01 新たな出会い
咲弥は「うーん」と、ひとりで悩ましげな声をあげていた。
祖父の家から車で四十分ほど離れた場所にある、国道沿いの大型ディスカウントストアの片隅においてのことである。
咲弥は食材の買い出しのためにやってきたのだが、ついつい立ち寄ったキャンプ用品店のフロアで悩ましいひと品を発見してしまったのだった。
咲弥にうなり声をあげさせているのは、ダッチオーブンである。
ダッチオーブンとは、要するに鍋だ。鍋など珍しくも何ともないが、ことキャンプ業界ではこれもまた定番かつ人気の調理器具であったのだった。
ダッチオーブンの何がそんなにもてはやされているかというと、やはり多彩な機能性であろう。
ダッチオーブンは、焼く、煮る、蒸す、揚げる、燻す、といったさまざまな調理法に対応できるばかりでなく、その名の通りオーブンや、果てには圧力鍋のように扱うこともできるのだ。事程左様に、キャンプ業界においては多機能だとか万能だとかいう謳い文句が絶大なる魅力をかもしだすのだった。
(たいていの料理は、手持ちの道具で対応できるけど……やっぱ、ダッチオーブンって魅力だよなぁ。ミーハー扱いされたって、いいもんはいいとしか言えないよなぁ)
咲弥の心をとらえたのは、国産の老舗ブランドのひと品である。
咲弥が所有しているスキレットと同様に鋳鉄製で、棚に出されたサンプル品はしっとりと黒光りしている。こちらの品は植物性オイル仕上げで、面倒なシーズニングが不要であるというのもまた魅力的であった。
サイズは三種類取り揃えられており、もっとも大きい十二インチで価格は一万円強となる。ただし本来の販売価格は一万四千八百円であり、こちらはセール中で三十パーセントも値引きされていたのだ。
スマートフォンで通販サイトを確認したところ、そちらでも同じぐらい値引きされていたので、これが現在の一般的な売り値であるのかもしれないが――その絶妙な価格設定が、また咲弥を悩ませているのだった。
(ソロキャンだったら八インチや十インチでも十分だけど、ドラゴンくんって食いしん坊だもんなぁ……この前のアヒージョも、腹八分目ってお顔だったもんなぁ……でも、一万円かぁ……あたし個人の貯金だって、まだまだゆとりはあるけど……来月からの仕事だってどう転ぶかわかんないし、生活が安定するまでは贅沢をつつしむべきだよなぁ……)
そんな想念にとらわれながら、咲弥はうんうんとうなり続けた。
もとより咲弥はキャンプギアに関して、余計なものは買わないというスタンスであるのだ。実際に購入しなければ余計かどうかも判断が難しい品は多々あれど、そうであるからこそ高額な商品には入念な吟味と検討が必要であるはずであった。
(十二インチだと、重さは十一キロかぁ……そりゃあこれだけごつければ、重いのが当たり前だよなぁ……いくら車で持ち運ぶって言っても、重要なのは現場の使い勝手だよなぁ……)
そうして思い悩む咲弥の脳裏に、ドラゴンの面影がぽっかりと浮かびあがった。
(……これで立派な料理を作ったら、ドラゴンくんは喜んでくれるかなぁ……)
◇
それから、およそ一時間後――祖父の家でキャンプの準備を整えた咲弥は、七首山に向かう林道に突撃していた。
新たに買い入れた食材はクーラーボックスとコンテナボックスに収納し、助手席にはそれなりのサイズをした平たい円柱形のバッグがシートベルトでくくりつけられている。
悩みに悩んだ末、咲弥はけっきょくダッチオーブンを購入してしまったのだった。
「買ったからには、めいっぱい活用しないとなぁ。待ってろよぉ、ドラゴンくん。今日こそ、キミのおなかとココロをぱんぱんにしてやるからなぁ」
