そのぶん、数は少ないわけですが……それにしても、竜王殿は比類なき力をお持ちです。まがりなりにも群体種でありながら、並み居る個体種の魔族を凌駕する魔力を備えておられるなど……ほとんど、奇跡のようなものでしょう」


「我はおそらく、火竜族の変異体なのであろう。それは生来の力であるので、我の手柄というわけではない」


 そのように答えるドラゴンがちょっぴり恥ずかしげであったので、咲弥はつい「あはは」と笑ってしまった。


「ごめんごめん。で、そんなドラゴンくんやケルベロスくんでも背筋がのびるぐらい、そのスキュラさんってのがおっかないわけだねぇ」


「へん! 俺はただ、水妖ってのが気に入らねーだけだよ! 水場じゃなけりゃあ、あんな連中はひと噛みで始末できるけどな!」


「しかし、スキュラが水場を離れることはありません。よって、きわめて厄介な存在であるのです」


「うむ……無論、竜王であれば力半分で退治することがかなおうが……それでは、山の安寧が保てぬのであろう……?」


 ベエの問いかけに、ドラゴンは厳粛なる眼差しで「うむ」と応じた。


「スキュラを退治することは、決して難しくない。しかしあやつが滅んだならば、これまで支配されていた水の精霊が制御を失い、この山の調和を大きく乱すことになろう。……そしてそれ以前に、我は罪なき存在に牙を向ける気はない」


「んー? じゃあ別に、そのスキュラさんが悪いモンスターってわけではないのかなぁ?」


「うむ。あやつはただ……これ以上もなく、偏屈なだけであるのだ」


 と、ドラゴンは珍しくも深々と息をついた。


「しかし、畑の管理には大量の水が必要となるため、あやつに協力を願うしかなかった。それで先年にはアトルとチコを引きあわせることになったのだが……あやつの毒気にあてられて、このように怯えることになってしまったのだ」


 確かにアトルとチコは、まだおたがいの身に取りすがったまま、ぷるぷると震えている。そのさまに胸を痛めつつ、咲弥は小首を傾げた。


「それじゃあ、じっちゃんは? じっちゃんだったら、いつもの調子でふわりとかわしそうなもんだけど」


「トシゾウは、けっきょくスキュラと顔をあわせることもなかった。トシゾウの側が、それを拒んだのだ」


「えー、なんで? じっちゃんは釣り好きだったから、そう簡単にあきらめないと思うんだけど」


「うむ。確かにトシゾウも今日のサクヤと同じように、釣り竿を持参した日があった。それで我が、スキュラについて伝えると……これは重要な話であろうから、トシゾウの語っていた言葉を正確に伝えよう」


 と、ドラゴンは追憶に思いを馳せるように目を細めた。


『……わしが釣りを始めたのは、そこに手頃な川があったからだ。誰かに許しをもらってまで、無理を通すつもりはない』


 祖父は、そのように言っていたらしい。

 咲弥はさまざまな思いに胸の内側を満たされながら、「あはは」と笑った。


「それはそれで、じっちゃんぽいかもね。じっちゃんは、とにかく達観してたからなぁ」


「うむ。それで我も、無理に引きあわせようという気持ちにはなれなかったのだ。トシゾウに何かをあきらめさせるのは、忍びなくてならなかったのだが……もしもスキュラがトシゾウに悪さを仕掛けるようなことがあれば、我は深甚なる怒りを抱くことになってしまおうからな。そんな姿をトシゾウに見せたくなかったというのが、偽りのない真情である」


「へーえ。じゃ、そいつだったらかまわねーのかよ?」


 ケイがうろんげに口をはさむと、ドラゴンは穏やかな眼差しで「うむ」と応じた。


「サクヤとトシゾウでは、気質が大きく異なっている。トシゾウであれば、スキュラにどのような悪罵を投げかけられようとも泰然と受け流すばかりであろうが……サクヤであれば、決して黙ったまま終わらせることはなかろうからな」


