05 分裂
ケルベロスのモフモフを堪能した咲弥は、気を取り直して調理の準備を開始することにした。
ローチェアに座した咲弥はコンテナボックスを開いて、まずは三組のバーナーを取り出す。もともと咲弥が使用していたOD缶のバーナーに、安価だが寒冷に弱いためしばらく使用を控えていたCB缶のバーナー、そして祖父の遺品たるOD缶のバーナーである。
CBとはカセットガスボンベの略であり、家庭用のカセットガスコンロでも使用される、もっとも一般的なガス缶だ。
いっぽうODというのはアウトドアの略であり、屋外で使用される想定であるため寒冷にも強い。その代わりに、CB缶よりは値段がかさんでしまうわけであった。
経費節約のため、咲弥も温暖な時期にはCB缶のバーナーを使用している。
しかし咲弥が最初に購入したのは、OD缶のバーナーである。OD缶というのはころんとした丸っこい形をしており、用途が用途であるためにアウトドア用品店でしか取り扱っておらず――祖父とのキャンプの場で初めてその姿を目にした咲弥にとっては、そのOD缶のバーナーもきわめて印象的なキャンプギアのひとつであったのだった。
「……トシゾウの道具を目にするのは、ひさかたぶりのことだ」
と、ドラゴンが優しい響きを帯びた声を投げかけてくる。
そちらに「うん」と笑顔を返しつつ、咲弥はさらに祖父のコンテナボックスから手斧とカッティングボードを取り出した。
「アトルくん、この手斧で薪割りをお願いできるかなぁ? あと、このナイフも今の内に渡しておくね」
アトルには予備のナイフ、チコにはメインのナイフを手渡す。
そして咲弥は、祖父のナイフを握りしめた。
祖父が愛用していた、ブッシュクラフトナイフ――正しくは、アウトドア渓流ナイフである。こちらは土佐打刃物の専門店から購入したのだというひと品であった。
咲弥が所有しているナイフはどちらも刃渡りが十センチ強で、刃厚は二・五ミリと四ミリとなる。それに対してこちらのナイフは刃渡りが十六センチで、刃厚は四ミリ以上にも及ぶ。刃厚が厚ければ厚いほど調理などの細かい作業には不向きであるはずであったが、祖父はこの一本で何でもこなしていたのだった。
刃の材質もステンレスやカーボンではなく、青鋼という種類になる。
なおかつ渓流ナイフというのは魚をさばくことを目的にしているため、切れ味も抜群であるのだ。
刃の鎬地は黒打ち仕上げで、柄には滑り止めとしてナイロンロープがぐるぐると巻かれている。見るからに無骨なデザインで、咲弥は幼い時分からこのナイフに憧れていたが、なんとなく使いこなす自信がなくて手を出せずにいたのである。
それに祖父はかなりの昔日からこちらのナイフを使っていたはずなので、いつ折れるかもわからない。
余人に勝手に貸し与えて折れてしまったら泣くに泣けないので、咲弥は自分の責任のもとに使用しようと決断したのだった。
「じゃ、こっちは下ごしらえを進めちゃうねぇ」
薪割りをアトルたちに一任した咲弥は、まず六合半の米を祖父の兵式飯盒と二台のメスティンに移した。
咲弥などは〇・五合で十分であるが、ドラゴンと亜人族の兄妹は食いしん坊であるし、ケルベロスなどは餓死寸前の様子であるので、多めに準備することにしたのだ。余れば明日の朝食に持ち越すだけのことであった。
(そういえば、この飯盒は初めて見たもんな。ここ最近で、ドラゴンくんたちのために入手したってことか)
祖父のキャンプギアを拝借しているためか、今日は普段以上に祖父のことを思い出してしまうようである。
咲弥はそれを感傷ではなく熱情に転化させて、下ごしらえに従事した。
米は無洗米であるので、とりあえずは水に漬けておけばいい。そういった作業の際には、やはり蛇口のついたウォータージャグが便利である。『ウンディーネの恩寵』とやらは、補充用のサブタンクとして扱うのが相応しいようであった。
「サクヤさま! まきわり、かんりょーなのです!」
「おー、さすが手早いねぇ。じゃ、ナイフを洗ったらこっちの手伝いをお願いねぇ。ダイコンは厚めの輪切り、ジャガイモとニンジンとタマネギとマンドラくんは乱切りでよろしくぅ」
