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プロローグ 焚火とドラゴン

(……やっぱり、焚火はいいもんだなぁ)


 大津見咲弥おおつみ さくやは、この人生で何度くりかえしたかもわからないつぶやきを心中でこぼした。

 アウトドア用のローチェアに座した咲弥の目の前で、焚火台に積まれた薪がパチパチと燃えている。その宵闇に浮かびあがる真紅と黄金のきらめきが、咲弥の心を深く満たしていた。


(なんせ、数ヶ月ぶりのキャンプだもんなぁ。最後に行ったのは、いつだったっけ? たしか紅葉のシーズンは逃したはずだから……下手したら、半年以上ぶりになるのかぁ)


 現在は二月の中旬に差し掛かったところであるので、山中は存分に寒い。厚手の防寒ジャケットを着込んでいても、しんしんと冷気がしみいってくるかのようだ。

 しかし、そんな寒さなどまったく気にならないぐらい、咲弥は安らかな心地であった。


 ひさかたぶりのキャンプを満喫できて、咲弥は心から充足している。

 ただ――明々と燃えあがる焚火の向こうに、奇妙な存在が鎮座ましましていた。


 体長五メートルはあろうかという巨体が、焚火の炎よりも真っ赤な鱗に覆われている。その双眸は黄金色に炯々と輝き、頭には二本の角、口には牙、首まわりには白銀のたてがみ、四肢の先には鋭い鉤爪、背中には巨大な翼――それはいわゆる、ドラゴンというやつであった。


「……やはり、焚火とはいいものだな」


 やたらと渋みがかったダンディな声音で、ドラゴンはそのようにつぶやいた。

 ただし、鼓膜ではなく頭に直接響きわたったような感覚である。まあ、このような形状をした生き物が人間と同じような声帯を備え持っている道理はなかった。


「人間は火を道具として扱うことで、他なる獣と一線を画する存在に進化した。言わば人間の生み出す焚火の炎というものは、文明の始まりの象徴であるのだ。ゆえに、これほど美しく……そして、見る者の心に大きな感銘を与えるのやもしれんな」


「……焚火ひとつで、ずいぶん仰々しい言葉を並べたてるんだねぇ」


 咲弥がうっかりいつもの調子で気安い言葉を返すと、ドラゴンは「左様であるな」とちょっぴり憂いげに目を伏せた。そんなちょっとした仕草にも、妙に理知的な雰囲気と風格が漂っている。


「我には、滅びの炎を吐くことしかできん。それで、人間の生み出す焚火の炎を前にすると我が身の業というものを思い知らされて、いささか感傷的な気分をかきたてられてしまうのやもしれんな」


「いやいや。マッチですろうと口から吐こうと、火は火でしょ?」


「否。火竜の吐き出す火炎の息吹というものは一瞬で対象物を塵に返し、すぐさま消滅してしまうのだ。おそらくはこの世の道理から外れた高熱であるために、瞬間的に周囲の酸素を喰らい尽くし、延焼することもないのだろう。かえすがえすも、世界を傷つける役にしか立たない炎であるということだ」


「……よくわからんけど、ドンマイ」


「うむ。ついついいらぬ感傷にふけって、余計な口を叩いてしまったな」


 と、ドラゴンはうつむきかけていた長い首をもたげて、微笑むように目を細めた。


「せっかくの憩いのひと時に水を差してしまったことを、詫びよう。そして、出会ったばかりの我に励ましの言葉をかけてくれたことを、ありがたく思う」


「……どういたしまして」と答えてから、咲弥は暗い天空を仰いだ。

 そろそろ日没が近いので、空は淡い紫色から深い藍色のグラデーションに染まりつつ、じわじわと星空に転じようとしている。スモッグに覆われた都心では望むべくもない、雄大なる情景だ。


 ここは、咲弥の祖父が所有していた山の懐である。

 今日になって祖父の家に転居してきた咲弥は荷物の紐を解くより前に、待ちに待っていたキャンプを敢行したのだ。

 愛車たる中古の軽ワゴン車で林道を分け入り、手頃な空き地でテントを張り、数ヶ月ぶりの焚火にうっとり見とれて――そして、現在に至るわけであった。


(……どうしてこうなった?)


 咲弥はそんな疑念を頭上に投げかけたが、黄昏刻の雄大なる天空にその答えが浮かびあがることはなかった。

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