「うん。あたしはじっちゃんほど達観してないからねぇ」


 そう言って、咲弥は心のままに笑ってみせた。


「だから、このまま引き下がるつもりもないよぉ。あたしはみんなに、釣りの楽しさを知ってほしいしねぇ」


「で、でも、わたしたちのためにサクヤさまがむりをなさるひつようはないのです!」


「いやいや、それじゃあ言い直そうかな。あたしはみんなと一緒に、釣りを楽しみたいんだよ。だから、何もしないままあきらめたくないってことさぁ」


 咲弥がそのように答えると、チコは心底から驚いたように目を見開いた。

 そしてその目に、うるうると涙が浮かべられていく。


「やっぱり……サクヤさまは、おーじさまのようにりりしいのです」


「あはは。王子様よばわりされたのは、初めてだなぁ。まあ、女らしさとは無縁の生き物だしねぇ」


「そ、そんなことはないのです! サクヤさまは、おひめさまのようにかれんでもあるのです!」


 チコの言葉に、アトルもこくこくとうなずいている。

 咲弥は照れ笑いを浮かべつつ、ドラゴンのほうを振り返った。


「まあ、それもこれも、ドラゴンくんの後押しがあってのことだけどさぁ。……そのスキュラさんは偏屈なだけで、危険はないんでしょ?」


「うむ。少なくとも、我の朋友に手をかけるような存在ではない。我の力は、あやつもわきまえていようからな」


「じゃ、さっそくご対面させていただこっかぁ。みんなは、ここで待っててよぉ」


 咲弥の言葉に、ケイが「何を言ってやがる!」と怒声を張り上げた。


「俺があんなやつにびびってるとでも思ってんのか? ケルベロス様をなめるんじゃねーぞ!」


「んー? でも、ケルベロスくんはスキュラさんが苦手なんでしょ?」


「それとこれとは、話が別だろ!」

「はい。サクヤ殿にすべての苦労を背負わせるわけにはまいりません」

「……竜王さえいれば、何も危ういことはなかろうが……この身とて、あやつの不埒な行いを牽制するぐらいの役には立とう……」


 ケルベロスは、口々にそう述べたてた。

 咲弥は小さく息をついてから、「おりゃ」と三つの首のつけねを抱きすくめる。たちまち、ケイが「ぎゃー!」と悲鳴をあげた。


「だ、だからお前は、どうしていちいちひっつくんだよ!」


「それはケルベロスくんの責任だよぉ。あたしだって、めいっぱい自制しようとしてるんだからさぁ」


 そんな風に応じながら、咲弥は思うさま黒い毛並みのモフモフを堪能した。

 優しい眼差しでそのさまを見守ってから、ドラゴンはアトルとチコのほうに向きなおる。


「では、参るか。……アトルとチコは、どうするのだ?」


「は、はいなのです! ぼくたちも、おともするのです!」

「そ、そうなのです! サクヤさまをほうっておくわけには……きゃー!」


 チコが悲鳴をあげたのは、もちろんケルベロスと同じ末路を辿ったためである。

 アトルとチコは小さいので、二人まとめて抱きすくめることも難しくなかった。


「けっきょく全員にハグしてしまったわい。みんな、罪作りじゃのう。……それじゃあドラゴンくん、お願いできるかなぁ?」


「うむ。スキュラのもとに、案内しよう」


 ドラゴンは尻尾で描いた魔法陣の中に咲弥の愛車を消し去ってから、身を伏せた。

 咲弥たちは順番に、温かくて大きなドラゴンの背中によじのぼる。五日ぶりのその温もりが、咲弥にいっそうの力と喜びを与えてくれた。


(あたしはじっちゃんの分まで、この山を楽しみ尽くすって決めたんだ。こんなていどで、引き下がるわけにはいかないさ)