誰にともなく決意表明をしながら、咲弥は愛車を走らせた。
雨天で終わった二回目のキャンプからは、三日が経過している。とはいえ、帰宅したのは二日前の朝であるし、三日目の今日にはまたキャンプに出立しているのだから、丸一日家にこもっていたのは昨日だけであるということだ。
なおかつ、最初のキャンプも同じスケジュールであったのだから、咲弥が祖父の家に移り住んでからまだ一週間しか経過していないわけであった。
滞在一週間で、これが三度目のキャンプとなる。
これこそが、咲弥の求めていた新生活であったのだ。
来月からは日銭稼ぎのアルバイトを開始する予定であったが、可能であればもっとキャンプの日取りを増やす心づもりであった。
(だからこそ、贅沢はつつしまないといけないけど……頭数が増えたら、キャンプギアだって増やさないとねぇ)
そうして咲弥は過去の二回で使用した空き地を通過して、さらに愛車を走らせた。
本日は、この山道の最果てに存在する最後のキャンプスポットを目指すのだ。祖父の家をスタート地点とすると、時速三十キロの安全運転で五十分ほどかかる見当であった。
まあ、そちらのスポットも何か見どころがあるわけではない。ただ、異界との融合とやらでどのように様変わりしたかを確認しておこうと思いたったまでだ。ドラゴンにも、今日という日にそちらのスポットまで出向くつもりだということを事前に告げていた。
そうして咲弥がのんびりとしたドライブを経て、そちらのスポットに到着すると――広々とした空き地のど真ん中に、雄々しい真紅の姿があった。
「なんだ、ドラゴンくんはもう来てたんだぁ? お腹が空いて、待ちきれなかったのかなぁ?」
咲弥が車を降りながら呼びかけると、ドラゴンは遥かなる高みで「うむ」とうなずいた。
「空腹であるのは事実であるが、本日はサクヤにこの者たちを紹介しようと思ってな」
渋みのきいた声で語りつつ、ドラゴンはすっと身を引いた。
すると、その巨体に隠されていたものが咲弥の視界に飛び込んでくる。
それは――地面に寝転んだ、二人の幼子の姿であった。
「は、はじめまして! ぼ、ぼくはコメコぞくのアトルともうしますのです!」
「わ、わたしはアトルのいもうとのチコともうしますのです!」
さしもの咲弥も呆気に取られて、しばし言葉を失うことになった。
どう見ても、五歳ぐらいにしか見えない幼子たちである。きっと立ち上がっても、身長は一メートルにも満たないぐらいだろう。どこもかしこもちまちましていて、とても可愛らしい。
ただ、彼らはどちらもくっきりとした紫色の髪と瞳をしており、口からは鋭い犬歯が覗いており――そして、左右のこめかみからはヤギのごとき見事な巻き角が生えのびていたのだった。
明らかに、こちらの世界の住人ではない。
そして何故だか、彼らは仰向けに寝そべって、服従する犬のごときポーズを取っていた。
「えーと……こちらはドラゴンくんのご親戚か何かかしらん?」
咲弥がそのように問いかけたのは角のせいばかりでなく、彼らが纏っている砂色のポンチョやブーツが鱗の柄であったためとなる。
しかし、ドラゴンの返答は「否」であった。
「この者たちは砂漠の集落に住まう亜人の一族、コメコ族の兄妹である」
「にゃるほど……このポージングは、彼らの伝統に則った挨拶か何かなのかな?」
「否。そちらの世界では、これが敵意のないことを示す姿勢なのであろう? 我が、そのように教示したのだ」
「いやいや、わんこじゃないんだから。こんないたいけなおこちゃまたちにこんなポーズを取らせてたら、こっちが何かの罪に問われちゃいそうだよ」
咲弥は溜息をつきながら、そちらの兄妹のもとにしゃがみこんだ。
