Ⅳ 運命 -9
これは美しい。
蒼碇の時も思ったが、この国の人間は、美しい景色も自分のものにしたいと思うのだろうか。
全輪の中央にしんと佇む白水湖を前に、昂はその幻想的な眺めに、素直に感動した。
静かな湖面が、丘の上の城を映している。その両脇に並び立つ街並みも、ゆらゆらと静かに揺れていた。まるで湖の中にも、町があるようだ。
昂はしばらく目の前の景色に酔っていたが、やがてはっとし、隣に立っている彩を見た。
「どうだ?美しい景色だが、何か感じるか?」
蒼碇の時も、目の代わりをしてくれる奏はいなかったが、彩は視覚以外の全ての感覚で蒼碇の海を感じ、感動していた。
彩は何度か首を振り、何かを探しているようだったが、やがてため息をついた。眉間に皴が寄っている。
「嫌な匂いがする。この町はあまり好きではない」
彩はそう呟いた。昂は少しがっかりし、彩の手を握ると、行こうかと促した。
蒼碇から全輪までは、馬車を使った。自分たちが目立ち、いらないちょっかいを出されるのは身に染みて分かったし、燦から全輪への旅費も渡されていた。
受け取ろうか迷う昂に、燦は笑って、「空からなら受け取るでしょ」と言って、お金を昂に押し付けた。
確かに助かった。
もはや常備となった黒い布を頭に巻いて、昂はもう一度、白水湖の上に建つ城に目を向けた。
この景色が見たくて、馬車では町に入らず、白水湖と城が見えるこの場所で降ろしてもらった。ここから見ると、城は天上にあるかと思うほど遠く、本当にたどり着けるかと不安になってくる。
あのまま馬車で城の門前まで乗り付けても、燦には会えるかもしれない。燦だけではなく、彼女の母親も会ってくれるかもしれない。
だが昂はこの国、その王都全輪を自分の目で見てから、燦に会おうと思った。
彼女が背負っているものを、自分は恐らく分かっていない。せめて全輪の町を見てから、燦に会おう。そうすれば、彼女を化け物に変えてしまう重荷が、少しは分かるかもしれない。
昂は彩の手を引き、左岸の町に続く街道を進んで行った。左岸は遜と允の町だ。右岸は崑の縄張りだと聞いて、昂は左岸を選んだ。
それにしても、彩は成長した。
あんなに弱々しく、一人では歩くことすらままならなかったのに、しっかり昂の手を握り、一歩一歩危なげなく歩いている。
手を繋いでいるとはいえ、あまりにもスタスタ歩くので、昂は「俺の目でも視えるようになったのか」と聞いてみた。
彩は驚いたように首を横に振った。
「視えていないわ。ただ不自由を感じなくなった。耳と鼻と、あと空気の感じで、感じることに自信が持てるようになったというか」
彩はうまく説明できなくて、困っているようだった。何度も口を開きかけては、結局言葉にならなくて、もどかしそうに口を閉じる。
困りながらも楽しそうに歩く彩に、昂はほっと胸をなでおろした。
……嫌な匂いか。
彩の先ほどの言葉を思い出して、昂はそっと息を吐いた。
あの美しい景色に、なにが閉じ込められているのだろうか。