 そのように思案する咲弥を乗せて、ドラゴンはふわりと浮遊した。

 空き地の地面は、見る見る遠ざかっていく。そして、荘厳なる山の姿が咲弥の足もとにさらされた。


 七つの峰を持つ、七首山――あるいは、魔の山である。

 二つの世界が融合したその山は、今日も神々しいまでに美しく雄大であった。


「スキュラが根城にしているのは、東から数えて三つ目の峰の水場となる。そこにおらずとも、こちらの気配を察すれば姿を現そう」


 そのように語りながら、ドラゴンは目指す地に飛翔した。

 右を向けば咲弥たちの暮らす村落が、左を向けばダムや鉄塔が見える。今日は抜けるような快晴であったため、見晴らしも最高であった。


 そんな遊覧は数分で終わりを迎え、ドラゴンは地上に向かって滑空する。

 結界とやらのおかげで風圧などとは無縁であるが、やはりとんでもないスピード感と迫力だ。咲弥はドラゴンの首を抱きすくめながら、ぐんぐんと近づいてくる地上のさまを見守った。


 そうしてドラゴンが降り立ったのは――息を呑むほどに美しい地である。

 目の前には切り立った崖がそそりたち、滝の水がどうどうと流れ落ちている。濡れた岩肌は黒く照り輝き、足もとを流れる川は銀色にきらめいていた。


 跳ねた水しぶきも火花のようにきらめき、あちらこちらに小さな虹がかかっている。咲弥たちの背後は鬱蒼とした茂みであったが、それも含めて壮大なる景観であった。


「スキュラよ。そちらにひそんでいるのは、気配で察知している。どうか姿を見せてもらいたい」


 ドラゴンが毅然たる声をあげると、どこからともなく女の笑い声が響きわたった。


「ずいぶんひさびさに顔を出したと思ったら、愉快な連中を引き連れてるねェ……いよいよあたしを、この山から追い出そうって算段かァい?」


「其方とは、和平の約定を結んでいる。何も手荒な真似をするつもりはないので、我々と言葉を交わしてもらいたい」


「和平……和平ねェ……恐怖の百年王国を築いた竜王が、ずいぶん甘っちょろい言葉を吐くようになったもんだァ」


 妖しい笑いを含んだ女の声に、別なる音色が重ねられた。

 川の水が、渦を巻く音色である。咲弥の足もとに控えていたアトルとチコは、「ひゃーっ!」と悲鳴をあげながらおたがいの身に取りすがった。


 滝の真正面にあたる川面に渦が巻き、その中央から何かが現れようとしている。

 咲弥が黙ってそのさまを見守っていると、やがて意想外のものが浮かびあがってきた。


 水晶のようにきらめく髪を長く垂らした、女の首である。

 首の後にはしなやかな肢体が続き、やがて女の上半身があらわにされた。


 きわめて美しい、女の上半身である。

 肌は抜けるように白く、髪と瞳は限りなく透明に近いブルーに輝いている。美しいには美しいが、実に魔物らしい妖艶なる美しさであった。


(でも、そんなにおっかない姿はしてないんだな)


 咲弥がそのように考えたとき、女の姿がさらに高々と浮かびあがった。

 そうして現れた女の下半身に、咲弥は度肝を抜かれてしまう。女の腰から下には、うねうねと蠢くタコのような触手が生えそろっていたのだ。


 そちらは青黒く照り輝き、裏面にはびっしりと吸盤が生えている。その触手の一本ずつが、女の腰よりも太いのだ。なまじ上半身が美しい姿をしているために、実におぞましい対比が完成されていた。


「それで……そっちの小娘が、この山の新たな主ってことだねェ?」


 呪われた宝石のようにきらめく女の双眸が、高い位置から咲弥を見下ろしてくる。

 それを真っ直ぐ見返しながら、咲弥はワークキャップを外して一礼した。


「あたしは、大津見咲弥ってもんだよぉ。よろしくね、スキュラさん」

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― 新着の感想 ―
スキュラさんは、タコ脚タイプのお方でしたか~ 元祖のスキュラさんだと、腰から下が狼の群れなので、エンゲル係数が爆上りですし、狼キャラがケルベロスくんと被るもんねぇ……(遠い目)
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