「さあさあ、楽にしておくんなさい。あたしは大津見咲弥っていう、ちんけな女でございやす」
「はいっ! りゅーおーさまから、おうわさはかねがねうかがっているのです!」
「ど、どうぞよろしくおねがいいたしますなのです!」
「だからまずは、楽にしなさいってば。取って食ったりはしないからさぁ」
咲弥がそれだけ言いつのると、幼き兄妹はようやくおずおずと身を起こした。
くすんだ砂色のポンチョとブーツは、やはり何らかの爬虫類の皮で仕立てられているのだろう。そこから覗く手足には灰色の包帯みたいなものがぐるぐると巻かれており、露出しているのは小麦色に焼けた顔と手の先ぐらいであった。
その顔が、とても可愛らしい。リスのように大きな目が印象的で、もしゃもしゃの猫っ毛は兄のほうが長めのショートヘアー、妹のほうはちょこんと小さなおさげにしていた。
「うーん。取って食わないって言ったけど、思わず食べちゃいたくなるぐらいかわゆいねぇ」
咲弥が思わず冗談口を叩くと、兄妹は「きゃーっ!」と悲鳴をあげながらおたがいの身を抱きすくめた。
「冗談だよぉ。どうしてキミたちは、そんなに腰が引けてるのかなぁ?」
「コメコ族はあらゆる種族に迫害されて、砂漠地帯の奥深くに追いやられた身であるのだ。そういった来歴から、誰に対しても恐れ入ってしまうのであろうな」
「ええ? こんなかわゆらしいおこちゃまたちを迫害するなんて、許されざるべき所業だねぇ」
「うむ。この者たちはなかなか頑強なる肉体を有しているのだが、まったく魔力を扱えない身であるのでな。魔法の文明によって成り立つこちらの世界では、どうしても最底辺の存在と見なされてしまうのであろう」
そんな風に語りながら、ドラゴンは長い首を垂らして亜人族の兄妹に顔を寄せた。
「しかし、アトルにチコよ。こちらのサクヤは、トシゾウから優しき心根を受け継いでいる。そのように恐れ入る必要は皆無であるぞ」
「いやいや、あたしはそんな大したもんじゃ――あれ? この子たちも、じっちゃんのお友達なのぉ?」
「否。友ではなく、雇い主と働き手の間柄であるな」
咲弥が小首を傾げると、兄のアトルが「はいっ!」と声をあげた。
「ぼ、ぼくたちは、トシゾウさまのはたけをおあずかりしているのです! トシゾウさまには、たいへんおせわになっていたのです!」
「畑? じっちゃんの畑はみんな売っぱらっちゃったし、そもそもキミたちがこっちの世界をうろついてたら大騒ぎになっちゃうんじゃない?」
「否。もとよりこちらの世界の住人たちは、そちらの世界に足を踏み入れるすべがない。そうではなく、トシゾウはこちらの山にも畑を開いていたのだ」
ドラゴンは落ち着き払った声音で、そのように説明した。
「と、いうよりも……毎回トシゾウに食材を準備してもらうのを忍びなく思い、我がそのように提案したのだ。そうしてこの者たちを雇い入れて、畑を管理するすべを学ばせたというわけであるな。報酬は、その畑で収穫された作物となる」
「ほへー。いったいどんなもんを育ててたの?」
「それは、こちらに準備している」
ドラゴンの巨大な尻尾の先端が、虚空を優雅に走り抜ける。
すると、青白く輝く魔法陣が浮かび上がり――その向こう側から、巨大な草籠が飛び出してきた。
アトルは「はわわ」と慌てながら、その草籠を見事にキャッチする。
その草籠に、見たこともない作物がどっさりと山積みにされていた。
「本日は、こちらの品も活用してもらいたい。サクヤであれば、きっと立派に使いこなすことができよう」
ここまでお読みくださり、ありがとうございます。
次話からはしばらく隔日で更新していく予定です。
次の更新は11/4(月)17:00の予定です。