Ⅳ 運命 -3
「なるほど」
空は遠眼鏡を外して呟いた。
「面白いことになってるな」
ここからは、ユースティスの屋敷がよく見える。人にバレないように屋根の上に上り、寒風に震えながら遠眼鏡を覗けば、だが。
その甲斐はあった。
「奏っていう子、懐いてるじゃん」
探し人はあっさり見つかった。ひどい目にあっている様子はない。それどころか、手厚く守られている。
いい奴に拾われたな。
空は冷えた体をこすりながら、考えを巡らせた。
俺にとっても、いい展開だ。
かつての主、永遠の想い人、行き会った小娘、恐ろしい元上司。いろいろな人物の顔が頭をよぎったが、空の決心は変わらなかった。
最後に、木場で別れた盲目の少女を思い出す。
「悪い。約束は先延ばしだ」
化け物である燦は、まだ荒野を彷徨っていた。
自分を食べるのは止めた。食べたからといって、変われるわけでも、消えることができるわけでもないからだ。
ただ、そうすると、どこへ行ったらいいか分からない。あてどなく荒野を彷徨う。目的などなかった。
醜い体。這ったさきから、地面の草が茶色く変色していく……
目を覚まし、体を起こすと、昂はため息をついた。
どういうわけか、俺と彩は燦が見た夢を見てしまう。
自分が見ている夢を、他人も見ているのは気持ちがいいものではないだろう。
しかもこんな夢だ。
迂闊に「燦」と呼んでしまったことを、昂は後悔していた。なぜその名前を知っているのか、説明しないわけにはいかなかったからだ。
説明したところで、にわかには信じがたい話だ。だが、燦は納得した。
あの時の燦の何ともいえない複雑な顔。
それはそうだろう。自分の内面にズカズカと踏み込まれているようなものだ。
知られることは、単純に耐えがたいほど恥ずかしい。
昂は今でも見てしまうことを、燦には言っていない。燦も聞いては来ない。彩も察しているのか、あの日以来、その事には触れない。
それにしても……
なぜ燦は今でも夢の中で、あんな化け物を被り続けているのだろう。
現実の世界では、頑固なまでに強い意思を貫こうとする燦が、夢の中では化け物の姿で右往左往している。
まぁ、それでも……
「最初よりはましかな」
彩が冷たくなってしまうほどの、衝撃的な夢。喰われるかと思った時の、あのおぞましさは、最近の燦の夢からは感じられない。
感じるのは恐れと、戸惑い?
その日は抜けるような青空だった。
昂の身体はだいぶ回復し、寝台から起き上がれるようになった。それまで、獏の広大な館の一室で治療していたのだが、いつまでもそうしているわけにはいかない。
くしくも今日は、獏たちがキシベに移される日だった。昂もなんとか動けるようになったので、館を出ることにした。
獏は今日まで、この館で軟禁状態にあった。役人や蒼碇の駐屯兵が館に詰めているが、館内は基本的に自由に動ける。
しかし、獏や崙は昂たちの前に姿を現さなかった。
燦たちは全輪に戻っていった。王女の身分を露にしたので、従者と二人でフラフラしているわけにはいかない。
昂と話した翌朝、蒼碇の役人たちに後を託し、馬車に乗せられ全輪に向かった。
彩は何が気に入らないのか、ここのところ機嫌が悪い。燦たちに置いて行かれたと思ったのだろうか。
「二人になったな」
昂がそう言うと、彩は無言で、怒りの籠った息を鼻から吐いた。
「まぁまぁ。怪我が治ったら、俺たちも全輪に行くから」
俺たちが目指すべきところも、恐らくそこだ。目的を達成しようとすれば、燦たちにも再会できる。
こちらにむかってくる足音が聞こえて、彩は身を固くした。
昂がそっと彩を呼ぶ。
彩が昂の側に来たのと同時に、扉が開いた。
「崙」
姿を現した男の名前を呼ぶと同時に、もう一人いないか確認する。
崙は一人だった。
昂は安堵に息を吐いた。
獏を彩に会わせたくない。
崙は昂の身体を一瞥すると、低い声で言った。
「悪かったな」
昂は肩をすくめた。昂の身体をこんなにしたのは崙だが、彼を恨む気持ちは湧いてこなかった。
「嬢ちゃんも、悪かったな」
崙が彩に向かってそう言うと、彩はビクッとし、昂の手をぎゅっと掴んだ。
「獏は」
昂が訊くと、崙は首を横に振った。
「壊れかかってる」
昂は鼻で嗤った。
「もともとだろ」
もう一度、崙は頭を横に振った。
「いや、今度はもう……」
「……」
同情する気も、慰める気にもなれなかった。奴がいなくなって、この町はすこし平和になるだろう。
「あんたも行くって?」
小耳に挟んだ話を昂がすると、崙は何でもないことのように頷いた。
「まぁ、長い付き合いだからな」
「でも、あんたもあいつにひどいことをされたんだろ?」
分からない、と昂は首を傾げる。せっかく自由になれるのに。
「まぁ、あの人にとっちゃ、気まぐれだったんだろうけどな」
崙はそう言って、笑った。
笑顔を初めて見た、と昂は驚く。
「麻薬工場で働いていたところを、あの人に拾われたんだ」
「……それだって、獏の工場だろ?」
崙は頷く。
昂は呆れて、鼻で嗤った。自分の工場で働かせておいて、救うも何もあったもんじゃない。
「拾われてしばらくしたら、俺を売った親たちがたかりに来た。お側に取り立ててもらえて、金が入ったと思ったんだろうな」
「それで?」
昂が促すと、崙は頷いた。
「それで、あの人がみんな殺した」
「……」
「生まれてから、その日まで、いいことなんて一つもなかったからな。俺は自由になったって、その時に思ったんだよ」
昂は言葉をなくした。ただじっと崙を見つめた。
崙はその視線に気が付かないかのように、穏やかに遠くを見ていた。
「キシベに閉じ込められることになって、よかったかもしれん。あの人も俺も、もう狂わなくて済む」
崙は大きな手で、昂の頭を撫でた。
「お前と嬢ちゃんを狂わせずに済んで良かった。達者でな」




