Ⅳ 運命 -6
「櫂さーん」
呼ばれて、櫂は不機嫌に振り向いた。
そこには予想通り、生意気な隠密がいた。
「閣下と呼べ」
わざと言ってやる。ガザ国の国軍大将でもある櫂は、そう呼ばれてもいいほどの地位である。しかし隠密の連中は、相変わらず、昔からの習わしで櫂さんと呼ぶ。
習わし……違う。あのガキが発端だ。
もうガキではない歳だが、櫂が彼を思い出すとき、いつでも彼が一六歳の時の姿を思い出す。出会った時のままだ。
まぁ、たいして成長していないだろうが。
「空に会ったそうだな。奴はどこへ?」
訊くと、隼はあっけらからんと答えた。
「野暮用で、アウローラ公国へ」
アウローラ公国……。
何をしに、というのは野暮か。
炎国王即位に多大な功績がある空が、興味を持っているのはたった三つのことだ。
自分の村とその村を焼いた者。そして、ガザ王妃凛。彼の行動基準は常にその三つだ。
もう二十年も前のことだが、アウローラ公国は針森の村を焼いた。
二十年という年月は、まだ空の心を溶かしてはいない。
何か、仕掛ける気か。
櫂は空がもうガザの隠密ではないことに安堵した。こう言ってはなんだが、空が何をしようが、国同士の問題にはならない。
「で、お前の用は?」
隼の方から声をかけてきたことを思い出して、櫂は尋ねた。
隼はすぐには答えなかった。櫂の隣に来ると、歩くように促す。密談しているようは見えないように、歩きながら話そうという合図だ。
隼は声を潜めた。櫂だけに聞こえる音量と方向で声を飛ばす。
「姫さまは恐らく気が付いていないと思いますが」
聞こえているというように、櫂は軽く頷く。
「緑銅で知り合い、蒼碇まで一緒だった少年は、凛王妃の甥御だと思います」
王妃の甥。凛には蘭という姉がいる。それは別に特筆すべきことでもない。
ただ……
隼は続けた。
「昂というそうですが、十六歳だそうです。それに……」
その続きが重要だということは、櫂にも分かった。
「髪の色は金でした」
櫂は思わず立ち止まり、目を見開いた。
凛の姉である蘭は、太陽国がガザに降伏し、アウローラ公国になってからの三年間、公国の大公妃だった。若くして病死し、子はいなかったとされている。だが、実は大公妃は生きているという噂が、十七年近くたった今も、根強く残っている。もし、彼女が生きていて、他所で大公の子どもを産んだとしたら、その子は今ちょうど十六歳だ。
「空はなんと?」
立ち止まったまま、櫂は訊いた。
「なんとも。同じ村の子どもとだけ。それにあそこは、誰と血が繋がっているかということは、あまり問題にしません」
櫂は舌打ちした。
村ではそうでも、それ以外ではそうではない。シンボルを携えた、大公の血をひくかもしれない少年。後継者問題が泥沼化しそうな国。
「これは荒れるかもしれないな」
それも計算で、空はあの国に行ったのか。
「凛さまや陛下はまだ知らないのか?」
事務的な口調でそう問いただすと、隼は鼻を掻いた。
「俺からは言ってないですけど、今頃姫さまが語っていると思いますよ。本人は知らないままで」
信じられないという顔で、櫂は隼を見つめた。
こいつのポカは、ワザとやっているのではないかと時々思う。
「能無し」
櫂が毒づくと、隼は少しも反省していない顔でニヤリと頬を歪ませた。
「だから、凛さまは俺を姫につけたんですよ」




