Ⅳ 運命 -25
「坊ちゃんは叔母さんに会えたかなぁ」
空は独り言ちると、明るく輝く月を見ながら、ジーニをあおった。ジーニは公国でよく飲まれる一般的な酒だ。乾いた喉と体を潤すにはいいが、やはりこういう時はラシャが飲みたくなる。ラシャは針森でよく飲まれる酒で、赤い実を発酵させて造る。この赤い実自体が、ラシャという名だ。
何かの折に、ラシャが飲みたいなぁと思うと、俺はやはり針森の人間なのだなとしみじみ思ったりする。
「そんなにしみじみしている時間はないか」
ここは都の下町にある飲み屋である。
少し入り組んだところにあり、分かりにくいが、そこそこ流行っているようで、客の入りは悪くなかった。片面の壁は上半分が開いていて、空が座っている席からは月が綺麗に見えていた。
程よく喧騒があり、盗み聞きされるほど席も近くない。月がよく見える。最近の空のお気に入りの店だった。
店の入り口に男が現れた。キョロキョロと店内を見ている。風采の上がらない容貌の男だが、着ているものは悪くない。
あの、量の割に何とかして多く見せようとしている頭髪が問題だな。
男は空と目が合うと、物問いたげに小首を傾げた。
おいおい、そんなにあからさまじゃ、怪しいだろ。
空は内心突っ込みながら、ニコリと笑って見せる。
男はほっとした顔をして、足早にこちらのテーブルに近づいてきた。
小物だな。
空はそう結論付けて、笑顔を保ったまま、男を迎えた。
「行き違いにならなくて良かった」
空がそう言うと、男は荒い息で頷いた。
「こんな店、初めて来ましたから。合っているかどうか自信がなかった」
男はそうかすれた声で言って、店員に水を頼んだ。
「飲まないんですか?」
空が訊くと、男は空の手元にあるジーニにチラリと目をやり、「ええ」と頷いた。
「酔いたくはないんで」
空は頷き、「懸命です」と褒めた。
「で、例のものは?」
男はとっとと用事を済ませたいのが見え見えだった。挙動不審な男が店に入ってきてすぐに、水しか頼まず、余裕のない顔でこそこそ話している。怪しんでくださいと言わんばかりではないか。
こんな男を寄こしてきたのは、わざとか?
空はこの男の後ろにいる、小物ではない男の存在を思った。
「その前に」
空は素知らぬ顔で、ジーニを煽った。
「これを何にお使いに?まさか自分で使われるんじゃないですよね」
世間話をするように言ったのに、男はちっともこちらの意をくんではくれないようだ。
目を剥いて怒り出す。
「当たり前だ。とある方に」
言いかけて、男は口をつぐむ。
「お前には関係ない」
あっさり正体を現した男に、空は内心ため息をついた。
こりゃワザとだな。
こんな愚図を重要な取引に寄こすわけがない。俺の正体を知っている、と脅しをかけている。
ただ、これを渡したらどうするか、は知りたい。
「今は持ち合わせがあまりないんですよ」
空は申し訳なさそうに言った。
「明日届けますので、ご主人様にそうお伝えください」
そう言って立ち上がると、給仕係を呼んだ。会計をと告げる。
「え、おい」
男は慌てだした。現物を今日貰ってこいとでも言われたのかもしれない。
立ち上がりかけた男の肩を、空は片手で触った。男はストンと椅子にしりもちをついた。目を白黒させ、怯えた顔で空を見上げる。
「お酒、驕りますから、飲んで帰って下さい。ご主人にはわたしから伝えますから」
空はそう言うと、給仕係に強めの酒の追加を言づけた。