「りょーかいなのです!」
丸太の椅子に着席した亜人族の兄妹は、嬉々として食材を切り分けていく。
その間に、咲弥は砂を洗い流したデザートリザードの肉をひと口大に切り分けていった。
咲弥がチェアに座ると『祝福の閨』はいささか丈が高かったので、ナイフを扱う際にはローテーブルを独占させてもらうことにする。なおかつ咲弥は『プロフェーテースの黒碑』なる御大層な名を持つ石碑をカッティングボードの代用として使わせていただいたわけだが――縁取りの装飾が滑り止めとなって、使い勝手も悪くないようである。そして幸いなことに、鋭い渓流ナイフを当てられても漆黒の石板には傷ひとつつかなかった。
「ひゃーっ! ほんとーに、きえてなくなってしまうのです!」
チコの声に振り返ると、そちらでは野菜くずを『貪欲なる虚無の顎』に放り込んでいるさなかであった。
咲弥も首をのばして拝見してみると、確かに壺の内側に投じられた野菜くずは底に到着する前に黒い塵と化して跡形もなく消滅していった。
「うんうん、すごいねぇ。大事なものを落とさないように、お気をつけて」
「りょーかいなのです! サクヤさまのかたなはししゅするのです!」
そうしてすべての具材が切り分けられたならば、ダッチオーブンに投入してゴマ油で炒める。
炒めた後にはそのまま水を注ぎ、かつおだし、酒、みりん、砂糖、醤油、生姜を加え、蓋を閉めて煮込む。これにて、片方の焚火台はふさがった。
「さてさて。お米の浸水には三十分以上かけたいところだし……適当な料理を仕上げて、前菜といたしますか」
亜人族の兄妹は「わーい!」とはしゃぎ、ドラゴンとケルベロスはそわそわと身を揺する。まったくもって、腕のふるい甲斐がある面々であった。
「とりあえず、巨大キノコの味を確かめておきたいなぁ。じっちゃんは、どういう風に扱ってたんだろ?」
「トシゾウは小さく切り分けて鉄網で焼くか、キャメットの乳脂で焼きあげるか……あとは、煮物や汁物に使用していたようであるな」
「うーん、やっぱそうなるかぁ。じゃ、せめて調味料だけでも変えてみようかねぇ」
巨大キノコの切り分けは亜人族の兄妹におまかせして、咲弥はふた組のスキレットをバーナーに設置した。
油はあえてのオリーブオイルで、性懲りもなくニンニクを添加する。本日の献立にニンニクは必要なかったが、咲弥はコンテナボックスに常備しているのである。
そうして巨大キノコを焼きあげていくと、食欲をそそる香りが広がっていく。
赤とオレンジのツートンカラーは毒々しい限りであったが、まあ華やかと言えなくもなかった。
「やっとメシかよ! 待ちくたびれたぜ!」
そのように言い放つなり、ケルベロスの巨体が黒い竜巻のようなものに包まれる。
そして、その黒い渦が消え去ると――大型犬サイズのドラゴンよりもちんまりとした三頭の狼が立ち並んでいた。
「わー、なになに? キミたち、合体してたのぉ?」
「いえ。こちらが、かりそめの姿です。食事の際にはこちらの姿を取ることにしているのですが、サクヤ殿と出会った折には魔力が枯渇しており、それもままなりませんでした」
かつては真ん中の首であったケルベロスの一頭が、そのように答えてくれた。
彼らはそれぞれ口調が異なるし、右側の首は目もとに古傷、左側の首は垂れ耳という特徴があったので、識別することに支障はなかった。
「うーん。だけどこれじゃあ、呼び方に困っちゃうなぁ。適当に呼び名をつけてもいいかしらん?」
「呼び名ですか。どうぞ、ご自由に」
「じゃ、右から順番に、ケイくん、ルウくん、ベエくんね」
「なるほど。ケイ、ルウ、ベエですか。……ロスは、何処に?」
「ロスは、みんなの心の中にあるのです」
咲弥が自分の胸もとに手を置きながら真心を込めて答えると、ケイは「けっ」とそっぽを向き、ルウは「はは」と愛想笑いをして、ベエは陰気に目を伏せた。
かくして、咲弥のキャンプメンバーは十日目にして七名にふくれあがってしまったわけであった。




