Ⅳ 運命 -5
「燦!」
待っていることも出来ず娘の私室に飛び込んできた父親に、燦は仕方なくその場で片膝をつき、頭を垂れた。
「ただいま戻りました父上。蒼碇における麻薬カランの件、無事に治めることができました」
抱しめようとした娘に跪かれ、出しかけた両腕を不自然に戻し、炎は中途半端な位置で立ったまま、咳ばらいを一つした。
「よくやった」
一言そう言って、次の言葉が続かない炎王に、後に従ってきた櫂はやれやれとため息をついた。
「姫様、ご無事でなによりです。どうぞ、陛下を抱きしめてやってください」
燦の側にいた侍女が、思わず吹き出したのを横目で見ながら、燦は立ち上がり、頭をさげた。
「勝手をしました」
燦の出奔を知っていたのは、母である凛と、その母に条件として付けられた隼だけだ。
父に言えば許してくれないのは明らかだ。だから、凛だけに告げた。母はどんなに心配でも、許してくれると分かっていたからだ。もちろん、王である父が本気で連れ戻そうとすれば、あっという間に連れ戻されるだろう。だが母が父を押さえてくれることは分かっていた。
卑怯な手を使ったと、自分でも思っている。
それでも、外に出なければいけないと、燦はその時切羽詰まっていた。
頭を下げた娘を、炎は大きな両腕で抱きしめた。
「気はすんだか?」
ねぎらいのつもりでかけた言葉に、娘は押し黙ってしまった。しばらくして、燦は小さな声で言った。
「いえ、まだまだです」
炎は娘を抱きしめたまま、腕を緩めて燦の顔を見るか、そのまま抱きしめておくか迷った。顔を見たいが、そうすると逃げてしまいそうな気がする。
「お前な」
結局、炎は抱きしめたまま、抗議の声だけをかけた。
炎の知らない間に、娘が城から消えた。
それも凛には告げて出たということに、炎はたいそう落ち込んだ。凛を詰ると、凛は炎の心配も焦りもわずかな嫉妬心も、鼻で笑い飛ばした。
「それは王として?父親として?」
そう言うと、くっつきそうなほど近くで目を覗きこまれた。
「あの子の人生の邪魔をすることは、たとえ王でも父親でも、許さないわよ」
そう凄まれて、燦を連れ戻すのを断念したのだ。
あの時の気持ちを思い出して、炎は怒鳴りつけたくなった。
どれだけ心配したと思う。
王だとて、世の父親と変わらない。
その時、部屋の扉が開いた。
動きやすい服装に、軽やかな足取り。
「あら、先を越されたわね」
笑いを含んだ声は、炎の怒りをスッと冷ました。娘を送り出したのは、決して平気だったからではない。炎と同じように娘の身を心配し、心を痛ませていた。それでも笑顔で送り出せたのは、単純に彼女が炎より度量が広いからだ。
恐ろしい想像に身を焦がしたのは、きっと彼女の方が多かっただろう。
「凛!」
燦は身内では、母親のことを名前で呼ぶ。
思わず弾んだ声に、炎は腕を緩めた。
側に来た娘を、凛は優しく抱きしめた。幼子にするように、頬ずりをしようとする。
すると燦は、我に返ったように、凛から離れてしまった。親愛に満ちた雰囲気は消え、「父上」に対した時と同じような空気が流れた。
「また森に行っていたんですか?」
そう訊く燦の声は、冷めていた。
凛は自分の格好を見下ろすと、頷いた。
城の離宮から続く森は、凛王妃のお気に入りの場所だ。
ただ、それは散策というよりは、冒険に近いものであったが。
「露台の上で難しい顔をして考え込んでいるより、よっぽどいい考えが浮かぶわよ」
凛にそう言われて、炎は嫌な顔をした。
どこから見ていたんだ?
「いい考えが浮かんだとして、それで怪我などしたら元も子もないと思うが」
そう切り返すのが、炎には精いっぱいだ。
凛は気にもしないで、朗らかに笑った。
「そうね、気を付けるわ……まぁ、とにかく、燦の話を聞きたくない?」
とにかくね……
この昔から変わらないあけすけな物言いは、相手の毒気をすっかり抜かせる。恐らく計算して使っていると、櫂などは分析している。
炎は内心苦笑し、愛する妃の失言を手打ちにすることにした。
「まぁ、そうだな。ぜひ聞かせてもらおう」




